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原子力特定総合研究が行われている1970年前後には無菌下で飼育する実験動物用飼料の放射線滅菌が実用化され、使い捨て医療用具の放射線滅菌も実用化され始めた。無菌実験動物の飼料は30kGyも照射されたが、加熱蒸気滅菌された飼料よりも飼育成績が良好などの利点があった。ラットなどの世代交代は短期間に進むため、現在までに60〜100世代が100%放射線処理された飼料で飼育されてきており、動物への異常がないということは照射食品の安全性を証明する根拠の一つとなっている。医療用具の滅菌も今では約70%が放射線で処理されている。一方、食品照射の研究は反対運動やナショナルプロジェクト終了によって規模が縮小したが、食品総合研究所、日本原子力研究所(現、日本原子力研究開発機構)、国立医薬品食品衛生研究所、大学などで引き続いて研究が行われた。また、(財)日本アイソトープ協会が組織した食品照射委員会では照射食品の安全性について最新の技術で再評価試験を行い問題のないことを明らかにした。
1.香辛料等の研究とRCAプロジェクト
1980年以降には原子力特定総合研究では取り上げられなかった家畜飼料や香辛料、冷凍魚介類、鶏肉等の放射線殺菌効果、グレープフルーツの殺虫効果等の研究が行われた。表1に示すように、家畜飼料の研究では魚粉等に混入しているサルモネラや大腸菌群の殺菌線量は約5kGyであり、飼料貯蔵中の腐敗に関与するカビ類も5kGyで殺菌できること、鶏の雛の飼育も良好なことを明らかにした。香辛料については耐熱性の芽胞形成細菌が1g当たり104〜108個検出されるが、7〜10kGyのガンマ線で衛生基準以下に殺菌され、アフラトキシン等のカビ毒を産生するカビ類や貯蔵中の腐敗に関与するカビ類も5kGy以下で殺菌できることを明らかにした。また、香辛料の重要成分である香りに関係する精油成分や抗菌成分、抗酸化成分、色調は50kGyでもほとんど減少しないことを明らかにした。冷凍エビでは食中毒に関与する腸炎ビブリオ等の病原性ビブリオ菌は凍結下で1〜2kGyで殺菌でき、室温下では1kGy以下で殺菌できること、成分変化はほとんど起こらないことを明らかにした。鶏肉や牛肉の殺菌効果では病原大腸菌O157やサルモネラ、リステリア菌、ブドウ球菌は室温下では1〜3kGyで殺菌できることを明らかにした。グレープフルーツについてはミバエ類等の殺虫を目的とした1kGyのガンマ線照射後の安全性試験が行われ、慢性毒性試験(長期飼育試験)、変異原性試験(遺伝毒性)とも異常が認められないことを明らかにした。また、ビタミンCなども変化しなかった。また、ガンマ線照射の代わりとなる電子線や制動放射X線での殺菌効果の研究も行われた。
一方、原子力特定総合研究が終了前後の1980年ころより国際原子力機関と国連食糧農業機関の東南アジア・太平洋地域を中心とする食品照射RCAプロジェクトが発足し、日本も研修生の受け入れ、専門家の派遣等で協力することになった(RCA:Regional Cooperative Agreement for Research, Development and Training Related to Nuclear Science and Technology)。RCAプロジェクトに協力した研究機関は日本原子力研究所(現、日本原子力研究開発機構)、食品総合研究所、国立医薬品食品衛生研究所等であり、研修生の引き受け、専門家の派遣、プロジェクト研究の分担、ワークショップや研修コース開催等で協力した。特定総合研究以降に取り上げられた研究には東南アジアからの研修生も研究に参加し、これらの研究は東南アジア地域にも興味がある課題でありRCAプロジェクトにも貢献した。RCAプロジェクトでは1980年からの第1期から第3期が終了した1995年までは日本は積極的に協力したが、第4期以降は協力はほとんどなくなった。
2.食品照射研究委員会の安全性研究
原子力特定総合研究で照射食品の安全性が明らかになったにもかかわらず、国内での食品照射反対運動は1980年以後も執拗に続けられた。これらの反対運動の論点に反論するために、旧ソ連のクチン氏らのラジオトキシン説に対しては(財)日本アイソトープ協会が組織した研究グループが追試を行い、照射馬鈴薯にはラジオトキシン生成はなく、研究方法そのものに問題があることを明らかにした。さらに(財)日本アイソトープ協会は1986〜1991年に食品照射研究委員会を組織して、国内外で問題になっている安全性に関わる代表的な項目について最新の研究技術で再試験を行った。この研究委員会には約15に及ぶ大学、国公立研究機関の研究者が参加した。取り上げられた研究は誘導放射能、食品成分の変化、変異原性物質の生成、微生物学的安全性であり、ポリプロイド(染色体異常の一種)の問題や照射糖類の変異原性(遺伝毒性)、アフラトキシン産生能促進効果などについて検討した。その結果、表2に示すように全ての項目において照射食品の安全性に問題がなく、世界保健機関の1980年の勧告が正しいことを明らかにした。
すなわち、誘導放射能の生成については10MeVの電子線を100kGy照射しても誘導放射能の生成は測定できず、X線も5MeV以下では誘導放射能の生成は無視できることを明らかにした。放射線による食品成分の変化では、照射によるタンパク質の消化性は30〜100kGy照射しても変化せず、免疫化学的性質も変化しなかった。香辛料の風味も30kGy照射後でも変化しなかった。また、照射馬鈴薯のビタミンCの調理後の損失は非照射品と大差がなかった。変異原性物質の誘発については、糖類を照射することによる変異原性物質の生成などについて検討した。糖類を加熱調理しても変異原性物質が微量に生成するが、10kGy程度の放射線を糖水溶液に照射しても若干の変異原性物質が極微量に生成した。しかし、これらの変異原性物質は野菜ジュースや生体内で無毒化された。糖とアミノ酸混合物を10kGy照射しても変異原性物質は生成しなかったが、蒸気滅菌では変異原性物質の生成が認められた。また、香辛料に10kGy照射しても変異原性物質の生成は認められなかった。小麦に30kGyまで照射してチャイニーズハムスターおよびラット骨髄細胞における倍数性細胞(ポリプロイド)の誘発と末梢赤血球中の小核誘発を調べたが、非照射と比べ有意な増加は見られなかった。微生物学的安全性の研究ではカビ毒であるアフラトキシンの照射による産生促進効果は無視でき、照射後の多くの生存菌のアフラトキシン産生能は減少することを明らかにした。また、ボツリヌス菌の毒素産生能は照射後も変化しなかった。
3.検知法の研究開発と最近の動向
1990年代以降には食中毒対策としての病原菌の殺菌効果や微生物学的安全性の研究が日本原子力研究所(現、日本原子力研究開発機構)等で行われた。また、食品総合研究所などでは植物検疫への放射線利用を目的として切り花の殺虫効果の研究が行われた。さらに、照射の有無を判別する検知法の研究が国立医薬品食品衛生研究所や食品総合研究所、東京都立産業技術研究所を中心に活発に行われるようになり、表3に示すような物理化学的方法、分析化学的方法、生物化学的方法で多くの有望な結果が得られている。検知法の研究は現在も標準化の研究が続けられている。
検知法の研究として最初に取り上げられたのは電気インピーダンス(交流電気抵抗)による照射馬鈴薯の判別であり、有望な結果が得られている。また、ヨーロッパで成功している照射香辛料等の検知に用いる熱ルミネッセンス法が追試され香辛料や乾燥野菜で良好な成績を収めている。熱ルミネッセンス法は香辛料等に含まれている砂などの無機物質に熱を加えると放射線の吸収量に応じて光が発生するのを測定するものであり、精度良く判別が可能である。また、光励起ルミネッセンス法は熱ルミネッセンス法の簡易判別法として開発されている。乾燥食品や骨に残存するフリーラジカルを検知するESR(電子スピン共鳴)法は香辛料や食鳥肉、魚介類などの照射の有無を判別する方法として優れており、わが国でも多くの研究機関で良好な結果が得られている。照射による食品分解生成物から照射の有無を検知する方法としては脂質から生成される揮発性炭化水素(ヘキサデカンおよびヘプタデカン)の分析やシクロブタノンの分析があり、良好な結果が得られている。ただし、シクロブタノン法は生成量が極微量なため実用性はあまりないであろう。生物学的方法ではグレープフルーツ等の果実の種子の胚の発芽力による判別法がわが国で開発された。ヨーロッパで開発された組織細胞内DNAの照射による断片化を電気泳動で判別する方法もわが国で追試され、肉類や穀類、生鮮果実等の予備的判別法として優れていることが認められている。その他、粘度低下による検知法や照射後に生残する微生物による検知法等が開発されている。
一方、1990年以降には食品照射データベースが(独)日本原子力研究開発機構(旧、日本原子力研究所)や(財)放射線利用振興協会の放射線利用データベースの一部として整備されており、両者ともインターネットで公開されている。
現在、食品照射の実用化が活発な国はアメリカ、中国、フランス、オランダ、ベルギー、南アフリカ、韓国等であり、照射食品は世界各国に流通している。わが国では馬鈴薯の照射が実用化されて33年になっているが、国際的には30ヶ国以上で食品照射が実用化されている。ことに、香辛料の放射線殺菌は約50ヶ国で許可されており、国際間で流通している。わが国でも全日本スパイス協会が許可要請を2000年に行ったが、今もって厚生労働省から許可されていない。わが国では香辛料の殺菌処理は高圧水蒸気による気流式過熱殺菌法で行われているが、香りが大幅に減少し色調が変化するなどの問題点がある。放射線殺菌法はこれらの問題がなく、自然な状態での殺菌処理が可能である。ニンニクは最近まで発芽防止剤が収穫前に散布されてきたが、散布が禁止になった現在では−2.5℃で低温貯蔵しているが、流通下で腐敗しやすいという問題がある。放射線処理では常温下でも発芽せず、腐敗もしないため有望である。原子力委員会は2006年に食品照射実用化促進を勧告しており、各省の迅速な対応が期待される。<図/表>