<本文>
1.JCO臨界被ばく事故発生状況
1999年9月30日午前10時35分頃、茨城県東海村(
図1 参照)にある民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー」(旧:日本核燃料コンバージョン)でわが国初の臨界事故が発生し、過剰な被ばくを受けた3名の社員が国立水戸病院に搬送された。
JCOは、沸騰水型軽水炉に使うウラン燃料製造(濃縮度3-5%)の中間工程を担当し、六フッ化ウランを二酸化ウラン粉末に転換し、成型加工メーカーに納入している。事故当時の作業は、高速実験炉「常陽」の燃料を加工するため、転換試験棟において硝酸ウラニル溶液(濃縮度18.8%)を均一化していた。この作業では、本来「溶解塔」で硝酸を加えてウラン粉末を溶解するべきところを、作業時間の短縮のためステンレス容器で溶解した。その後、硝酸ウラニル溶液の濃度を均一化するための「貯塔」を使わずに、手順書を無視して、臨界形状管理が為されていない「沈殿槽」に硝酸ウラニル溶液を注入した。その結果、沈殿槽内の硝酸ウラニル溶液の容積が臨界に達し、警報装置が吹鳴した。
図2 に転換試験棟の硝酸ウラニル溶液製造工程の変遷を、
図3 に転換試験棟内主要設備配置図を示す。
2.臨界事故の特徴
核燃料サイクル施設の事故は、臨界、火災、爆発、汚染・被ばく、および核物質の輸送事故に大別される。
表1 に世界の
核燃料施設における事故発生件数を、
表2 に主な臨界事故例を示す。
235Uに中性子が衝突し
核分裂反応を起こすと、300種以上の
核分裂生成物(ごく一部は安定核種)が発生する。臨界とは核物質の量や形状が最適となり、この核分裂反応が、連鎖的に継続あるいは発展できるようになった状態をいい、これによりエネルギーや中性子、
ガンマ線が放出される。臨界事故は本来臨界未満にある核燃料系の中性子増倍率が何らかの理由で増大し、臨界状態に達したときに起こる。溶液系の臨界事故では、最初の
即発臨界による急激なエネルギーの放出が瞬時に終わり、その後小さなエネルギー放出状態(バースト)を繰り返しながら、最終的には温度上昇、気泡発生等の緩和効果により未臨界となり反応は停止する(
図4 参照)。
今回の事故では、硝酸ウラン溶液が入った沈殿槽の周りのジャケットを流れる冷却水が中性子の反射材になって反応が促進し、長期にわたって臨界が継続した。しかし、ジャケットの冷却水を抜き取る作業によって臨界は停止した。事故後の調査により、転換試験棟に破損がないことから建家の閉じ込め機能は健全であり、大気中に放出した放射性物質は揮発性核種の一種である
131I、
希ガスの
85Krと
133Xe等であることが判明した。
図5 にJCO転換試験棟内の沈殿槽と臨界事故終息概要を示す。
3.事故の経過と終息
図6 に第1加工棟粉末貯蔵室に設置されたガンマ線エリアモニタの指示値を、
図7 に9月30日から10月2日までのエリアモニタ測定データと臨界事故時の対応行動パターンを示した。瞬間的な核分裂反応が起こった後、臨界停止の作業が功を奏するまで、穏やかな核分裂状態が約20時間にわたって継続した。
政府は午後3時30分頃に現地対策本部を設置し、日本原子力研究所(原研、現日本原子力研究開発機構)、核燃料サイクル開発機構(サイクル機構、現日本原子力研究開発機構))等の原子力専門機関や電気事業者等の参加・協力を得ながら臨界停止方法の検討を行った。臨界状態を停止させるため、10月1日午前2時30分頃から槽外周のジャケットを流れる冷却水の抜き取り作業が行われ、午前6時15分頃臨界は停止した。その後、土嚢等による遮へい作業を行うと共に、臨界停止を確実にするためにホウ酸水を沈殿槽に注入し、午前8時50分には臨界の終息が確認された。原研による硝酸ウラニル溶液の分析結果から、この臨界事故の総核分裂数は2.5×10
18個と評価された。
東海村では災害対策本部を設置すると共に、事故の約2時間後に村内の防災無線で事故の発生と外出禁止を、敷地外を含む周囲350メートルを立ち入り禁止にした。また、約6時間後に中性子検出器(*1)のサーベイで臨界が継続していることを確認した。事故当時、半径10km範囲内の住民に屋内待避勧告が出されたため、17時間にわたり国道・JR・常磐高速道路等の通行が遮断されて約31万人に影響が及んだ。また、屋内待避解除直後から公共施設や病院等で身体放射能測定を開始すると同時に、相談窓口を設けて周辺住民のケアに当たった。
4.放射線および放射性物質による影響
事故の初期活動では、環境モニタリングステーションや移動測定車等により空間放射線の
線量率の測定、敷地周辺の大気塵埃、土壌、葉菜等の採取・測定が行われた。また、水道水、井戸水、雨水、畜産物等の採取・分析を行うと共に、念のため海水や海産物の採取・測定を実施した。
臨界の終息までに測定した空間放射線量率はガンマ線で最大0.84mSv/hであった。また、9月30日午後4時半以降測定した中性子線については最大4.5mSv/hであった。JCO施設周辺および施設から4kmまでの範囲で0.03〜0.44μSv/hであった。臨界が終息した10月1日午前6時15分頃には、全ての場所の空間放射線量率は平常レベルに戻った。周辺環境の個人線量の評価のために、
表3 に時間と場所ごとの線量が示されている。
転換試験棟から環境に放出した放射性物質は、中性子による放射化生成物(
24Na,
56Mn)、ガス状核分裂生成物(希ガス,
ヨウ素)、および希ガスの崩壊生成物(
91Sr,
138Cs,
140Ba,
140La)である。粒子状の核分裂生成物は検出されていないことから、施設の換気系に設置されたHEPAフィルタは健全であったと考えられる。水道水、大気塵埃、土壌、河川水のウラン分析および施設周辺の地表面や人家の汚染検査が行われたが、いずれも平常のレベルにあり、環境に放出された放射性物質が住民の健康に影響を及ぼすものではないと判断された。
表4 に環境で採取した試料中の核種分析結果を示した。
5.個人の被ばく線量評価と重篤な被ばく者の処置
3名のJCO社員が重篤な被ばくを受け、そのうち2名が死亡した。
表5 に臨界事故に伴う被ばくの状況を示した。表中、敷地内にいた49名の被ばく線量は0.6〜48mSv(暫定値)、臨界停止作業(水抜き)に従事した18名の最大線量は48mSv、ホウ酸注入に従事した6名の最大線量は3.5mSvであった。事故対策作業に従事したサイクル機構や原研等の職員56名の被ばく線量については、防災業務関係者の被ばく線量の上限値50mSvを十分下回っており、最大被ばく線量は9.2mSvであった。また、救急作業にあたった消防隊員3名の被ばく線量は4.6〜9.4mSv。周辺住民については、評価対象となった人数は264人、JCO西側敷地境界付近で作業していた一般住民7人の最大被ばく線量は16mSv、であった。
外部被ばくによる急性放射線障害は、骨髄の造血細胞が損傷を受けて
リンパ球が減少(通常20%が数%に減少)し、その結果、
細菌などに対する免疫力が低下して感染症を併発して死亡する割合が高い。また、胃腸管傷害(嘔吐、吐気)や中枢神経傷害、生殖腺傷害、皮膚障害を与える。
表6 に
急性放射線症のおもな症状と治療法を示した。重症被ばく者の3名は、国立水戸病院で応急処置を受けた後、ヘリコプターで放射線医学総合研究所病院に搬送された。患者から発見された
24Na(*2)の量から被ばく線量を推定し、骨髄障害や消化管障害の救急治療が行われた。最重症の患者は早期の効果が期待される末しょう血幹細胞移植のため東京大学医学部付属病院に、2番目の重症患者は
さい帯血移植のため東京大学医科学研究所付属病院に転院した。しかし、懸命な治療にも係わらず死亡した。3人目の患者はそのまま放医研病院で治療を続け退院している。
6.JCO事故の国際原子力事象評価尺度(INES)
国際原子力事象評価尺度(INES)は、世界の原子力施設において発生した事故・故障等の重大度を簡明に、かつ客観的に判断することを目的に策定された。今回の事故は、「所外への影響」については法定限度を超える公衆被ばくの可能性があることからレベル4、「所内への影響」については作業従事者が極めて多量の被ばくをしていることからレベル4、「
深層防護の劣化」については評価の対象外であるとし、これら3つの基準を踏まえて暫定値を4と評価している。
7.国の対応と原子力安全・防災対策
科学技術庁(現文部科学省)は、事故原因の徹底究明と再発防止策のため、
表7 に示す政府対策の決定事項をまとめた。また、原子力事業に関連した国内の185施設を対象に緊急総点検を行った。さらに、原子力安全規制の抜本的強化と原子力災害に係わる防災対策について、平成11年12月13日に「原子炉等規制法」の一部改正と「原子力災害対策特別措置法」を成立させた。(注:東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日)に伴う福島第一原発事故を契機に原子力安全規制の体制が抜本的に改革され、原子力安全委員会は原子力安全・保安院とともに2012年9月18日に廃止、原子力安全規制に係る行政を一元的に担う新たな組織として原子力規制委員会が2012年9月19日に発足し、原子力利用の安全確保に係る規制全般について見直しが行われる。)
8.法律的問題
茨城県警は、家宅捜索と事情徴収を行い、2000年11月、水戸地検は業務上過失致死、原子炉等規制法違反および労働安全衛生法違反でJCOの管理責任者を水戸地検に起訴した。またJCOは2000年2月、科学技術庁(現文部科学省)の許可なくして燃料製造手順を変更した違法行為により、加工事業取消しという原子炉等規制法に基づく最も重い行政処分を受けている。
なお科学技術庁(現文部科学省)は、転換試験棟が操業を始めた1985年から1992年までほぼ年1回のペースで「保安規定順守状況調査」を実施していた。
9.補償
今回の事故では、避難や屋内退避によって地域住民に少なからぬ影響を、風評による農漁業、商工業、あるいは観光業等の地域経済に影響を与えた。このような状況の基で、JCOに対して賠償請求がなされた。損害保険会社「日本原子力保険プール」では、「原子力損害賠償法」に基づく原子力損害賠償責任保険を初めて適用することになった。保険金の支払い上限は10億円で、これを超える分については、原則的にJCO側と親会社の負担になる。2000年3月31日の時点では、賠償交渉件数約6,520件のうち約6,000件について合意をみている。
JCO臨界事故は日本の原子力界全体に反省を促すものとなり、安全規制体制への抜本的な再検討を提起した。また、国内外の情報交換の必要性が強調され、
世界核燃料安全ネットワーク(INSAF)やニュークリアセイフティーネットワーク(NSネット)等が発足し、安全体制の強化が図られている。
[用語解説]
(*1)中性子検出器:中性子を測定する中性子減速型のカウンター(レムカウンターと呼ばれる)。フッ化ボロンやヘリウムのガスを充填した比例計数管で、計数管の周りは中性子減速材で覆われている。計数管内部のボロンは中性子と反応してアルファ線を放出し、このアルファ線が二次的に作るイオン対を電流に変換して間接的に中性子を計測する測定器である。
(*2)
24Na(ナトリウム24):ベータ線とガンマ線を放射する半減期15.02時間のナトリウム同位体。血液中に含まれる安定核種の
23Naは臨界で放出した中性子を吸収して、放射性の
24Naになってガンマ線を放射する。そのため、身体中のガンマ線を測定することにより被ばく量が決定できる。
<図/表>
<関連タイトル>
六フッ化ウランから二酸化ウランへの再転換 (04-06-02-01)
世界の核燃料施設における臨界事故 (04-10-03-02)
放射線の急性影響 (09-02-03-01)
放射線の造血器官への影響 (09-02-04-02)
原子力防災対策のための国および地方公共団体の活動 (10-06-01-04)
緊急時の医療活動 (10-06-01-07)
核燃料加工に関する賠償制度の概要 (10-06-04-03)
<参考文献>
(1) 内閣府 原子力安全委員会:JCO関連
(2) 文部科学省:
http://www.mext.go.jp/
(3) 茨城県:
http://www.pref.ibaraki.jp
(4) 東海村:
(5) 放射線医学総合研究所(NIRS):
(6) 農林水産省関東農政局:
(7) 核燃料サイクル開発機構(JNC):環境放射線の監視
(8) 原子力安全委員会ウラン加工工場臨界事故調査委員会:ウラン加工工場臨界事故調査委員会報告(1999年12月24日)
(9) 青木 芳朗:緊急被曝医療とその対策:JCO核燃料加工施設臨界事故を経験して、RADIOISOTOPES,49,79-86 (2000)
(10) (社)日本原子力学会:日本原子力学会誌2000 Vol.42 No.8(2000年8月)
(11) 科学技術庁:(株)ジェー・シー・オー東海事業所臨界事故に係る一時滞在者及び防災業務関係者等の線量評価の結果について(2000年10月13日)
(12) (社)茨城原子力協議会:原子力広報「あす」No.101-105
(13) 藤元 憲三(編):ウラン加工工場臨界事故に対する環境測定・線量推定、放医研環境セミナーシリーズ、No.28、NIRS-M-150、放射線医学総合研究所(2002年12月)、p.186-198