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<概要>
 ソ連の指導部は、無駄な研究競争を避けるため中心的な都市に大規模な研究所をつくった。このような理由で、ソ連には科学アカデミーや各官庁に属する研究所が多数設立され、1930年代に教育中心の大学、基礎研究中心の科学アカデミー、応用研究中心の各官庁の研究所という体制が確立し、その後この体制が続いた。その結果、クルチャトフ研究所、理論実験物理研究所、無機材料研究所、原子炉研究所、フローピン・ラジウム研究所、レニングラード物理工学研究所、ドブナ合同原子核研究所、物理エネルギー研究所、レベジェフ記念物理研究所、動力工学開発研究所、ギドロプレス、機械建物実験設計研究所が設立された。
<更新年月>
2001年03月   

<本文>
 ソ連における科学研究の基本的体制は1930年代に形成されたが、基礎研究の中心は1725年に設立された科学アカデミーであった。1917年の十月革命で成立したボルシェヴィキ政権は、基本的には科学・技術推進の立場をとった。ソ連の指導部は無駄な研究競争を避けるため、中心的な都市に大規模な研究所をつくった。このような理由で、ソ連では科学アカデミーや各官庁に属する研究所が多数設立され、1930年代に教育中心の大学、基礎研究中心の科学アカデミー、応用研究中心の各官庁の研究所という体制が確立し、その後この体制が続いた。 図1 に原子力関係研究所の地図を示した。
 米国が広島と長崎に原爆を投下した1945年8月、スターリンは原爆の持つ威力を知り、I.V.クルチャトフに原爆製造を命令し、このため1940年代後半から1950年代中期までに10の秘密都市(アルザマス−16、チェリャビンスク−65、チェリャビンスク−70、トムスク−7、クラスノヤルスク−26、クラスノヤルスク−45、スベルドロフスク−44、スベルドロフスク−45、ペンザ−19、ズラトースト−36)を建設した。これらの幾つかは、その後原子力関係の研究所になった。
1.クルチャトフ研究所(Russian Research Center ”Kurchatov Institute”、略称:KIAE)
 1943年4月、原子爆弾の開発を目的として、当時のモスクワ市西部の郊外に、ロシア科学アカデミー所属のラボラトリー2(第2研究室)を設置した。初代所長はI.V.クルチャトフ(当時41才、1903〜1960)で、軍事兵器の開発で培った軍事用原子炉開発の技術を利用して、ソ連の原子力開発の基礎を固めた。
 この研究室は、1949年にソ連科学アカデミー測定装置研究所(LIPAN)、1956年に原子エネルギー研究所(IAE)、1960年にI.V.クルチャトフ記念原子力研究所、1991年にRRCクルチャトフ研究所(ロシア原子力センタークルチャトフ研究所)と改称した。
 研究内容は、核融合、超伝導、プラズマ科学、放射性同位元素の製造、VVER型原子炉(ロシア型加圧水炉)やRBMK型原子炉(黒鉛減速ガス冷却炉)、原子力砕氷船や原子力潜水艦に用いる原子炉、電磁流体発電などの開発と研究を実施している。
 主要施設に、1946年12月25日に初臨界を達成したソ連最初の物理原子炉1号(F1)がある( 図2 および 図3 参照)。これは、1942年12月に初臨界を達成した米国のシカゴパイル−1(CP−1)に相当する。この他に、材料試験炉3基、プラズマ実験装置、トカマク−7やトカマク−10の核融合装置がある。職員数は1994年当時約1万人(1999年5,600人)。
2.理論実験物理研究所(Institute of Theoretical and Experimental Physics、略称:ITEP[ロシア語:ITEF])
 1946年に原子爆弾の開発を目的として、当時のモスクワ市南部の郊外にあった旧ロシア貴族プロゾロフスキーの広大な敷地にラボラトリー3(第3研究室)を設置した。初代所長はアカデミー会員A.I.アリハーノフ(当時42才、1904〜1970)であった。ここは、熱技術研究室と改称され、現在は理論実験物理研究所である。
 ここには重水炉(熱出力2,500kW)とシンクロトロン陽子加速器、陽子加速器、重イオン加速器、高電子線形加速器の4種の加速器があり、加速器を利用した医療研究を行っている。職員数は1994年当時約2,300人。
3.A.A.ボチバール全ロ無機材料研究所(All−Russian Research Institute for Inorganic Materials named after Academician A.A. Bochvar、略称:ARIIM、[ロシア語:VNIINM])
 1945年に原子力産業と原子爆弾の開発を目的として、第2研究室とモスクワ川の間にラボラトリー9(第9研究室)を設置した。初代所長A.Aボチバール(1902−1984)を記念して現在の名称となった。
 設立当初は放射化学研究を中心に、核兵器用プルトニウム抽出用再処理工場の設計をした。しかし、各種の原子炉が開発されるにつれ、軽水炉、高速炉、研究炉などの使用済燃料の再処理について研究している。その結果、チェリャビンスク−65(現在、マヤーク)で操業していた放射化学工場(プルトニウム抽出工場)はVVER型原子炉の使用済燃料を再処理する使用済燃料再処理工場(RT−1)に改造された。また鋳造技術の開発、原子炉構造材料、制御棒、ジルコニウム合金、燃料要素、MOX燃料、液体金属燃料の研究を行っている。職員数は1994年当時約4,000人。
4.原子炉研究所(Research Institute of Atomic Reactors、略称:RIAR[ロシア語:NIIAR])
 アカデミー会員クルチャトフの提唱で、1956年にウリャノフスク州デミトロフグラード市(モスクワ東南東1,100km)の西側に設立された。レーニン(1870〜1924)の生誕地がウリャノフスク市であるのを記念して、1970年にレーニン記念原子力研究所と称していたが、最近は原子炉研究所となった。
 研究内容は、原子炉工学、原子炉材料、超ウラン元素の化学と物理の研究で、特に燃料サイクルに力を入れている。SM−2材料試験炉等があり、実験炉としては、有機材減速炉ARBUS、高速実験炉BOR−60やソ連で唯一の熱併給研究用沸騰水型原子炉VK−50がある。 図4 に原子炉研究所の主要施設を示す。また放射化学実験設備、高放射性物質取り扱い設備や計算センターがある。職員数は1994年当時約6,000人。
5.V.G.フローピン・ラジウム研究所(Khlopin Radium Institute)
 1917年のロシア革命によるソビエト政権確立後間もない1922年に、科学アカデミー所属のラジウム研究所と国立レントゲン放射線研究所のラジウム部門を基盤としてサンクトペテルブルグの市内に設立された。初代所長はV.I.ヴェルナツキーで、副所長のV.G.フローピン(1890〜1950)が2代目所長となった。放射化学、原子物理学の研究を推進したフローピンの功績を記念してV.G.フローピン・ラジウム研究所と名付けられた。
 設立後の数年間はラジウム、ウランおよびバナジウムの生産管理方法の開発が主要業務で、その後は放射化学および地球化学の研究センターとなり、第2次世界大戦の開始1年後の1942年に軍事研究に転換した。旧ソ連は、フローピン・ラジウム研究所と無機材料研究所の再処理技術の研究成果に基づいて、1949年にはチェリャビンスク−40に建設した放射化学工場で、照射済みウランからプルトニウムを抽出した。現在は放射性同位元素を利用した研究、放射能測定に使用する標準線源の供給や測定器の標準校正、南極でとれた鉱物の放射能検査など地質学の研究をしている。職員数は1992年当時180人。
6.ドブナ合同原子核研究所(Joint Institute of Nuclear Research、略称:JNRI)
 モスクワの中心部から北約65kmのボルガ河畔にある小さな都市ドブナにあり、1956年にソ連および社会主義国11か国が核物理など合同研究を行う協定に基づき共同出資して設立された。
 ここでは、各国共同で原子核、素粒子物理の研究を行っている。1963年に原子番号102のノーベリウムの創出、1964年に原子番号105のドゥブニウム(ソ連はクルチャトビウムを主張)の発見、1976年には原子番号107のエカレニウム(ボーリウム)の同位体の創出に成功、1999年には原子番号114(ウンウンクアジウム)、原子量289の超重元素を重イオン加速器で創出するのに成功した。
 ここには、シンクロサイクロトロン(陽子加速器)、シンクロファゾトロン(シンクロサイクロトロンの一種)、研究用原子炉(IBR−2、IBR−30)などがある。職員数は1985年当時約1,800人。
7.物理発電工学研究所(Institute for Physics and Power Engineering named after A.I.Leypunsky、略称:IPPE、[ロシア語:FEI])
 モスクワ中心部からカルーガ街道を南西約110kmのオブニンスク市の郊外にあり、1946年に設立された。ここには、1954年6月27日に発電を開始した動力炉オブニンスク原子力発電所(5MWe、RBMK、 図5 参照)があり、1955年9月にジュネーブで開催された第1回原子力平和利用国際会議で、ソ連は世界最初の商業規模の原子力発電所として紹介し世界の反響を呼んだ。この発電所は2000年現在も運転している。
 この研究所は主に液体金属冷却炉を開発し、高速中性子炉BR−10を1958年から運転を開始した。また、デミトロフグラードにある原子炉研究所のBOR−60、カザフスタン共和国のアクタウ市(旧シェフチェンコ市)にある高速増殖炉(海水脱塩併用)BN−350、ウラル地方のベロヤルスクにある高速増殖炉BN−600、また潜水艦用液体金属冷却炉の科学的指導を行った。職員数は1994年当時約7,000人。
8.P.N.レベジェフ記念物理研究所(P.N.Lebedev Physics Institute、略称:英語でFIAN)
 ロシア科学アカデミーに属し、1932年モスクワに設立された。この研究所は、発足以来X線、宇宙放射線、原子の粒子加速理論などを研究し、物理学の発展に大きく貢献した。1934年にはウラン塩溶液の蛍光を研究していたP.A.チェレンコフがチェレンコフ効果を予言し、1937年I.M.フランクとI.E.タムが電磁気学的にこの現象を説明した。その他、V.I.ベクレルが提唱した荷電粒子の加速の際の位相差を自動調整する手法を確立したことで、大型加速器がソ連だけでなく外国でも建設されるようになった。
9.動力工学開発研究所(Research and Design Institute for Power Engineering、略称:RDIPE SUE、ロシア語:GUP NIKIET)
 モスクワ市内北東部にある。1946年12月25日に初臨界を達成したソ連最初の原子炉F−1(黒鉛減速天然ウラン炉)は、RDIPEの前身のN.A.ドレザール設計事務所が設計し、第2研究室(現、クルチャトフ研究所)と共同で建設した。1952年から動力炉の設計、建設を担当し、オブニンスク原子力発電所、ベロヤルスク−1号炉(10.8万kW)、2号炉(19.4万kW)、レニングラード発電所1、2号炉(100万kW×2基)のRBMK−1000、リトアニアのイグナリーナ1、2号炉(RBMK−1500で150万kW×2基)を設計・建設した。また旧ソ連・東欧諸国にある各種研究用原子炉の設計・建設を行った。職員数は1994年当時約3,500人。
10.ギドロプレス(”Gidropress” Pilot Design Bureau、ロシア語:OKB”Gidropress”)
 モスクワ中心部から南35kmのポドルスクにあり、1946年に設立された。ここでは、理論実験物理研究所の重水炉、オブニンスク原子力発電所の蒸気発生器、クラスノヤルスク−26およびトムスク−7のプルトニウム生産炉、デミトロフグラードにある原子炉研究所の沸騰水型原子炉VK−50およびVVER−440とVVER−1000の蒸気発生器、RBMK−1000とRBMK−1500の気水分離器などの設計・製造を行った。職員数は1994年当時約2,300人。
11.機械建物実験設計研究所(Experimental Design Bureau for Machine Building、略称:EDMB[ロシア語:OKBM])
 ボルガ川流域のニージニノブゴロド市(旧ゴーリキー市)にあり、1947年に核兵器用プルトニウム生産炉およびウラン濃縮ガス拡散プラントの設計をするため設立された。また、原子力砕氷船や原子力潜水艦の蒸気発生器を製造した。レーニン号を含む8隻の原子力砕氷船と貨物船セブモルプーチ号は、ここで設計した蒸気発生器を搭載している。1994年当時の職員数は約4,000人。
12.アトムエネルゴプロエクト(”Atomenergoproekt” Research and Survey Institute)
 モスクワ市内にあり、1986年に設立された。1991年にサンクトペテルブルグ市とニージニノブゴロド市に研究所が設立された。ここは、原子力発電所等の主要設備の設計、耐震設計、水関係の地質調査をしている。職員数は1994年当時約5,000人
<図/表>
図1 ロシアの原子力関係研究所(10の秘密都市を含む)
図1  ロシアの原子力関係研究所(10の秘密都市を含む)
図2 ソ連最初の原子炉F−1の黒鉛スタック
図2  ソ連最初の原子炉F−1の黒鉛スタック
図3 ソ連最初の原子炉F−1の制御室
図3  ソ連最初の原子炉F−1の制御室
図4 NIIAR原子炉研究所
図4  NIIAR原子炉研究所
図5 世界初の原子力発電所オブニンスク
図5  世界初の原子力発電所オブニンスク

<関連タイトル>
ロシア連邦の再処理施設 (04-07-03-18)
ロシアの核燃料サイクル (14-06-01-05)
旧ソ連秘密都市の原子力施設 (14-06-01-20)
ソ連最初の原子炉F-1の開発 (16-03-02-01)
世界最初の原子力発電所オブニンスク(1954年5月に臨界)の建設 (16-03-02-02)

<参考文献>
(1) IBR NUCLEAR BUSINESS DIRECTORY 2000
(2) 藤井晴雄:旧ソ連における原子力関係研究所(その1)、海外電力誌1994年5月号、p.45−51
(3) 藤井晴雄:旧ソ連における原子力関係研究所(その2)、海外電力誌1994年6月号、p.45−49
(4) 藤井晴雄:旧ソ連における原子力関係研究所(その3)、海外電力誌1994年8月号、p.37−40
(5) 藤井晴雄:旧ソ連における原子力関係研究所(その4)、海外電力誌1994年9月号、p.37−40
(6) 藤井晴雄:ロシアの原子力関係研究所(動力工学研究開発研究所:NIKIET)1995年12月号、p.19?22
(7) 藤井晴雄:旧ソ連・ロシアの原子力開発の歴史、ユーラシアブックレット、ユーラシア研究所(2001年3月)
(8) (財)原子力安全研究協会、1998年資料
(9) クルチャトフ研究所ホームページ(http://www.kiae.ru/
(10) 物理発電工学研究所ホームページ
(11) 原子炉研究所ホームページ
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