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<概要>
 わが国の高速増殖炉FBR)の開発は、原子力委員会が昭和41年5月に決定した基本方針に従って実施されてきた。昭和42年10月に動力炉・核燃料開発事業団(動燃(現日本原子力研究開発機構))が発足し、FBRのあらゆる分野で基礎研究や工学的研究を実施し、その集大成として実験炉(常陽)が昭和52年4月に臨界を達成、その後、順調な運転を続け多くの成果を挙げている。原型炉もんじゅ)は昭和60年10月に着工、平成4年12月に総合機能試験を終了し、平成6年4月に初臨界を達成したが、性能試験中の平成7年12月に2次系主配管温度計部からのナトリウム漏えいが発生した。平成9年3月にナトリウム漏えいの原因究明を完了し、プラント全般にわたる安全総点検を実施している。一方、実証炉の開発に関しては、2000年代初頭の着工を目標に、昭和50年代前半から電力業界、動燃、日本原子力研究所(原研(現日本原子力研究開発機構))などが協力して研究開発を進めている。
<更新年月>
1998年03月   

<本文>
 消費した核燃料物質の量を上廻る新しい核燃料物質(プルトニウム)を生産できる高速増殖炉(FBR)は、ウラン資源を有効に利用できる原子炉であり、エネルギーの安定供給の確保に重要な役割りをもっている。このためアメリカ、イギリス、フランス、旧ソ連、ドイツなどの先進国は、早い時期から積極的に開発を推進してきた。
 わが国では、昭和30年代後半から高速増殖炉の調査研究が日本原子力研究所(原研(現日本原子力研究開発機構))で始められたが、原子力委員会は昭和39年(1964年)2月に「高速増殖炉懇談会」を、昭和39年10月に「動力炉開発懇談会」を設置して、わが国の開発計画についての本格的な検討に入り、精力的に調査研究が進められた。
 その結果、プルトニウムとウランの混合酸化物燃料を用いるナトリウム冷却型の高速増殖炉の開発のため、国産技術によって高速実験炉および高速増殖炉原型炉の建設をすることを計画的、総合的に推進する国のプロジェクトを発足することが合意され、昭和41年(1966年)5月に、以下のような動力炉開発の基本方針を定めた。
 (1) FBR開発には多くの解決するべき技術的課題があることから、原型炉(電気出力約300MW程度)の建設の前に、その建設に必要な技術的な知識、経験を得るとともに、燃料や材料の照射施設として利用することを目的とした実験炉(熱出力約100MW程度)を建設する。
 (2) 開発に当っては、基盤(基礎的)技術の蓄積を図り、国際協力も行って自主開発の効率的な推進を図る。
 そしてその開発の一元的な責任を担う機関として、昭和42年(1967年)10月に動力炉・核燃料開発事業団(動燃(現日本原子力研究開発機構))が設立された。動燃はFBRの開発と並行して新型転換炉(ATR)の開発も推進することが決められた。これら2種の新型動力炉を開発するため、大型の試験研究施設を集中的に設置した大洗工学センターが開設された。我が国の高速増殖炉研究開発スケジュールを 図1 に示す。長計におけるFBR開発計画を 図2 に示す。
1.研究開発
 FBRは冷却材として大量の高温液体ナトリウムを使うが、昭和40年代初頭のわが国には、それを取り扱う技術も経験も少なかった。大洗工学センターにいち早く数多くのナトリウム関連の施設が建設され、自らの手で基礎的な研究から工学的な研究まで巾広く進められた。そして高温の液体ナトリウムの流動伝熱特性や材料との共存性、ナトリウムの純度管理、ナトリウムと水や空気との反応、ナトリウム雰囲気中で使用する原子炉容器、循環ポンプ、制御棒駆動機構燃料交換機などの大型機器の工学的モックアップ試験など、ナトリウムに関するいろいろな試験研究が実施された。
 一方、プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料の開発は、原子燃料公社(原燃)時代に既に稼動していた動燃東海事業所のプルトニウム燃料第一開発室で、基礎試験、燃料製造技術、燃料設計などが実施されていた。これらの経験をもとにプルトニウム燃料第二開発室(昭和47年、1972年)および第三開発室(昭和63年、1988年)が建設され、高速実験炉「常陽」、FBR原型炉「もんじゅ」、ATR原型炉「ふげん」の炉心燃料の製造を行うことになった。一方、燃料や材料の照射後試験施設(照射燃料試験室、照射材料試験室、照射燃料集合体試験室)が大洗工学センターに建設され、イギリス、アメリカ、フランスなどの高速炉や「常陽」で照射した燃料の照射後試験を行い、燃料の健全性や信頼性など燃料の性能向上のための研究や試験が進められた。FBRプラントの最重要機器の1つである蒸気発生器は、昭和46年(1971年)に1MWの蒸気発生器試験装置、昭和49年(1974年)には50MWの蒸気発生器試験施設を動燃大洗工学センタ−内に建設し、ナトリウムの流動伝熱特性、ナトリウム・水反応の基本的事項や蒸気発生器の信頼性、性能確認などの試験が実施された。
 このほかFBRの炉物理、炉心設計、構造材料、安全性などの分野でも精力的に研究が進められた。炉物理の研究は、原研(現日本原子力研究開発機構)で既に完成していた高速臨界集合体(FCA)を用いて実施され、基礎設計データの採取や核設計計算法の妥当性の確認などの研究を通じて炉心設計法の確立が図られた。
2.実験炉および原型炉
 高速実験炉「常陽」と高速増殖原型炉「もんじゅ」の主要目を 表1 に示す。
 大洗工学センターに建設された高速実験炉「常陽」は、FBRのあらゆる分野の研究開発を集大成し、設計から建設まで総てわが国の技術で製作された最初のFBRプラントである。「常陽」は昭和38年(1963年)から原研(現日本原子力研究開発機構)によって概念設計が進められ、その後、動燃が引続きその設計を固め、昭和45年3月から建設を開始した。「常陽」は昭和52年(1977年)4月に初臨界を達成し、昭和54年には増殖炉心(MK−1炉心)で熱出力75MWに到達し、設計の確認やプラント特性の試験などが行われた。昭和57年からは炉心を照射用炉心(MK−2炉心)に改造し、昭和58年(1983年)3月には熱出力100MWの運転を開始した。
 「常陽」は初臨界から現在まで重大なトラブルもなく順調に運転を続け、FBRプラントの設計、建設、運転に関する技術的経験を蓄積するとともに、設計の妥当性の実証、運転や保守技術の確立、プラント挙動の把握、燃料や材料の照射挙動の解明などに多くの成果を挙げ、FBRの開発のための大きな役割りを果している。平成9年6月までの運転実績は、累積運転時間52,802時間、累積熱出力4,306,964MWhに達している。現在、「常陽」の照射性能の向上を図るために、熱出力を140MWまで増大させることなどを含む「MK−3」計画が、平成7年(1995年)9月に設置変更の許可を得て進められている。
 FBR開発に関する国のプロジェクトの第2段階である高速増殖原型炉「もんじゅ」の概念の構築や主要目の検討などの作業は、研究開発の成果や海外における技術の動向などの評価検討のもとに昭和43年から始められた。各種の研究開発の成果や「常陽」の設計、建設、運転で得られた多くの技術的知見や経験、設計データの蓄積、設計手法や安全評価法の進展とともに、「もんじゅ」の設計は詳細化された。「もんじゅ」の開発を進めるにあたって、安全設計方針、高温構造設計方針、耐震設計方針などの安全技術指針類が整備されたが、これらは今後のFBRの開発に対して重要な基盤になっている。
 「もんじゅ」は電気出力280MWである。サイトは福井県の敦賀半島の白木地区で昭和60年10月に建設を開始した。建設工事は順調に進められ、平成3年(1991年)4月には機器の据付を完了した。引続き、プラントの総合機能試験を平成4年12月まで実施し、平成6年4月に初臨界を達成した。平成7年8月29日には初発電(電気出力5%、熱出力40%)を達成した。性能試験中の平成7年12月に2次系主配管温度計部からナトリウム漏えいが発生し(「もんじゅ」2次系ナトリウム漏えい事故、 図3 参照)、運転を停止した。引き続き原因究明が行われ、平成9年3月に終了した。ナトリウム漏えいの原因は、設計ミスによりナトリウムの流れによる温度計さや管の大きな振動が起こり、金属疲労でさや管が折損したためであった。これまでに判明した事故原因や調査等の進展により明らかになった問題点・反省点を踏まえ、「もんじゅ」の安全性向上を目的とした安全総点検が実施されている。一方、原子力委員会は平成9年1月に「もんじゅ」の扱いを含めた将来の高速増殖炉開発の在り方について幅広い審議を行い、国民各界各層の意見を政策に的確に反映させるため、高速増殖炉懇談会を設置し、審議を行っている。
3.実証炉
 原型炉「もんじゅ」に続く高速増殖炉実証炉およびその延長線上にある実用炉の開発目標は、現在実用化されている軽水炉と同程度の安全性、信頼性、運転保守性を確保し、経済的に競合できるプラントを実用化することである。
 昭和56年(1981年)科学技術庁(現文部科学省)では「高速増殖炉実用化小委員会」を、また通産省(現経済産業省)も同趣旨の委員会を設け、これまでの研究開発の成果や「もんじゅ」の経験を反映させた実証炉の開発の進め方について検討を進めた。昭和58年5月には原子力委員会のもとに「高速増殖炉研究開発懇談会」が設置され、研究開発の進め方、官、民の役割分担、国際協力の在り方などについて審議した。
 昭和62(1987年)年6月に原子力委員会は、原子力開発利用長期計画を策定し、実証炉以降のFBRの研究開発を効率的に進めるため、統一のとれた長期的、総合的な計画のもとで、国および民間の関係諸機関がそれぞれの役割に応じて研究開発を推進することを求めた。
 FBRの開発に深い係わりをもつ日本原子力発電会社(原電)、動燃、電力中央研究所(電中研)および原研(現日本原子力研究開発機構)の4機関より成る「高速増殖炉研究開発運営委員会」が昭和61年(1986年)に組織され、実証炉の開発を含むFBRの実用化へ向けての研究開発計画の分担、国際協力および研究開発項目とその実施計画などの検討が行われてきた。原子力委員会の長期計画を受け、昭和62年5月に「高速増殖炉開発計画専門部会」が設置され、昭和63年8月に「高速増殖炉の研究開発の進め方」をまとめ、実用化に至る研究開発推進の基本的事項及び課題を明確にした。これに従って前記4機関が協力して研究開発を推進している。すなわち実証炉の開発は、「常陽」、「もんじゅ」の建設に関して蓄積されてきた技術上の知識や経験、研究開発の成果および海外諸国のFBR開発の進展をふまえた効率的な国際協力を活用しながら進められてきた。
 実証炉の建設は電気事業者が主体となって進めることが明確にされているが、その業務は原電が実施することになり、動燃、電中研および原研(現日本原子力研究開発機構)の協力を得て、2000年代初め頃の完成を目指して実証炉の開発を推進していた。
 しかし、世界の高速炉開発動向、ウラン市場、プルトニウム問題等の諸般の状況の変化に鑑み、平成6年(1994年)6月、原子力委員会は「原子力の研究開発及び利用に関する長期計画」を新たに決定した。その中で、高速増殖炉の実証炉については、電気出力が約660MWで、トップエントリー方式ループ型炉を採用し、実用化を展望できる新たな革新的技術を積極的に取り入れることにより、安全性、経済性を向上していくこととしている。さらに、同炉はその開発の見通しや「もんじゅ」の運転実績を考慮し、2000年代初頭に着工することを目標とする計画を定め、電気事業者は必要な技術開発を進め、着工に向けての準備を進めることとしている(図2参照)。
 なお、わが国のFBRはプルトニウム・ウラン混合酸化物燃料を用いるプラントを開発する方針で進められてきたが、核燃料サイクル費の低減と固有の安全性にポテンシャルをもつと考えられる新型燃料(金属、窒化物)を用いたFBRについても調査研究が電中研、動燃、原研(現日本原子力研究開発機構)などの研究機関で実施されている。
<図/表>
表1 高速実験炉「常陽」および高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の主要目
表1  高速実験炉「常陽」および高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の主要目
図1 我が国の高速増殖炉研究開発スケジュール
図1  我が国の高速増殖炉研究開発スケジュール
図2 長計におけるFBRの開発計画(1994年6月)
図2  長計におけるFBRの開発計画(1994年6月)
図3 「もんじゅ」2次系ナトリウム漏えい事故
図3  「もんじゅ」2次系ナトリウム漏えい事故

<関連タイトル>
高速増殖炉 (03-01-01-01)
高速実験炉「常陽」における研究開発 (03-01-06-03)
高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の開発(その1) (03-01-06-04)
わが国の高速増殖炉実証炉計画 (03-01-06-05)
動燃/サイクル機構における高速増殖炉研究開発 (03-01-06-06)
サイクル機構以外の研究機関における高速増殖炉研究開発 (03-01-06-07)

<参考文献>
(1)動力炉・核燃料開発事業団:動燃二十年史,1988年10月
(2)動力炉・核燃料開発事業団:動燃技報, No.73(1990)
(3)動力炉・核燃料開発事業団:高速増殖炉の開発 1979年
(4)原子力委員会:高速増殖炉研究開発の進め方, 高速増殖炉開発専門部会報告書(昭和63年8月)
(5)三浦正憲ほか:高速増殖実証炉開発の現状と実用化の見通し,日本原子力学会誌,Vol. 37, No.2 (1995)
(6)科学技術庁原子力局:いっしょに考えよう 「FBR]のこと(1997年2月)
(7)科学技術庁原子力局:あなたの疑問にお答えします −FBRに関する国の考え方−(1997年2月)
(8)日本原子力産業会議(編):原子力ポケットブック1997年版、原産(1997年5月)
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