<本文>
1.はじめに
自動車産業は鉄鋼、化学、石油産業はもとより電気、機械産業など非常に多くの分野を含んだ総合産業である。自動車は約3万点の部品により構成され、鉄鋼、非鉄金属、ゴム、プラスチック、紙などさまざまな材料が各部品に用いられ、要求されている機能も多様であり、開発や生産などに必要とする技術分野は非常に広い。
その技術の中にはRI・放射線を利用するものも多くあり、社会的認知度は高くないが見えないところで極めて有効に利用されている。
ここでは、自動車産業におけるRI・放射線利用に関し、利用形態として加速器利用、密封RI利用および非密封RI利用に区分してその主たる利用状況を紹介する。
2.加速器の利用
自動車に関連する素材メーカーや部品メーカーにおいて、
電子を加速して利用する電子線加速器が広く利用されている。中でも電子線照射は、エンジンルームに用いられている耐熱性電線の製造、ラジアルタイヤ製造時における流動性の抑制(ゴムの強度が増すため、タイヤの品質向上となる)および車の天井やインストルメントパネルに利用される。また、カーエアコン用断熱材などに用いられている発泡プラスチックの製造時に
架橋の制御(空気を入れることにより固い発泡体の実現)に利用されている。電子線照射製品の一例を
図1 に示す。またエアコンなどの各種インバータ(直流を対流に変換する装置)に使われている半導体素子としてのIGBT(Insulated Gate Bipolar Transistor)の微細回路の作成にも電子線照射が用いられている。
一方粒子線加速器の利用では、後方散乱法、弾性反跳法、
核反応法、
PIXE法(Particle Induced X-Ray Emissin)および
放射化分析などによる材料や生成物の分析、イオン注入による材料の改質、
中性子ラジオグラフィによる液体挙動(エンジン内のオイルの流動のふるまい)観察などがある。
3.密封RIの利用
各種自動車部品の開発過程において、
60Coおよび
192Irのγ線ラジオグラフィを用いて部品内部の様子や鋳造方案の検討などに
非破壊検査が行われている。その他、
63Niを用いたECD付きガスクロマトグラフィによる分析、
147Pm
線源、
90Sr線源などを用いた厚さ計や
241Am線源、
137Cs線源などを用いた密度計による材料や部品の品質管理、
14C線源装着のダストモニターによる浮遊粒子状物質の測定、
85Kr線源や
241Am線源を装着した走査型モビリティ粒子径測定器によるエンジン燃焼実験や光化学反応実験における反応生成物の粒径分布測定(装置の原理・構成を
図2 に示す)、および
241Am線源や
252Cf線源による燃料や潤滑油中の気泡率の測定(装置の原理・構成を
図3 に示す)などへの利用が主たるものである。
4.非密封RIの利用
ほとんどがトレーサ利用である。RIトレーサ利用として最も有効なのは、自動車開発において避けて通れない摩擦、摩耗、潤滑に係る技術分野すなわちトライボロジー(摩擦学)分野での利用である。代表的なものとして、摩耗測定、エンジン油消費測定、ピストンリングの回転運動の測定およびシール部などの微量液体漏れ測定があり、その方法および特徴などについて述べる。
4-1 摩耗測定
自動車には、非常に多くの摺動部を持ち、この摺動部の耐摩耗性の良否が自動車の耐久性を直接左右する。したがって、摺動部品の摩耗量などを的確に計測・評価することは極めて重要である。特に、エンジンやトランスミッションにおける摩耗には、単なる機械的な摺動だけでなく、温度、圧力、化学的雰囲気、振動など多くの要因がからみあっているため実部品を用いた実機での試験が不可欠である。通常は長時間運転(耐久試験)し、重量、寸法、摺動面形状などを測定することにより評価している。
この耐久試験法は、部品に対して総合的な評価ができるため省くことはできない。しかし、すべての摩耗解析・評価をこの方法で実施することは、運転、分解、組み付けなどに多大の労力と時間を必要とするので非能率的である。また、この方法は、途中経過が不明で、分解することによる影響も加わるため、摩耗現象の解析には多くの困難が伴う。
これらの短所を補うRI法による摩耗測定は、対象とする部位に
原子炉からの中性子または高エネルギー加速器(
サイクロトロンなど)からの荷電粒子(
陽子や
重陽子など)を衝撃させ、このときに起こる核反応で生成するRIをトレーサとして利用する。
すなわち
図4 に示すように、放射化した部品をエンジンやトランスミッションなどの実用機械に組み付け、外部に設けた放射線検出器で、(1)摩耗に伴う残留
放射能の変化を測定する方法(残留放射能測定法)、または(2)潤滑油中に混入する摩耗粉の放射能を測定する方法(累積放射能測定法)により、定量化し摩耗量を知る。測定結果の一例としてピストンリングとカム摩耗量と、潤滑油の高温高せん断粘度との関係を
図5 に示す。潤滑油の粘度がある程度高いことが必要であることなど、低摩擦エンジン油開発に重要な指針を得ている(放射化トレーサ法の原理と応用(08-04-03-01)参照)。
高感度のためサブミクロン以下の摩耗厚さ検出も可能で、かつ実機で非分解リアルタイム測定ができる点が他の手法では得られない大きな特徴である。特に、加速器による
荷電粒子放射化分析法は、表面層だけを放射化することから薄層放射化法と呼ばれ、従来の原子炉による中性子放射化法と異なり、ほとんどの金属材料に適用可能である。また放射能強度も37kBq〜1.85MBq(1〜50μCi)で十分であるため安全性は高く、かつ大型部品にも適用できるなど多くの特徴があり現在の摩耗試験法の主流である。
4-2 エンジン油消費測定
エンジン潤滑油(以下油という)は、エンジンにおける各・摺動部の潤滑および冷却などのため不可欠である。この油の消費が多いと、油補給の煩わしさやランニングコストが増加するばかりでなく、点火プラグの汚損、ピストンデポジットの増加、ピストンリング(以下リングという)の膠着、触媒機能の低下などが起こりやすい。
最近では排気浄化に係る社会的要請から、さらに油消費の低減が求められている。この油消費低減を実現する上で、油消費量の測定技術は必要不可欠であり、これまでにいろいろな測定法が開発、工夫されてきた。中でもRI法はエンジンを停止することなく高精度で測定できるため古くから利用されている。この方法はRIで標識した油を用いてエンジンを運転し、このとき排出される排気ガス中の放射能を測定することにより油消費量を求める。ここでは、
35SによるRI油消費測定法を紹介する。
この方法は、まず油に
35S硫化オレイン酸を加えて標識する。ついで
図6 に示すように、運転過程で排気ガスの一部を連続的に採取し、SO
2およびSO
3を吸収筒内の過酸化水素水に反応させてH
2SO
4の形に固定する。この吸収液の微量な放射能を粒状プラスチックシンチレータを用いた検出器で連続的に測定するか、あるいは、この吸収液の一部を採取し、
液体シンチレーションカウンタで計測することにより油消費量を求める。
高感度なので一つの条件下のデータを30分程度の測定で求められるため、
図7 に示すような油消費特性も容易に知ることができる。また、分離測定が可能なことから、消費経路毎や気筒毎の油消費をリアルタイムに知ることができる点も大きな特徴である。さらに、吸収筒を接触反応方式に変更すれば過渡運転時での測定も可能である。無論この方法はディーゼルエンジンにも適用できる。
最近ではディーゼルエンジンの排気規制に対応し、未燃油から発生する排気粒子状物質(Particulate Matter :以下PMと略す)低減の面から経路ごとの油消費に対する排出未燃油分の寄与率を把握する必要が生じてきた。排出未燃油分の測定は、潤滑油に
14C・ドトリアコンタンで標識し、運転に伴って排出されるPMを採取し、有機可溶成分の放射能を測定することによって求められる。測定結果の一例として
図8 に示すように、油上がり、油下がりとPM量の関係を測定し、どの油消費経路からの消費がPMになりやすいかを解明した。その結果エンジンシリンダーの設計面での効率的な見直しが可能となり、PMの大幅な低減に役立てられている。
4-3 ピストンリングの回転運動の測定
エンジンのピストンにはピストンとシリンダボアの気密を保ち、かつ、油かきを十分に行うためにピストンリング(以下リングという)が挿入されている。リングはエンジンにとって性能を左右する重要な部品の一つである。このリングの基本的な運動は、上下運動、半径方向の運動、回転運動およびねじれ運動であり、リング周辺のトライボロジー(摩擦)に関する問題を扱うときには、これらリングの運動を知ることが重要である。これらの運動の測定には、一般的に電気的センサが使われているが、リングのようにピストン運動に伴って上下に摺動しながら不連続に回転する回転運動を通常の電気的センサで測定することは非常に難しい。
RI法を用いれば比較的容易に測定することができる。この方法は
図9 に示すようにリングの合い口の一部分を高エネルギ加速器で直接放射化するか、または小さなγ線源(たとえば
60Co)をリングに埋め込む。この標識されたリングをエンジンに挿入し、エンジン外部に設けた2ヶの放射線検出器により連続的にその位置を知ることによりその運動状態を知ることができる。測定結果の一例を
図10 に示す。
エンジンには、同様な運動をする部品としてエンジンバルブやタペットがあり、この回転運動にも同様にして適用することができる。
この測定法の特徴は非破壊、非接触で金属ハウジング内の回転運動体の動きが容易に測定できる点にある。
4-4 シールからの微量液体漏れの測定
自動車には数多くのシールが用いられている。RIトレーサの高感度性を利用すればこのシール部における微量の液体漏れ量を精度よく求めることができる。一例として油圧シリンダシール部の油漏れ量の測定方法を
図11 に示す。作動油をあらかじめ
35Sや
14Cで標識し、所定条件でシール部を作動させる。洗浄液を対象部品の漏れる箇所に振りかけ、洗浄液中に漏出した放射能を液体シンチレーションカウンタなどで測定すれば微量の漏れでも求められる。ここで放射能検出系を工夫すれば連続的な測定も可能である。
この手法はエンジンバルブのステムシールの油漏れ、ウォータポンプのメカニカルシールの水漏れ、噴射ポンプの燃料および油の混入量などの測定にも適用することができ、シールの開発に非常に有効である。
この種の油漏れ測定は一般の高感度分析機器、たとえば紫外吸収法などを用いても測定可能な場合もあるが、RI法は通常の分析機器で問題となる不純物の混入や温度変化に影響されることなく高感度で測定できる点が大きな特徴といえる。
5.おわりに
以上自動車産業分野でのRI・放射線利用の現状につき紹介した。RI放射線技術の中には、法的な問題や他の機器分析技術が進歩した現在、ほとんど使われなくなった技術もいくつかある。しかしここで紹介したものは、依然として有用な技術として定着し利用されていて、自動車産業の発展に大きく貢献している。
特に、RIを用いたトライボロジーにおける測定・観察技術は、摩耗、潤滑、挙動などの現象解析に極めて有効であり、他の測定法では得られない新しい知見を得ることができる。このRI法は他の作動部測定技術と併用することによりさらに有効性は高まる。
最後に、現在の自動車は信頼性という面ではほとんど問題ないところまで改善されている。しかし今後さらに地球環境にやさしく、安全で感動的な魅力ある自動車作りが必要になることを考えると、RI・放射線利用技術のさらなる進歩と利用環境が整備されていくことが期待されている。
[用語解説]
トライボロジー:摩擦、摩耗、潤滑に係る技術のこと
<図/表>
<関連タイトル>
RIの工業計測用の厚さ計、密度計、水位計などへの利用統計 (08-04-02-06)
自動車産業分野における革新的な放射線利用技術 (08-04-02-17)
放射性トレーサ法の原理と応用 (08-04-03-01)
RIの工業計測機器への応用原理 (08-04-03-02)
RIの分析計測機器への応用原理 (08-04-03-03)
RIの化学的作用の応用原理 (08-04-03-06)
<参考文献>
(1)日刊工業出版プロダクション:原子力eye、Vol45、No12(1999)p.30-40
(2)朝倉書店:放射線応用技術ハンドブック(1990)
(3)山本 匡吾:RADIOISOTOPES、Vol.46,No7、(1997)p.56-63
(4)山本 匡吾、山田 研一:RADIOISOTOPES、Vol.44、No10(1995)p.70-74
(5)山本 匡吾、畠山 典子:RADIOISOTOPES、Vol.45、No11(1996)p.38-48
(6)Jun-ich Kawamoto,Masago Yamamoto and Yasuo Ito:SAE, Tech.pap.Ser.No.740543(1974)
(7)Toshihide Ohmori,Mamoru Tohyama,Masago Yamamoto,Kenyu Akiyama, Kazuyoshi Tasaka and Tomio Yoshihara:SAE, Tech.pap.Ser. No.932782(1993)
(8)Takashi Inoue,Yoshi-hiko Masuda and Masago Yamamoto:SAE,Tech.pap.Ser No.971630(1997)
(9) Toshihiro Takami,Manabu Fujine,Hidenori Nagai,Akinori Tsujino,Yoshi-hiko Masuda and Masago Yamamoto:SAE,Tech.pap.Ser.No.2000-01-1231(2000)
(10)山本 匡吾:ISOTOPE NEWS、No.537、1999年2月、p.12-14
(11)原子力安全技術センター:放射線利用 A to Z パンフレット、くらしとアイソトープ