<本文>
1.ICRP(国際放射線防護委員会)の放射線防護活動の経過
1.1 防護の国際的委員会:IXRPCの設立
X線を多量に被ばくすると皮膚炎、脱毛、眼の痛みなどが起こることはX線の発見が公表された1896年のうちに判明した。被ばくによる障害については
遺伝的影響を除いて現在知られている全ての種類の障害が1912年頃には知られた。X線は診断、非破壊検査ばかりでなく、結核・がんなどの治療にも
表1に示すように多く利用された。ほかにもインチキ透視術など非科学的なことにも使用されて多くの障害を引き起こした。1914〜18年の第一次世界大戦では戦場でのX線診断に従事する医療関係者の多量被ばくが問題となり、英・独・伊・米などのX線利用の先進国で過剰被ばくの防止策が図られた。被ばくによる多くの種類の障害は認められたが線量と障害発生の関係の定量的知見がなく、またX線の「量」をどのように求めるか、単位をどうするかについても混乱していた。一方、放射性物質については、当時利用できた物質はラジウム(Ra)および
娘核種の
ラドン(Rn)に限られていたが、診断にはまだ利用されておらず、白金製の小さい針にRaを封入してガン部位に挿入し、Raからの
ガンマ線による照射治療が行なわれた。また放射能温泉療法の代わりに内服などによる健康保持・治療が行なわれた。
放射線・放射性物質の利用が拡大の一途をたどり、過剰な被ばくからの医師・患者の防護を組織的に行なう要望が強くなってきた。1925年の第一回国際放射線医学会議で防護に関する委員会とX線の量・単位をどのように決めるかの委員会の二つの委員会の設置が決められ、両問題は国際的に解決を図ることになった。
防護の委員会は「国際X線・Ra防護委員会:International X-ray and Radium Protection Committee:IXRPC=ICRPの前身」、量と単位の委員会は「国際X線単位委員会:International X-ray Unit Committee : IXUC = ICRUの前身」の名称のもとに欧米の9名の放射線医学者で1928年に活動を始め、後述するように1950年にICRPに改称して現在も活動を継続している。
IXRPC(後のICRP)勧告は学会を母体とする委員会の勧告であるために何らの規制力を持たないが最も権威あるものとして受け取られた。現在では国際原子力機関(IAEA)をはじめ全ての国際機関、日本を含めて各国の法規制に取り入れられている。
1.2 初期の勧告とICRPへの改称
IXRPCは1928年に最初の勧告を行なったがX線の量の表し方もまだ決まっておらず〔IXUCによるレントゲン単位の制定は同じ1928年〕、線量と障害の関係はヤケド、脱毛など幾つかの障害以外は不明の状況であって1928年勧告はX線発生装置の安全取扱と作業時間制限の勧告にとどまった。
1934年、IXRPCは1日当り0.2レントゲン(当時の記号はr)という量的な被ばく制限を初めて勧告した。この1日当りの制限値は「耐用量」の考えから導出されたもので、『障害が発生しない量』と当時考えられた量である。
サイクロトロンの発明および原子力開発に伴い、放射線・放射性物質の種類は多くなった。遺伝的障害の発見を含めて障害に関する知見はかなり蓄積されたが、世界的に風雲急を告げる時代で国際的活動は1930年代中頃から中断した。戦後の1950年にIXRPCは活動を再開し、医療上の利用による被ばく防護が中心であった放射線防護の範囲を拡大して原子力、一般工業など放射線利用の全てに拡大、委員も医学以外の分野の専門家を増員し12名の主委員会の下に幾つかの専門委員会を設置して名称を「国際放射線防護委員会:International Committee on Radiological Protection : ICRP」と改称した。線量と障害の関係については1934 年勧告以降の知見を入れて『被ばく線量に比例して障害は発生する』との安全側の仮定を取った。すなわち「耐用線量」の考えを捨て、『どのように僅かな量に被ばくを制限してもそれなりに障害は出る』との仮定である。この仮定は「
確定的影響(ガン・
白血病、遺伝的影響)」について現行勧告においても引き続き用いられている。
害をあらわす用語として「
リスク」という語が広く使用されるが、漠然と危険があることの意味か、あるいは定量的な意味での危険度を意味するのか混乱がある。ICRPは被ばくによる「リスク:risk」を「被ばくした個人に発生する特定の影響(障害)を発生する確率」、被ばくの[
損害:detriment」を「被ばく者グループについて生じるいろいろな障害の確率にその障害の重篤度を考慮した数学的期待値」を意味すると定義している(ICRP Pub 42)。
2.放射線の防護についての体系
2.1 線量制限の体系:system of dose limitation(1958年勧告〜1977年勧告)
「障害発生は線量に比例する」という仮定を採用して被ばくの制限を行なうことに伴ってICRPは下記3原則のもとに「線量制限の体系」を制定した。この体系は、表現は異なっても現行の1990年勧告まで引き継がれている。
(1)被ばくの正当化(justification)
被ばくするという行為(活動)は、被ばくによる個人および社会が蒙る「損害:detrimentに対して十分な「便益:benefit」をもたらすものでなければならない。
(2)被ばくの最適化(optimization)
便益をもたらす被ばく行為を不当に制限することなく、損害を適切に低く抑えなければならない。
(3)被ばく線量の拘束(constrain):
最大許容線量・
線量限度
被ばくによる損害の大きさから社会的に「線量拘束値(最大許容線量)」を超える被ばくは便益の大きさに係わらず容認されない。
線量拘束値を誘導する際の考え方および拘束値、最適化の図り方について現行勧告のそれと共に
図1、
図2および
表2に示す。拘束値を導く際の考え方、最適化の方法について表2に示した「無視できる…」「容認できる…」「実行可能な限り…」「容易に実行できる…」などと勧告されているが具体的には困難であるため、1977年勧告以前はその根拠および具体的手法はまったく記述されていない。
2.2
線量制限体系を適用する被ばく
人間は自然・人工を問わず多種類の
線源から被ばくしている。多くの被ばくは手を尽くせば避けることができるが、
宇宙線や体内の自然放射性物質のカリウム(
40K)からの被ばくのように避けられない被ばくもある。後者の避けられない被ばくについては被ばくの防護の防護は無意味であり、防護の体系を適用するか否かについてICRPは基本的には「線源が制御(コントロール)できるか否か」で決めてきた。
(1)制御できる線源からの被ばく……適用
原子力、工業、医療などの分野で利用される放射線発生器・放射性物質を装備した機器、および夜光時計・煙探知器などいわゆる「消費財」と云われる、家庭でも使用される小線源からの被ばくなど、線源は多種にわたるが全て適用対象の被ばくである。医療上の被ばくでは、患者としての被ばくは健康保持・治療のための被ばくであって放射線防護の体系の対象から除外されるが患者の防護については別途勧告がある。医療に関係する医師・技術者等の被ばくは職業上の被ばくであり(医療被ばくではない)、防護の対象となる。
(2)制御できない線源からの被ばく……原則として不適用
(a)宇宙線および自然に存在する放射性物質からの「
自然放射線による被ばく」、(b)「事故時の被ばく」および(c)「原水爆実験など核兵器による被ばく」がある。いずれの被ばくも一般論としては適用しない(できない)。(a)は地上に生存している限り不可避の被ばくであり、(b)は制御下にあった線源が制御できなくなったことによる被ばくであって防護の問題ではなく、問題は被ばく者の救済措置である。ただし、事故の拡大防止・人命救助など緊急作業による被ばくは防護の対象となる被ばくであるが、「線量制限の体系は適用せず、緊急時における被ばく線量の制限(拘束)は別途指針として与えられる。(c)は通常の被ばくとは次元が異なるもので、ICRPが活動できる世界ではない。
自然放射線による(a)の被ばくは、例えばジェット機旅行による宇宙線被ばくの増加など人間活動により増大することがある。この人為的に高められた自然放射線の被ばくについてはICRP 1977年勧告で初めて具体的に取り上げられ、ウラン採鉱に伴うラドンの被ばく、ジェット機旅行による宇宙線被ばくの増大については年間搭乗時間の多い乗組員・旅行添乗員が問題で、線量制限体系の対象となる被ばくとした。しかし、これらによる被ばくの状況がよく判明しておらず、具体的には述べていない。
〔本問題は法規制上取り扱いが難しい問題で、日本ではICRP 1977年勧告、1990年勧告の両法令取り入れでも規制対象の被ばくとはされていない。現在検討中の問題である〕
3.現行勧告(ICRP 1990)防護の体系:放射線防護体系:system of radiological protection
1950年以降ICRPは防護の体系を適用する被ばくであるか否かを線源が制御できるか否かをもって原則的に決めていたが、前述の「自然放射線被ばくを増大させる行為」による被ばくは個々の被ばく線量は小さくとも世界のほとんど全ての人の被ばくであり、またジェット機利用による被ばくも職業として搭乗する添乗員など一部の者については一般人の線量限度を超える場合も認められる。プロペラ機は飛行高度が低いために宇宙線被ばくの増大はほとんどない。これらのことから1990年勧告で、
表3に示すように(a)線源・被ばくとも制御できる場合、(b)線源は制御できないが被ばくは制御できる場合、(c)線源・被ばくとも制御できない場合に区分して拘束値(線量限度)適用・不適用を明確にした。被ばくする、あるいは被ばくを増加する活動を「行為:practice」、被ばくを低減させる活動を「介入:intervention」として防護体系の中に取り入れた。行為、介入とも従来の「正当化」「最適化」「拘束値以下でなければならない」という3原則は引き継いでいる。ただし、介入措置の中で人命救助活動については拘束値を与えることはできないとしている。
事故・トラブルなどの際に起こるかも知れない被ばくについては従来考慮されていなかったが、潜在被ばく:potential exposureとして取り上げた。しかし、潜在被ばくは起こった・起こることが確実な被ばくとは異質であって放射線防護体系は現状では適用できず、事故などで潜在被ばくが実際に起こる確率、防護対応(介入)のあり方は今後検討される。
他に、あまりにも小さい量の被ばくについては最適化による低減を図ることは意味がないとして、最適化を要しない「免除:exclusion」というレベルを体系に組み入れた。しかし、如何なるレベルをもって免除のレベルとするかという量的なことは規制当局で行なうべきこととしてICRPは数値的勧告をしていない。
このような線量制限体系が改訂により、従来の線量制限体系は
図2に示すように放射線防護体系:system of radiological protectionと改称された。
<図/表>
<関連タイトル>
放射線防護の歴史 (09-04-01-01)
被ばく制限値の推移 (09-04-01-02)
ICRPによる放射線防護の最適化の考え (09-04-01-07)
ICRP勧告(1990年)による個人の線量限度の考え (09-04-01-08)
<参考文献>
(1)国際放射線防護委員会:国際放射線防護委員会勧告、ICRP Pub 6(1958年勧告)、ICRP Pub 9(1965年勧告)、ICRP Pub 26(1977年勧告)、ICRP Pub 60(1990年勧告)、日本アイソトープ協会
(2)国際放射線防護委員会:ICRPが使用しているおもな概念と用語解説、ICRP Pub 42,日本アイソトープ協会(1984)
(3)R.L.Kathren,P.L.Ziemer(ed):Health Physics:A Backward Glance,Pergzmon Press(1980)