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1.確率論的安全評価と決定論的安全評価
確率論的安全評価(PSA:Probabilistic Safety Assessment)とは、原子力施設等で発生し得るあらゆる事故を対象として、その発生頻度と発生時の影響を定量評価し、その積である「
リスク(危険度)」がどれ程小さいかで安全性の度合いを表現する手法である。なお、PSAと対比される決定論的安全評価では、ある事故は起きるものとして、その時のプラントや環境に対する影響を定量評価し、それがある一定基準以下であれば、その事故に対して安全性が確保されていると判断する。PSAは、決定論的安全評価を補完する有用な情報を提供できるため、世界各国で広範に利用されている。また、この評価手法については、核燃料サイクル施設の安全評価への適用も試行されている。
2.確率論的安全評価の実施手順
原子力発電所の場合を例にとって、PSAの手順を
図1に示す。公衆の安全という観点でPSAを実施する場合は、炉心が損傷し、大量の
放射性物質が放出される可能性があるような過酷な事故、いわゆる「シビアアクシデント(過酷事故)」だけを解析の対象とする。
PSAではまず最初に、プラントにとって望ましくない起因事象にどのようなものがあるか、その発生頻度はどれ程かを検討する。起因事象としては、原子炉冷却系の配管に破断や漏洩が生じて高温・高圧の原子炉冷却水が流出する冷却材喪失事故と、発電所の外側の送電線網で電力の供給が停止するような外部電源喪失や発電所の中の原子炉給水系ポンプの停止等の異常な過渡変化がある。これらがランダムな機器故障や原子炉運転員の誤操作によって生じる場合を「内的事象」、地震や火災、航空機の墜落等の外部からのインパクトによって生じる場合を「外的事象」と呼ぶ。
次いで、起因事象発生時にその拡大を防止するために予め設けられている
安全機能のうち、どれが成功しどれが失敗したかの組み合わせを考えて、「事故シーケンス(事象の進展の流れ)」を分類する。事故シーケンスを系統的に分類するためには、「
イベントツリー(事象の発生を解析するための図)」を作成する。原子炉冷却材配管破断異常に関するイベントツリーの例を
図2に示す。そして、各安全機能を果たすべき安全系の失敗確率を、
図3に簡単な例を示す「
フォールトツリー(事故の可能性を分析するための図)」等の信頼性解析手法を用いて定量評価し、それから、各事故シーケンスの発生頻度を計算する。ここまでが、「レベル1PSA」と呼ばれるものである。
炉心損傷に至る事故シーケンスについては、「
格納容器イベントツリー」を作成して事故シーケンスを更に分ける。具体的には、例えばシビアアクシデント時に発生するかもしれない水素爆発や水蒸気爆発等、その後の事故進展に大きな影響を及ぼす現象や事象が発生するか否かで事故シーケンスを分岐させる。それぞれの現象・事象の生起確率を与えれば、格納容器の破損に至るような各事故シーケンスの発生頻度が求まる。一方、これらの事故シーケンスに対しては、事故の進展と事故状態下での核分裂生成物の放出・移行挙動とを解析し、格納容器破損に伴う核分裂生成物の環境への放出量「
ソースターム」を求める。この解析は、「炉心損傷事故解析」あるいは「事故時ソースターム評価」と呼ばれる。ここまでが、「レベル2PSA」である。
事故時ソースタームは、通例、格納容器の破損形態や核分裂生成物の放出量の類似性を考慮して「放出カテゴリ」にまとめる。各放出カテゴリに対しては、大気中拡散や食物連鎖等による環境中の放射能移行解析を行って公衆の
被ばく線量を計算し、公衆のリスクを求める。ここまでが「レベル3PSA」である。
3.確率論的安全評価の限界
PSAに用いるデータや知識の中には必ずしも十分な確度を持っていないものもあることに注意しなければならない。例えば、故障率データ(故障の発生頻度)、人的信頼性(人的ミスの確率)、炉心損傷事故時の諸現象などである。このため、PSAの結果は常に不確実さを伴ったものとなり、PSAの結果を用いる時には、この不確実さについての十分な理解が必要である。
4.日本における確率論的安全評価の研究体制
我が国では、PSAに関する研究は、日本原子力研究所(原研(現日本原子力研究開発機構))や核燃料サイクル開発機構(サイクル機構、旧動燃(現日本原子力研究開発機構))、原子力安全基盤機構、電力会社、原子炉メーカー等が実施している。
原研では、主に軽水炉を対象として、システム信頼性解析、人間信頼性解析、炉心損傷事故解析、地震リスク解析、火災リスク解析、環境影響解析等のための手法が開発・整備されている。システム信頼性開発のためには、イベントツリー解析、フォールトツリー解析を行うパソコン利用の計算コード体系が作成されており、炉心損傷事故解析のためには、原子炉冷却系内および原子炉格納容器内での事故の進展および核分裂生成物の放出・移行挙動を解析する計算コードが作成されている。また、地震リスク解析のためには、地震ハザード(注目する立地点において最大加速度がある値を超す地震動が発生する頻度)解析から地震に起因する炉心損傷事故の発生頻度までを一貫して計算するコード体系が開発されている。
こうして開発・整備された手法を用いて、軽水炉モデルプラントを対象としたPSAが実施されているが、内的事象のレベル2PSAによって、シビアアクシデントの進展やソースタームを支配する因子を明らかにしたほか、近年では、内的事象のレベル3PSAにより公衆のリスクレベルや、その支配因子についての検討が進められており、また、地震を起因とした事故についてはレベル1PSAが実施されている。
一方、サイクル機構では、高速炉を対象として同様の手法体系を開発し、それを用いて高速炉のPSAを実施している。また、原子力安全基盤機構(旧原子力発電技術機構)においても、軽水炉を対象としての手法の整備と、代表的プラントについてのPSAを実施している。この他、原研やサイクル機構で、核燃料サイクル施設を対象としたPSAの研究も進められている。
5.確率論的安全評価の分類と実施例
原子力発電所については、1975年に米国で「原子炉安全研究(RSS:Reactor Safety Study)」が実施されて以来、数多くのPSAが実施されてきた。ただ、必ずしも前述した全手順を網羅しているわけではなく、レベル1だけの評価や内的事象に限っての評価が数多くなされている。PSAの分類の1例を
表1に示す。この表は、PSAのレベルと事故原因について2次元的に分類したものである。この他、原子炉の運転状態に応じて定格運転中だけを対象としたものか、低出力時および停止時まで対象としたものかという分類もある。
米国では、「原子炉安全研究」の公刊以来、数多くのPSAが実施されてきたが、全原子力発電所についてシビアアクシデントを引き起こすかもしれない脆弱性をプラント個別に評価することが1988年に決定された。米国の108基の原子力発電所の個別プラント評価で得られた内的事象による炉心損傷頻度を沸騰水型(BWR)と加圧水型(PWR)とに分けて
図4に示す。我が国でも同様な評価が実施されている。
6.確率論的安全評価の応用
PSAによって、原子力施設がどの程度安全かを示すと共に、相対的にどこが弱点かが明確化するので、広範な用途が考えられ、特に、合理的な
安全設計や検査方法の確立に有用である。例えば、我が国では現在、シビアアクシデントのリスクの低減のために、各原子力発電所で「アクシデント・マネジメント」の整備が進められているが、そこでは個々のプラントについてPSAが実施され、この結果を参考に安全性を一層向上させる上で効果的なアクシデント・マネジメント対策が選定された。また、これまでのPSA研究で得られた知見も、アクシデント・マネジメント案の検討に用いられている。
また、安全規制活動が目標とする社会へのリスク抑制の水準を合理的に評価する手段としてもPSAは有用であり、
原子力安全委員会での安全目標に関する指針の検討にもPSAの考え方や成果が大幅に取り入れられている。。(注:原子力安全委員会は
原子力安全・保安院とともに2012年9月18日に廃止され、原子力安全規制に係る行政を一元的に担う新たな組織として
原子力規制委員会が2012年9月19日に発足した。)
さらに、原子力発電所の運転経験や技術的知見の進歩を踏まえて、原子力発電所の安全確保の状況を定期的に見直す
定期安全レビュー(PSR)でも検討項目の一部としてPSAの結果が確認されている。
また、PSAが開発された当初は、安全性の度合を評価するために、既に運転中・建設中の原子力発電所を対象として評価が実施されてきたが、近年は、次世代炉と呼ばれる、これから設計・建設される原子力発電所の安全設計の最適化にも用いられている。その1例を
図5と
図6に示す。
図5は、我が国で運転されているBWRのほとんどを占める従来型BWR(非常用炉心冷却系(ECCS)の構成の違い等によりBWR4とBWR5とがある)と最近運転を開始した東京電力(株)の柏崎刈羽原子力発電所6号,7号炉に採用された改良型BWR(ABWR)との内的事象による炉心損傷頻度を主要な事故シーケンス別に比較したものである。この図から分かるように、ABWRでは設計の改善により、従来型BWRに比べ、ほとんどの事故シーケンスによる炉心損傷頻度は低減され、その結果、全炉心損傷頻度は約1桁改善されている。また、
図6は、米国で設計されている新型のPWR(System80+)と従来型PWR(System80)の炉心損傷確率を比較したものである。この図から分かるように、System80+では全炉心損傷確率は約2桁低減しているだけでなく、特別大きい割合を占める起因事象がなくなっており、バランスのとれた設計となっていることが分かる。
<図/表>
<関連タイトル>
System 80+ (02-08-03-02)
原子力施設等安全研究年次計画(平成8年度〜平成12年度)原子力施設等の確率論的安全評価等に関する研究 (10-03-01-10)
軽水炉におけるシビアアクシデントマネージメントについて(1992年) (11-03-01-24)
<参考文献>
(1)米国原子力規制委員会:”Reactor Safety Study:An Assessment of Accident Risks in U.S. Commercial Nuclear Power Plants”,WASH−1400(1975)
(2)米国原子力規制委員会:”Individual Plant Examination Program :Perspectives on Reactor Safety and Plant Performance,Summary Report”,NUREG−1560,Vol,1(1997)
(3)阿部 清治,村松 健:「解説:原子力発電所における確率論的安全評価の最近のあゆみ」,日本原子力学会誌,32(3),(1990)
(4)阿部 清治:「展望:確率論的安全評価の概念と現状」,システム/制御/情報,36(3)(1992)
(5)平野 光将:「解説:確率論的安全評価の原子力プラントへの適用事例」,システム/制御/情報,36(3),(1992)
(6)阿部 清治:「軽水炉の確率論的安全評価に関する研究」,原子力安全シンポジウム(1993)
(7)可児 吉男:「高速増殖炉の確率論的安全評価(PSA)に関する研究」,原子力安全シンポジウム(1993)
(8)村松 健,本間 俊充:「確率論的安全評価の現状」,保健物理,28巻(1993)
(9)阿部 清治ほか:「解説:原子力発電所に対する地震PSA研究の動向」,日本原子力学会誌,36(4),(1994)
(10)日本原子力研究所:原研における原子力安全性研究−第20回安全性研究成果報告会記念−,平成4年10月
(11)T.Sato,et al.:”PSA in design of passive / active safety reactors”, Reliability, Engineering and System Safety,Vol.50,17−32,1995.
(12)近藤 駿介:原子力の安全性、同文書院,p.196,199(1990年)
(13)C.W.Bagnal,etal.:System 80+TM PWR Safety Design, Nuclear Safety,33(1),p.47−57(1992)
(14)日本原子力研究所:原子力安全性研究の現状(平成14年)、JAERI−Review 2002−030、(2002)
(15)原子力安全委員会安全目標専門部会:「安全目標に関する調査審議状況の中間とりまとめ」(2003)