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<概要>
 1993年4月6日12時58分(現地時間)に、ロシア連邦シベリアのトムスク−7(現在名セーベルスク;シベリア化学コンビナート)の軍事用再処理施設プラントで事故が発生した。この事故では燃料水溶液の酸濃度を調整する調整タンクに濃硝酸を注入した際、タンク内に混入していた多量の有機物と硝酸が反応して爆発し、再処理施設プラント近辺が放射能で汚染した。この事故は、原子力施設の事故・故障に対する国際尺度(INES)による評価レベル3の「重大な異常事象」に相当する。
<更新年月>
1998年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.トムスク−7(セーベルスク)の概要
1.1 所在地
 秘密都市の一つであったトムスク−7(現在名セーベルスク)は、ロシア連邦シベリアのオビ川の上流にあるトミ川の東岸に沿って発展したトムスク市(人口約50万人)の北北西約15kmに位置している。軍事プロジェクトを行っていた幾つかの都市の一つであり、核兵器プロジェクトの主要施設を置き、1953年に創設された人口約11万人の都市である。(図1図2参照)
1.2 施設名と所属
 トムスク−7は、秘密都市であった頃の呼び名で、1992年頃以降は原子力コンビナート(シベリア化学コンビナート)と呼ばれており、現在はセーベルスクと改称されている。ロシア原子力省(MINATOM)に所属している。
 1.3 施設概要(参考文献1、8)
 この原子力コンビナートには、転換プラント、濃縮プラント、プルトニウム生産炉、再処理施プラント及び廃棄物貯蔵施設がある。これらの概要は次の通りである。
(1) 転換プラント
 天然ウラン六フッ化ウランに転換する工場で、操業開始年や設備容量は知られていない。
(2) 濃縮プラント
 操業開始年や設備容量は知られていない。
(3) プルトニウム生産炉
 5基のプルトニウム生産炉が1950年代末頃から1960年代初頭にかけて運転を開始した。1号炉はプルトニウム生産専用であったが、2〜5号炉はプルトニウム生産を行なうとともに、発電と熱併給を行なっていた。原子炉は軽水冷却黒鉛減速型である。1〜3号炉は1990年に運転を停止した。4及び5号炉は、トムスク−7の市街地に電気(200MWe)と蒸気を供給しているため、1994年3月現在も運転している。
(4) 再処理施設プラント201建屋
 この再処理施設プラントは、上記のプルトニウム生産炉の使用済燃料中にできたプルトニウムを抽出するために建設された。原子力省のシベリア化学企業グループが運営する軍事用施設である。操業開始は原子炉が運転を開始した1950年代末頃であると思われる。当初は独特の酢酸塩化沈澱法であったが、1983年にピューレックス法に変更した。
(5) 放射性廃棄物貯蔵施設
 トムスク−7内にある各種原子力施設で発生した放射性廃棄物を貯蔵している。
2.トムスク−7再処理施設での事故(参考文献1、5、6、9)
(1) 発生日時および場所
 1993年4月6日12時58分(現地時間)、トムスク−7内にある軍事用再処理プラントの201建屋において、プルトニウムと核分裂生成物を分離した後のウラン溶液に残留したプルトニウムを回収する目的で、ラインにある溶媒抽出工程へ再度ウラン溶液を戻す最中、調整タンクで事故が発生した。この調整タンクは、ウラン溶液に硝酸を注入・撹拌して酸濃度を調整する大型容器である。容器の寸法は、容量34m3、直径3m、高さ6mであり、201建屋の地下10mに位置している容積約100m3の円筒状セル内に設置されている。セルの上部には厚さ1.2mのコンクリート製上蓋が備えられ、セルの内壁はステンレス鋼の内張になっている。(図3図4参照)。
(2) 事故の経緯
 事故を起こした調整タンクは、核分裂生成物(FP)とプルトニウムを分離した後、ウランを水相に戻して蒸発濃縮し、蒸発濃縮したウラン溶液中の分離不十分なプルトニウムを再度抽出・分離してプルトニウムを回収するための酸濃度の調整用のタンクである。事故時には、この調整タンクに蒸発濃縮したウラン溶液を冷却せずに高温のまま移送している。そのため、調整タンク上層のウラン溶液は60〜90℃になっていた可能性が高い。
 今回の事故は、ウラン溶液の酸濃度を調整するため、14規定(14モル/リットル)の濃硝酸1.5m3を撹拌せずに調整タンク内の上部からシャワー状に散布したことに始まる。タンク内には多量の有機物(150〜300リットル)が存在していたため、有機溶液と硝酸の異常な発熱反応が起こったと考えられる(文献3)。事故時には、タンク内で発熱反応に伴う有機溶媒の熱分解が急激に起こり、圧力上昇(破裂時の圧力:約18気圧)と温度上昇によりタンク本体の側壁が破裂した。この時、地下に設置された円筒状セルの上蓋(約40トン)が201建家に吹き飛ばされ、その数秒後に爆発が起こって建家の側壁が破壊した。また、給電線が短絡して建家の屋根が燃えたが、10分以内に消火された。
(3)事故の原因
 事故の原因は、(a)調整タンク内に多量の有機溶媒が存在したこと、(b)ウラン溶液を高温のまま調整タンクに移送したこと、(c)14規定の濃硝酸を撹拌せずに調整タンクに注入したことにより、有機溶媒中に含まれた微量の反応性物質と硝酸の発熱反応が発端であると考えられる。また、(d)調整タンクが大きかったために外壁への放熱効果が小さかったこと、(e)槽類換気系が調整タンクに設置されていなかったことから、タンク内の圧力上昇を回避する機能が劣っていたことも原因の一つである。トムスク−7の調整タンクには、約6ヵ月間にわたり多量の有機溶媒が残留していた。そのため、核燃料の抽出剤であるTBP(燐酸トリブチル)が劣化して熱的に不安定な硝酸ブチル等が蓄積していた可能性が高い。また、ロシア側で調整タンク内の有機溶媒を分析した結果、溶媒中には約2wt.%の芳香族化合物が含まれていた(文献4)。
 トムスク事故の原因解明の一環として、わが国において硝酸ブチルや芳香族化合物が硝酸と反応した場合の反応熱や反応速度を測定した(文献5)。その結果、硝酸ブチルや芳香族化合物は硝酸と反応しやすく、100℃以下の低温でも熱分解することが分かった。したがって、どちらの化合物が調整タンク内に蓄積しても急激な熱分解反応を誘因する原因になることが判明した。
(4) 放射能放出
 初期の爆発とともに201建屋の側壁から放射能が漏れ、建屋周辺を汚染した。次いで吹抜け部分に出た放射能は、換気系を経て高さ150mの排気塔から外部に放出された。このことに気がついて排気塔の排出速度を調節したので、放出量は低下した。放出された放射能は約40キュリー(1.5E12Bq)と推定され、これは調整タンク内に存在していた溶液量の約5〜8%に当たる放射能である。
 当日は雪が降っており、風速も弱かったので汚染は大して拡がらなかった。放射能汚染は敷地境界に沿って幅8km、煙軸方向に20kmに達した。最大の線量地点は敷地境界より1kmの地点で4〜5μSv/時であった。なお、この事故での死傷者はなかった。地上及び空中の放射能汚染分布図を図2に示した。
(5) 事故レベル
 この事故はINES(International Nuclear Event Scale、国際原子力発電所事故・故障国際評価尺度)評価レベル3の「重大な異常事象」に相当する。
3.ロシア連邦政府における事故後の対応(参考文献6)
 1993年4月7日9時00分に、行政府・ロシア連邦原子力省大臣ミハイロフ氏、ロシア連邦・非常事態国家委員会(GKCHS)、ロシア連邦最高会議・環境並びに天然資源の合理的利用委員会は、1993年4月6日8時58分(モスクワ時間、トムスクの現地時間で12時58分)にトムスク−7原子力コンビナートで爆発事故のあったことを発表した。
 同年4月7日9時30分に、ロシア原子力省において、大臣指令により関係部門よりなる特別委員会が、トムスク−7原子力コンビナートの放射性化学工場での爆発事故原因の全面的な究明と事故被害の救済の方法の指示のために設けられ、委員会メンバーは事故現場に航空便で出発し、任務についた。
 同年4月7日12時00分に、本省内にトムスク−7原子力コンビナートと効率的な連絡をとるため、また関係官庁、行政関係機関及び国際機関からの問合わせのため、非常事態中央委員会を組織した。
 同年4月8日9時00分に、特別委員会からミハイロフ大臣に事故状況を報告した。
 同年4月8日17時00分に、汚染地域の面積、汚染状況を報告した。トムスク−7原子力コンビナート内で、ロシア連邦非常事態国家委員会が別に活動を開始した。
 同年4月9日11時00分に、特別委員会よりミハイロフ大臣へ、専門家による事故原因を報告した。
 同年4月10日8時00分に、ロシア連邦非常国家委員会のミッションからミハイロフ大臣に、放射能の航空測量結果、汚染除去作業について報告があった。
 同年4月10日19時00分に、特別委員会よりミハイロフ大臣に、調整タンクの爆発に至るまでの作業工程を繰り返して、爆発前の状況の検討を行い、「調整タンクの爆発の原因は、硝酸との接触による有機物の分解によることが確認された。事故前の数分間、調整タンク内での圧力上昇が認められた。圧力上昇を防ぐためにスタッフによってとられた対策は効果がなかった。また、キャニオン(調整タンクを設置してある部分の上部、図4参照)からの液体の吸い出し作業が行なわれ、この日までに約5m3の溶液が除去された」と報告された。
 同年4月14日9時00分に、ミハイロフ大臣は、汚染地域は長さ15km、幅3kmで放出放射能(ベータ、ガンマ合計)は約40キュリー(1.5E12Bq)、トムスク−7原子力コンビナート敷地外の住民が50年間に受ける総被ばく線量は、9.4ミリレムを超えることはないと発表した。
 なお、我が国では、東海再処理施設及び六ヶ所再処理施設があることから、トムスク−7事故の調査・検討を行い、事故過程等を推定して報告書をまとめた(表1−1表1−2図5;参考文献1)。
<図/表>
表1−1 トムスク再処理施設と我が国の再処理施設の設計・運転管理上の相違点(1/2)
表1−1  トムスク再処理施設と我が国の再処理施設の設計・運転管理上の相違点(1/2)
表1−2 トムスク再処理施設と我が国の再処理施設の設計・運転管理上の相違点(2/2)
表1−2  トムスク再処理施設と我が国の再処理施設の設計・運転管理上の相違点(2/2)
図1 トムスクの位置を示すロシア連邦地図
図1  トムスクの位置を示すロシア連邦地図
図2 トムスク−7周辺地図(放射能汚染分布も記載)
図2  トムスク−7周辺地図(放射能汚染分布も記載)
図3 爆発事故を起こした再処理施設201建屋の調整タンク
図3  爆発事故を起こした再処理施設201建屋の調整タンク
図4 調整タンクの設計諸元および爆発事故時におけるタンク内溶液の組成
図4  調整タンクの設計諸元および爆発事故時におけるタンク内溶液の組成
図5 推定による爆発事故に至る過程
図5  推定による爆発事故に至る過程

<関連タイトル>
世界の再処理施設における火災・爆発事故 (04-10-03-03)

<参考文献>
(1) 科学技術庁原子力安全局(編):ロシアのトムスク再処理施設の事故に関する調査報告書、原子力安全委員会月報、通巻第192号,17(9) (1994)
(2) 原子力安全委員会:平成6年版原子力安全白書、大蔵省印刷局(1995年2月)
(3) USDOE: ”Joint United States/Russian Federation Meeting on Radiochemical Processing Safety”,(1993.9.24−25).
(4) E.Nazin,S.W.Eisenhawer,S.F.Agnew,V.Korotkevitch: ”Analysis of Thermal Explosion at Tomsk-7”, LA-UR-94-4270 (1994).
(5) 西尾、渡邊、小池、宮田:トムスク−7再処理施設で発生した反応性物質を含む溶媒と硝酸の熱分解反応に関する反応速度と反応熱、JAERI-Tech 96-056,(1996).
(6) Atom Press(ロシア原子力省(MINATOM)週刊機関誌)、トムスク−7;事実と解説、第14号4月第2週号
(7) 木下 道雄、大田 憲司:旧ソ連の原子力開発初期の歴史と原子燃料サイクル施設−原子力開発初期の歴史(2),原子力工業,1992年4月号
(8)(株)日本原子力情報センター:ロシア原子力施設調査団報告書(1992年10月4日〜10月15日)
(9) ENS NucNet: ”Human Error to blame for Tomsk Explosion”,(1993年4月19日)
(10) V.Tcherkezian et al.:Forms of Contamination of the Environment by Radionucleides after the Tomsk Accident(Russia,1993),J.Environ.Radioact.27(2),133-139(1995)
(11) Galich V.F: Accident at Siberian chemical complex in Tomsk-7 on April 6,1993,Press review,Public Information Centre on Atomic Energy(ロシア語),p20-28(1993.8)
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