<本文>
1.国際放射線防護委員会(ICRP)は、UNSCEAR 88報告やBEIR-V報告などの新しい放射線リスク評価の結果を基に、1990年の勧告で放射線防護基準の基礎となる放射線リスクを次のように評価している。
2.確定的影響
放射線の確定的影響(従来非確率的影響と言われているもの)にはしきい値があり、これ以下では影響が見られない。人間の生殖器官の放射線に対する感受性は比較的低い。低LET放射線照射の場合、男性の一時的な生殖能力低下のしきい値は一回照射で約0.15Gy、連続照射では0.4Gy/年である。永久不妊のしきい値はそれぞれ、3.5〜6Gy、2Gy/年である。女性では2.5〜6Gyの
吸収線量(急照射)で、受胎能力が永久停止すると考えられているが、年長者のしきい値はこれより低い。連続照射の場合のしきい値線量率は、約0.2Gy/年である。水晶体混濁のしきい値は急照射で約2〜10Gyである。しかし広島、長崎の被曝生存者のデータでは、しきい値はこれより幾分低い可能性がある。連続照射では、0.15Gy/年より幾分高いと考えられる。高LET放射線では、しきい値は1/2〜1/3である。
これらのしきい値は、ICRPの新しい線量限度勧告値(
表1 参照)より大きく、線量限度以内では、確定的影響は発現せずリスクは0である。
3.確率的影響
放射線による確率的影響には、被曝した人自身に発現する身体的影響(発癌)と子孫に現れる遺伝疾患、発癌などの遺伝的影響がある。遺伝的影響が、放射線による
生殖腺の損傷と密接に関連しているように、それぞれの影響、疾患には主たる決定組織(器官)が決められる。ICRP90年勧告では、これ以前のICRP Pub.26の
決定器官、生殖腺、赤色骨髄、骨表面、肺、甲状腺、乳房以外に、結腸、食道、胃、肝臓、膀胱、
卵巣、皮膚その他の全ての組織のおのおのに放射線リスク評価値を与えている(
表2 参照)。
現在推定されている放射線の生物影響リスクの値は、主に原爆被曝生存者、医療被曝者のデータや、動物実験などの研究から得られている。これらの研究対象の放射線被曝線量は、放射線防護の対象となる線量から見てはるかに高い。低線量、低線量率での放射線影響は、高線量、高線量率での影響に比べ、単位線量当りのリスク(
リスク係数)が小さいことも知られている。ICRPでは線量−線量率効果係数(DDREF)として2を採用し、放射線防護のための一般公衆、職業人についてそれぞれのリスク係数(
生涯リスク)を与えている。
生涯リスクの推定値は、主として原爆被曝生存者のデータを用い、
相乗リスク予測モデル(Multiplicative Risk Projection Model)および
NIH予測モデル (U.S. National Institute of Health Model) を5つの異なった人口集団(日本、米国、英国、中国、プエルトリコ)に適用して生涯過剰死亡確率を求め、その平均値として与えられている。各集団間、あるいは予測方法による過剰死亡確率の違いは、(特に寄与の大きな癌については)それほど大きなものではない。次に一般公衆について各臓器、組織別の生涯リスク勧告値を示す。これらの勧告値にはいずれもDDREF=2が用いられていることに注意してほしい。職業人については、4/5倍である。
(1)生殖腺:生殖腺の低線量放射線照射で起こる有害な影響は、照射を受けた個人の
腫瘍の誘発、および子孫における遺伝的影響である。放射線照射の結果生じる遺伝的変化については、小哺乳動物、下等生物について多くのデータが得られている。また、人についての観察から、生殖可能期間30年間について、両親のどちらかの被曝後の遺伝的疾患のリスクは、全世代平衡時でSv当り1×10
-2(職業人6×10
-3)と考えられる。
胎児の被曝による影響では、広島、長崎のデータから、高線量、高線量率被曝による重度精神遅滞の評価がなされている。受胎後8−15週目が最も感受性が高く、リスクはSv当り4×10
-1、またSv当り約30ポイントのIQ低下が予想される。
被曝者自身の発癌リスクは、卵巣でSv当り1×10
-3である。子宮その他の生殖器官については個別に与えられておらず、その他の癌に一括されている。
(2)赤色骨髄:赤色骨髄は放射線による
白血病発現の決定器官である。原爆被曝生存者および医療被曝者の観察から、人の白血病発現のリスクレベルが求められている。放射線防護の目的には、低線量域でのリスク係数はSv当り5×10
-3である。
(3)骨表面:骨組織のうち、内骨細胞、骨表面の上皮細胞が放射線に対する感受性が最も高いが、他の組織、例えば乳房、赤色骨髄、肺などに比べて低い。防護の目的のリスク係数は、Sv当り5×10
-4である。
(4)肺:低LET放射線による肺での発癌リスクはSv当り8.5×10
-3である。また、
ラドンおよびその壊変生成物やプルトニウムなどの粒子状放射性物質の
吸入による高LET放射線被曝の発癌リスクは、WLM当り(1〜4)×10
-4である。
(5)甲状腺:この器官の放射線による癌の誘発に対する感受性は、白血病誘発に対する赤色骨髄の感受性より高いらしい。しかし、甲状腺癌による死亡率は、治療の成功率の高さや癌の進行が遅いため、白血病の死亡率よりはるかに低い。放射線防護上のリスク評価は、Sv当り8×10
-4である。
(6)乳房:放射線による乳癌発現は、女性のみに限られているが、前述したように放射線防護の立場からは、Sv当り2×10
-3のリスク評価値を用いる。生殖可能期間中の女性の乳房は、放射線感受性が高い。
(7)結腸:消化器系癌の放射線リスクは他の部位の発癌リスクに比べ大きい。ICRP Pub.26では、個別のリスクを与えずその他の癌に一括されていたが、この勧告では、結腸、食道、胃の3部位の消化器系癌の放射線リスクが個別に与えられている。
結腸癌による生涯死亡リスクは、Sv当り8.5×10
-3である。
(8)食道:食道癌による生涯死亡リスクは、Sv当り3×10
-3である。
(9)胃:胃癌による生涯死亡リスクは、最も大きく11.0×10
-3である。
(10)膀胱:膀胱の生涯死亡リスクは、Sv当り3×10
-3である。
(11)肝臓:肝臓癌の生涯死亡リスクは比較的小さく、1.5×10
-3とされている。
(12)皮膚:皮膚は、高線量、高線量率の被曝に伴う確定的影響の発現する組織であるが、集団の被曝による損害の算定を行う際には、皮膚癌による死亡のリスクも考慮する必要がある。このリスク係数は、皮膚全表面での平均等価線量Sv当り2×10
-4程度である。
(13)他の全ての組織:上記の決定器官以外の組織の放射線発癌リスクは、Sv当り5×10
-3である。
4.放射線リスクのまとめ(
表3 参照)
全身均等照射による確率的リスクの合計は、上に述べたリスクをまとめて次のようになる。放射線防護の目的には、放射線誘発癌の死亡リスクは男女および全年齢での平均値として、Sv当り約5×10
-2である。職業人の被曝に関しては、労働人口の年齢構成を考慮しリスクはSv当り4×10
-2となる。遺伝的影響のリスク評価は、全世代平衡時Sv当り一般公衆で1×10
-2、労働人口では6×10
-3である。
5.新しい組織荷重係数(Wt)
ICRP1990年勧告では、
実効線量(Effective dose)を定義するための新しい組織荷重係数(Wt)を与えている(
表4 参照)。この組織荷重係数は、新しいリスク係数推定
値、各癌の治癒率および寿命(
期待値)の損失の程度を荷重として導出された。
<図/表>
<関連タイトル>
国連科学委員会(UNSCEAR)によるリスク評価 (09-02-08-02)
晩発性の身体的影響 (09-02-05-01)
白血病 (09-02-05-02)
がん(癌) (09-02-05-03)
白内障 (09-02-05-04)
放射線が寿命に与える影響 (09-02-05-05)
放射線の遺伝的影響 (09-02-03-04)
放射線と染色体異常 (09-02-06-01)
放射線と突然変異 (09-02-06-02)
<参考文献>
(1) ICRP Publication, 1990. Recommendations of the International Commission on Radiological Protection.