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<概要>
 負の電荷のパイ中間子は生体組織に入った時にある深度で大きな線量を与えるプラグピークを持つような線量分布を示す。この特質を利用して、がんの治療に用いられ、ある種のがん(脳腫瘍、前立腺がんなど)で有効性が認められている。現在パイ中間子治療が行われているのはスイス(PSI) とカナダ(TRIUMF) の2ヶ所である。
<更新年月>
1998年05月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.パイ中間子とは
 パイ中間子は原子核の構成要素である陽子と中間子との間に働く引力(力)を媒介する場の粒子である。パイオン、パイメゾンとも呼ばれ、電子と陽子との中間の大きさ(質量は電子の 273倍、陽子の6分の1)である。パイ中間子の寿命は2.54×10-8 秒と短い。電荷は、正、負、中性のいずれでもあり得る。放射線治療に用いられるパイ中間子は負の電荷のものである。放射線治療に用いられるパイ中間子は生体組織内に6〜13cmの深さまで入り得るような40〜90Mev のエネルギーのものである。湯川秀樹博士が「中間子論」で1949年にノーベル賞を受けたことにより、日本人にはなじみの深い言葉である。
2.パイ中間子によるがんの放射線治療の原理
 パイ中間子(負の電荷)は組織内に入るとはじめは粒子として行動するが飛程の終わりに近づくと組織を作っている炭素、酸素、窒素などの原子の電子軌道に捕獲され、パイ中間子性X線と呼ばれるX線を放出しながら次第に原子の中へ入っていき、最後に核にあたって核分裂を起こす。炭素の場合を例にとると、パイ中間子が当った原子核はα線粒子2ヶ、陽子1ヶ、中性子3ヶに分裂する。これらの粒子の固まり(核片)をスター(Star) と呼ぶ。
 治療するがん(腫瘍)を丁度このスターが発生する深さ(場所)に一致させることによって、がん細胞を集中的に照射し、殺すことが出来る( 図1 )。スター発生に到るまでの線量と、スターの後の線量はごく小さいので、がん以外の正常細胞は損傷を殆ど受けず、従って良い治療効果が得られる。パイ中間子の主な利点は以下の3点であるとされている。
 (1) がん組織の細胞は、正常組織の細胞に比べてパイ中間子による損傷からの回復が少ない。
 (2) X線やγ線と同じ放射線量を細胞にあたえたとき、パイ中間子が細胞を破壊する効果は2倍近く大きい。
 (3) がん組織の中には通常の放射線に対し、大きな抵抗力を示す低酸素細胞があるが、パイ中間子はこの細胞にも大きな効果を示す。
3.がん治療用のパイ中間子の発生装置( 表1 参照)
 放射線治療に用いる負の電荷のパイ中間子は大型高出力の加速器で高エネルギーの陽子を標的(例えばベリリウム)にあて、発生するパイ中間子の中から負の電荷のもののみを磁石により選別して取り出すのが通常の方法である。実際にパイ中間子の発生に用いられてきた加速器としては米国ロスアラモスの線型加速器(陽子800Mev) 、カナダのバンクーバーにあるトライアンフ(TRIUNF3大学中間子研究所) およびスイスのフィリゲンにあるスイス国立ポールシェーラー研究所(PSI)(以前はスイス核科学研究所、Swiss Institute of Nuclear Research(SIN)と称していた)のサイクロトロンがある。PSI ではスタンフォード大学が開発したパイ中間子を効率的に腫瘍に集中照射できるようにしたパイオトロン(Piotron) という装置が使われている( 図2 )。
4.今までの治療成績
 米国のロスアラモス国立研究所、カナダ、スイスなどでは、今日までに皮膚、脳、膀胱、大腸、前立腺、軟部組織、骨、膵臓などのがん治療が行われてきている。この中で、悪性脳腫瘍、前立腺がん、軟部組織のがんなどにパイ中間子が有効との結果が出されている。しかしこの治療効果を臨床的に証明するにはまだ時間がかかる。
5.日本におけるパイ中間子がん治療
 日本では、1976年頃にパイ中間子のがん治療の検討が行われ、湯川博士がこれに大きな期待を寄せたことがあったが、日本国内では実現に到らぬままに現在に及んでいる。
 しかし、民間(読売新聞社等)の援助により日本のがん治療関係の学者が多数外国のパイ中間子治療施設に派遣され、そこでの治療に貢献して来ている。近年日本でも施設の建設を企てる動きがある。
<図/表>
表1 負のパイ中間子施設
表1  負のパイ中間子施設
図1 パイ中間子の深部線量分布
図1  パイ中間子の深部線量分布
図2 核科学研究所(SIN,スイス)
図2  核科学研究所(SIN,スイス)

<関連タイトル>
放射線によるがんの治療(手法と対象) (08-02-02-02)
放射線によるがんの治療(特徴と利点) (08-02-02-03)

<参考文献>
1)E.J. Hall: Radiobiology for the Radiotherapy, J.B.Lippincott Co.,Philadelphia, USA, 1978.
2)坂本澄彦;パイ中間子がん治療、Newton 12, No.10, 94-97, 1992.
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