<本文>
1.はじめに
旧ソ連は、軍事用プルトニウム生産炉(天然
ウラン 黒鉛減速炉)の照射済燃料からプルトニウムを分離するための再処理プラントを、1948年から1964年にかけてチェリャビンスク−40(現:生産合同マヤーク)、トムスク−7(現:シベリア化学コンビナート)、クラスノヤルスク−26(現:鉱山化学コンビナート)の3カ所に建設した。
このうち、チェリャビンスク−40の軍事用再処理プラントは商業用再処理プラント(RT−1)に改造され、1976年から自国および東欧諸国のブルガリア、チェコスロバキア、フィンランド、ハンガリー、旧東ドイツで運転中のVVER−440型原子炉から取出した使用済燃料の再処理を引き受けている。しかし1991年12月の旧ソ連邦崩壊後は、これら諸国の経済事情が悪化して再処理代金の支払いが困難となり、1995年から、東欧諸国の使用済燃料の再処理を引受けていない。なお、RBMK型原子炉の使用済燃料については、含まれるウラン−235が0.4%、プルトニウム−239が0.25%と、
軽水炉 の使用済燃料に比較して核分裂性物質の濃度が低く、再利用価値がないので、各
原子力発電所 の中間貯蔵施設に保管されている。
図1 にロシアのプルトニウム生産炉、濃縮、再処理施設の地図を示した。
2.再処理施設
2.1 チェリャビンスク−40(生産合同マヤーク)の軍事用再処理プラント
(1)所在地
南ウラルの東側に位置するチェリャビンスク州キシュテム市の東にあるオゼルスク市に1946年9月、建設を開始した。
図2 にチェリャビンスク−40(マヤーク)の地図を示す。
(2)再処理プラント運転の変遷
プラントは、1948年12月に運転を開始した。当初はチェリャビンスクにある天然ウラン黒鉛減速軽水冷却炉5基、天然ウラン黒鉛減速重水冷却炉1基および重水炉(Ruslan)の照射済燃料(使用済燃料)から兵器用のウランとプルトニウムを分離するための施設であった。冷戦終了により1992年以降、これら閉鎖されたプルトニウム生産炉5基の照射済燃料の再処理は行っていない。
(3)設備概要
1)軍事用再処理プラント
チェリャビンスク−40は、1947年に1号再処理プラントの建設を開始し、1948年12月22日、最初の照射済燃料(プルトニウム生産炉で数ヶ月照射したアルミ被覆天然ウラン燃料)を溶解し、
核分裂生成物 を除去した後、プルトニウムを分離・抽出し、冶金工場で精製し、原爆用プルトニウムを製造した。
この再処理プラントで採用した最初の再処理技術はウラニル酢酸塩沈澱法であり、硝酸溶液からプルトニウムとウランを抽出した。1950年代に2号再処理プラントの建設を決定し、1959年に第1段が運転を開始し、1960年10月近代的な第2段が運転を開始した。この第2段は
作業環境 も整備され、
被ばく 量は以前の1/100と改善された。1962〜1963年頃、1号再処理プラントを停止したが、この施設や高度に熟練した従業員の有効活用などを考慮の結果、1970年代半ば、原子力発電所から取出した使用済燃料の再処理を決定し、1号再処理プラントの改造を開始した。1972年から使用済燃料の貯蔵が開始され、1976年に主工程ラインが完成した。このプラントは、3号再処理プラントとして原子力発電所の使用済燃料(主にVVER−440の使用済燃料)の再処理を行っている。2号再処理プラントは1987年まで、軍事用プルトニウム生産炉からの照射済燃料の再処理をした後、原子力発電所の使用済燃料の再処理に転向した。
1949年頃の運転当初、設計段階では十分に予想出来なかった各種のトラブルが発生し、多数の作業員が相当被ばくした。設備の腐食対策として化学反応装置をはじめ主要部分を金と銀でコーティングした結果、1962年には、一人あたりの年間被ばく量を10レム以下に抑えることが出来た。このような予想外の被ばくは、原爆製造という国家の至上命令のため、当時はやむを得なかったものと思われる(詳細はATOMICAデータ<09−03−02−07>を参照)。
軍事用再処理プラントが運転を開始した1948年12月当時、放射性廃液の貯蔵容量が十分でなかったため、やむなくテチャ川に放出することを決定した。低レベル放射性廃液だけでなく、プルトニウム抽出後の高レベル放射性廃液もテチャ川に放出した。また、プルトニウム生産炉の冷却用水はテチャ川から取水し、テチャ川に排水を流していた。プルトニウム生産炉および再処理プラントは、予想外の事故やトラブルが多発し、多量の高レベル放射性廃液をテチャ川に流した結果、流域の住民や自然環境への被害が表面化した。このため1951年10月以降、再処理プラントの高レベル廃液は閉鎖型の小さなカラチャイ湖に放出し、残りがテチャ川に放出された。1957年9月29日には、再処理プラントに設置した放射性廃液貯蔵施設の容器1個が冷却装置故障のため爆発し、有名なウラルの核惨事(EURT事故またはキシュテム事故ともいう)となった。カラチャイ湖は、1985年から次第に埋め立てられており、いずれは草地として残されることになっている。
2)商業用再処理プラントRT−1(マヤーク)
前記の軍事用再処理プラントは、VVER−440、艦船用原子炉(
ウラン濃縮度 :10%)、高速炉、研究炉の使用済燃料を再処理できるように1976年に設備改造が行われ、商業用再処理RT−1プラントとして旧ソ連および東欧諸国(ブルガリア、チェコ、スロバキア、フィンランド、ハンガリー、東ドイツ)で運転中のVVER−440型原子炉の使用済燃料、高速炉(カザフスタンにあるBN−350およびロシアのベロヤルスクにあるBN−600)と研究炉の使用済燃料も再処理している。この再処理プラントは、1999年末までに、約4,000トンの使用済燃料を再処理した。
1995年現在の定格再処理容量は年間400トンウランであるが、地元当局からの許可は250トンウランである。RT−1では、1976〜1991年にかけて年間平均200トンの使用済燃料が処理された。しかし、1991年からはウクライナやアゼルバイジャン等のCIS諸国やブルガリア、ハンガリー及びチェコ等の東欧からの輸入が困難になったことにより、処理量は大幅に低下した(1991年:170トン、1992年:120トン、1993年:124トン、1994年:160トン、1995年:150トン、1996年:35トン、1997年:100トン)。
商業用原子炉から回収したプルトニウムは、本来、高速増殖炉計画で使用を予定していたが、高速炉プログラムの遅滞により一時的に貯蔵されている。1999年時点で、VVER−440から回収したプルトニウム貯蔵量は、約30トンである。
表1 にマヤークのプルトニウム生産炉および再処理プラントの運転状況と再処理法、
表2 に1979年から1996年までのマヤークへの使用済燃料の受入量、
図3 に再処理プロセスのフローシート、
図4 に再処理プラントでの使用済燃料集合体(VVER−440)切断と同燃料集合体用輸送容器の写真を示した。最終的な
FP の
除染係数 は、ウラン製品(硝酸ウラニル溶液)で10
7 、プルトニウム製品(プルトニウム酸化物)で10
8 である。
生産合同マヤークでは、再処理工場で発生した高レベル液体廃棄物を
ガラス固化 ・貯蔵するための施設が、1986年から稼動している。EP−500型セラミック溶融炉2基をベースにしたガラス固化複合装置が運転され、1997年までに10,000m
3 を上回る高レベル放射性廃液が処理され、2,200トンのリン酸塩タイプのガラス固化体が製造された。また、マヤーク再処理工場では廃棄物からセシウムとストロンチウム、およびネプツニウムを分離する技術が開発・利用されている。
上記の通り、RT−1の利用効率は20%以下である。このため、VVER−1000型炉の使用済燃料の再処理を可能にする改造計画(新規前処理設備増設)が、2003年6月にMINATOMにより承認された。改造は、チェシャ川への放射性物質の放出防止対策もあわせて行われ、2011年に完成が予定されている。
2.2 トムスク−7(シベリア化学コンビナート)の軍事用再処理プラント
(1)所在地
トムスク−7(秘密都市名)は別名セベルスクという。
図5 にトムスク−7の地図を示した。
(2)設備概要
プルトニウム生産炉5基の照射済燃料からのプルトニウムの分離・抽出を目的としてプルトニウム生産炉1号が稼動した1955年11月のすぐ後に運転を開始した。1992年の米ソ冷戦終了後、4、5号炉はエネルギー専用原子炉に転換され、シベリア化学コンビナートとセベルスク市の全エネルギー需要およびトムスク市のエネルギー需要の35%を供給している。2000年代初期に代替電源を確保すれば4、5号炉は停止する予定である。4、5号炉が2000年3月現在運転中なので、再処理プラントも運転していると思われる。このプラントは184,000〜197,000トンの照射済燃料を再処理したと思われる。なお、このプラントは1993年4月6日、調整タンクに濃硝酸を注入した際、タンク内に混入していた多量の有機物と硝酸が反応して爆発し、施設近辺が放射能で汚染する事故をおこした(ATOMICAデータ<12−02−03−04>参照)。
表3 にプルトニウム生産炉および再処理プラントの運転状況などを示した。
2.3 クラスノヤルスク−26(鉱山化学コンビナート)の軍事用再処理プラント
(1)所在地
図6 にクラスノヤルスク−26の地図を示した。
(2)設備概要
1)軍事用再処理プラント
コンビナートの建設は1950年に決定され、1953年からコンビナートと街の建設が始まり、1958年に設立された。ここにはプルトニウム生産炉3基と軍事用再処理プラント(1964運転開始)および商業用再処理プラントとして建設中のRT−2がある。旧ソ連は、米国の攻撃を恐れて、プルトニウム生産炉、再処理プラント等の主要施設を、居住区から数km離れた結晶性岩石からなる山の巨大な空洞内に建設した。この再処理プラントは、プルトニウム生産炉の照射済燃料からプルトニウムを分離・抽出するもので、発電用原子炉の使用済燃料の再処理は出来ない。1996年までに97,000トンの照射済燃料を再処理した。
再処理工場で発生した低レベル放射性廃液のうち許容値以下のものは、エニセイ川に放流している。また許容値を超えるものは、セーベルヌィ地下注入処分場へ地表下5m以下の深さに埋設された約15kmの配管で送られ、ポンプにより地下160m〜230mに注入されている。また中レベル放射性廃液ならびに
TRU廃棄物 についても地下注入処分場へ送られ、地下400m〜500mに注入されている。セーベルヌィ地下注入処分場には監視用の86本の井戸と廃液注入用および地下水汲み上げ用の井戸が設置され、液体廃棄物のサイト調査が行われている。1本の井戸当たり年間の注入量は60,000〜120,000m
3 、総注入量は約700,000m
3 で、約30年間で約6,000,000m
3 の廃液が注入されている。
表4 にプルトニウム生産炉および再処理プラントの運転状況と再処理法を示した。
2)商業用再処理プラントRT−2
1977年から100万kW級原子炉VVER−1000の使用済燃料を再処理するRT−2の建設を開始。年間再処理能力は1,500トン。ロシア崩壊後の経済危機による原子力関係予算削減のため、1992年に建設工事が完全に中断された。1995年の大統領命令により建設工事の継続が決定されたものの、MINATOMは1998年10月にRT−2建設工事の凍結を決定し、現在建設を40%の完成段階で中断している。
再処理プラントの建設費総額は25億米ドルと予想され、1998年10月までに3.5億米ドルを投資した。このプラントは環境基準に合致するよう設計を見直し、1998年9月現在、ロシア原子力省(MINATOM)当局の許認可を得ている。第1段階の年間再処理容量は800トン、最終段階の年間再処理容量は1,500トンとなっている。使用している基本的技術は、フランスのUP−3や英国のTHORPと同様のものである。
図7 に商業用再処理プラントRT−2の鳥瞰図および建設中の写真、
図8 に再処理プロセスのフローシートを示した。
3)使用済燃料受入施設(
使用済燃料貯蔵プール )
RT−2に併設したVVER−1000の使用済燃料を受入れる使用済燃料貯蔵プールは1985年に完成し、貯蔵容量は6,000トンである。1985年以降、ロシアおよびウクライナのVVER−1000の使用済燃料を約4,000体(2,300トン)受入れており、12年間にわたる受入経験から、使用済燃料輸送容器の信頼性や貯蔵の安全性が確認されている。受入条件は、
燃焼度 が3万MWd/トン以上、核分裂性物質の濃縮度が2.6%以下、プルトニウムの割合が20%以下で、受入れまでに3年以上の冷却が必要である。RT−2の設計は、現在のロシアの法規則に合致しており、独立した環境専門家のレビューを受け、またロシア原子力省当局の承認を受けている。2002年5月末のMINATOMの発表では、2020年頃の完成見込みとしている。
図9 に使用済燃料輸送専用貨車から使用済燃料輸送容器の取出の写真、
図10 に商業用再処理プラントRT−2に併設の使用済燃料受入貯蔵施設の写真を示した。
4)使用済燃料中間貯蔵
ロシアでは、外国からの使用済燃料を一時貯蔵や再処理の目的で輸入できるようにするための原子力関連三法案が、議会の下院・上院の可決後、2001年7月に大統領が署名して成立した。この後、使用済燃料のロシアへの持ち込みについて具体的に審議する特別委員会の設置に関する原子力法修正案を下院に提出し、下院は2003年3月に同修正案を可決した。この委員会では、使用済燃料のロシアへの輸入の可否を審議する他、輸入量についての報告書を毎年大統領に提出する役割を担う。
MINATOMは、今後20年間に海外からの使用済燃料を最大2万トン程度受け入れることにより、少なくとも200億米ドルの収入が得られると試算している。この収益の40%は過去の原子力活動による負の遺産の清算に当てられ、残りは一時貯蔵施設や再処理施設への投資や操業に使われる。
2002年5月中旬、鉱山化学コンビナートのスポークスマンは、使用済燃料の乾式貯蔵施設の建設を2003年に開始することを明らかにした。施設は、容量1万m
3 程度のモジュールを段階的に設置する方式で建設され、最終的には3.3万m
3 の容量となる。第一期分は2006年に運用開始予定で、建設費は1.2億米ドルと見積もられている。総建設費は3.3〜3.6億米ドルの見込みである。
<図/表>
表1 マヤーク再処理施設(旧:チェリャビンスク−40)のプルトニウム生産炉および再処理プラントの運転状況と再処理法
表2 1979〜1996年にマヤークに受け入れたVVER−440使用済燃料の量
表3 トムスク−7(現:シベリア化学コンビナート)のプルトニウム生産炉および再処理プラントの運転状況と再処理法
表4 クラスノヤルスク−26(現:鉱山化学コンビナート)のプルトニウム生産炉および再処理プラントの運転状況と再処理法
図1 ロシアのプルトニウム生産炉、濃縮、再処理施設の地図
図2 マヤーク再処理施設(Mayak、Chelyabinsk、旧:チェリャビンスク−40)の所在地を示す地図
図3 マヤーク再処理プラント(RT−1)の再処理プロセスフローシート
図4 マヤーク再処理プラント(RT−1)における使用済燃料集合体(VVER−440)の切断および同燃料集合体用輸送容器
図5 トムスク−7(Tomsk、現:シベリア化学コンビナート)の所在地を示す地図
図6 クラスノヤルスク−26(Krasnoyarsk、現:鉱山化学コンビナート)の所在地を示す地図
図7 建設中の商業用再処理プラントRT−2(クラスノヤルスク)
図8 商業用再処理プラントRT−2(クラスノヤルスク)の再処理プロセスフローシート
図9 使用済燃料輸送専用貨車から取出中の使用済燃料輸送容器
図10 商業用再処理プラントRT−2(クラスノヤルスク)に併設された使用済燃料受入貯蔵施設
<関連タイトル>
旧ソ連における南ウラル核兵器工場の放射線事故(キシュテム事故など) (09-03-02-07)
トムスク事故 (04-10-03-04)
ロシアの原子力発電開発 (14-06-01-02)
ロシアの核燃料サイクル (14-06-01-05)
溶媒抽出工程 (04-07-02-03)
<参考文献>
(1)(社)ロシア東欧貿易会(ロシア東欧経済研究所):旧ソ連原子力情報収集事業報告書、p.251?256(1995年3月)
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(4)藤井 晴雄:旧ソ連の原子燃料関係施設、開発の歴史と現状(その1プルトニウム生産炉と初期の再処理施設の開発)、海外電力誌1992年10月号、p.7?12
(5)藤井 晴雄:ロシアにおける核燃料サイクルの過去と現状、海外電力誌、1995年6月号、p.46?54
(6)日本原子力情報センター:ロシア原子力施設視察団報告書、1992年10月4日?10月15日、p.27?32、38
(7)Don J Bradley, Edited by David R. Payson:”Radioactive Waste Management in the Former Soviet Union” p.87?117, BATTELLE PRESS
(8)E.I. Il’enko and N.A. Abramova:”Development of the First Soviet Radiochemical Process for Recovery of Plutonium from Irradiated Uranium”,St. Petersburg, Russia, Radiochemistry, Vol. 41, No. 2, 1999, p.101−107, Translated from Radiokhimiya, Vol. 41, No.2 (1999), p.97−103
(9)「核百科辞典」、ロシアにおける核燃料サイクル巨大企業、p.48?50(1996年)(この項目の日本語訳あり)
(10)A Guide to the Ministry for Atomic Energy of the Russian Federation & Nuclear Industry, International Business Relations Corporation, 1995, p.75, 77, 78, 91, 92
(11)Mayak 45周年記念(生産合同マヤーク):Introduction、Spent Fuel Reprocessing and Regeneration Plant
(12)Thomas B. Cochran, Robert S. Norris, and Oleg A. Bukharin:Making the Russian Bomb from Stalin to Yeltsin, Westview Press, p.104−117
(13)Status and trends in spent fuel reprocessing, IAEA−TECDOC−1103(August 1999)
(14)(株)アイ・イー・エー・ジャパン:「海外再処理技術の現状調査」JNC TJ8420 2000−014(2000年3月)
(15)(社)日本原子力産業会議:原子力年鑑2004(2003年11月)