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<概要>
 環境放射能安全研究年次計画(以下「本年次計画」という)では、低線量放射線の生体に及ぼす影響に関するより新しい、より精密な研究を目指し、(1)放射線影響の基礎研究、(2)遺伝子改変動物の作製とそれを用いた生物影響に関する研究、(3)低線量・低線量率放射線の影響研究、(4)発生・分化、加齢に及ぼす影響に関する研究、(5)人類集団の健康影響についての調査・研究を実施する。なお、従来の疫学的研究に属するもののうち「人類集団の健康影響」は本安全研究のうちで独立させ、それ以外の疫学研究は別項目の安全評価研究の範囲へ移し、また、緊急時被ばく医療関係の研究は、別途「緊急時被ばく医療対策研究」として、本安全研究から分離・独立させている。
<更新年月>
1997年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
 放射線が人体に及ぼす影響を解明するためには、放射線そのものが生命にどの様に作用するかの機構を明らかにする必要があり、近年のめざましい遺伝子導入、がん関連遺伝子の解析、細胞内シグナル伝達、染色体不安定性等の分子生物学的手法・知識を取り入れ、基礎的研究を実施することとしている。さらに、細胞から個体まで、遺伝子改変動物等を用いた種々の実験系を用いて、低線量放射線の影響の線量効果関係、修飾因子等の実験的研究を行い、これらの実験結果の実証として、原爆被爆者集団についての健康影響の実態把握に関する調査研究等に努める。
 本年次計画の策定に当たって、低線量放射線の人体影響に関する研究の必要性が、原子力の開発の進展とともに益々増加し、低線量放射線の人体影響は今までの研究にもかかわらず、未だ十分に解明されたとは言えないばかりか、公衆が微量の放射線に被ばくする潜在的な機会が、核燃料サイクルの広範な進展と共に、今後も増大することが予想されることを考慮するとともに、がん関連遺伝子研究に関する進展を踏まえ、従来とは異なる適応応答、刺激効果等の低線量放射線の線量効果関係に関する新たな概念の提案等に配慮して、低線量放射線の生体に及ぼす影響に関する、より新しいより精密な研究を目指すことにしている。
 また、従来の疫学的な研究に属するものを二分して、広島・長崎の被爆者の健康調査に属するものは、疫学研究の本質とリスク評価研究との関連性を重要視し、「人類集団の健康影響」として独立させ、それ以外の疫学研究は、別項目の安全評価研究の範囲へ移している。緊急時被ばく医療関係の研究については、チェルノブイル原子力発電所事故以降の研究を踏まえ、「緊急時被ばく医療対策研究」として生物影響研究より独立させた。
 本安全研究計画は、放射線医学総合研究所、日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)、(財)環境科学技術研究所、(財)電力中央研究所、(財)放射線影響研究所、大学等が分担・実施する。以下にそれらの概要を述べる( 表1-1 および 表1-2 参照)。
1.放射線影響の基礎研究
 本研究は、近年の基礎生物学、特に、遺伝子操作の手法を中心とするがん関連遺伝子をめぐる各種の新しい手法等の成果を土台として、放射線の生体への作用機構の解明を分子レベル、細胞レベルを中心に検討するものである。標的臓器における放射線感受性の決定要因と感受性に関連の深い修復系及び線質効果等を明らかにし、最近新たな展開を見せているストレス応答、放射線誘発のアポトーシス、適応応答、刺激効果等、従来の線量効果関係に対して新規に提案された概念についての実験的検証を行う。また、放射線発がんの機構解明を目指して、放射線誘発突然変異の発現機構について、ゲノム・染色体の安定性維持機構を分子レベルで解明するとともに、放射線発がんの低減化を目指した発がん機構に関与する特異遺伝子に着目した動物実験や、各種の指標を用いた原爆被爆者に関する遺伝生化学的見地からの検討を行う。
 具体的には、(1)「放射線感受性決定要因と修復系に関する研究」、(2)「各種 LET 放射線の生体物質に及ぼす作用の研究」、(3)「細胞のストレス応答の分子生物学的研究」、(4)「放射線誘発アポトーシスの分子機構」、(5)「適応応答、刺激効果に関する研究」、(6)「放射線誘発突然変異に関する研究」、(7)「ゲノム・染色体安定性維持機構に関する研究」、(8)「放射線発がんの細胞、分子機構の研究」、(9)「実験動物を用いた放射線発がん機構の解析研究」、(10)「原爆被爆者における生理学的、免疫学的、遺伝学的調査研究」を実施する。
2.遺伝子改変動物の作製とそれを用いた生物影響に関する研究
 本研究は近年特に発達し、実用の域にまで達した各種の遺伝子改変動物を用いて放射線影響の発現機構を解明するものである。放射線惑受性に関与する遺伝子を破壊した幾つかの高感受性マウスの系統を作出し、系統間の放射線感受性の比較を各種の指標により調べ、また放射性核種の内部被ばくについては臓器特異性を中心に検討する。さらに、ヒトの組織を移植したスキッドマウス(scid mouse)などの実験動物を用いて、人体組織における放射線によるがんの誘発等に関する研究を行う。
 具体的には、(1)「放射線高感受性動物の作製研究」、(2)「遺伝子変異/改変動物を用いた放射線発がん研究」、(3)「ヒト移植組織を用いた放射線発がんの実験的研究」、(4)「低線量・低線量率放射線の影響研究」を実施する。
3.低線量・低線量率放射線の影響研究
 低線量・低線量率の放射線の影響研究は、現実の被ばくの実態に基づく被ばくのリスクを評価する基礎として重要な意味を持っている。これらの研究は主として個体レベルでの影響を検討するもので、各種の動物実験系や人体被ばく例を対象として行われる。
 人体での低線量の影響を評価するための主要な指標である染色体異常を用いた線量評価を低線量慢性被ばくへ応用できるようにするために、各種染色体異常の検出等の自動化、染色体着色法、異種間体外受精法等の開発を行う。
 低線量放射線被ばくの遺伝的影響として遺伝性の奇形とがんの誘発率に対する線質、線量、線量率の効果を明らかにする。
 低線量被ばくの発がんに対する影響を調べるため、照射動物の終生飼育を行い、被ばく時年齢の影響や、発現の時間的分布を分割照射の効果も合めて検討する。また、低線量影響評価の上で現在問題点の一つになっている線量率効果について広い範囲で線量率を変えて照射することにより、腫瘍間の線量・線量率効果の差異を検討する。また、発がんに及ぼす線質効果を確かめるために、速中性子線、ガンマ線などをマウスの終生飼育により検討する。
 具体的には、(1)「低線量放射線の被ばく線量評価研究」、(2)「低線量放射線の線質効果に関する研究」、(3)「各種環境因子による放射線作用の修飾の研究」、(4)「長期連続被ばくの年齢依存性に関する研究」、(5)「放射線作用の発現に係わる遺伝的背景の研究」、(6)「低線量被ばくの遺伝的影響に関する研究」、(7)「低線量放射線被ばくによる発がん研究」、(8)「低線量率放射線被ばくによる発がん研究」、(9)「放射線発がんの線質効果に関する研究」を実施する。
4.発生・分化・加齢に及ぼす影響に関する研究
 広島・長崎で観察された低線量による重度精神遅滞の発現機構の解明を目指して、中枢神経系に対する放射線の影響を明らかにする。特に、神経細胞が大脳皮質を形成するために移動している時期に照射して、組織発生に及ぼす影響を免疫組織化学染色法により検討する。
 各種の細胞分化の実験系として、雄性生殖細胞やメラノサイトの増殖・分化、さらに消化管上皮細胞再生系を選び、免疫組織化学的手法を用いて増殖・分化への影響を調べる。また、放射線が誘発する非特異的寿命短縮(加齢促進)の存在を証明し、その誘発機構を細胞及び分子レベルから明らかにする。
 具体的には、(1)「脳・中枢神経系の発生・分化に及ぼす影響の研究」、(2)「各種の細胞分化系に及ぼす影響研究」、(3)「初期発生過程における放射線の影響研究」、(4)「放射線による加齢促進に関する研究」を実施する。
5.人類集団の健康影響
 広島・長崎の原爆被爆者集団は、人類集団の放射線影響の確実な証拠として世界的に広く認知されている。原爆被爆者集団に対する健康調査や各種臨床検査等の臨床研究寿命調査や胎内被爆者調査などの疫学的研究は、日米共同運営の放射線影響研究所によって行われてきた。その結果は、日米合同で行った原爆による被ばく線量の正確な再評価と相まって放射線の健康影響に関する新たな知見の源泉として、また、放射線障害防止のためのICRP等の検討を支える基礎研究として貢献してきた。被爆後、50年が経過した現在、寿命調査対象の約半数が生存していることから、放射線の影響を生涯にわたって今後も継続して追跡調査を実施する必要がある。また、今までに明らかにされている影響に加えて、晩発影響や遺伝的影響に関して、最近の新しい生化学的な手法等を用いた検討が期待されている。
 原爆被爆者集団での悪性腫瘍、非悪性腫瘍の誘発に関して、従来取り上げられてこなかった発現時期の遅い現象についても調査研究する。さらに、低線量放射線の影響におけるしきい値の有無とその大きさ、重度精神遅滞の原因としての神経・精神的影響について、被爆者集団の調査研究を実施する。原爆被爆者の影響研究は、今後も我が国が責任を持って推進することが必要である。
 具体的には、(1)「悪性腫瘍誘発に関する調査研究」、(2)「良性腫瘍と非腫瘍性疾患に関する調査研究」、(3)「神経・精神的影響に関する調査研究」を実施する。
<図/表>
表1-1 環境放射能安全研究年次計画(平成8年度〜平成12年度)2.生物影響研究
表1-1  環境放射能安全研究年次計画(平成8年度〜平成12年度)2.生物影響研究
表1-2 環境放射能安全研究年次計画(平成8年度〜平成12年度)2.生物影響研究
表1-2  環境放射能安全研究年次計画(平成8年度〜平成12年度)2.生物影響研究

<関連タイトル>
環境放射能安全研究年次計画(平成3年度〜平成7年度) (10-03-01-04)
環境放射能安全研究年次計画(平成8年度〜平成12年度)特定核種の内部被ばく研究 (10-03-01-13)
環境放射能安全研究年次計画(平成8年度〜平成12年度)緊急時被ばく医療対策の研究 (10-03-01-14)
環境放射能安全研究年次計画(平成8年度〜平成12年度)安全評価研究 (10-03-01-15)
環境放射能安全研究年次計画(平成8年度〜平成12年度)環境・線量研究及び被ばく低減化研究 (10-03-01-16)
環境放射能安全研究年次計画(平成13年度〜平成17年度) (10-03-01-19)

<参考文献>
(1) 科学技術庁原子力安全局(編):原子力安全委員会月報 通巻第207号、p.34-40、大蔵省印刷局(1995)
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