<概要>
ソ連で最初につくられた
原子炉 F-1(物理原子炉)は、クルチャトフの指導のもとに、当時モスクワの郊外にあった第2実験室内(現在のクルチャトフ研究所)に建設され、1946年12月25日の16時に初
臨界を達成した。この原子炉は当時ボイラーと呼ばれ、原子炉は半地下式で原子炉熱出力は 24kWtであった。
<更新年月>
2000年08月 (本データは原則として更新対象外とします。)
<本文>
1. ソ連最初の原子炉
ソ連で最初につくられた原子炉F−1(物理原子炉の意味)は当時ボイラーと呼ばれ、モスクワ郊外の第2実験室内に、建物や原子炉も囚人の労働力を利用して、建設された。この原子炉は
図1 から分かるように半地下式になっている。
この原子炉を建設した当時は、ソ連としては、できるだけ早く原爆を完成しなければならないといった特別な雰囲気があった。また新しい原爆戦争の恐れもあった。このような状況の中で1946年12月25日(火曜日)にソ連最初の原子炉F-1がクルチャトフの
制御棒操作により初臨界を達成した。
原子炉を臨界にするため、クルチャトフは手でレバーをあげ、動かした長さをロープの結び目で測定した。ラウドスピーカから聞こえるクリック音が早くなり、ついで連続音となり、ついに静かなハム音(ホワイト/ノイズ)となった。クルチャトフはレバーを上げるのを止めた。出力は100ワットとなり、これ以上出力を上昇することはなかった。クルチャトフ達は、これ以上の出力で原子炉がどの様に振舞うか知らなかった。アメリカが
プルトニウムを蓄積した様に、新しい
核反応によりプウルトニウムを蓄積するために
ウランを挿入する必要があった。
この原子炉の最初の仕事は10mgのプルトニウムを生産したことであった。当初は原子炉出力を相当上げたが、
遮へいがないので熱出力を24kWtに抑えて材料試験や
炉物理の研究に使用しており、1991年12月現在、この原子炉は運転を続けていた。
この原子炉は外国の援助なしに専らソ連の学者と専門家によって建設された。
ソ連最初の第1号物理原子炉(F-1)の概要は下記の通りである。
黒鉛減速天然ウラン炉
炉心直径 :約3m
炉心熱出力:24kWt(1982年現在)
ウラン重量:45トン
黒鉛重量 :430トン
原子炉全体の大きさ:高さ7m,幅8m
制御棒 :カドミウム製
この第1号物理原子炉建物を
図4 に、この原子炉建物垂直断面図を
図1に、第1号物理原子組立中(垂直面)を
図5 に、同垂直断面図を
図2 に、同水平断面図を
図3 に、第3号物理原子炉組立中に上部より写したものを
図6 に示す。
<図/表>
<関連タイトル>
世界最初の原子力発電所オブニンスク(1954年5月に臨界)の建設 (16-03-02-02)
RBMK型原子炉の原型炉ベロヤルスク1、2号炉の建設 (16-03-02-03)
旧ソ連のRBMK型原子炉開発の歴史 (16-03-02-04)
高速増殖炉BN-350(発電・海水脱塩炉)の建設 (16-03-02-07)
<参考文献>
(1) ソ連の原子力開発のすべて、A.ペトロシャンツ、日本原子力産業会議、1981年発刊
(2) I.V.クルチャトフの思い出、A.P.アレクサンドロフ、ナウカ社、1988年発刊
(3) ソ連最初の原子炉の建設と運転、I.F.ジュジュルン、アトムイズダート社、1978年発刊
(4) モスクワ・ニュース、1989年10月8日、No41(No3393)
(5) アトムナヤ・エネルギア、1990年5月、Vol. 68 No.5