<本文>
1.放射能泉に含まれるラドン濃度
放射能泉には、ラジウムと平衡量のラドンを含むラジウム塩鉱泉、ラジウムと平衡量以上のラドンを含むラジウム含有ラドン鉱泉、そしてラドンのみを含むラドン鉱泉とがある。放射能泉としては、ラジウム含有ラドン鉱泉やラドン鉱泉が多く、いわゆるラジウム鉱泉と呼ばれているもののなかには、恵那ラジウム鉱泉(岐阜県)のように、ラドンのみが含まれて、ラジウムがほとんど含有されていない例もある。
放射能泉の源はウラン238壊変系列及びトリウム232壊変系列によって生まれた壊変生成物である。
図1にウラン(
238U)壊変系列を、
図2にトリウム(
232Th)壊変系列を示す。したがって、放射能泉にはラジウム226(
226Ra)、ラドン222(
222Rn)、トロン(
220Rn)などが含まれている。ラジウム鉱泉、ラドン鉱泉、トロン鉱泉とよく言われるゆえんである。ウラン238からの壊変で生まれたラジウム226は固体で化学的にMgやCaと似た性質を持ち、放射線(主にα線、
半減期1600年)を出す。ラジウム226が壊変すると不活性気体のラドン222(α線、半減期3.8日)となる。トリウム232壊変系列ではラジウム224(α線、半減期3.6日)が壊変して不活性気体のトロン(
220Rn、α線、半減期55.6秒)となる。
ウラン系列ではウランやラジウムは水溶性なので泉水に溶解し濃縮してラジウム鉱泉やラドン鉱泉となるが、別の場所のラジウムから生じたラドンも泉水中に溶けて運ばれてくるので、ラドン鉱泉の方が多い。
トリウム系列ではトロンより前に水溶性元素ができて岩石に留まったまま壊変が進むので、トロン鉱泉は少ない。
全国の鉱泉中のラドン含有量は、1913年(大正2年)より当時の内務省衛生試験所によって「
泉効計」という機器を用いて、精力的に調査された。泉効計で測定した結果は、マッヘ(mache)という単位で表される。当時の調査の結果、増富鉱泉(山梨県)の11732マッヘ(=160728Bq/リットル)を最高に、池田鉱泉(島根県)の4251マッヘ(=58238Bq/リットル)、恵那ラジウム鉱泉(岐阜県)の411マッヘ(=5628Bq/リットル)、柿ノ木鉱泉の 239マッヘ(=3275Bq/リットル)、銚子ガ淵鉱泉(岐阜県)の235マッヘ(=3216Bq/リットル)、三朝温泉(鳥取県)の176マッヘ(=2412Bq/リットル)が得られている。これらの放射能泉のうち、温泉(泉温25度以上)に該当するのは三朝温泉だけであり、他は冷鉱泉である。したがって、いわゆる「含放射能−ラドン泉」としてラドン含有量が最も高いのは、三朝温泉ということになる。三朝温泉における近年の調査では、泉水中のラドン濃度として683.3マッヘ(=9361Bq/リットル)が得られている。
国外では、イタリアのLacco Ameno温泉の 37222Bq/リットル、ギリシャのTherma温泉の10138Bq/リットル、ドイツのBrambach温泉の30262Bq/リットル、オーストリアのラドン吸入治療・保養地として有名なBadgasteinの4400Bq/リットル等がある。これらの主要なラドン鉱泉を
図3に示す。
2.温泉法による放射能泉の規定
温泉を定義する法律としては、1948年(昭和23年)の温泉法がある。温泉法によれば、水1kg中に111Bq以上のラドンを含有するものを放射能泉と規定している。また日本薬学会規定によれば、鉱泉のなかで医療効果のあるものは「療養泉」と呼ばれており、そのラドン濃度基準は、8.25マッヘ(=113.0Bq/リットル)以上である。この療養泉の定義に関しては、医学的効果に関する科学的な根拠が必ずしも明確でないのが実態である。一方、放射線防護の観点から、世界保健機関(WHO)が飲料水中のラドン濃度限度として定めている値は18.9マッヘ(=258.9Bq/リットル)以下である。温泉法のラドン濃度基準は、いずれにしてもラドンの吸入または飲用による何らかの健康影響(治療効果あるいは肺がん誘発等放射線影響)が期待される濃度をはるかに下回っており、「治療泉」の基準濃度程度では「害にも薬にもならない」ことになる。実際に、ラドン鉱泉における療養治療が医療として行われているオーストリア、ドイツでは、WHOの基準をはるかに超える濃度のラドンを含んだ鉱泉水が患者の飲用に供されているのが実態である。
3.放射能泉の効能
(1)放射能泉における療養治療の効能
放射能泉浴には、その適応症として慢性関節リューマチ、筋肉リューマチ、神経痛、慢性胃腸カタル、慢性皮膚病等が挙げられている。ラドンは、入浴時に皮膚を通じて一部が体内に侵入するものの、大部分は吸入により肺を経由して体内に取り込まれる。温泉療法としては入浴に加えて、鉱泉の飲用療法や、高濃度ラドンの吸入療法が併用される場合が多い。飲用療法では、鉱泉水中のラドン濃度が200〜800マッヘ(=2740〜10960Bq/リットル)程度必要であり、吸入療法では空気中ラドン濃度が5〜8マッヘ(=68500〜109600Bq/立方メートル)程度必要であるとされている。
高濃度ラドン吸入療法は、オーストリア及びドイツでは医療行為として認められており、医者による総合的な治療計画に沿って、吸入量や期間等が決められている。特にオーストリアのBadgasteinでは、元は金鉱であった坑道内の高ラドン濃度(50000Bq/立方メートル程度)を利用してラドン吸入療法が実施されており、世界的に有名である。ラドン吸入療法の適応症として挙げられているのは、激しい痛みを伴う慢性リューマチ疾患、慢性筋肉・腱・変形性関節症、神経痛、慢性神経炎、慢性強直性脊椎症、脊椎症、脊椎関節症、運動器のスポーツ障害、末梢循環障害、難治性創傷、歯周炎、内分泌腺障害(更年期障害、性器発育不全、脂肪沈着性発育不全、性的不能、不妊症等であり、きわめて多岐に及んでいる。
これらの疾患に効果があると考えられる理由として、いくつかの説明がなされている。まず、呼吸(一部は皮膚)から体内に入り血液に到達し、全身に運ばれたラドンが、
体液には溶けにくいものの脂肪にはよく溶けるため、脂肪組織あるいは血行のよい類脂質に富む器官に到達し、内分泌腺、神経繊維等に選択的に吸収されて、α線による
電離作用により患部が刺激されると考えられるためである。
もう一つの理由としては温泉浴や坑道内の温熱作用との複合作用が指摘されている。これは、温熱による体内の新陳代謝による熱産生が末梢血管を拡張するため、皮膚・関節・腱・筋肉等の血行が促進され、ラドンのみならず酸素、栄養素等の患部への到達量が増えると考えられるためである。また特にBadgastein地方では、高高度(海抜1500メートル程度)の地域であるため、気圧の低下により解糖系が変化しており、血液中のジホスグリセリン酸が赤血球内に増え、赤血球の酸素親和性が減少して体組織が酸素を取り入れやすくなるという説明もなされている。いずれにしてもラドン吸入療法は、経験的・伝統的な民間療法であり、なぜ効能があるかについては充分な科学的根拠に乏しいのが実情である。温泉での長期滞在による精神的な安定や規則正しい生活が、痛み等の緩解に寄与している可能性も見逃せない。
(2)玉川温泉における療養治療の効能
玉川温泉の源泉はpH1.2の強塩酸性緑ばん泉である。また重晶石の一種の
北投石が存在し天然記念物の指定を受けている。北投石は、ラドンやラジウム、鉛、カルシウムなどを含む重晶石(硫酸バリウム)のバリウムの一部が、鉛に置換された化学組成(Ba、Pb)SO4(Ba:Pb= 4:1)をもち、強い放射能をもっている。放射能泉の源はウラン238壊変系列及びトリウム232壊変系列による生成物であるので、ラジウム226(主にα線、半減期1600年)、ラドン222(α線、半減期3.8日)が含まれているが、第1章で述べたようにラドン222が多くなって、ラドン鉱泉と呼ばれている。壊変の際放出されるα線は強力な放射線なので治療効果が期待されている。ラドン222は半減期も短いので体内に残ったとしても1ヶ月も経たないうちに消滅する。玉川温泉は、がん、糖尿病、リューマチ、不眠症、皮膚病などによく効くといわれ、書物にも紹介されて全国から温泉浴に来るが、これらの効果は放射線ホルミシス効果(低線量による細胞レベルの回復効果)によるものといわれる。学問的な立証はまだなされていない。
4.放射能泉の地域住民への健康影響
放射能泉付近の地域住民は、比較的高濃度のラドンを継続的に吸入被ばくすることになるため、一時的に療養に訪れる患者とは区別して考慮する必要がある。この地域住民には、療養治療等に携わる医療関係者も含まれる。高濃度のラドン吸入被ばくによる地域住民の身体的変化としては、染色体異常の発生頻度の増加が懸念されるが、岡山大学医学部附属病院三朝分院による三朝温泉地域住民及び周辺地域住民の染色体異常発生頻度調査結果(
表1参照)では、
二動原体染色体の発生頻度に増加が見られるものの、放射線被ばく特有の染色体異常である
環状染色体の発生頻度は逆に周辺地域住民よりも減少しているという結果が得られた。ウラン鉱山労働者の疫学調査等によって高濃度ラドンの吸入による肺がん発生率の増加が観察されているので、肺がんを含めてのがん死亡率についても、周辺地域住民と三朝温泉地域住民との間で比較が行われた。その結果、三朝温泉地域住民のがん死亡率は、周辺地域住民のがん死亡率よりも少ないという結果が得られた(
表2−1及び
表2−2参照)。これをもってラドン吸入が肺がん等がん死亡率を抑制する効果がある(ホルメシス効果)と結論づけることはいささか早急であり、喫煙習慣等の因子を考慮した詳細な疫学的検討が必要とされる。しかし、三朝温泉地域住民に関する限り、ラドン吸入による肺がん等がん死亡率の増加が認められないということは事実であり、ごく通常の放射能泉療養については健康障害を心配する必要はないと思われる。いずれにせよ、ラドン吸入による健康影響の関係は、今後、慎重に検討が行われるべき事柄である。
[用語解説]
[マッヘ単位(mache unit)]
空気や温泉水などに含まれる
222Rn(ラドン)や
220Rn(トロン)の放射能濃度単位。1リットルの空気や温泉水に毎秒10
−3静電単位(esu)(ただし3×10
9esu=1クーロン(C))のラドンなどからの放射線エネルギー吸収があったとき1マッヘという。1マッヘは13.3Bq/リットルのラドンあるいは11.7Bq/リットルのトロンに相当する。国際ラジウム標準委員会によって1930年に定義されたが、今日では公式には使われていない。温泉中の放射能濃度を表わす単位として通俗的に用いられている。
<図/表>
<関連タイトル>
ラドン(自然環境中の放射線源) (08-01-03-12)
放射線ホルミシス (09-02-01-03)
放射線の身体的影響 (09-02-03-03)
がん(癌) (09-02-05-03)
中国の高自然放射線地域における住民の健康調査 (09-02-07-01)
インドの高自然放射線地域における住民の健康調査 (09-02-07-02)
ブラジルの高自然放射線地域における住民の健康調査 (09-02-07-03)
米国自然放射線の疫学調査(フリゲリオら) (09-02-07-06)
<参考文献>
(1)M.Mifune et al. Cancer Mortality survey in a spa area(Misasa,Japan)with a high radon background,Jpn.J.Cancer Res.83,1-5,January 1992.
(2)ICRP publication 50. Lung cancer risk from indoor exposures to radon daughters. 1987.
(3)小林定喜、完倉孝子(編):放医研環境セミナーシリーズNo.15 生活環境におけるラドン濃度とそのリスク(1989)
(4)Peter Deetjen. Scientific principles of the health treatments in Badgastein and Badhofgastein. Research Institute Gastein-Tauernregion, Austria(1988)
(5)I.G. Dragnicほか・松浦辰男ほか(訳):放射線と放射能、学会出版センター(1996.1)
(6)安 成弘(監):原子力辞典、日刊工業(1995年11月)
(7)館野之男:放射線防護100年
(8)館野之男:放射線と健康、岩波新書745、岩波書店(2001年8月)
(9)やませみ(温泉探査コンサルタント):温泉の科学
(10)田中孝一:私たちは玉川温泉で難病を治した−最後の望みをかけた感動の証言集、二見書房(1998年11月)