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1.スリー・マイル・アイランド原子力発電所2号炉の概要
スリー・マイル・アイランド発電所2号炉(Three Mile Island:TMI-2)は、ワシントンD.C.の北北西約160km米国ペンシルバニア(Pennsylvania)州都ハリスバーグ(Harrisburg)の南東20kmの、サスケハナ川の中の大きな中州に設置されている。
図1 にTMI原子力発電所の位置を示す。
TMI-2は、バブコック&ウィルコックス(B&W)社の設計による電気出力95.9万kWの
PWRで、事故の1年前の1978年3月28日に臨界となり、1978年12月30日に運転を開始した。
図2 にTMI-2号炉の全体概要を示す。
2.スリー・マイル・アイランド原子力発電所2号炉の事故時の概要
TMI-2は約97%定格出力運転中、1979年3月28日、制御用空気系の故障のため給水ポンプ、さらにタービントリップしたことから、
原子炉1次系の温度、圧力が上昇したが、設計どおり加圧器逃し弁(PORV:Pilot-Operated Relief Valve)が開き、原子炉は緊急自動停止した。しかし、原子炉停止により低下し始めた1次系の圧力に伴い、自動的に閉まるべき加圧器逃し弁が故障して開固着の状態になり、ここから冷却材の系外への流出が続いた。1次冷却系の圧力低下の信号を受けて、事故発生2分後に
非常用炉心冷却装置(ECCS:Emergency Core Cooling System)が自動起動したが、運転員は状況を正しく把握できず、系は満水であると誤認し、
ECCSによる冷却水充填流量を絞った。
事故発生1時間10分後にBループ1次冷却材ポンプを、1時間40分後にAループ1次冷却材ポンプを手動停止した。これは、1次冷却材中に多量の蒸気が発生し、冷却材ポンプが激しく振動し始めたからとされているが、それまではなんとか冷却されていた炉心はポンプ停止により蒸気中露出するに至った。
図3 に事故発生後約2時間後のプラント状況(一次冷却材ポンプ停止)を示す。
事故発生後2時間20分、運転員はようやく加圧器逃し弁の元弁を閉じ、冷却材の流出は止まったが、炉心は約3分の2が露出しており、大きな損傷を受けつつあった。3時間半たって運転員はECCSを短時間起動し、炉心はようやく再冠水したが、その時までに炉心は大きな損傷を受けた。放射性物質の放出量については、現在最も確かな値は放射性希ガス約250万キュリー(9.25×10
16ベクレル)、よう素の内、
ヨウ素131は約15キュリー(5.55×10
11ベクレル)であり、
原子炉格納容器が役立ち、ヨウ素放出を少なくした。
図4 にTMI-2号炉容器内の最終状況を示す。
1次冷却材内には、大量の蒸気と金属−水反応で生じた水素とがあり、炉心の冷却を制御することが困難であった。このため、格納容器内に水素の一部を放出して16時間後に冷却材ポンプ1台の運転に成功し、事故は収束に向かった。
事故の主要原因は、補助給水系ポンプ出口弁が閉じていたことに加え、加圧器逃し弁が開固着して冷却材が流出し、炉心の冷却が不十分になっていたのに、以下の理由により運転員が冷却材は過剰な程にあると誤判断したことが大きい。
(1) 加圧器逃し弁の開閉の表示が不適切で、開固着していたのに「閉」を表示していた。
(2) 運転員が最も重視していた加圧器水位計は、事故時のように冷却材が飽和温度になると、系内の冷却材の水位を正しく示さなかった。
(3) 加圧器水位計の指示の誤りや、他のプラント情報から加圧器逃し弁の開固着や冷却材の流出が判断できるように運転員の訓練が十分になされていなかった。
3.事故後の措置
周辺の放射線測定結果が誤って伝えられ、さらに、1次冷却系内の水素が爆発するかもしれないという根拠のない情報が伝わって、3月30日、周辺約8km以内の幼児と妊婦の退避が勧告された。事故による周辺公衆の
被ばく線量は最大でも1mSv(100mrem)以下で、健康に与えた影響はほとんど無視できる程度であった。
米国原子力発電所事故特別調査委員会等による事故の原因分析等から、数々の教訓、対策が得られ、防災体制の強化を含め軽水炉システムのより一層の安全に著しく寄与した。
スリー・マイル・アイランド事故からわが国が得た教訓と課題は
原子力安全委員会が摘出した基準・審査、設計、運転管理、防災、安全研究に関する52項目がある。スリー・マイル・アイランド事故の意義の重大さに鑑み、その教訓は最大限反映されるべきであるとの観点から、当時必要と判断した事項はすべて摘出されたものである。これらは商用原子力発電所を初めとして常陽、
ふげん、当時設計中の
もんじゅにも反映された。また
米国エネルギー省(
DOE)と日本の原子力産業界は1984年4月に原子炉解体等の5年間の共同研究協定を結んだ。これは、放射性物質で汚染された炉の浄化活動に関連した研究開発で、低レベル廃液の大幅減容処理技術、ロボットの開発、また、炉心損傷事故シナリオの確認等の成果が得られた。(注:東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日)に伴う福島第一原発事故を契機に原子力安全規制の体制が抜本的に改革され、原子力安全委員会は
原子力安全・保安院とともに2012年9月18日に廃止され、原子力安全規制に係る行政を一元的に担う新たな組織として
原子力規制委員会が2012年9月19日に発足した。スリー・マイル・アイランド事故から得られた教訓と課題から摘出された基準・審査、設計、運転管理、防災、安全研究に関する52項目は新たな組織により見直しや追加の行われる可能性がある。)
<図/表>
<関連タイトル>
TMI事故時の避難措置 (02-07-04-03)
TMI事故直後の評価 (02-07-04-05)
TMI事故の我が国における対応 (02-07-04-06)
TMI事故直後の米国における対応 (02-07-04-07)
TMI事故の経過 (02-07-04-02)
<参考文献>
(1)科学技術庁(編):FBR広報素材資料集(2版下)、(財)日本原子力文化振興財団、平成2年3月
(2)原子力安全委員会:原子力安全委員会月報 参考資料「米国スリー・マイル・アイランド原子力発電所事故について」第2巻第2号、p19-21、昭和54.
(3)原子力安全委員会:原子力安全委員会月報 解説「米国スリー・マイル・アイランド原子力発電所事故について」第2巻第3号、p2-4、昭和54.3
(4)原子力安全委員会:原子力安全委員会月報 資料「米国原子力発電所事故調査特別委員会第1次報告書」(抜粋)第2巻第5号、p20-36、昭和54.5
(5)原子力安全委員会:原子力安全委員会月報 資料「米国原子力発電所事故調査特別委員会報告書−第2次について−(概要)9月号通巻12号、p9-19、昭和54.9
(6)原子力安全委員会:原子力安全委員会月報 資料「米国原子力発電所事故特別委員会報告書−第3次− 6月号通巻33号、p33-54、昭和56.6
(7) R.G.Post,ed.: Three Mile Island Unit 2: Materials Behavior,etc.,Nuclear Technology,Vol.87 Aug.,Oct.,Nov.,Dec. 1989
(8)原子力安全研究協会、スリーマイル・アイランド原子力発電所事故調査専門委員会:スリーマイル・アイランド原子力発電所事故に関する調査報告書(4)−総括編−、昭和56.4