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<概要>
 故障などに伴い予期せぬ被ばくを受けることはあり得ることであるが、このように起こることが不確実な被ばくを“潜在被ばく”という。潜在被ばくに伴う健康上の影響は一般に、(被ばくを受ける確率)×(被ばくに伴う健康影響の大きさ)という積で表される。潜在被ばくが複数ある場合、全体的な健康上の影響は、これらの積の和で表される。これを確率論的放射線リスク値という。この量は、放射性固体廃棄物処分に関する放射線防護諸原則(ICRP Pub1.46) 、及び1990年ICRP勧告(ICRP Pub1.60) において、潜在被ばくを放射線防護の対象とするため導入された。また、この量に対する放射線防護上のリスク限度などが考えられている。
<更新年月>
1998年05月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.導入の背景−−−耐容、許容、限度、リスク限度と変化してきた。
 放射線による被ばくを規制する考え方は時代により少しずつ変わって来ている。例えば、個人被ばくの規制値は耐容線量(1940年代まで)、許容線量(1950〜70年代)、線量限度(1970〜90年代)、線量限度及びリスク限度(1990年代以降)と変化している。「耐容線量」の時代は少数の職業人に対する高い被ばくに伴う確定的な影響を防ぐのに主眼が置かれた。「許容線量」の時代はより多くの職業人と一般公衆に対し、身体の放射線感受性の高い臓器に生涯を通じてがんや遺伝も含めて明らかな影響が現れないようにするのに主眼が置かれた。「線量限度」の時代は多数の職業人と一般公衆に対する低い被ばくに伴う確率的な影響を一定限度以下に制限することに主眼が置かれている。「線量限度及びリスク限度」の時代になると、被ばくを確実に伴う場合に加え被ばくの有無が不確実な場合も見込んで被ばくを規制することに主眼が置かれている。
 この事情を簡単な例で示そう。高速道路を乗り継いで水戸から京都まで行く場合、常磐、首都高、東名の各高速道路で使用料を支払う。これは確実な出費である。これ以外にスピード違反、交通事故等による不慮の出費も考える必要がある。不慮の出費は起こることが不確実な出費である。不確実な出費は見通しがつけ難いが、通常出費の可能性を考えて希なものは無視し、適切な金額を用意する。車で旅行する場合、このような確実な出費と不確実な出費が一定限度以下となるように配慮するのが普通である。
 放射線防護においても平常活動に伴う確実な被ばくと事故・故障に伴う不確実な被ばく(潜在被ばく)を一定限度以下に規制するという考え方が有り得る。これが線量限度及びリスク限度の時代の考え方である。これは我々の日常生活における上述の出費の例にどこか似たところがある。このような潜在被ばくを規制するには、この量をどのように数量的に見積もるかが重要である。
 米国において、国家環境政策法(1970)の影響が強い1970年代に入ると、一般人に対する放射性物質輸送の安全性評価とか原子炉事故時の健康影響評価が問題になった。この評価では事故に伴う被ばくのインパクトを数量化することが必要で、これには事故シナリオの発生頻度と各シナリオに伴う被ばくによる健康影響の積とする方法が取られた。この場合、全シナリオについての総合的な健康影響を評価する必要があるが、このための量として“Σ(被ばくをもたらす事象の発生確率)×(被ばくに伴う健康影響の大きさ)”という全シナリオについての和が提案され、広く用いられるようになった。工学安全分野でこの量をリスクと呼ぶ。安全性確保のため、このようなリスクの評価を行うことを確率論的リスク評価(Probabilistic Risk Assessment)または確率論的安全性評価(Probabilistic Safety Assessment)と言う。
 1980年代に入ると、遠い将来に及ぶ不確実な被ばくシナリオの評価を要する放射性固体廃棄物処分が重要な問題となり、これに対する放射線防護の原則がICRPで検討された。この結果は、ICRP Pub1.46にまとめられ、工学安全分野で使われている上記の確率論的リスクか導入された。1990年ICRP勧告では確実な被ばくのみならず、潜在被ばくも放射線防護の対象とし、これに対してリスク限度を設定する必要性が述べられている。それに対する報告書としてICRPは、Publication 64”潜在被ばくの防護:概念的枠組み”を刊行し、潜在被ばくのリスクは通常被ばくに対する線量限度が意味する健康リスクと同程度のリスク限度を勧告した。また全体のリスクを制限するには、その部分部分(すなわち線源関連)のリスクに制約をおくという観点から、特定の事故シーケンスのグループあるいは個々のシナリオの年間確率に対する拘束値を提案した。

2.定義−−−被ばくに会う確率と、それによって死亡する確率の積
 平常時の被ばくのように予想通り確実に生ずる場合は「確率1で起こる被ばく」と表現されるが、故障時の被ばくのように起こるか否か不明な潜在的被ばくの場合は「確率pで起こる被ばく」と表現される。このように個々の被ばくDに対して、被ばくの発生確率p、それによると死亡などの確率Eを考え、その積の和の値Σp(D)E(D)を確率論的放射線リスク値あるいは単にリスク値という。
 確率p(D)の計算は、原子炉事故や廃棄物処分の安全評価のように被ばく状況が複雑な場合は、放射性物質の流出確率と人に至る移行確率、さらにその移行を低減させる対策効果の比率などが考慮される。また、影響E(D)の計算にはがん死亡確率が考慮されるが、健康影響への全損失が問題になる場合は、1)放射線による致死がんの確率、2)放射線による非致死がんの確率、3)重度の遺伝的影響、4)放射線誘発によるがん死亡の発生時期の違いによる寿命の損失、が総合的に考慮される。

3.適用法
 放射性固体廃棄物処分に関する放射線防護原則における確率論的リスクの使われ方についてはICRP Pub1.46を参照して欲しい。ここでは、1990年ICRP勧告での使われ方を少し紹介する。
 潜在被ばくを伴う事業、例えば医療放射線照射施設とか原子力施設の故障による希な被ばく事故に伴う損害も考慮してこの事業が本当に社会にプラスの便益をもたらすか否か考えることが大切である。同じ施設でも、安全な設計の施設は別として、本質的に問題のある設計の施設が作られたとすると、確率の高い重大な潜在被ばくが無視できず、このような施設の建設は正当化されない。このように「行為の正当化」の段階で確率論的リスクの評価が必要となる。「防護の最適化」においても、確実な被ばくと共に潜在被ばくに伴う損害を合理的に低減することが必要である。また、最適化において個人への損害を制限するため確実な被ばくに対して線量拘束値が勧告されるが、潜在被ばくに対してはリスク拘束値が勧告されている。「個人損害の制限」として確実な被ばくに対して線量限度が勧告されているように、潜在被ばくに対してリスク限度が勧告されている。なお、潜在被ばくが重大な形態で、例えばチェルノブイル事故のように不幸に起こった場合、被ばくを下げるための介入(intervention)が必要となるが、確率論的リスク評価ではこのことを留意する必要がある。

4.補足−−−よく似た用語の使いわけについて
 なお、参考までに、確率論的(Probabilistic)と確率的(Stochastic)の用語は意味が違うとしているので、補足しておく。安全工学分野では事故などの事象の起こり方が確実か不確実かによってその影響評価を決定論的(Deterministic)と確率論的(Probabilistic)に分けている。放射線防護分野では、被ばくに伴う人体影響の現れ方が確実か不確実かでその影響評価を確定的(Deterministic)と確率的(Stochastic) に分けている。以前は確定的を非確率的(Nonstochasitic) といっていた。
 他の補足として、ここでいう「リスク値」は通常「リスク」と訳されている。リスクという用語は様々に使われるので、リスクの値を指すということを明確にするためここではリスク値を用いた。また、ICRP Pub1.26(1977)では、「放射線リスク」というと確率的な影響を指し、例えば被ばくに伴う年死亡確率のことであった。ここで説明した放射線リスクは被ばくをもたらす事象の起こり方が不確実な場合のものであるので、そのことを明確にするため「確率論的放射線リスク値」とここでは表現したことを付記する。
<関連タイトル>
ICRPによって提案されている放射線防護の基本的考え方 (09-04-01-05)
ICRPによる放射線被ばくを伴う行為の正当化の考え (09-04-01-06)
ICRPによる放射線防護の最適化の考え (09-04-01-07)
ICRP勧告(1990年)による個人の線量限度の考え (09-04-01-08)
放射線被曝によるリスクとその他のリスクとの比較 (09-04-01-03)
放射線被ばくに伴う損害(デトリメント) (09-04-02-08)
限度とレベル (09-04-02-12)
線量限度 (09-04-02-13)

<参考文献>
(1)ICRP Publication 46,Annals of the ICRP,15 No.4(1985)「放射性固体廃棄物処分に関する放射線防護の諸原則」(日本語訳)、日本アイソトープ協会(1987)
(2)ICRP Publication 60,Annals of the ICRP,21,Nos.1-3(1991)「国際放射線防護委員会の1990年勧告」(日本語訳)、日本アイソトープ協会(1991)
(3)ICRP Publication 64,Annals of the ICRP,23,No.1 (1993)「潜在被ばくの防護:概念的枠組み」(日本語訳)、日本アイソトープ協会(1994)
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