<大項目> エネルギーと地球環境
<中項目> 地球環境問題
<小項目> 地球環境問題への取り組み
<タイトル>
放射性物質による環境汚染 (01-08-04-26)

<概要>
 チェルノブイリ原子力発電所事故、ウィンズケール原子炉事故、スリーマイル島原子力発電所事故、ハンフォードにおける廃棄物処理、それぞれに伴って起きた環境汚染の現状及び環境回復の概要を紹介する。
<更新年月>
2005年12月   

<本文>
 チェルノブイリ原子力発電所の事故や、米国と旧ソ連での核兵器開発等に伴って環境が高度に汚染された忌まわしい経験がある。また、原子炉から大量の放射性物質が環境に放出した最初の事故としては、英国ウインズケールでの軍事用原子炉の事故がある。ウインズケール周辺は酪農地帯で事故により牧草地が汚染し、牛乳にまで被害が及んだ。さらに、1979年3月28日、米国ペンシルバニア州の州都ハリスバーグの南東20kmにあるスリーマイル島(TMI)原子力発電所2号炉(850MWe)で、炉心が損傷し、溶融する大きな事故が発生した。第二次世界大戦と東西冷戦で、米国は核兵器開発の研究、製造、試験のために大規模な産業を発達させた。この軍需産業で原子炉、化学処理工場、金属加工工場、研究所などで多くの核弾頭が造られ、1,000回以上の核実験が行われた。これらの核兵器開発による高度環境汚染地区がある。米国ワシントン州のハンフォード地区では、プルトニウム生産施設の管理および廃棄物処分法が不適切であったため、大規模な環境修復作業が行われている。ここでは、日本学術会議の荒廃した生活環境の先端技術による回復研究連絡委員会の報告書の内容の一部を基にして、放射性物質による環境の高度汚染の例とその復旧に向けての対応を紹介する。
1.チェルノブイリ原子力発電所事故による高度環境汚染
 1986年に旧ソ連・ウクライナで起こったチェルノブイリ原子力発電所4号炉の事故は、原子炉の炉心が大気に開放状態となり、しかも事故終息まで数日要したため、原子炉内の放射性物質が多量に、そして非常に広範囲に環境へ放出された史上最悪の事故であった。事故は1986年4月26日の未明に発生し、非常に苛酷な事故であることが認識されると、直ぐに近隣住民の避難が実行に移された。その間事故の終息に向けた努力も続けられ、放射線モニタリングも続けられた。チェルノブイリ原子力発電所が置かれていた場所は、キエフの北方約130kmの牧草地や農耕地が広がる中に集落が転々とあるような静かな地域であった。発電所から東南12〜3kmの所にはチェルノブイリ市がある。事故後直ぐに、発電所近隣の住民から避難が実施され、最終的には30km圏内の住民は全員、さらにそれ以遠でも汚染の厳しい状況にさらされる場所の住民も対象に入れられ、119,000人(最初の2週間で116,000人)が移住した。
 環境中に放出された放射性物質の量は、希ガス約7x1018Bq、希ガス以外の放射性物質約5x1018Bqで、全放出量は12x1018Bqと評価されている。炉心インベントリーに対する放出割合は、希ガスは100%、揮発性ヨウ素(I)、セシウム(Cs)等は20〜60%、ストロンチウム(Sr)、プルトニウム(Pu)等は3〜6%である。これらの値から、当時炉心に装荷されていた全燃料の3±1.5%が環境に放出されたと評価されており、約95%(180t)はなおシェルター内に存在していることになる。
(1)放射性物質の降下分布と汚染地域
 事故発生時は、発電所近傍の風は弱く、風向は定まってはいなかったが、上空1,500m では8〜10m/秒の南東の風が吹いていた。原子炉から放出された放射性物質の約60% は上空1,200〜1,800mまで達し、この風に乗り事故の翌日には北欧に達し、広域に移動した。放射性雲は降雨等で降下し沈着するが、その多くはウクライナ、ベラルーシ、ロシアを中心にヨーロッパ全域に降下した。
 チェルノブイリ発電所敷地の北西部と西部はとくに汚染が著しい地域である。このウクライナ北西部とベラルーシ南部一帯はポリシア地域と称されている。ウクライナ北西部は、キエフ州、ジトミール州、ロブノ州にまたがっており、これら3つの州における137Csが37kBq/m2以上の汚染地域で、185〜555kBq/m2 のとくに汚染の著しい地域は、キエフ州、ジトミール州では全汚染地域の10%を超える面積を占めている。事故による放射性核種の推定放出量を表1に示す。
(2)環境復旧への対応
 広域の汚染された農耕地や牧草地の汚染の復旧対策はほとんど実施されていない。 土壌に沈着した137Csのほとんどすべては表層部約5cmに存在しており、表層部を除去すれば土壌の改善効果は高いが、除去した汚染土壌の処理・処分を考え合わせると非常に広域の土地に適用させることは不可能に近い。このため農耕地では、表層の汚染土壌を根の届かない30〜40cmの深さに持っていくことにより放射性物質の農作物への移行の低減を図る土壌の入れ替えが一部実施されている。
 ポリシア地域はカリウムの少ないやせた砂質が多いため、放射性Csの農作物への移行を抑える方法として農業化学的な改善、すなわち有機・無機肥料の散布が効果的である。90Srの農作物への移行に対しても石灰散布による効果が高い。しかし、これらの対策は、土壌特性(土質、K含有率、pH)、汚染密度や穀物の種類によって大きく左右される。 以前、フランス原子力委員会(CEA)とCIS(Commonwealth of Independent States)の協力研究により、放射性核種を取り込む芝生を利用し、それを除去する除染手法の研究が2,000〜3,000m2規模でウクライナとベラルーシで実施され、その高い効果が確認されている。そこで、このような生物学的な復旧対策手法も合わせて、現地では種々研究を実施している。一部ではあるが、肥料散布による復旧対策が講じられた所もある。キエフ州ではカリウム・リン酸肥料が中心の化学肥料を多量散布し100haの農耕地が使用可能になっている。なお、事故炉近傍で、とくに汚染の著しかった375haは土壌改善として、表層10〜15cmの土壌が除去され、伐採された木々とともに深いトレンチに埋設された(全埋設量:約10万m3)。これらの行為により放射能濃度は1/10に減少したと評価されている。
2.ウインズケール原子炉の事故による汚染
(1)事故の概要
 1957年10月7日午前1時13分、ウインズケールの軍事用原子炉(コールダーホール炉)で、減速材黒鉛に蓄積されたウイグナー・エネルギー(照射に伴って結晶格子に蓄積するエネルギー)を放出させるために炉が停止された。同日午後7時25分、具体的な放出作業に入り、翌8日午前11時5分に2回目の放出作業が開始されたが、加熱操作が早めで急速すぎたため、炉心温度の急激な上昇をもたらした。このため、複数の燃料棒が溶融・破損し、黒鉛温度の上昇、燃焼、さらに原子炉火災につながった。原子炉には放射性物質放出防止の構造物がほとんどなく、炉心から放出された放射性物質の大部分が環境に放出した。
(2)事故により放出された放射性物質
 事故により大量の放射性物質が環境中に放出し、10日未明にスタック・モニターが放射能レベルの急増を検知した。放出は、11日朝から始まった水による火災鎮火作業中から炉冷却時まで続いた。12日の午後3時に注水は停止された。放出された放射性物質の中で、健康影響上重要な核種は131I、210Poであり、また103Ru、137Csも放出した。これらの核種以外では、133Xe、132Te、89Srなどもあり、239Pu、90Srもわずかながら放出した。主要な核種の放出推定量を表2に示す。
(3)事故による影響の及んだ範囲と取られた対策
 環境中に放出された放射性物質は周辺の牧草地を汚染し、イングランド地方、ウェールズ地方全域、さらに北ヨーロッパの一部まで拡散し、沈着した。放射性物質の環境中への放出が急増した10日は地上の風は弱かったが、主として陸から海方向の風(北東/北北東の風)であり、夜は北北西に変わり、11日は主として北西/北北西の風(海岸沿いの風)であった。環境へ放出されサイト近郊に沈着した核種は表3のように推定されている。周辺の牧草地が汚染したことにより、乳牛さらに牛乳が汚染された。
牛乳は131Iが3,700Bq/リットル以上含まれているものが流通制限された。これは520km2の範囲で実施され、北のセイント・ビーズから南のバロー半島に及んだ。この地域における流通制限は25日〜45日間続き、何万リットルもの牛乳が海に廃棄された。シースケール近郊の最大汚染地区では牛乳中の137137濃度は1,500Bq/リットルに達していた。なお、他の食料品や核種については重要と考慮する必要はないとされた。
3.スリーマイル島 原子力発電所の事故による汚染
(1)事故により放出された放射性物質とその影響
 炉心が溶融する苛酷な事故(シビアアクシデント)ながら原子炉容器は損傷せず、また格納容器も健全であったため、85Kr(2.1PBq)など希ガスの環境への放出は非常に多かったが、131Iの放出は少なかった。放出された放射性希ガス131Iの量は、それぞれ約100PBqと約600GBqと推定されている。しかし、137Csと90Srは検出されていない。この間に連邦政府と州の間の連絡が不十分なこともあって混乱し、周辺住民の避難が行われた(正式には、州知事が発電所から8km以内の妊婦と乳幼児の避難勧告を出した)。原子炉周辺2マイルの住民に対する被ばく線量は0.2〜0.7mSvと評価されている。
 この事故が米国社会に与えた影響は極めて大きく、米国民の原子力発電に対する信頼は薄らいだ。この事故以後、新たな原子力発電の建設は途絶えている。また、米国のみならず、わが国の原子力発電にとっても影響が及んだ。
 わが国でも原子力安全委員会が調査を行った結果、基準、審査、設計、運転管理、防災、安全研究に関する52項目を示した。これに基づき、各原子力発電所で対応が取られた。また、安全研究の一環として、人的因子(ヒューマンファクタ)の重要性が示され、関連する研究が進められるようになった。
4.ハンフォードにおける廃棄物処理による汚染
 1989年、核兵器研究・製造で生じた負の遺産を軽減するために、DOEは、環境管理局(the Office of Environmental Management(EM))を創設し、ハンフォード地区の環境管理計画を確立した。1996年の最初の報告書によれば、地区の環境清浄化完了までに75年以上の期間と1890億ドル〜2650億ドルの経費が必要と評価されている。
(1)プルトニウム生産炉の冷却水放流
 9基の生産炉は、全て黒鉛減速・軽水チャンネル冷却型炉である。1955年までに建設された8基はワンス・スルー型と呼ばれ、コロンビア川から取水した水を、浄化後炉心に冷却水として送り込み、冷却廃水は一旦溜池に貯留後、そのままコロンビア川に放水していた。放水量は大きな町いくつか分の水道使用量にも匹敵し、プルトニウム生産ピーク時には溜池での平均滞留時間は4時間程度しかなく、冷却水中の放射能は十分減衰しないまま川に放流された。1960年頃は毎日平均5.4×102TBq の放射能が
コロンビア川に放流されたと報告されている(年間では約200PBqの放出)。このため、コロンビア川の魚や河口付近の貝類に汚染が検出されるようになった。河川水の汚染は、主に放射化した腐食生成物であるが、一部破損燃料の影響も認められ、下流のパスコでは51Cr、64Cu、24Na、239Np、76As などが検出された。このように河川水の汚染が顕在化してきたことから、1962年に建設を開始した最後の生産炉N炉(1964年運転開始)の冷却方式は、閉ループ型に変更された。1964年以降、プルトニウム生産は縮小に向かったため、ワンス・スルー型の生産炉は順次運転を停止し、1971年にはコロンビア川への冷却水放流は停止された。ハンフォードのプルトニウム生産炉を表4に示す。
(2)気体廃棄物
 戦時中に建設された化学分離プラントでは、照射済み燃料の溶解によって発生するNOX や放射性ヨウ素を高さ60mのスタックから直接大気中に放出していた。131Iの放出量は、1945年が21PBq、1946年が3.5PBq、1947年が1.2PBq と報告されている。その結果、リッチランド周辺の環境汚染が予想以上に高くなったため、ヨウ素放出低減対策が講じられ、排気系にスクラバーや高性能(HEPA)フィルター、銀系吸着材等が順次導入された。その結果、1958年時点の年間ヨウ素放出は30TBq に減り、さらに1963 年時点ではプルトニウム増産が一層進んだにもかかわらず2.9TBq まで低減した。
(3)化学分離プラントの廃液
 プルトニウムの回収を行う化学分離プラントからは、照射済み燃料処理で生ずる高レベル廃液と、さまざまな工程から発生する低レベル廃液がある。高レベル廃液については、大型の地下タンクを多数建設し、それらに貯留したが、低レベル廃液は地表や地中に設けた地下浸透型排水設備に排水した。
(4)固体廃棄物
 1970年頃までは、低レベルの固体廃棄物はTRU 系廃棄物も含め、ダンボール箱やカートン・ボックスに入れ、そのまま素堀りのトレンチに埋設処分された。その後TRU 系廃棄物については、200リットル(55 ガロン)のドラム缶に入れ、最終処分法が決まるまでシートをかけてトレンチに仮埋設することになった。さらにその後、TRU 廃棄物のドラム缶は貯蔵庫で保管管理することになった。1970年以前は記録もきわめて不十分であったが、1970年以降は改善され、ある程度しっかりした記録が残さ
れるようになった。固体廃棄物を埋設したトレンチは、総面積で約1.75 km2 となる。また、TRU 系廃棄物として24,000本のドラム缶が17 施設に保管されている。 なお、ハンフォードの敷地内で、固体及び液体の廃棄物の地中処分が行なわれた地点は、総数で約1,500 箇所になる。
<図/表>
表1 事故による放射性核種の推定放出量
表2 ウィンズケール原子炉事故における主要な放出核種推定量
表3 発電所近郊に沈着した核種量(1957年10月18日試料採取)
表4 ハンフォードのプルトニウム生産炉

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<関連タイトル>
米国スリー・マイル・アイランド原子力発電所事故の概要 (02-07-04-01)
チェルノブイリ原子力発電所事故の概要 (02-07-04-11)

<参考文献>
(1) 日本学術会議:放射性物質による環境汚染の予防と環境の回復、荒廃した生活環境の先端技術による回復研究連絡委員会、2003年5月
(2) R.Tykva,D.Berg:Man-Made and Natural Radioactivity in Environmental Pollution and Radiochronology,KLUWER ACADEMIC PUBLISHERS (2004)
(3) R.Michal:Cleaning up Hanford’s K Basins is hard work,Nuclear News, July 2005
(4) Department of Energy:U.S.Department of Energy, Office of Environmental Management(EM),
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