<本文>
1.軽水炉圧力容器鋼
軽水炉圧力容器は、炉心にある核燃料が核反応に伴い発生した熱を炉外に取り出すために冷却材である水を循環させる役割を担っている鋼鉄製の構造物である。わが国の軽水炉圧力容器は、合金元素としてマンガン(Mn)、ニッケル(Ni)、モリブデン(Mo)、をそれぞれ1%前後含む、いわゆる低合金鋼に分類される鉄鋼材料で造られている。1970年代初頭に建設が開始された初期プラント以来、大型化に伴う厚肉化への対応のため、鋼種や製造法は多少変遷してきているが、一貫してMn−Ni−Mo系の低合金鋼が用いられている。ASTM規格では、A533B Cl.1あるいは、A508 Cl.3に相当する鋼材である。また、特に炉心領域材に対しては、照射脆化を防止するため、高純度化等による改良が図られてきた。その一例として、わが国における軽水炉圧力容器について、中性子照射による脆化に大きな影響を及ぼすリン(P)及び鋼中の非金属介在物の生成要因となる硫黄(S)含有量と圧力容器の製造年度の推移の関係を
図1に示す(文献1)。これより、1980年代半ば以降に製造された圧力容器鋼は、極めて高い品質を有していることが分かる。
2.軽水炉圧力容器鋼の照射脆化
中性子照射による脆化には、鋼中に不純物として存在する銅(Cu)やリン(P)が大きな影響を及ぼす。合金元素の中にもNiのように脆化に影響するものもあることがわかっている。照射脆化が原因となりプラントの運転に影響が生じた事例は、Mn−Ni−Mo系の低合金鋼を使用している国としては米国があげられるが、米国の場合は、初期プラントの鋼材のCu含有量が幾分高かった上、さらに溶接棒の被覆に使用されていたCuが溶接時に混入し、Cuを0.3重量パーセント(wt%)程度以上含んでしまったことが、照射脆化が大きくなった原因である。日本の鋼材では、Cuが0.2wt%を超えるものはないため(文献2)、顕著な照射脆化事例はこれまでに報告されていない。但し、これは照射脆化が決して生じないということではなく、これまでの所、その程度が小さいということであり、今後も十分注意を怠らないようにしていく必要がある。すなわち、軽水炉の長期供用を可能にするためにも、軽水炉圧力容器鋼の照射脆化に関わる研究は最も重要な研究課題のひとつと位置付けることができる。そのためには特に機構論的な検討が必要であり、以下に、照射脆化の基礎から応用面にわたる研究動向を順次述べていく。
(1)照射脆化とは何か
圧力容器の造られる低合金鋼は体心立方晶の金属である。この結晶系の金属は、通常の使用温度では構造材料として十分な粘りを有しているが、低温になると脆性的に破壊(
脆性破壊)する性質を持っている。この延性から脆性に変わることを延性脆性遷移といい、圧力容器は低合金鋼であるため延性脆性遷移挙動を示す。この挙動は、
シャルピー衝撃試験(
図2)により明白に確認できる(文献3)。この図に示すように、圧力容器鋼が中性子照射を受けた場合には、延性から脆性へ遷移する延性脆性
遷移温度(Ductile-Brittle Transition Temperature:DBTT:一般に吸収エネルギーが41Jとなる温度を用いる)が高温側に移行するとともに、上部棚エネルギー(Upper Shelf Energy:USE)と呼ばれている吸収エネルギーも低下する。中性子照射に伴うこれらの変化を照射脆化と呼んでいる。これらの変化が生じる原因は、後に詳しく述べるが、中性子照射によって形成される点欠陥集合体やCu析出物が結晶粒内の転位運動の障害物として作用し、材料の硬化が生ずるためである。実際の
原子炉圧力容器の健全性を確保する上では、脆性破壊を防止することに厳重な注意が払われており、延性脆性遷移挙動を把握しつつ共用することになる。具体的には、圧力容器内にシャルピー衝撃試験片等の監視試験片を装荷しておき、定期的に取り出して試験を行い、これに基づいて圧力容器材の健全性を確認しながらプラントの運転を行っている。
(2)照射脆化の進行とその予測
照射脆化の進行については、監視試験結果や材料試験炉による鋼材の加速照射試験データをもとに予測式が作られている。予測式は化学成分項と照射量項の積という関数型が一般的で、例えば1991年に定められた国内の脆化予測式では中性子照射に伴う遷移温度の変化ΔT41Jが、母材および溶接材について、それぞれ定められていた(文献4)。これらの式は、データの統計処理より得られた経験式であるが、米国では脆化機構に関する最近の知見を取り入れ、予測式の改良を進めている。
例えば、Easonらによって提案されている予測式は、大きく2つの項の和になっている(文献5)。第1項が中性子照射によって粒内で生じた点欠陥集合体に基づくもので、第2項が中性子照射によって生じたCu析出物に基づくものである。重要な点は、Cu析出物が関与する第2項が照射時間の関数を含み、これは照射脆化が照射量だけでなく中性子束にも依存することを示している。さらに、照射温度の効果が考慮されていることも、大きな改良点のひとつである。但し、その後に米国で規定された脆化予測式に関するASTM規格(ASTM E900-02)では、このうち中性子束の効果に関しては、結局あまり明確な実験データがないこともあって取り入れられていない(文献6)。
一方、わが国においても、照射脆化メカニズムに関する最近の研究成果を集約する形で、照射脆化予測モデルが提案された(文献7)。さらにこのモデルを出発点として、国内にある軽水炉圧力容器の監視試験データ並びに加速照射試験データを活用するとともに、係数の設定に際しては確率論的手法を用いる等の手順を経て、新しい規定が制定された(文献8)。科学的根拠と信頼性を基盤としたこの新しい規定では、中性子照射量、化学成分のほかに、中性子束、照射温度を入力変数とすることで、単一の予測法によって炉型や鋼種(母材、溶接金属)によらずに十分に高い精度で照射脆化を予測することが可能となっている。
今後とも、引き続き機構論的な検討や脆化予測法のさらなる精度向上を目指した研究は重要な課題といえる。
(3)圧力容器の健全性をどう確認するか
PWRの方がBWRよりも圧力容器の受ける照射量がほぼ1桁高いことから(PWRで供用末期に10
19(n/cm
2)台の後半)、安全性の観点からの照射脆化の検討対象はまずはPWRとなる。PWRの圧力容器の健全性に影響する最も厳しい想定事象は、
加圧熱衝撃(Pressurized Thermal Shock:PTS)である。PTS事象とは、
原子炉の運転中に発生した異常に対して
ECCSが作動し、低温の冷却水が注入されることにより生じる過渡事象であり、圧力容器内面には運転時の圧力による引張応力に加えて、容器表面付近の熱収縮による大きな引張応力が加わる。健全性の評価では、圧力容器の内面にき裂が存在していると想定し、鋼材については中性子照射脆化を考慮して、PTS事象時に発生する応力に対し破壊力学的な検討が行われる。
この破壊力学評価を行う上で最も重要な材料特性のひとつが延性脆性遷移領域での破壊靱性値(KIC)である。このため、KICは運転期間を通して、即ち中性子照射の効果を考慮して適切に把握しておく必要がある。実際上は照射後のKICは、監視試験のシャルピー衝撃試験で測られる延性脆性遷移温度より間接的に求めている。これは、原子炉内に装荷できる試験片の寸法や数量の制約から、規格に定められている破壊靱性試験片によりKICを直接求めることが難しかったためである。Wallinらにより最弱リンク理論(Weakest Link Theory)に基づく寸法補正およびワイブル分布を仮定した統計手法等を用いた、小型でかつ比較的少数の試験片で照射後の破壊靱性遷移曲線を求める手法(マスターカーブ法と呼ぶ)が開発、提案され(文献9、10)、その後米国を中心に詳細な検討が加えられ、ASTMで規格化されるに至った。照射脆化をより定量的に求める上で大きな技術的な進歩であり、今後の応用が期待される。なお、これまでの実験的研究で、中性子照射に伴うシャルピー衝撃試験で求めた延性脆性遷移温度のシフト量と中性子照射に伴う破壊靱性のシフト量の間には、大きな差の無いことが示されている(文献11)。
3.照射脆化の機構解明の動向
照射脆化の予測精度の向上のためには、脆化機構のより一層の理解が必要になる。照射脆化の原因となる照射欠陥としては、点欠陥集合体やCu析出物の存在が報告されてきた。実際にはどちらもナノオーダーの微細構造であり、透過型
電子顕微鏡が圧力容器鋼の照射欠陥の観察には適していないこともあって、詳細には不明な点が多かった。最近になり、陽電子消滅法、3次元アトムプローブ、中性子小角散乱法などの照射欠陥の観察装置、技術が大きく進歩したこと、また、
照射損傷に関する計算機シミュレーションの技術が進歩したことにより、圧力容器の照射脆化機構を理解する上でも格段の進歩が見られている。
以下に、これらを用いた最新の2、3の研究、および長期供用を想定し、これまで経験していない脆化機構の理解をも目指した研究の動向を簡単に紹介する。
(1)陽電子消滅法を用いた研究
陽電子消滅法は、従来、空孔やマイクロボイドなどの空孔型欠陥についての研究に多く利用されてきた。陽電子が空孔型欠陥に捕獲されるため、電子と消滅する際に放出する
ガンマ線について調べることにより、捕獲サイトである欠陥についての情報が取得できる。一方、圧力容器鋼の照射脆化では、空孔型欠陥等の点欠陥集合体と同程度に、あるいは場合によってはそれ以上にCu析出物が大きな役割を果たしている。析出物の場合にも、もし母相より陽電子との親和力が高ければ、陽電子の捕獲サイトになることから、本方法によって原理的には析出物に関する情報を得ることができる。実際には通常の方法では不可能であったが、同時計数ドップラー広がり法という測定法により、圧力容器鋼に形成される微小Cu析出物の検出、分析に成功した(文献12、13)。従来法による陽電子の寿命の情報に加え、この新しい方法により陽電子と対消滅する電子の運動量分布を測定することにより、
図3に示すようにマイクロボイドや析出物等の存在、形態について詳細な情報を得ることができるようになった。従来、マトリックス損傷とCu析出物はしばしば分けて議論されてきたが、鉄(Fe)−Cu系のモデル合金に対して行った研究から、微小Cu析出物とマイクロボイドは別々に存在するのではなく、空孔−Cu集合体が形成されていること等が明らかにされている(文献14)。
近年、照射脆化に及ぼす中性子束の影響を明らかにするため、同一材料(C−Mn鋼)について、実機原子炉の監視試験片(中性子束:4.2x10
8n/cm
2/s)と材料試験炉で加速照射(中性子束:3.6x10
12n/cm
2/s)した試料について、降伏強度の増加と照射量の関係に及ぼす中性子束の影響を整理し、
図4に示す結果を得た(文献15)。これより、監視試験片の方が材料試験炉で加速照射した試料よりも約1桁低い照射量(10
17n/cm
2程度)から降伏強度が上昇していることが認められた。同程度の脆化が起きている監視試験片(20年間で2.7×10
17n/cm
2照射)と材料試験炉で加速照射した試料(7時間で2.2×10
18n/cm
2照射)の陽電子消滅測定を行った。その結果、中性子束の低い監視試験片ではCu富裕析出物が生成しているが、空孔型欠陥はほとんど残存していなかった。一方、材料試験炉で加速照射した中性子束の高い試料では、空孔型欠陥が多数存在することが分かった。すなわち、同程度の脆化が起きている試料においても、中性子束の相違により詳細な微細損傷組織の異なることが明らかとなった。
(2)3次元アトムプローブを用いた研究
3次元アトムプローブは、電界イオン顕微鏡(FIM)と位置敏感型検出器とを組み合わせ、針状試料の先端の微小領域に対して、原子レベルに近い分解能で原子配列の観察を可能にした装置である。この装置を用いて中性子照射した圧力容器鋼の観察を行った例を
図5に示す(文献12)。Cuが濃縮している部分が観察され、これがいわゆる微細Cu析出物であるが、実際はCuだけでなく、Mn,Ni,Siなども集まった大きさ約2nm位のクラスターになっている。これに母相の主要元素であるFeも入るので、Cu析出物というよりもCu富化のクラスターと言う表現が相応しいと考えられる。
また、低い中性子束で照射した監視試験片と材料試験炉で高い中性子束で加速照射した試料についても、局所電極型アトムプローブにより調べた(文献7)。その結果、低い中性子束で中性子照射量が少ない監視試験片の方が、高い中性子束で中性子照射量が多い試料よりCu濃縮溶質原子クラスターの数密度、平均直径とも大きくなっていることが明らかとなった。
このように、陽電子消滅法、3次元アトムプローブ等の新しい分析技術を駆使することにより、照射脆化に及ぼす中性子束の影響を微細損傷組織の相違として理解できるようになってきている。
現在までに蓄積されてきた種々の知見をもとに、総合的な検討が並行して進められている。その一例として、照射脆化の照射量依存性を模式的に示すと
図6の如くになる(文献16)。脆化因子aは不純物Cuに起因する脆化のように、比較的低い照射量で脆化が飽和する場合である。一方、脆化因子bはマトリックス損傷による脆化のように、高い照射量になって脆化が顕著になる場合である。全体の脆化量は、両者を合成したものとなると想定されている。軽水炉を長期にわたり供用することを実現していくためには、今後ともモデルの高度化に向けた研究開発を推進することが重要である。
(3)今後の研究動向
ここ数年で照射脆化機構の理解は大きく進んだとはいえ、未だ、完全に解明されたわけではない。世の中のニーズとしても軽水炉プラントの長期供用があるため、圧力容器に関してもそれに応じて高経年化に対応した検討が必要である。その場合、経験の乏しい長期にわたる照射特性を対象とするため、必然的に機構論的な裏付けが要求される。以下に、今後の研究動向について、整理して記す。
・照射欠陥のさらなる理解:微小Cu析出物についてはかなり理解が進んできたが、その形成に対するNi,Mn,Si等の他元素の役割については未だ不十分な部分も多い。また、マトリックス損傷に関しては、未だその全貌は明らかになっていない。ナノ領域の分析、分子動力学法などの計算機シミュレーションなどを併せて検討していく必要がある。
・中性子束効果の解明:微細Cu析出物の形成には中性子束の影響が明確に観察された。すなわち、Cu含有量の多い鋼材では中性子束の高い試料より中性子束の低い試料の方が照射脆化の大きいことが報告された。このため鋼材をCu含有量で分類し、照射脆化に及ぼす中性子束の影響を整理する試みがなされており、統一的な整理に向けた地道な努力が期待される。ただし、これまでの報告から判断すれば実炉の条件では照射脆化に及ぼす中性子束の影響はそれほど大きくなく、しばしば、ばらつきの範囲内であり、これが前述したASTM E900-02の見解にもつながっていることに留意すべきである。
・非硬化性脆化の検討:これまでに述べた脆化は全て、照射欠陥が生成することにより材料の硬化が生ずる硬化性の脆化である。一方、例えばP等の不純物が結晶粒界に偏析すると、粒界強度が低下し脆化を生ずる。これは非硬化性脆化というが、英国の
マグノックス炉の監視試験として長期間照射された圧力容器鋼材(C−Mn鋼)では報告例がある。日本の圧力容器鋼材ではこれまでに粒界脆化が起きたことはないが、長期照射の影響の解明等が今後の課題と言える。
<図/表>
<関連タイトル>
BWR原子炉容器 (02-03-03-01)
PWR原子炉容器 (02-04-03-01)
<参考文献>
(1)佐藤育男:原子力機器材料への技術的挑戦と国際展開、日本原子力学会誌、Vol.52、p.806-810(2010)
(2)中村隆夫、田村明男:電気評論、Vol.9、p.59(1993)
(3)日本金属学会(編):核分裂炉用材料、金属便覧改訂6版、丸善(2000年5月)、p.748
(4)電気技術規程 原子力編「原子炉構造材の監視試験方法」JEAC 4201-1991
(5)E.D.Eason, J.E.Wright, G.R.Odette, :”Improved Embrittlement Correlations for Reactor Pressure Vessel Steels, NUREG/CR-6551(1998)
(6)ASTM E900-02, Standard Guide for Predicting Radiation-Induced Transition Temperature Shift in Reactor Vessel Materials, Annual Book of ASTM Standards, Vol.03.01, American Standard for Testing and Materials(2002)
(7)曾根田直樹、土肥謙次、野本明義、西田憲二、石野栞:軽水炉圧力容器鋼材の照射脆化予測法の式化に関する研究−照射脆化予測法の開発、電力中央研究所報告 No.Q06019、2007年4月
(8)電気技術規程 原子力編「原子炉構造材の監視試験方法」JAEC 4201-2007及びJAEC 4201-2007[2010年追補版]
(9)K.Wallin, Engineering Fracture Mechanics, Vol.19, No.6, p.1085(1984)
(10) K.Wallin, International Journal of Pressure Vessel and Piping, Vol.55, p.61(1993)
(11)K.Onizawa, M.Suzuki, JSME International Journal, Series A, Vol.47, p.479-485(2004)
(12)(株)アグネ技術センター:特集「原子炉圧力容器鋼の照射脆化機構」、金属 Vol.71, No.8, p.717-770(2001)
(13)永井康介、長谷川雅幸:埋め込みナノ粒子の陽電子消滅法による解析、ぶんせき、日本分析学会、2003, No.7 p.374-380
(14)(株)アグネ技術センター:特集「より高い信頼性を求めた原子炉材料の最近の研究動向」、金属 Vol.73, No.8, p.721-778(2003)
(15)Y.Nagai, T.Toyama, Y.Nishiyama, M.Suzuki, Z.Tang and M.Hasegawa:Appl. Phys. Lett. , Vol.87 (2005), 261920
(16)木村晃彦:材料が支える原子力システム−より高い信頼性のために− 第4回低合金鋼、日本原子力学会誌、Vol.53, p.782-786(2011)