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1.原子力発電開発の歴史
アメリカの原子力開発は軍事目的から始まり、続いて民生利用が認められるようになった。現在も原子力法第1条で、原子力を「軍事目的と並んで平和目的にも」利用することができると明確に規定されている。ここでは原子力の民生利用、中でも原子力発電の推進に関するアメリカの原子力政策の変遷を概括する。
表1に主要な原子力政策法令を示す。
1.1 原子力発電導入期
アメリカの民生利用としての原子力開発はトルーマン大統領が「1946年原子力法」に署名した翌年の1947年、
原子力委員会(AEC)が発足したことから始まる。AECとアメリカ海軍は1947年、軍艦の推進用原子炉の設計に共同で着手、
加圧水型炉(PWR)と液体金属冷却炉の2つのタイプについてエンジニアリング・建造が行われた。原子力が(爆弾以外で)実際にはじめて利用されたのは、原子力潜水艦「ノーチラス号」であった。1953年には、原子力平和利用の幕開けを告げる“アトムズ・フォア・ピース(Atoms for Peace)”計画がアイゼンハワー大統領によって公表された。1954年には原子力法が改正され、民間が原子炉を所有、運転することができるようになった。AECはただちに動力炉実証協力プログラムをたちあげ、原子力発電所の建設を支援した。この年には、ピッツバーグに本社を置くドゥケーン・ライト社とAECとの間で、アメリカ初の商業用原子力発電所となるシッピングポート発電所(Shippingport:PWR、出力90MWe)の建設契約が結ばれ、1957年12月に運転が開始された。
1960年代に入ると、AECが1960年2月、原子力開発10年計画を公表するとともに、原子力発電所の設計・建設を支援したことで、電力会社は原子力発電への投資を有望と考えるようになった。これに対し、AECは1962年、ケネディ大統領へ原子力発電の経済的な役割について報告した。また、ジョンソン大統領は1964年に特殊核物質の保有に関する法律に署名して、原子力発電会社による
核燃料の保有を許可し、1973年6月30日以降は、ウラン燃料の私的所有が義務化された。
図1に米国における原子炉基数と合計出力の推移を示す。
1.2 原子力発電確立期
ニクソン大統領は1980年までの液体金属冷却高速増殖炉開発計画を国家目標と設定したが、その後、アメリカは商業用
高速炉の開発から撤退している。1973年10月に、石油輸出国の利益を守ることを目的に結成した
石油輸出国機構(OPEC)が石油価格を引上げ、原油生産の段階的削減を決定したことで、いわゆる第1次
石油危機が起こった。この時、エネルギーの安定供給が課題となり、この年に41基の原子力発電所の建設が発注され、年間の最高を記録した。1974年、フォード大統領は原子力委員会(AEC)を廃止し、新たにエネルギー研究開発庁(ERDA)と原子力規制委員会(NRC)を発足した。
1977年、カーター大統領は
使用済燃料の
再処理を禁止する新政策を発表するとともに、ERDAと連邦エネルギー庁を合併・改組し、エネルギー省(DOE)を新設した。1970年代末から1980年代初めにかけては、景気の後退とエネルギーの節約によって電力需要が減少するとともに、記録的なインフレによって資金調達コストが困難になり、火力、原子力に関係なく、多額の投資を必要とする大規模プロジェクトが敬遠されるようになった。さらに、1979年3月にペンシルベニア州スリーマイルアイランド(TMI)原子力発電所2号機で事故が発生し、原子力発電に対する国民の懸念と不信が高まる結果となった。
1980年に入ると原子力による発電電力量が石油火力を上回るようになった。発電量はその後も着実に増加し、1983年には天然ガス火力を、1984年には
水力発電を追い越し、石炭火力に次ぐ第2位の電源の地位を確立した(
図2参照)。なお、このころから発電に伴って発生する放射性廃棄物対策が課題となり、レーガン政権は1981年10月に使用済燃料の再処理禁止を撤回するとともに、高レベル放射性廃棄物処分政策を発表し、1983年1月には放射性廃棄物政策法が成立した。1990年代に入ると、1956年当時の総発電電力量を上回る電力が原子力により供給されるようになり、総発電電力量に占める原子力発電の割合はほぼ20%に達した。
1.3 原子力発電開発停滞期
1992年10月24日には、ブッシュ大統領が「国家エネルギー政策法」に署名した。同法には、アメリカのエネルギー需給計画や改良型炉の許認可手続きの見直しなどが盛り込まれた。新しい許認可手続きによって、新規原子力発電所の建設決定に公衆が参加する機会を増やすとともに、経済的に安定した原子力発電開発への投資環境が整えられることになると期待された。こうした動きを受け、電力16社は1993年3月にゼネラル・エレクトリック(GE)社との間で、1993年6月にウェスチングハウス社との間でエンジニアリング契約が結ばれた。1994年7月には、GE社のABWR(改良型沸騰水型炉)とABBコンバッション・エンジニアリング社の「システム80+」(PWR)に対して、原子力規制委員会(NRC)が初の設計承認を与えた。さらにNRCは1997年5月にABWRとシステム80+に対して、1999年12月にはウェスチングハウス社のAP600型炉(PWR)に設計認証を発給した。
しかし、1993年1月に12年ぶりに民主党クリントン政権が発足すると、エネルギー・環境政策の基本的方向として、エネルギー効率の改善、省エネルギーの促進、天然ガス及び
再生可能エネルギー利用等に重点をおき、原子力は将来のオプションとして維持する方針を示した。これを受けて、DOEは「原子力研究イニシアチブ(NERI:Nuclear Energy Research Initiative)」に着手した。DOEはNERIプログラムに従い、(1)
核不拡散につながりにくい原子炉と燃料技術、(2)高効率の新しい原子炉の設計、(3)低出力の新型発電炉の設計と利用、(4)核廃棄物のサイト内貯蔵のための新技術、(5)新型燃料、(6)基礎的な原子力科学技術、をテーマに原子力研究開発が続けられた。
2.再開発に向けた原子力政策
2.1 ブッシュ政権の原子力政策
アメリカでは、1978年の
公益事業規制政策法、1992年の国家エネルギー政策法などによって、電力市場の自由化が段階的に進展し、
電力自由化を盛り込んだ電気事業再編法が成立したため、1990年代後半から多くの州で電力自由化が進展した。しかし、2001年のカリフォルニア州電力危機を契機に電力の安定供給の必要性や天然ガス価格高騰への懸念が高まり、その後も原子力発電の新設に向けた検討が連邦議会でも本格化した。2010年に原子炉新設を実現するためのNP2010イニシアチブが開始され、2005年にはエネルギー政策法(EPAct-2005)が制定された。
約30年にわたって原子力発電所の新規建設が途絶えていたアメリカでは、新設プロジェクトが抱えるリスクの低減が必要と考えられ、規則の策定後に適用例のない「10 CFR Part 52」の下での許認可手続の実証、リスクの大きさから懸念される資金調達コストの低減、建設後の運転開始遅延リスクへの対応、
初号機のコスト低減などが課題として検討された。なお、NRC規則「10CFR Part 52」とは原子炉新設のリスクを低減するために導入された許認可手続で、建設許可と運転許可を一括で発給し、建設後の運開遅延の回避を図る一括建設・運転許認可(COL)を示し、プロジェクトの早い段階でサイト固有の環境適合を確認しサイト許可を発給する早期サイト許可(ESP)と、原子炉設計を原子炉許認可と切り離して承認する設計認証(DC)から成る。最終的に2005年8月に制定されたEPAct-2005では、NP2010プラグラムの拡充の他、連邦債務保証プログラム、リスク保険による待機支援、生産税控除、廃止措置基金の税制措置、原子力損害賠償に係るプライス・アンダーソン法の延長などの原子力発電推進施策が制度化された。以下に各政策の概略を示す。
(1)国家エネルギー政策
2001年2月にチェイニー副大統領を議長とするタスクフォースが設置され、2001年5月17日に「国家エネルギー政策」が成立した。下記の5つの柱の下で、100項目以上の具体的な対策が列挙された。1)連邦所有建築物の省エネの推進等を内容とする省エネルギーの推進、2)州間送電システムの信頼性向上等のための規制の見直し等を内容とするエネルギーインフラの近代化、3)国内の石油・天然ガスの開発、原子力エネルギーの拡大等を内容とするエネルギー供給の拡大、4)環境保護と環境改善の加速化、5)アラスカからのパイプラインルートの許可手続きの推進等を内容とするエネルギー安全保障の強化、である。特に、原子力発電については、アメリカ原子力規制委員会(NRC)による原子力発電プラントの運転許可更新や出力増強に係る許可手続きの促進、新規原子炉建設に係る許認可手続きの迅速化、大気質改善に係る原子力発電の貢献の評価、プライス・アンダーソン法の延長、原子力発電プラント売却時の廃止措置基金課税問題への対応など、新設を含む原子力発電拡大のための具体的な施策が提案された。
(2)原子力発電2010(Nuclear Power 2010:NP2010)
2005年までに民間の事業者が新規の原子力プラントの建設を開始できるよう、新型炉技術の開発、及び新しいNRC規則「10 CFR Part 52」に基づく許認可プロセスである早期サイト認可(ESP)、設計認証(DC)、一括建設・運転許認可(COL)の許認可プロセスの実証を行うことを目的としたプログラムで、2003会計年度(FY2003)から2010会計年度(FY2010)まで予算が配賦された。プログラムは発電事業者またはコンソーシアムがコストの50%以上を負担するもので、2007年11月までに3事業者(エクセロン社(クリントン発電所)、エンタジー社(グランドガルフ発電所)、ドミニオン社(ノースアナ発電所))がESPを取得したが、DC及びCOLの取得には至らなかった。
(3)エネルギー政策法(EPAct-2005)
先進的な原子炉設計を含む、温室効果ガスを発生しない技術に対する政府支援を提供するために2005年8月に制定された。主な内容は、1)エネルギー高効率機器の購入支援を通じた省エネ推進、2)連邦政府の再生可能エネルギー調達義務、各種再生可能エネルギーへの支援、3)戦略石油備蓄(SPR)の貯油能力を現7億バレルから10億バレルへ拡張、4)メキシコ湾深海鉱区のロイヤルティ減免、大陸棚外延部における資源量調査の実施、5)LNG受入基地の許認可権限を連邦エネルギー規制委員会(FERC)に一元化、6)新規原子力発電所建設への支援、7)ハイブリッド車購入支援、8)2020年の実用化を目指した水素インフラ、燃料電池車研究開発の実施、9)送電事業者への強制力のある供給信頼度安全基準の設定、インフラ投資促進、10)エタノール等のバイオ燃料の利用拡大、ガソリンへの含酸素燃料混入義務廃止、である。
原子力発電に関する具体的な措置として以下のものがあげられる。
1)2025年12月31日までのプライス・アンダーソン法の延長。
2)容量6,000MWまで、2021年1月1日以前に営業運転を開始する改良型原子力発電所に対し、運転開始から8年間、年間総額1億2,500万ドル(1.8セント/kWh)の発電税を控除する。
3)債務保証。債務保証額の上限は各プロジェクト総コストの80%とし、返済期間は30年以内、またはプロジェクト期間の90%以内とする。
4)新規プラント建設の遅延、訴訟などに対し、最大6基の原子炉に対する待機支援として財政支援を行う。最初2基は遅延コストの100%、各最高5億ドル、残り4基は50%、各最高2億5,000万ドルまで適用する。
また、ブッシュ大統領は2006年2月、一般教書演説で国際原子力エネルギー・パートナーシップ(GNEP)構想を提唱した。GNEPパートナーシップ国として米国、日本、フランス、ロシア、中国の5カ国を原子燃料サイクル国と定義し、原子燃料をGNEPパートナー国から供給し、開発途上国は発電のみを行うとした。これは開発途上国への濃縮・再処理技術の移転の防止のほか、国内の再処理事業への民間企業の参入を狙ったものであったが、先進リサイクル技術の開発・実証には至らず、2009年6月に中止し、2010年6月から「国際原子力エネルギー協力フレームワーク(IFNEC)が開始されている。
2.2 オバマ政権の原子力政策
2009年に就任したオバマ民主党政権は「グリーン・ニューディール政策」を提唱し、環境・エネルギー産業を経済成長促進のための起爆剤とした。国内の景気回復が最重要課題であったことから、クリーンエネルギー分野の開発に、より雇用を促進するため、2010年1月には沖合油田開発と原子力発電プラントの新設を積極的に推進する方針を表明した。また、2011年1月の一般教書演説では財政赤字を削減策として、2035年までに電力の80%を、原子力を含む風力、太陽光、クリーンコール、天然ガスなどのクリーンエネルギーにより供給するという目標を示した。オバマ政権は基本的には前ブッシュ政権の原子力政策を踏襲するもので、2011年度の会計予算(FY2011)の原子力建設のための債務保証枠は従来の185億ドルから3倍の545億ドルが盛込まれたが、「原子力2010」プロジェクトは終了し、改良型原子炉の研究開発費を削減、核燃料サイクルや使用済燃料の再処理については長期的学術研究に変更した。
米国エネルギー情報局(EIA)の長期電源開発シナリオでは、電力需要は2012年の3兆8,260億kWhから2040年には4兆9,540億kWhへと29%(年率0.9%)拡大し、電源構成は石炭・原子力から天然ガス・再生可能エネルギーへとシフトする展望が描かれている(
図3参照)。
原子力は、電源選択の重要な要素となる「経済性」面からいうと、安価な電源ではなくなりつつある。2016年に稼働する発電所に関するEIAの試算では、発電コストは低い順に、天然ガス、風力、水力、石炭(従来型)、原子力、バイオマス、クリーンコール(二酸化炭素貯留技術を利用する石炭)、太陽光・太陽熱などとなっている。原子力の発電コストは96.1ドル/1,000kWh(約7.7円/kWh)で、その約8割が建設費・金利負担等の資本コストが占める(
表2参照)。近年ではシェールガスによる安価な国産の天然ガス供給や、福島第一原子力発電所事故後の安全強化から一層コスト高になる傾向にあり、国の財政支援なしでは競争力を保てない状況にある。
また、米国は商業炉から発生する使用済燃料の処分に関し、1982年の放射性廃棄物法(NWPA)成立以来、DOEによるユッカマウンテン処分場における深地層処分計画を進めてきた。ブッシュ政権期にDOEはユッカマウンテン処分場の許認可申請をNRCに提出し、2020年頃の操業を目指していたが、オバマ政権は当初から処分場計画の中止を表明し、FY2011以降予算を打ち切った。新たに放射性廃棄物管理・処分戦略が2013年1月に策定され、同意に基づく選定プロセス、パイロット施設の採用による2021年までの中間貯蔵施設の操業開始と、2048年までの地層処分場の実現を目標に掲げている。これを受けて、テキサス州のウェースト・コントロール・スペシャリスト(WCS)社では、低レベル放射性廃棄物のWCSテキサス処分場に、独立使用済燃料貯蔵施設(ISFSI)を建設する計画が進展している。
(前回更新:2007年8月)
<図/表>
<関連タイトル>
米国DOEのNERI関連研究計画 (07-02-01-09)
アメリカの原子力発電開発 (14-04-01-02)
アメリカの原子力開発体制 (14-04-01-03)
アメリカの原子力政策および計画(2001年、ブッシュ政権) (14-04-01-28)
米国エネルギー省と原子力産業界の軽水炉開発共同計画 (14-04-01-39)
原子力発電の推進(DOE長官顧問会原子力タスクフォース最終報告) (14-04-01-42)
2005年エネルギー政策法と原子力再生の動き (14-04-01-43)
<参考文献>
(1)日本原子力産業会議:世界の原子力発電開発の動向−1999年次報告(2000年5月)
(2)日本原子力産業会議:原産マンスリー、1999年5月号、同6月号、2000年7月号
(3)日本原子力産業会議:米国の原子力最新事情(下)(1997年5月)
(4)Nuclear Energy Institute:Nuclear Energy Overview,Oct.10(2000)、Nuclear Energy Insight,August/September(2000)
(5)Office of Nuclear Energy,Science and Technology,DOE:Strategic Plan,2000;America’s Nuclear Technology Future(July 2000)
(6)(社)海外電力調査会:海外諸国の電気事業 第1編−1998年(1998年3月)、p.37-80
(7)国立国会図書館 外国の立法 244:アメリカの原子力法制と政策、2010年6月、
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/legis/pdf/024403.pdf
(8)米国エネルギー情報局(EIA):Table 8.1 Nuclear Energy Overview、
http://www.eia.gov/beta/MER/index.cfm?tbl=T08.01#/?f=A&start=1958&end=2013&charted=2-3など
(9)米国エネルギー情報局(EIA):Annual Energy Outlook 2014、
http://www.eia.gov/forecasts/aeo/pdf/0383(2014).pdf