<本文>
1.固体線量計の原理とESRによる放射線量計測
放射線照射により生じる物理的化学的反応は、その量が放射線線量に比例するなら、原理的に放射線線量計測に利用できる。次のような線量計が知られている(参考文献1、2)。
フィルムバッジ :
電離 によって写真フィルムの臭化銀(AgBr)中に潜像が生じ、現像により潜像に比べて100万倍の原子数凝集で銀コロイドが析出、0.1mGyから測定可能。
フリッケ線量計:硫酸第一鉄溶液中で、照射により二価の鉄イオンが三価のイオンに変化することを利用した化学線量計で、1〜100kGyのγ線線量の較正に使われている。
エレクトレット線量計:石英細線の電荷量滅哀で0.05mGyを測る「電籍箱式ポケット線量計」に似て、分極誘電体のエレクトレットの表面電荷量滅哀で0.001mGyから計測。
蛍光 ガラス線量計:銀放射線照射で活性化燐酸ガラスにできる欠陥量を、紫外光励起で生じる蛍光強度で検出する。0.1mGyから繰り返し測定でき、法的証拠能力がある。
熱蛍光(ルミネッセンス)線量計(TLD):電離電子が不純物や格子欠陥に捕獲され、試料を加熱すると蛍光が観測される(
図1 上)。CaSO
4 やLiFに、発光効率の増感のために不純物(希土類元素TmやDy)を添加し、光電子増倍菅で光量子数の100万倍に増倍、光量子検出(フォトン・カウンティング)法で感度を上げて0.001mGyから計測可能。
電子スピン共鳴(ESR)線量計:固体に
電離放射線 を照射すると、不対電子は捕獲され、電子・正孔が生じる。不対電子をもつ格子欠陥や分子種のラジカルは磁場の下でエネルギー分離が起こり、
マイクロ波 を吸収してスピンの方向が逆転するESR)が起こる(
図1 下)。
適当な素子材料を用いると、ラジカルのESR信号強度から放射線取扱い業務従事者の被ばく線量を検出する「ESR線量計」ができ、測定で被ばく情報が消えない点でTLDには欠ける法的証拠能力がある。人体組織と等価な放射線エネルギー依存の線量計素子を実現できる。
2.ESR分光装置の例と線量計測の検出限界
ESRの原理と装置:磁場変調方式のESRスペクトルは微分形であり、最大振幅を信号強度とする線量計測では、線幅が広いと感度が低下する。
図2 に市販ESR装置を示す。永久磁石を用いた簡易型の安価なESR線量計装置もあるが、検出感度の向上など、ハードとソフトの面での開発が必要である。
化石や鉱物の自然放射線の集積披ばく線量を求める「電子スピン共鳴による年代測定」もESR線量計測であり、既知線量を人為的に照射して信号強度を線量に換算する「人為放射線の付加照射法」が用いられてきた。しかし、サンゴのような均質な試料では、同じ条件で測る限り信号強度はほぼ一定で被ばく線量に比例しているので、信号強度と放射線量の関係を校正曲線として置けばよい。不純物の量を制御した合成試薬を素子材料とするESR線量計では、信号強度は線量そのものに換算できる。
電子捕獲中心の寿命、安定性:ラジカルは、室温でも不安定の場合も多い。等温(アイソサーマル)
焼きなまし 実験で求めた寿命は数年以上、等時焼きなまし(アイソクロナル・アニーリング)実験では150〜200℃以上安定でなければならない。寿命が数十万年から数百万年以上であることを求められるESR年代測定に比べれば厳しくないので、年代測定の対象外の物質でも線量計素子にできる。
3.G値によるスピン検出感度の計算
G値とは?:放射線科学では、100eV(エレクトロン・ボルト)当りのエネルギーにより生じるイオン対の数をG値と呼ぶ。100eV当りにできる安定な電子と正孔の対やラジカル対、あるいは不純物の価数の変化の個数もG値で表す。芳香族化合物(ベンゼンやナフタリン等)のG値は小さく(G = 0.1〜0.2程度)、低温でのアルコールは、G = 0.8程度である。それに比べ、フリッケ線量計は、g = 15.5程度である(参考文献1〜4)。
放射線照射による欠陥の生成エネルギーは、物質のバンドギャップ(数eV)の数倍である。G値は10以下であり、安定化されるラジカル数は、さらに数分の1以下である。
線量1Gyで生じる不対電子数:質量1kg当りの放射線吸収エネルギーが1ジュール(J)の場合を、SI単位系では1グレイ(Gy)とした(1Gy = 1J/kg)。したがって、1Gyの放射線エネルギーで1kgの物質に生じるラジカル濃度は、1eV = 1.6 x 10^−19J から
N = G/(100 × 1. 6× 10^−19)= 6.25 × 10^16 G[/kg] (1)
密度をρとすると、1kgの体積はV = 1000/ρゆえに1ccあたり、N’= 6.25 × 10^13G・ρとなる。G値をパラメーターとしてラジカル濃度と線量の関係を両対数グラフで示す(
図3 )。
ESR空洞共振器に入る試料は、圧縮ペレットまたは棒状にすると、最大で数百mg〜1g程度までは可能であるから、G値が1の物質で1Gyの照射により 10^13 個程度のラジカルが生じる。市販ESR測定器では、信号対雑音(S/N)比からみると信号の線幅が0.1mT((1mT=10gauss、磁場の単位)なら、〜10^10 pins/0.1mTの検出感度がある。0.1mTの線幅を持つESR信号を利用すると、この濃度まで検出できるならば、約〜0.2mGyまで線量測定が可能である。アラニンと骨(アパタイト)の応答を図に加えた。
4.ESR線量計素子の開発
アラニン線量計素子:アミノ酸のアラニン分子は放射線で水素が引き抜かれ、ラジカルにはパイ軌道に不対電子がある。ESRスペクトルは、近接のメチル基の3個の
陽子 核スピンによる「超微細構造分離(hfs)」で4本の線に分離し、周辺分子の陽子核スピンによる「超超微細構造(shfs)」で線幅は広くなる(
図4 )(参考文献1、4、5)。
アラニン線量計の素子は、パラフィンやポリスチレンを固着材とし、ペレット状に圧縮、密度を増して固形化されており、中高線量域でのESR線量計素子として市販されている。
有機酸塩イオン結晶(有機酸リチウムと有機酸マグネシウム):軽い元素であるLiやMgイオンと有機酸イオンとのイオン結晶を線量計に用いると、組織等価な線量計ができる。乳酸リチウムと乳酸マグネシウムのESRスペクトルに示すように、陽子の超微細構造で1:3:3:1に分離し、さらに超超微細構造で線幅が広くなる(
図5 (a))。
試料温度を上げて一定時間保持して信号強度の変化を調べる等時焼きなまし実験を行うと、信号強度は摂氏150〜200度まで安定であり(
図5 (b))、信号強度は数年は安定であり、組織等価な線量計として利用できる。この他、Mgを添加した蟻酸リチウムは、水素を含まないために微細構造分離はなく、線幅も狭いので組織等価な線量計素子になる(参考文献6)。
有機酸を変えた一連の研究が行われ、幾つかの有望な線量計材料が得られた(
表1 )。LiOHやMg(OH)2の水溶液と有機酸に不純物を添加し析出させた微結晶では、イオン結晶の
照射効果 や
熱蛍光線量計 (TLD)の研究にならってを不純物添加で増感できる(
図5 (c))。
砂糖の信号とMnマーカーによる校正:チェルノブイリ原子炉事故での放射線量を評価するのに、家庭の砂糖が用いられた(
図6 )。砂糖によって不純物濃度が異なるので、付加線量方式が必要である。共に示した標準試料のMnマーカーの信号強度は、感度補正の内部標準試料としてESR線量計での定量化にも用いられた(特許1)(参考文献2)。
ヒドロキシアパタイト線量計素子:骨や歯はヒドロキシアパタイトと有機質コラーゲンからなり、人体被ばく線量評価やESR年代測定の対象試料である。放射線照射によって炭酸イオンからできるラジカルCO
2 −の信号は、ESRの100kHz変調幅を増大すると、分離した粉末スペクトルも1本線になる(
図7 (a))(参考文献4、7)。
骨や歯では、G = 2.0045位置の有機ラジカル信号のため変調幅を大きくできないが、合成ドロキシアパタイトでは、過大変調にした方が、信号強度(微分曲線の振幅)は大きくなる(
図7 (b))。骨や歯は、放射線に対するエネルギー依存性がり、人体組織と等価ではない。
ビタミンCを含む炭酸カルシウム(狭い線幅の有機無機結晶):アミノ酸などの有機分子は、CaCO
3 中に取り込まれ、放射線照射で線幅が狭いラジカルができる(特許2)(参考文献9)。
アスコルビン酸 (ビタミンC)では、その線幅は0.015mTと狭く、未照射試料にはアラニン線量計のよう背景信号がないので、10mGyまでの測定が可能になる(
図8 )。
中性子検出のESR線量計:
熱中性子 は
6 Liや、
10 Bのような元素との
核反応 によりα粒子が生じるので、(n,α)反応をする元素を含む物質は中性子照射によってもラジカルが生じる。また、有機化合物では
高速中性子 による「水素のはじき出し効果」が起り、高エネルギーの陽子による電離作用でラジカルが生じるので中性子線量計測ができる。
5.原爆放射線の線量評価とCT-ESRマイクロドシメトリー
ESR線量計測:有機物を用いた事故放射線のESR線量計測については、中島による先駆的な研究がある(参考文献3)。同時期に自然放射線のESR線量評価である秋芳洞鍾乳石のESR年代測定も発表された。年代測定の被ばく線量は、年間〜1mGyの自然放射線に1億年さらされると100kGyになるが、不安定な信号では(年間線量率)x(寿命)である。事故や原爆の線量がこの値以上なら、自然放射線による寄与を除去でき、被ばく状況を評価できる(参考文献1)。
広島の元安橋の花崗岩のESRスペクトルでは、表面近くの石英粒子にはGe中心のESR信号が存在するが、内側の石英粒子には存在しない。これは、Ge中心の電子は、数十万年と比較的短く、さらに熱的にも摂氏300度程度までしか安定でないため、
自己遮蔽効果 による表面からの被ばく線量が減衰しているためと考えられる(
図9 )。
ESRマイクロドジメトリ:「ESR顕微鏡」でラジカルの濃度分布を求めると、放射線線量のミクロな分布が判り、線質効果を理解できる(参考文献7)。
X線 照射したNaCl結晶のF中心分布を磁場勾配による断層画像CT-ESR法で10ミクロンの解像度で求める(
図10 )など、
吸収係数 を被ばく線量画像から明らかにできる。X線とγ線照射した人の歯のラジカル濃度分布も走査型ESR顕微鏡で画像化できる。
1985年に山口大と秋吉台で開催された「第一回ESR年代測定国際シンポジウム」以来、「ESR線量計測と応用国際会議」は3年毎に開催され、「ESR応用計測研究会」は「ESR応用計測」(Advances in ESR Applications: ISSN0918-6824)を出版している。
特許1:電子スピン共鳴を用いた放射線線量測定方法
池谷元伺、吉田栄久夫、河野雅弘
出願人 日本電子株式会社
特許番号1391479号
特許2:無機イオン性分子結晶
佐藤英夫、池谷 元伺
出願人 財団法人大阪産業振興機構
特願2002-335753
<図/表>
表1 有機酸リチウムの種類と線量計としての特性
図1 熱蛍光線量計(TLD)と電子スピン共鳴(ESR)線量計の原理
図2 ESR装置の概略
図3 線量計濃度と放射線線量
図4 アラニンのESRスペクトル
図5 有機酸リチウムの組織等価のエネルギー依存性を持つ「高感度線量計素子」のESRスペクトル
図6 砂糖のESRスペクトルと標準試料のMn
図7 ヒドロキシアパタイトのESRスペクトルの100kHz変調磁場依存性
図8 γ線照射したアラニン線量計とビタミンC含有炭酸カルシウムのESRスペクトル
図9 広島の爆心地より110mにある「元安橋」花崗岩中の石英粒子のESRスペクトル
図10 断層画像CT-ESR顕微鏡を用いたミクロな放射線線量分布計測
<関連タイトル>
電子スピン共鳴法による照射食品の評価 (08-03-02-08)
電子スピン共鳴法による年代測定 (08-04-01-35)
電子スピン共鳴法による人体の放射線被ばく線量評価 (09-01-05-12)
個人線量計 (09-04-03-03)
線量に関する単位 (18-04-02-02)
吸収線量に関する単位 (18-04-02-04)
<参考文献>
(1)M.Ikeya:New Applications of Electron Spin Resonance − Dating,Dosimetry and Microscopy,World Scientific(1993;2002),p.500
(2)池谷元伺:放射線線量計としての電子スピン共鳴(ESR)の応用、日本電子ニュース、20、No.1(1980)、p.9-11
(3)T.Nakajima and S.Watanabe:New method for estimating gamma ray exposure sustained in radiation accidents : possibility of using organic substance as a monitor,J. Nucl. Sci. Tech.,11(1974),p.575-582
(4)小島祐治、田中隆一、森田洋右、期口忠男、吉田健三:ポリスチレンを用いて形成したアラニン線量計、JAERI-M(1986)、p.86-137
(5)Bradshaw W W,Cadena D G,Crawford E W and Spetzler H A:The use of alanine as a solid dosimeter,Radia. Res.,171(1952),p.11
(6)池谷元伺:ESR年代測定、11章ESR線量計測、アイオニクス社(1987年4月)、p.179-190
(7)池谷元伺、三木俊克:ESR顕微鏡、シュプリンガー東京(2002)、p.285
(8)田丸浩太郎、手島豊志、岡 俊英、G.Hassan、池谷元伺:有機酸塩による生体組織等価な高感度ESR放射線線量計、Radioisotopes、50、No.7(2001)、p.317-325
(9)H.Sato and M.Ikeya,Organic molecules and nanoparticles in inorganic crystals:Vitamin C in CaCO3 as an ultraviolet absorber,J. Appl. Phys. 95(2004),p.3031-3068
(10)本田健一(編):表面・界面工学体系、上巻、基礎編20章第8節[2]電子スピン共鳴(ESR)、フジテクノシステム(2005)、p.939-944
(11)日本電子株式会社:製品情報、電子スピン共鳴装置