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<概要>
 妊娠している母親が被ばくした場合には、その胎児に障害が現れることがある。これが一般に胎児被ばくによる影響と言われるものである。低線量放射線の身体的障害では、胎児の発生に対する影響が重要である。胚や胎児が数100mGy(数10ラド)を被ばくすると、胚死、奇形等を生じるが、それらの影響は胎児の発生時期に大きく依存している。ヒトで明確なデータが得られているのは、原爆被ばく生存者に見られる重度精神遅滞(知恵遅れ)であり、とくに妊娠8〜15週令が最も感受性の高い時期であり、16〜25週令がそれに次ぐことが知られている。胎内被ばくによる出生後の発がんリスクについては、可能性が示唆されているが、明確な結論を得るには至っていない。
<更新年月>
2001年03月   

<本文>
1.ヒトの胎児の発生
 ヒトや哺乳類の受精は雌の卵管内で行われ、受精卵はその後子宮内に運ばれて子宮内膜に着床し、妊娠が成立する。この頃には受精卵はすでに何回か分裂して約150ケぐらいの細胞から成る。着床胚は細胞分裂を繰り返し、形態形成を行い、一定期間を子宮内で過ごし、母体外の生活が可能な発育状態になった時に出産される。胎児が母体内にある期間は、ヒトではおよそ38週(受精から出産まで)である。受精卵が子宮壁に着床する前までを着床前期、胚の外形から受精後第8週までを胚子期(器官形成期)、ヒトの原形の出来た第9週目以降を胎児期といっている( 図1 参照)。
 妊娠している母親が被ばくした場合には、その胎児にも障害があらわれる。これが一般に胎児被ばくによる影響といわれるものであるが、上述のように胚や胎児は盛んに細胞分裂および形態形成を行っているため、放射線のみならず、種々の化学的・物理的要因に対しても特に感受性が高い。そして、それらの要因が発生のどの時期に作用するか否かで発生異常、奇形等の起こり方が大きく異なる。注意しなければならないのはこのような放射線以外の要因が原因で、自然にかなりの頻度で発生異常・奇形等が起きていることである( 表1 参照)。
2.発生異常
(1) 胚死亡
 着床前期(受精〜9日)に被ばくした場合には、1)胚が死亡して、本人が自覚することなしに流産する。2)発育遅延や奇形を生じることなく正常な新生児が生れる。胚の死亡増加が認められるのはネズミで妊娠1日目にX線 0.1−0.15Gyという報告があるが、ヒトで証明することは困難である。ヒトでは、受胎数日間の時に妊娠したかどうかを調べる最も敏感なテストを用いてもまだ妊娠の診断は確実ではないからである。診断用X線の場合は、ほとんどが0.1Gy以下であることから、着床期間にこのような検査を受けたにしても胚死亡率の増加は予測できないだろう。
(2) 奇形
 着床後の早期、とくに各種器官形成が起きている時期に被ばくすると、線量にもよるが、新生児奇形の生まれてくる可能性がある。しかし、注目すべきはヒトで放射線による明確な奇形の発生は、原爆被ばくによる小頭症を除いては、知られていない。ヒトで重要なのは神経系に対する影響である。参考のため、ヒトの疫学的研究ならびにラット・マウスの実験動物で採られたデータから推定したヒトの放射線障害推定線量を 表2 に示す。
 発育遅延に関しては、放射線が妊娠の大部分の期間にわたって影響を及ぼすであろうことは当然考えられるところである。但し、発生初期ではその期間が短いこともあり、妊娠中期(60〜140日)で同じ線量を被ばくした時ほどの成長の遅れはみられない。
(3) 神経系の異常
 実験動物のデータから、着床前の胚の放射線被ばくにより妊娠期の奇形の発生率が高くなるようなことはないが、早期死亡胚の形態観察から中枢神経系の異常がわかっている。ヒトの知恵遅れに関しては、早期形態形成期間ではリスクは低いが、0.5〜1.5Gyを妊娠18〜30日に被ばくすると奇形を生ずることが原爆データで示されている。しかし、このような奇形は0.2Gy以下では起こらないようである。
 重度精神遅滞に関しては、原爆を胎内で被ばくした生存者のグループについて調査した放射線影響研究所のデータについての詳細な報告(UNSCEAR 1988)がある。精神遅滞と小頭症の発生率は、胎内での被ばく線量と共に増加する。1,598名のコホート(調査対象集団または追跡集団)で、17歳までに重度の精神遅滞(知恵遅れ)と診断された人は30名である。これらの人々について、被ばく線量と発生頻度および被ばく時期について検討し、どのような線量−反応関係があるかを調べたのが 図2 である。妊娠8〜15週令に被ばくした場合に最もリスクが高い。8〜15週の胎児の重度精神遅滞が発生する頻度は線量の増加に対し直線的で、しきい値のない直線モデルで記述される。原爆被ばく線量再評価によるDS86で単純な直線モデルを用いると、1Gyあたりのリスクは約43%、直線−二次モデルを用いた場合には48%となる。
 図2では重度精神遅滞でもしきい値があるともとれるが、線量の増加と共に知能低下が続くことから、これを算定することは難しい。95%信頼幅をとると、約0.1〜0.2Gyにしきい値の下限があるようである。妊娠16〜25週で被ばくした場合には直線−二次あるいは二次回帰を満足させるように思われ、しきい線量は約0.2Gyに下限があるようである。
3.発がん
 出生前に何らかの理由で放射線被ばくをうけた子供のがんについて、これまでにいくつかの疫学的研究がなされている。古くはStewartらによる小児がんのOxford Surveyがあり、子宮内で診断用X線被ばくをうけた子供(15歳以下)のがんのリスクが高まることを示唆している。その後に行われたNew England Surveyにおいても同様な結果が得られており、相対リスクは白血病1.52、その他のがん1.27であった。しかし、胎児の被ばく線量は、5〜50mGyと低く、生物学的にはこの程度の線量による有意性を示すことは難しく、実際有意差がないというデータもいくつかある。胎内被ばくをうけた原爆被ばく生存者の40年以上の追跡データでは、がんによる死亡率は増加しているようだが、成人のがんのリスクが出生前被ばくによって増加するという結論には現時点ではまだ至っていない。
<図/表>
表1 出生1,000当りの主な先天奇形の頻度
表1  出生1,000当りの主な先天奇形の頻度
表2 ヒトの疫学的研究およびネズミの実験的研究に基づいて得られたヒトの放射線障害推定線量
表2  ヒトの疫学的研究およびネズミの実験的研究に基づいて得られたヒトの放射線障害推定線量
図1 出生前・ヒト発生過程
図1  出生前・ヒト発生過程
図2 胎児被ばくによる重度精神遅滞
図2  胎児被ばくによる重度精神遅滞

<関連タイトル>
放射線の晩発性影響 (09-02-03-02)
放射線の遺伝的影響 (09-02-03-04)
放射線の中枢神経への影響 (09-02-04-01)
白血病 (09-02-05-02)
がん(癌) (09-02-05-03)
原爆被爆生存者における放射線影響 (09-02-07-08)

<参考文献>
(1) BEIR 5, 1990. HEALTH EFFECTS OF EXPOSURE TO LOW LEVELS OF IONIZING RADIATION. COMMITTEE ON THE BIOLOGICAL EFFECTS OF IONIZING RADIATIONS, BOARD ON RADIATION EFFECTS RESEARCH, COMMISSION ON LIFE SCIENCES, NATIONAL RESEARCH COUNCIL. NATIONAL ACADEMY PRESS,WASHINGTON, D.C.
(2) United Nations:United Nations Scientific Committee on The Effects of Atomic Radiation ( UNSCEAR ) Report 1986
(3) United Nations:United Nations Scientific Committee on The Effects of Atomic Radiation ( UNSCEAR ) Report 1988
(4) 菅原努(監修)、青山喬(編著):放射線基礎医学、金芳堂(2000)
(5) 坂本澄彦:放射線生物学、秀潤社(1998)
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