<本文>
1.背景
火力発電所などにおける石炭や重油の燃焼に伴い発生する排煙中の硫黄酸化物や窒素酸化物は、大気中で太陽光の作用を受けて硫酸や硝酸に変化する。これらの酸が、雨や霧に含まれて地上に達したものが酸性雨や酸性霧であり、土壌や河川、湖沼の酸性化により樹木の枯死や魚類の死滅等の被害をもたらす。欧米においてのみならず、わが国においても1973年頃から樹木の枯死等が観察されており、酸性雨の影響が顕在化している。
一方、塗装工程や洗浄工程における換気ガス等に含まれる揮発性有機物は、発ガン作用をもつなど作業者の健康障害とともに光化学スモッグ発生やオゾン層破壊の原因でもあり、その効果的な処理技術の開発が社会的課題となっている。このため、平成18年4月改正の大気汚染防止法や、平成11年(1999年)に有害性のある多種多様な化学物質がどのような発生源から、どれくらい環境中に排出されたか、あるいは廃棄物に含まれて事業所の外に運び出されたかというデータを把握し、集計し、公表する「特定化学物質の環境への排出量の把握等および管理の改善の促進に関する法律」(Pollutant Release and Transfer Register:環境汚染物質排出移動登録、いわゆるPRTR法)の制定により、有害な有機化学物質の取扱いについて監視がますます厳しくなっている。後者では特に排出基準値は定められていないが、事業者の自己努力による排出量の低減化が求められている。また、廃水や埋立地における浸出水等により環境に拡散した汚染物質の影響は、生態系や身近な生活環境で深刻化してきている。
このような環境問題に対しては、汚染状況を把握するモニター技術の開発のみならずその相補関係にある保全/浄化を目的とした対策技術の開発も進められている。ここでは、吸着法などの他の方法では処理が困難な低濃度の汚染物質であっても、単純なプロセスで分解・無害化でき、かつ特に連続大量処理に対して経済的メリットがある、
放射線 を利用した環境保全技術についてその技術開発の現状を概観する。
2.電子ビームを用いた石炭・重油燃焼排煙の処理
電子ビームによる排煙処理法 における硫黄酸化物と窒素酸化物の除去フローを
図1 に示す。燃焼排煙に電子ビームを照射すると、排煙の成分の大部分を占める窒素、酸素、水等からOHやO等の非常に反応性が高い
活性種 (
ラジカル )と呼ばれる分子や原子が生成する。排煙中に含まれる硫黄酸化物や窒素酸化物は、これらの活性種と反応し、その生成物はさらに酸素と結合することによって最終的に硫酸と硝酸に変化する。つまり、この方法では、通常、大気中で太陽光の作用で起こる化学反応を、エネルギー密度が高い電子ビームを用いることによって反応容器内で極めて短時間に起こさせる。これと同時に反応器内にアンモニアを吹き込み、生成した硫酸と硝酸を速やかに粒子状の硫安と硝安に変えて下流の集塵機で回収する。電子ビームによる排煙処理法では、このように、排煙を浄化すると同時に有用な肥料が得られる利点を持っている。
電子ビームによる石炭・重油燃焼排煙処理法の主な特徴を以下に記す。
(1)燃焼排煙中の硫黄酸化物と窒素酸化物が同時に除去できる。
(2)副生成物の硫安、硝安が肥料として有効利用できる。
(3)廃水処理を必要としない乾式法である。
(4)プロセスの構成が単純であり、ランニングコストも低く、経済性に優れている。
燃焼排煙に電子ビーム照射することにより硫黄酸化物と窒素酸化物が同時に除去できるという技術は、日本原子力研究所(平成17年10月から日本原子力研究開発機構、以下原子力機構)と(株)荏原製作所の共同研究によって、1972年に世界に先駆けて開発された。その後、米国、ドイツをはじめとする世界各国で研究開発が進められた。日本では、1991年から1993年にかけて、日本原子力研究所、中部電力(株)、および(株)荏原製作所の共同研究により、処理規模毎時1万2千立方メートルのパイロットプラントによる試験が実施された。この試験では、排煙中に800ppm含まれる硫黄酸化物を94%、225ppm含まれる窒素酸化物を80%以上除去するという目標が、それぞれ
線量 7および10.5キログレイの電子ビーム照射で達成されることなど、技術の実用性が明らかにされた。さらに、得られた試験結果をもとに建設コストおよび処理コストを試算し、電子ビーム法が経済性にも優れていることが明らかにされた。これらの知見を基に、特に硫黄酸化物ガスを高濃度に発生する低質石炭等を原料とする火力発電所で実規模のプラントが建設・稼動されている。まずは、中国政府と(株)荏原製作所との共同で、四川省成都火力発電所に処理規模30万立方メートル/時のプラントが1997年に建設され稼動開始した(2006年休止)。その後、国際原子力機関(IAEA)と日本の支援を得て、ポーランドシチェチン市ポモジャーニ火力発電所に27万立方メートル/時のプラントが建設され2001年から稼動している(
図2 :電子線照射部と反応器)。また、中国政府と(株)荏原製作所との共同で31万立方メートル/時のプラントが中国淅江省杭州火力発電所に建設され2004年から稼動している。さらに、中国政府により、北京金峰火力発電所に63万立方メートル/時のプラントが建設され2006年稼動予定である。また、ブルガリアでは、国際原子力機関(IAEA)と原子力機構との3者協力により2003-2005年にマリッツアイースト火力発電所で行われた1万立方メートル/時のパイロットプラント試験結果に基づき、実規模プラント建設が計画されている。なお、原子力機構、中部電力(株)と(株)荏原製作所の共同で、中部電力西名古屋火力発電所でも、毎時62万立方メートルの処理規模のプラントが2001年に建設着工されたが、新しい仕様の加速器開発などに関して発生した技術的課題の解決に起因する施設調整の遅延により中止となり実稼動には至らなかった。しかし、このときの技術的課題はほぼ解決されており、その結果は杭州火力発電所プラント建設などで活かされている。
3.電子ビームを用いた有害揮発性有機化合物ガスの処理
塗装工程や洗浄工程における換気ガス等に含まれる揮発性有機物は、オゾン層破壊や発ガン作用等があり、その効果的な処理技術の開発が社会的課題となっている。そこで、原子力機構およびドイツのカールスルーエ研究センターにおいて、電子ビームによるベンゼンやトリクロルエチレン等揮発性有機物の無害化処理技術の研究開発が進められた。
例えば脂肪族系の2および3塩化エチレンでは、最初の分解で生じたClラジカルが引き金となって
連鎖反応 が起こる化学反応機構とともに、この反応を利用して一酸化炭素および二酸化炭素といった無害な物質まで分解出来ることが明らかにされた(
図3 (A))。また、非常に高濃度の場合であってもアルカリ溶液処理と組み合わせることにより低い線量で効率よく完全無害化できることが明らかにされた。このように、脂肪族系化合物については技術の実用化への見通しが得られている。一方、芳香族化合物について、キシレンなどは80%程度の分解率が得られるが、電子ビーム照射により分解生成物としてガス状物質以外に直径約数10μmの粒子状物質を生じ、これが分解を阻害することがわかった(
図3 (B))。また、このガス状物質としては、カルボン酸やエステルなどの脂肪族化合物のほか二酸化炭素や一酸化炭素が、粒子状物質としては、カルボン酸のほか有機硝酸塩や芳香族化合物が生成することがわかった。このような粒子状分解生成物は、照射によりそれ以上酸化することは困難だが、同条件で、照射場に高電場を付与しながら電子ビームを照射することにより、酸化分解と同時に粒子状生成物を帯電化してそれを下流における外部電場により90%以上捕集することができる(
図4 )。この酸化分解・帯電捕集により、キシレンの場合では換気ガス中の総有機炭素量を最大で95%にまで分解・除去できるという、平成18年4月に改正された大気汚染防止法の規制を十分クリアできる技術の基盤が得られている。
4.電子ビームを用いたごみ燃焼排煙中のダイオキシンの分解
1997年(平成9年)12月施行の大気汚染防止法改正により、2002年(平成14年)12月からごみ焼却炉排煙中のダイオキシン排出基準濃度が大幅に改定されるなど、規制が厳しくなった。一般的な処理法としては、焼却炉からの排煙を電気集塵器やフィルターを通すことにより煤塵除去とともにダイオキシン排出濃度の低減化が行われており、さらに、高度除去対策としては、排煙中に気体状で存在するダイオキシンを活性炭の吹き込みや活性炭吸着塔による吸収除去や触媒反応塔による分解除去などが試されている。しかし、排出濃度をより低減化するという長期的視点から、活性炭吸着法では処理後の廃棄物の処分が必要であること、触媒法では処理効果が温度に依存すること、またフィルター等では汚染物の捕集後の後処理などが不可欠であるなどの技術的課題がある。これに対して、電子ビーム法は、
(1)ガス状ダイオキシンを直接分解するので、毒性を残した廃棄物が発生しない、
(2)フィルター等で除去しきれない極低濃度のダイオキシンでも分解が可能である、
(3)処理時の温度制御が不要である、
(4)既存の施設に容易に付設できる、
などの特長をもっている。
このことから、原子力機構により、2000年11月から、高崎市衛生施設組合高浜クリーンセンターの敷地内に、電子加速器(300kV,40mA)を付属した分解試験装置を設置し、実排煙の一部(流量1,000m
3 /h(NTP))を利用して、温度約200℃の排煙中のダイオキシン分解技術の開発が行われた。ダイオキシン分解試験の流れを
図5 に示す。この結果、
図6 に示すようにダイオキシンの90%以上の分解を達成し、1ng/m
3 (1立方メートルについて1ナノグラム)程度のダイオキシン濃度が低い排煙についても、新設炉に対する基準値の0.1ng/m
3 以下にすることを可能とした。平成14年12月施行の新規制に対しては、国が補助金を支給してバグフィルタに改造することで措置が行われ本技術は実用化されなかったが、ごみや汚染土壌の焼却灰を土木原料などに再利用するための焼却施設などで、バグフィルタ後流における本技術による高度処理の需要が期待されている。
また、環境中におけるダイオキシン類の濃度分析の結果として残されている分析後のダイオキシン類廃液については、PCB廃液同様長期保管がされている。このようなダイオキシン類実分析廃液にエタノールを廃液の100倍量加え、100kGyの照射を行うことにより、ダイオキシン類の毒性等量濃度をゼロとできる結果も得られており、分析機関における実用化が期待される。
5.
放射線利用 によるその他の環境保全技術
5.1 水・土壌の浄化
河川や土壌の汚染に対しても放射線利用による環境浄化技術の開発が行われている。この技術も気相中と同様に、放射線により水中に生成するOHラジカルや
水和電子 により有機汚染物質を分解・除去することを利用している。オゾン/UV光やオゾン/光触媒を用いた方法などと比べて、電子ビームを用いた排水処理は、溶存酸素濃度や浮遊物質(濁度)の影響を受けず、また殺菌効果も高いことが特長である。これまでには、模擬試料を用いた実験室規模の基礎試験や、実廃水の照射試験に基づき、トレーラーに設置した移動式電子ビーム廃水処理装置の活用によるオンサイト試験での実用性評価も行われている。特に、塩化エチレンや臭化エチレン等、有機塩素化合物で汚染された地下水の浄化が米国やオーストリアなどで実証的な試験が行われた。韓国大邸の染色工場団地では1,000立方メートル/日規模での廃水処理試験が1998年頃から行われ、線量約2キログレイの電子ビーム照射と微生物処理の組み合わせることで、廃液中の総炭素量は微生物処理のみの場合と比較して、3分の1程度に低減できることが明らかにされた。この結果を基に、同工場団地では10,000立方メートル/日規模のプラントが2006年から稼動している(
図7 )。このほか、放射線照射と凝集沈殿法、オゾン処理などとの組み合わせによる処理の高効率化に関する実験室規模の研究も進められている。さらには、ギ酸塩を共存させて電子線照射することにより、廃水中の重金属を沈殿あるいは吸着させて除去する方法などのロシアの研究例もある。
水棲生物のメス化の原因といわれている外因性内分泌撹乱物質である17β−エストラジオールおよびノニルフェノールについて、疑似ホルモンとして生物学的な影響を水棲動物に与えることが表面化する濃度の水溶液に対して、単独の系ではそれぞれ30および約100グレイで活性を90-95%低減できることが明らかになっている(エストラジオールの例を
図8 )。また、河川のようにこれらが混在するなどの場合について、含有される総有機炭素量を指標とした無害化プロセスの概念設計などの試みも行われている。
5.2 有機廃棄物の有効利用
現在利用されないまま焼却処理されている
オイルパーム廃棄物 や下水汚泥などの主成分は有機物であり、この利用技術の開発がなされれば、焼却にともない発生する炭素ガス等による
地球温暖化 や大気汚染の防止とともに動物飼料、肥料や土壌改質材として有効活用が可能となる。放射線は、医療用具の滅菌などで広く知られているように、殺菌効果をもっており、細菌汚染しているオイルパーム廃棄物や下水汚泥をまず放射線照射により殺菌した後、適当な発酵菌によって発酵させる。原子力機構とマレーシア原子力研究所では、世界最大の椰子油(オイルパーム)生産国であるマレーシアで大量に生じるオイルパーム廃棄物をγ線照射とキノコ菌による発酵を組み合わせた家畜家禽飼料やシメジのような食用キノコの生産プロセスの基盤技術を確立している。また、
放射線殺菌 した汚泥に植物病原菌を抑制する微生物を植付け、微生物農薬とする研究や、食品工業廃水処理汚泥を飼料化する研究などが行われている。日本でも、電子ビームを用いた脱水汚泥の殺菌・堆肥化技術が開発され、パイロット試験等も行われたが、実用化に至ってはいない。しかし、放射線利用対象は異なるが、数箇所の下水処理場を巡回して、汚泥の乾燥処理とその電子ビームによる脱臭処理とを行う車搭載型処理装置が石川県七尾市で稼動している。
<図/表>
図1 電子ビームによる排煙処理法のフローシート
図2 ポモジャーニ火力発電所における排煙処理装置 反応器と電子線照射部
図3 VOCの分解除去率
図4 粒子状生成物の帯電・除去率
図5 高浜クリーンセンターにおけるダイオキシン分解試験のフロー図
図6 吸収線量とダイオキシンの分解率
図7 大邸染色工場団地における染色排水処理装置の電子線照射部
図8 吸収線量とエストラジオール濃度、疑似ホルモン活性濃度
<関連タイトル>
酸性雨の発生原因 (01-08-01-21)
酸性雨の影響 (01-08-01-23)
放射線照射による多糖類の有効利用 (08-03-02-04)
放射線照射による下水処理技術 (08-03-03-02)
<参考文献>
(1)小嶋拓治:電子ビームを用いた排煙排水処理技術とその実例、応用物理、第72巻、第4号、p.405-414(2003)
(2)小嶋拓治(編):環境保全技術開発の進展とその社会還元を目指して−放射線フロンティア研究委員会 材料専門部会報告書−、JAEA−Review 2006-019(2006)
(3)小嶋拓治:放射線照射による環境浄化技術、JAEA-Conf 2006-007、環境保全ワークショップ−きれいな地球を未来に−論文集(2006)、p.14-17
(4)T.Hakoda,A.Shimada,T.Kojima:Charging Processes of Particles Produced from Dilute Xylene in Air under Electron Beam Irradiation,Radiat. Phys. Chem.,75,392-402(2006)
(5)T.Hakoda,S.Hashimoto,T.Kojima:Effect of Water and Oxygen Contents on Decomposition of the Gaseous Trichloroethylene in Air under Electron Beam Irradiation,Bull. Chem. Soc. Jpn.,75,2177-2183(2002)
(6)K.Hirota,T.Hakoda,M.Taguchi,M.Tagigami,H.-H.Kim,T.Kojima:Application of Electron Beam for the Reduction of PCDD/F Emission from Municipal Solid Waste Incinerators,Environ. Sci. Technol.,37,3164-3170(2003)
(7)広田耕一、趙常礼、小嶋拓治、星正敏:有機溶媒中ダイオキシン類の放射線分解 −ダイオキシン類分析廃液処理法の開発−、環境と測定技術、No.8、Vol.33、23-28(2006)
(8)A.Kimura,M.Taguchi,H.Arai,H.Hiratuka,H.Namba and T.Kojima:Radiation-induced decomposition of trace amount of 17 β-estradiol in water,Radiat. Phys. Chem.,69,295-301(2004)
(9)小嶋拓治:電子ビームを用いたごみ燃焼排煙中のダイオキシン分解技術の開発、放射線化学、第73号、43-46(2002)