<本文>
1.地球科学・考古学における年代測定法
動植物の化石編年や古地磁気学、同位体比など相対的な年代測定法と別に、以下のような絶対(科学的仮説の下に年代数値を出す)年代測定法がある(参考文献1−4)。
(a)放射性元素壊変の
半減期 を利用する方法
放射性炭素(
14 C)法:ベータ線係数法、タンデム型加速器質量分析法
カリウム・アルゴン(K-Ar)法、ウラン・トリウム(
240 Th/
234 U)非平衡法
(b)化学反応を利用する方法
アミノ酸 がL型からD型へ立体構造の異なる光学異性体へ反応を利用した「ラセミ化年代測定」や水分子の拡散を利用した「水和層法」、血痕や有機物の酸化を検出する電子スピン共鳴(ESR)法など、絶対年代を求めるには温度評価が難しい。
(c)自然放射線の
照射 効果を利用した年代測定法
微量の放射性元素を含む天然鉱物や化石は,内部のα線やβ線と外部からの透過力の強い
γ線 や
宇宙線 を受けており、放射線の
集積線量 を評価して年代値を得る。
核分裂片飛跡検出(フィッション・トラック:Fission track)法:鉱物中の
238 Uの
自発核分裂 の飛跡を酸でエッチングして計数し、熱中性子照射の誘導核分裂でUを定量化して年間の飛跡生成量を評価して生成年代か高温では
焼きなまし (アニーリング)した後の年代を求める。
ルミネッセンス法:自然放射線で
電離 された電子が、不純物や格子欠陥に捕獲され蓄積している。熱や光で捕獲電子を解放し、正孔との再結合による「再結合発光」から集積被ばく線量を求め、年間線量率を評価して年代値を求めるのが、熱蛍光(Thermoluminescence:TL)や光刺激発光(Optically Stimulated Luminescence:OSL)年代測定法である。
2.電子スピン共鳴(ESR)法
2.1 ESR年代測定法の原理と方法
自然放射線により生じた捕獲電子、または、不対電子を持つ格子欠陥(常磁性の欠陥)のスピンをマイクロ波磁気共鳴分光法であるESRで検出し、その蓄積量(信号強度)から年代を求める(
図1 )(参考文献1、2)。
(a)待ち時間方式(ポテトチップス法):化学反応利用のESR年代測定
時々刻々作られる不対電子の蓄積を追跡し、その増大を外装して年代を求めることが原理的には可能であるが、自然放射線の照射効果の場合には、スピン数が少なく現在の検出感度(1010スピン/0.1mT)では難しい。千年の試料では、1日待っても3ppmも増えないからである。しかし、ポテトチップスの酸化による過酸化脂肪ラジカルの検出などの化学反応では、この方式で日の単位で年代測定が可能となる。血痕の酸化など法医学の年代測定に利用できる(参考文献2)。また、化学反応の場合は、高い温度で反応を促進して実験時間を短縮でき、化学反応論に基づいて年代値を評価する(
図2 )。
(b)自然放射線の被ばく線量評価:付加線量法
自然放射線により生じたスピン量から放射線被ばく線量を求め、自然放射線の年間線量率を別途に評価して年代値を求める。まず、放射線の
吸収線量 であるGy(グレイ:1Gy=1J/kg)を用いて、試料にある信号強度をI。とし、人為放射線をQグレイの吸収線量を持つように照射した試料での信号強度をI(Q) とする。I(Q)は線量に比例する領域では
I(Q) =I。(1+Q/DE) (1)
となる。DEは、人為放射線の
線質 と等価な被ばく線量で、「等価線量」と呼ぶ。人為放射線の線量率をD’とすると、照射時間tに対してQ=D'tである(
図3 )。
I(Q)と線量Qをプロットした信号強度の成長曲線を直線的に外装して、照射放射線の線質と等価の被ばく線量という意味の等価線量(DE)を得る。もし信号強度が比例関係からずれるときは、飽和曲線で成長曲線のデータを
I(Q) =IS(1−exp(−(Q+DE))/DS) (2)
となる。ここでISとDSは、飽和値と飽和線量である。年代値Tは、自然放射線の年間線量率をD(mGy/y) 、等価線量DE(Gy)とすると、放射平衡なら次式で計算できる。
T(ky)=DE(Gy)/D(mGy/y) (3)
2.2 年間線量率の線質効果:D=kαDα+kβDβ+kγDγ
自然放射線は、
40 Kのβ線や
238 Uや
232 Th壊変系列のα、β、γ線をいい、その
飛程 は異なる(
図2 )。したがって、試料内部の放射性元素からの内部放射線と環境からの外部放射線を考え、等価線量から年代を求める。線質効果による信号強度増大の割合をα、β、γ線に対してkα、kβ、kγとすると、
D=kαDα+kβDβ+kγDγ (4)
と表せる。一般にkα=0.1 〜 0.2、kβ=kγ=1で、生成効率kαは、α線照射を行って実験的に求めている。α線という局所的な高密度励起の下で高線量率効果によって欠陥間(電子と正孔、また格子間原子と空格子)の再結合の確率が増え、安定な不対電子の生成効率が下がる。また、ESR計測では、不対電子間の磁気的な相互作用のために信号線幅が広くなり、微分曲線のピーク幅を信号強度とするため、見かけのkαは小さくなる。
2.3 人為放射線の線量率:高線量率効果を避ける
自然放射線の年間線量率が〜1mGy/yであるのに、ESR年代測定や類似のTL.OSL年代測定で、人為放射線の線量率は100Gy/h〜1kGy/hである。年間8,760時間だから、線量率は一千万倍大きい。低い年間線量率に長年被ばくし続けてきた物質を、高線量率の放射線照射で模擬できるか疑問視されていた。格子欠陥の生成曲線を調べると、放射線の線量率D’は、1kGy/h以下の線量率でないと、励起状態間の相互作用のために高線量率効果が起こり、信号強度は低線量率の場合を忠実に反映しない。
自然での格子欠陥の焼きなまし時間を考慮すると、人為放射線照射による信号強度の生成曲線を直線や飽和曲線近似で外挿しては過小評価になり、理論式に基づいて2段階に外挿する必要がある(参考文献7)。原爆放射線のESR線量計測では、被爆者の歯エナメルを用いるが、高線量率効果のため捕獲電子(格子欠陥)は照射下で不安定であり、被ばく線量を過少評価することになる。
2.4 ESR年代測定の適用範囲:年代値の上限
一般に、古い試料では他の年代測定法よりも若い年代値を得ることが多いのは、自然の焼きなましのためと格子欠陥相互作用のためである。試料を加熱して焼きなまし実験を行い、高温度の寿命を実験的に求め、アレニウズ曲線にあてはめて自然環境での電子スピンの寿命を評価する(
図4 )。したがって、試料の温度上昇があれば、その熱履歴、古代人が火を用いた時や火山活動、地熱変質の年代を求めることになる。
3.ESR年代測定の多角的な展開
(a)照射効果の時計をゼロにセットする出来事(参考文献1−8)
析出、結晶化、相変態:鉱物や生体硬組織が析出する場合、析出年代を求めることになる。洞窟の鍾乳石や石筍(
図5 )のように、長年かかって成長してきた析出物は、場所ごとに年代値が異なる(
図6 )。
現世のサンゴと海岸段丘の若い化石サンゴのESRスペクトルには、有機物の分解やわずかな磁性不純物によるESR信号がある。ガンマ線照射線量1Gyによって生じる信号は、未照射の現世サンゴにはなく、化石のサンゴでは照射によって信号強度が増大する(
図7 (a))。サンゴのESR年代値と放射年代値の比較を示す(
図7 (b))。
人類学、古生物学の骨や歯(アパタイト)も年代測定の対象である(
図8 )。相変態によっても信号が消えるので、砂漠の蒸発岩(石膏、重曹など)の年代測定にも利用できる。
熱(焼きなまし)(火山、地熱、人為的加熱):火山噴出物(火山灰)や地熱地帯の変質鉱物など、自然放射線によって生成し蓄積した欠陥が熱で一度消えたので、地温が上がった年代値を求めることになる。
機械的焼きなまし:断層面の破砕石英や断層面の析出鉱物(カルサイトなど)の年代から断層活動の年代を求める試みが行われている。信号が完全に消えていない場合は、古い年代を与える。結晶格子内の転位が動いて捕獲電子を解放するのか、地下の封圧下での断層活動の熱によるのかは議論がある。
(b)ESR年代測定の対象試料
このように、ESR年代測定は、種々の鉱物や化石を試料とし、地質学、人類学、考古学、法医学など広範囲で利用されている(
表1 )。そのなかで、資源として有望視される
メタンハイドレート も年代測定されるようになる可能性がある(
図9 )(参考文献10)。
電磁石の代わりにNd-B-Feの永久磁石を用いた小型ESR装置も試作されており、小型軽量のESRを探査ロボットのルーバに搭載して遠隔操作で火星の蒸発岩や極冠のドライアイスの年代測定も可能である(
図10 (a))。アレニウス・プロットから外惑星表面温度での氷のOHラジカルの寿命を求めると、年代測定の可能性が判る(
図10 (b))。イオの亜硫酸ガス氷、絶対温度32Kのトリトンのメタン氷も対象になる(参考文献7、8)。木星の衛星のエウロパには氷の断層があり、MgSO
4 を含む水が割れ目から出て凍る。MgSO
4 水溶液の氷の照射効果から年代測定の可能性も明らかになった(
図10 (c))。
1985年に山口大と秋吉台で開催された「第1回ESR年代測定国際会議」の後、「ESR応用計測研究会」が毎年、会誌「ESR応用計測」(Advances in ESR Applications)(ISSN 0918-6824)を発行しており、01年の「ESR線量計測・年代測定の新展望」国際会議の会議録はURLからダウンロードできる。自然放射線の照射効果を利用したESR年代測定は、地上の鉱物や化石から太陽系惑星の年代測定にまで広く利用されることが期待される。ESR年代測定法の試料採集、処理、スペクトルの詳細については、参考文献10に述べられている。
<図/表>
表1 ESR年代測定に利用できる試料材料(将来の可能性を含む)
図1 ESR年代測定の原理
図2 α線、β線、γ線の飛程を考えた被ばく線量評価
図3 信号強度を年代に校正する方法
図4 高温での焼きなまし実験で得た減衰時間のアレニウス・プロット外挿による室温での格子欠陥の寿命評価
図5 析出年代のESRによる測定例
図6 秋芳洞鍾乳石のESRRスペクトルと断面の被ばく線量(換算年代値)
図7 サンゴのESR年代測定
図8 ESRによる人骨の年代測定
図9 メタンハイドレートの年代測定
図10 天体の年代測定
<関連タイトル>
電子スピン共鳴法による照射食品の評価 (08-03-02-08)
放射線測定による年代推定 (08-04-01-11)
考古学研究への放射線利用 (08-04-01-13)
自然放射線の照射効果を利用したルミネッセンス年代測定 (08-04-01-39)
電子スピン共鳴法による放射線線量計測 (09-04-03-29)
電子スピン共鳴法による人体の放射線被ばく線量評価 (09-01-05-12)
<参考文献>
(1)池谷元伺:ESR年代測定、アイオニクス社(1987年4月)
(2)池谷元伺:パリティ1(1986年6月)、p.28-40
(3)塚本すみ子、長友恒人(編):考古学のための年代測定、第4章 電子スピン共鳴法、古今書院(1999)、p.78-92
(4)池谷元伺、三木俊克:ESR顕微鏡、シュプリンガー東京(2002)
(5)特集「放射線計測に基づく年代測定法」、放射線と産業101(2004)、p.4-11
(6)M.Ikeya and T.Miki:ESR Dating and Dosimetry(Ionics,1985)
(7)M.Ikeya:New Applications of Electron Spin Resonance - Dating,Dosimetry and Microscopy,World Scientific(1993;2002)
(8)NE Whitehead,M.Hirai,A.Tani,C.Yamanaka and M.Ikeya ed.:Proceedings on New Prospects of ESR Dosimetry and Dating,Advances in ESR Applications 18(2002)
(9)M.Ikeya:Electron Paramagnetic Resonance(Specialist Periodical Reports-Royal Society of Chemistry)Vol.19,1-32(2005)
(10)ESR年代測定法、月刊「地球」32(1981);続・ESR年代測定法、月刊「地球」58(1984);宇宙地球物性−ESR地殻物性の立場から、月刊「地球」128(No.1)& 129(No.2)(1990)
(11)International Symposium on New Prospects of ESR Dosimetry and Dating:会議録・Advances in ESR Applications 18(2002)
(12)大阪大学大学院 理学研究科 宇宙地球科学専攻 池谷研究室:ようこそ、ESRの世界へ!,