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<概要>
 プラズマ磁気容器の中に閉じ込める最初の試みは1951年に公表された。その後、期待するほどの良い閉じ込め特性が得られない苦悩の時期があったが、1968年に当時のソ連でT−3トカマク装置での実験の成功とともに、核融合研究は大幅に進展した。1970年代は世界のトカマクラッシュの時代となった。その基盤をもとに1980年代は大型トカマクの時代となった。1990年代はトカマク方式で自己点火を実現する実験炉建設計画の時代となった。ステラレーターを代表とするヘリカル方式の研究は1950年末にはすでに進められ、最近では複雑な螺旋状コイル系の高度な製作精度の実現によりトカマク型装置に次ぐ成績を得ている。ミラー型装置の開発も1950年代から続けられ、1980年にはタンデムミラー方式に発展した。慣性閉じ込め方式では大出力レーザー技術の進歩とともにプラズマパラメーターが向上している。
<更新年月>
2004年07月   

<本文>
 核融合炉の実用化は21世紀中頃と予測される長期的な計画である。核融合炉を目指した研究は、1929年にRd.A.AtkinsonとF.G.Houtermansが太陽のエネルギー源は核融合反応であると指摘した後、1940年代から研究開発が行われてきた。核融合炉のエネルギー源としての特徴は
(1)当面の燃料として重水素の水は、通常の水3リットルの中に1cc含まれる。またリチウムは鉱石、硬水、海水中にある。すなわち燃料は大量に、しかも偏在せず存在する。核融合炉を構成する資源は制約がない。
(2)炭酸ガス等環境を悪化させる生成物がなく、また超長期にわたる廃棄物の処理・処分がない。
(3)炉心の暴走がなく、受動的な固有の安全性を有する。
等であり、エネルギー源の基本条件には欠点をもたない。しかし技術面では未知で困難な課題を解決しなければならない。
 核融合の研究開発は第2次世界大戦後平和利用として公開された。1951年には磁気容器でプラズマを閉じ込める試みが公表されている。1955年に開催された第一回原子力平和利用国際会議(ジュネーブ)において、議長のH.Bahbhaは[核融合パワーの制御に成功すれば人類は永遠にエネルギー問題を解決することになる。今後20年以内に熱核融合反応の平和利用の見通しが得られるであろう]と予言し当時の世界の注目を集めた。1958年に開催された第二回原子力平和利用会議では米、英と当時のソ連を中心として、軍事技術のベールを取り去り、争って研究成果が発表された。
 その後数年は予想外のプラズマの不安定性や不純物の混入に悩まされる時代が続いた。1961年IAEA主催の第一回プラズマ物理と制御核融合国際会議(ザルツブルグ)でL.A.Artssimocichは会議の締めくくりの講演で[核融合研究は、いま煉獄の時代にある]と述べた。この時代、ミラー方式に工夫を加えて絶対極小磁場を作る磁場コイル配位(提案者にちなんでヨッフェ棒と呼ばれる)、中空に浮かぶ磁場コイル(内部導体系ー提案者にちなんで大河トーラスともいわれる)で閉じた磁力線方式の平均極小磁場をつくる考案がなされ、理論や実験の解析から磁気閉じ込め方式の見通しを与えた歴史的価値は大きい。
1.トカマク型
 1968年第三回IAEA主催のプラズマ物理と制御核融合研究国際会議(ノボシビルスク)でロシア(当時はソ連)のトカマク装置T−3による500万度の温度を英国チームが最新のレーザー計測器で確認したことが発表された。以降トカマク方式を中心とした核融合研究開発が進行して現在に至っている。 図1 に核融合炉方式の種類を示す。
 トカマク型核融合装置の研究も1970年代から本格化し、PLT,Doublet−III(米)、T−10(当時ソ連)、ASDEX(当時西独)等の中型装置の時代を経た後、1980年代にはTFTR(米)、JET(EU、当時 EC)、JT−60(日)などの大型装置の実験が開始された。プラズマパラメータの進展を 図2 に示す。
 1990年代にはトカマク方式でのD−Tによる長時間燃焼と工学技術試験をおこなう実験炉の計画が具体化されている。INTOR(国際トーラス建設計画、IAEA、1978−1987)やITER国際熱核融合実験炉、IAEA、1988−2004現在建設に関する政府間交渉中)計画がその例である。
 日本では1958年原子力委員会に、[核融合専門部会]が設置され1961年にはプラズマ研究所が名古屋大学に開設され、日本原子力研究所(原研(現日本原子力研究開発機構))もその年に核融合研究を開始した。
 日本におけるトカマク装置の研究は、ロシアのT−3の成果発表の翌年1969年に第一段階の核融合研究計画が開始され、1972年には、ソ連以外で最初のトカマク装置であるJFT−2が運転を開始した。さらに第二段階の核融合研究開発基本計画が1975年に打ち出され、JT−60は1985年に実験運転を開始した。JT−60は重水素放電で世界最高のD−T等価エネルギー増倍率 Q値 1.25、核融合積58秒・兆個/立方センチ、プラズマ温度5.2億度を達成している。
2.その他の型
 ヘリカル系の代表であるステラレーターはプリントン大学のL.Spitzerにより提案され、1950年代から研究が進められてきた。当初は8の字型の形状(ステラレータA)から円環状(ステラレータC)となり、1968年にトカマク装置T−3の成果に刺激され、ステラレーターは急遽トカマクに改造され、STトカマクが米国で研究された。その後のヘリカル方式では、ATF(米)は研究を終結し、W−VII(独)、ヘリオトロン(日、京都大学)が実験を継続している。1998年には日本の核融合科学研究所で大型装置(LHD)が実験を開始した。
 ミラー方式ではTMX,MFTFB(米)があったが、現在実験研究を継続しているのはGAMMA−10(日、筑波大学)が最大の規模である。
 その他の方式は、小型、高効率、先進燃料等を用いたプラズマの閉じ込めに大きな潜在力を有するが原理の実証段階規模の研究が各国で多く実施されている。
 慣性閉じ込め核融合の概念は、1960年の初期から指摘されていた。その後1970年以降レーザー技術の進展とともに本格的研究が行われるようになった。1970年後半には10kJ,1980年中期には100kJへとガラスレーザーの出力をあげ、光の波長を赤色から青色領域とすることでレーザー吸収率90%、1000倍程度の高い圧縮率に成功している。1990年以降はMJで自己点火を狙う時代に入っている。エネルギードライバーとしては、効率、繰り返し周期の点で、粒子ビームによるエネルギー注入の適性が高い。慣性核融合装置ではレーザー方式でNOVA、OMEGA(米)、激光(日、大阪大学)、また粒子ビームではPBFA(米)がそれぞれの歴史をもって進展している。
 表1−1表1−2表1−3および表1−4に磁場核融合装置開発史から見た高温プラズマ閉じ込め技術の歩みを示す。
<図/表>
表1−1 磁場核融合装置開発史から見た高温プラズマ閉じ込め技術の歩み(1/4)
表1−1  磁場核融合装置開発史から見た高温プラズマ閉じ込め技術の歩み(1/4)
表1−2 磁場核融合装置開発史から見た高温プラズマ閉じ込め技術の歩み(2/4)
表1−2  磁場核融合装置開発史から見た高温プラズマ閉じ込め技術の歩み(2/4)
表1−3 磁場核融合装置開発史から見た高温プラズマ閉じ込め技術の歩み(3/4)
表1−3  磁場核融合装置開発史から見た高温プラズマ閉じ込め技術の歩み(3/4)
表1−4 磁場核融合装置開発史から見た高温プラズマ閉じ込め技術の歩み(4/4)
表1−4  磁場核融合装置開発史から見た高温プラズマ閉じ込め技術の歩み(4/4)
図1 核融合炉方式の種類
図1  核融合炉方式の種類
図2 核融合研究開発の経過
図2  核融合研究開発の経過

<関連タイトル>
核融合反応と熱エネルギー (07-05-01-01)
トカマク型核融合装置の研究開発 (07-05-01-06)
三大トカマク装置の特徴と研究成果 (07-05-01-07)
ヘリカル型核融合装置の研究開発 (07-05-01-08)
ミラー型核融合装置の研究開発 (07-05-01-09)
慣性核融合装置の研究開発 (07-05-01-10)

<参考文献>
(1) 宮本健郎:核融合研究、66(4)、379(1990)
(2) 山本賢三:核融合の40年−日本が進めた巨大科学、ERC出版(1997年)
(3)狐崎晶雄、吉川庄一:新。核融合への挑戦、講談社ブルーバックス(2003年)
(4)関昌弘監修:核融合炉工学概論、日刊工業新聞社(2001年)
(5)J・ヴァイス、本多力訳:核融合エネルギー入門 白水社クセジュ文庫(2004年)
(6)近藤育朗、栗原研一、宮健三:核融合エネルギーのはなし、日刊工業新聞社(1996年)
(7)吉川庄一:核融合への挑戦、講談社ブルーバックス(1974年)
(8)入江 克:新しい核融合への道、丸善(1988年)
(9)フュージョン・パワー研究会:フュージョン・パワー入門、「原子力工業」連載(1988−1989年)
(10)杉浦 賢、谷本充司:核融合、新OHM文庫(1989年)
(11)山科俊郎、日野友明:誰にもわかる核融合の話、日経サイエンス社(1991年)
(12)河辺隆也、見角鋭二:21世紀のエネルギー プラズマ・核融合、岩波(1991年)
(13)宮健三ほか:核融合特集、「機械の研究」誌(1995年)
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