<大項目> 海外情勢
<中項目> 北米各国
<小項目> アメリカ
<タイトル>
北朝鮮の核兵器不拡散条約(NPT)脱退問題と米国の対応 (14-04-01-22)

<概要>
 北朝鮮は1985年に兵器不拡散条約(NPT)に加入したが、同国が国際原子力機関(IAEA保障措置協定に署名し、発効したのは1992年4月である。しかし、その後も北朝鮮の核兵器開発に対する国際社会の懸念は払拭されず、IAEAは、未申告施設の特別査察を要求したが、これに対し北朝鮮は、1993年3月にNPT脱退を宣言した。国連安全保障理事会は、北朝鮮に脱退宣言の再考を促す決議を行い、これを受けて米国は数回にわたり北朝鮮と協議を行い、1994年3月、北朝鮮の申告済み施設の通常査察を受け入れさせた。IAEAの査察不十分報告を受け国連安保理は査察を再勧告し、北朝鮮は、IAEAの即時脱退、査察拒否を表明した。再度、米国は北朝鮮と協議し、1994年10月に軽水炉転換を主内容とする核凍結に合意した。その後の合意の具体的詰めで、北朝鮮は韓国型軽水炉の受入れを拒否し、1995年3月現在交渉は中断している。
<更新年月>
1998年05月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.エネルギー不足が深刻に
 朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」という。)は、経済面では1987年から1993年まで第3次7か年計画が実施された。目標は、電力1,000億kWh、鉄鋼1,000万トン、穀物1,500万トンなどとなっており、国民所得を1.7倍にする計画であった。工業生産の年平均増加率は、公式発表によると、第2次7か年計画(1978〜84年)の実績は12.2%で、第3次7か年計画の目標が10%であるが、経済成長のテンポが落ち、目標が達成されなかった。これにより北朝鮮では、食料、エネルギー不足などが深刻になり、経済全体が行き詰まっているといわれる。1993年末の労働党中央委員会総会で、第3次7か年計画の目標が達成されないことを率直に認め、金日成主席はこの新年のあいさつで、1994年から3年間を調整期間として、再度、生産拡大を目指し、「農業・軽工業・対外貿易」に力をいれるように呼びかけた。
 このような状況のなかで、北朝鮮は1985年12月12日、核不拡散条約(NPT)に加盟し、1992年1月30日、国際原子力機関(以下「IAEA」という。)との保障措置協定に調印した。北朝鮮の核兵器開発疑惑に関する1993年以降の出来事は以下のとおりで、 表1−1表1−2表1−3表1−4 および 表1−5 にその経緯を示す。また、参考として、 表2 に北朝鮮の原子力関係施設の一覧を、 図1 に韓国および北朝鮮の原子力関連施設の立地図を、 図2 に北朝鮮の原子力行政組織を示す。

2.NPT脱退を停止へ
 1993年3月12日に北朝鮮が核兵器不拡散条約(以下「NPT」という。)からの脱退を発表し、IAEAは特別査察の受入れ拒否問題を国連安全保障理事会(以下「国連安保理」という。)に付託した。4月8日、国連安保理は、安保理への付託に反対した中国の立場を配慮し、IAEAに北朝鮮と改めて対話を継続することを促した議長声明を発表した。この議長声明後も進展がみられないため、国連安保理は1993年5月11日、北朝鮮に対し、寧辺近郊の核廃棄物貯蔵施設へのIAEA特別査察の受入れ、NPTからの脱退決定を再考するよう求める決議を採択した。棄権した中国は、安保理の介入は緊張を高めるだけと主張した。
 米国との交渉を望む北朝鮮は、1993年6月2日から米朝高官協議をニューヨークの米国連代表部で行ったが進展がみられず、6月10日の第3回協議を経て翌11日の第4回協議後、6月12日に発効が迫っていた北朝鮮のNPT脱退問題について、北朝鮮側が一方的にNPT脱退を停止するとの共同声明を発表した。声明では、北朝鮮が必要と認める限りNPTにとどまる意志を明らかにし、米朝両国は(1)武力不行使、(2)朝鮮半島の非核化と相互の主権尊重、(3)朝鮮半島の平和統一支持の3点で合意した。米国と北朝鮮はジュネーブで核問題をめぐる高官協議第2ウランドを1993年7月14日に開始し、同月19日、(1)北朝鮮が査察協定の履行に関してIAEAとの協議を開始する、(2)北朝鮮と韓国の南北対話を早期に再開する、(3)北朝鮮は原子炉(黒鉛炉)を軽水炉に転換し米国も必要な技術支援を行う、(4)今後2か月以内に両国関係の全般的な関係改善のための基礎作りに向けた米朝協議第3ウランドを開くことなどに合意した。
 1993年8月13日からIAEAは北朝鮮に対する第7次特定査察の終了を確認するとともに、核疑惑の持たれている寧辺地区の2施設に対する特別査察の実施に関する協議を開始するよう改めて北朝鮮に呼びかける声明を発表した。

3.国連総会、査察勧告を決議
 IAEAの第37回総会は最終日の1993年10月1日、北朝鮮に対し、「深い憂慮」を表明し、核査察の受入れを求める決議を採択した。同月12日、北朝鮮はIAEAとの核査察に関する協議をこれ以上行わないとし、米朝会談を通じてのみ査察問題は解決されるとの表明を発表した。これに対し、1993年11月1日、国連総会は北朝鮮に、IAEAの核査察を全面的に受け入れることを求めた初の総会決議を採択したが、同月4日、北朝鮮は国連決議を拒否した。1993年11月11日、北朝鮮は第3ラウンド米朝協議にあたって(1)北朝鮮はIAEAの核査察を受け入れる、(2)米国は北朝鮮敵視政策を放棄するとの「一括妥結方式」を提唱した。米国は前向きと評価したが、IAEAが保障措置の継続性に満足する必要があり、それが一番重要な側面であるとしている。

4.IAEA、強い懸念を表明
 IAEA定例理事会は1993年12月3日、IAEAの核査察を拒否している北朝鮮に強い懸念を表明し、核査察協定に基づいた特定・通常査察をも拒否し、核査察対象を監視するカメラや電池交換など保守・点検作業に限定していることに、核施設、核物質の平和利用が確認できないとして懸念を表明した。1993年12月25日、ガリ国連事務総長は平壌で金日成・北朝鮮主席と会談、金主席は核問題について、国連の仲介を拒否した。
 IAEAと北朝鮮は1994年1月7日、実務レベルでの核査察協議を再開した。ここで北朝鮮は、1993年3月のNPT脱退宣言のきっかけとなった未申告施設の特別査察は、非核施設で軍事機密であるとして、全面拒否を貫いている。北朝鮮は、NPTに正式に復帰しておらず、NPTに基づいたIAEAとの保障措置協定に従う義務はないという立場をとっているのに対し、IAEA側は保障措置協定に基づき、査察を実施したい意向である。北朝鮮は交渉再開直前、7か所の核関連施設への査察受入れに同意する意向を示していたが、1994年1月21日、これを撤回し協議を振り出しに戻した。

5.IAEA、軍事不転用を確認できず
 1994年2月15日、IAEAは北朝鮮の申告施設7か所のフルスコープ査察受入れを発表した。ただし、IAEAの要求する寧辺近郊の核廃棄物貯蔵施設2か所への査察、5,000kWの実験用原子炉からの燃料棒のサンプリングは含まれていない。IAEAは、NPTからの脱退を表明している北朝鮮をより正常な状態に戻すのが最優先と判断したとされる。IAEA査察団は3月3日、北朝鮮の申告済み核関連施設7か所に対する核査察を開始し、3月14日終了した。査察団が1993年核施設に施した封印が一部破損しており、一部核関連施設からのサンプル採取が妨害された。1994年3月16日、IAEAは北朝鮮の申告済み核関連施設7か所で実施した査察について、核物質の軍事不転用が十分確認できないとする声明を発表した。寧辺地区にある放射化学研究所での査察拒否を指摘している。

6.国連安保理、査察を再勧告
 1994年3月21日、IAEA特別理事会は北朝鮮の査察協定不履行を国連安全保障理事会に再付託する決議を採択した。そのうえで、ブリックス事務局長に対して、保障措置違反があった場合に、国連安保理への報告を定めたIAEA憲章(12条C項)に基づき、今回の決議と事務局長の理事会報告を国連安保理に伝達することを要請した。これに対し、北朝鮮はNPTからの脱退を強く示唆する声明を発表した。
 1994年3月31日、国連安全保障理事会は、北朝鮮にIAEAの再査察受入れを勧告する議長声明を投票なしの全会一致で採択した。IAEAが北朝鮮に求めている追加査察は、再処理施設とみられる放射化学研究所での試料採取、塗抹標本、ガンマー測定などである。北朝鮮は同年5月12日に、寧辺の実験用原子炉(5千キロワット)からの燃料取り出しに着手することをIAEAに一方的に通告し、同年5月14日から燃料取り出しをIAEAの立会いなしに続行した。IAEAは同年6月2日に、「原子炉で作られた核物質が過去に軍事転用されなかったかどうかを確認することができなくなった」ことを表明した。これを受けて1994年6月10日、IAEA理事会はすべての保障措置に関連する情報及び場所へのアクセス要求等を内容とする決議を採択したところ、北朝鮮は、6月13日にIAEAからの即時脱退、今後のIAEAの査察拒否等を表明した。

7.米朝合意と軽水炉転換支援
 その後、カーター元米国大統領の訪朝等により、1994年7月8日からジュネーブで第3回米朝協議が開始されたが、同年7月9日北朝鮮の金日成主席の死去などで中断、8月5日に再開し、協議を重ねた結果、同年10月21日に次の4点を柱とする合意文書に署名がなされた。
 (1) 北朝鮮の黒鉛減速炉の軽水炉への転換(約2,000メガワット規模の軽水炉プロジェクトの提供とそのための国際共同事業体の組織、代替エネルギーの提供、黒鉛炉及び関連施設の凍結・解体等)
 (2) 両国の政治的・経済的関係の完全な正常化(貿易・投資の障壁緩和、連絡事務所の開設等)
 (3) 核なき朝鮮半島の平和と安全保障への努力(米国による核兵器の不使用、南北非核化共同宣言の実施のための措置等)
 (4) 国際的な核不拡散体制の強化への努力(NPTに留まる、IAEA保障措置 協定の履行等)
 米朝合意を受けて、1994年11月18日、北朝鮮は黒鉛炉と関連施設を全面凍結する措置を講じたと表明し、同年11月28日にIAEAがこれを確認した。しかし、早くも同年11月30日北京での米朝専門家協議で、北朝鮮は韓国型軽水炉も受入れに強く反対した。北朝鮮の韓国型軽水炉の受入れ拒否の姿勢は、北朝鮮への軽水炉転換支援の母体となる国際共同事業体「朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO:Korean Peninsula Energy Development Organization)」の設立(1995年3月9日)後の1995年3月25日〜27日ベルリンで開催された米朝両国の第3実務者協議まで、一貫して変わっていない。米朝合意での軽水炉供給契約を締結する「努力目標」は1995年4月21日までとなっている。
<図/表>
表1−1 北朝鮮の核兵器開発疑惑に関する経緯(1/5)
表1−2 北朝鮮の核兵器開発疑惑に関する経緯(2/5)
表1−3 北朝鮮の核兵器開発疑惑に関する経緯(3/5)
表1−4 北朝鮮の核兵器開発疑惑に関する経緯(4/5)
表1−5 北朝鮮の核兵器開発疑惑に関する経緯(5/5)
表2 北朝鮮の原子力関係施設一覧
図1 韓国および北朝鮮の原子力関連施設
図2 北朝鮮の原子力行政組織

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<関連タイトル>
IAEAの保障措置 (13-01-01-05)
国際原子力機関(IAEA) (13-01-01-17)
アメリカの原子力政策および計画 (14-04-01-01)

<参考文献>
(1) (社)日本原子力産業会議(編集発行):原子力年鑑 平成6年版(1994年11月)
(2) 原子力委員会(編):原子力白書 平成6年版、大蔵省印刷局(1995年2月)
(3) (社)日本原子力産業会議(編集発行):原子力年鑑 平成4年版(1993年11月)
(4) (社)日本原子力産業会議(編集発行):原子力年鑑 平成3年版(1992年11月)
(5) 朝日新聞(1994年11月18日付け夕刊、1994年12月1日付け朝刊、1994年12月17日付け朝刊、1994年12月21日付け朝刊、1995年1月30日付け夕刊、1995年3月3日付け夕刊)
(6) 毎日新聞(1995年3月10日付け夕刊、1995年3月28日付け夕刊)
(7) 読売新聞(1995年1月12日付け夕刊)
(8) 日本経済新聞(1995年2月2日付け夕刊、1995年3月7日付け朝刊、1995年3月9日付け朝刊)
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