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時系列的にみると、1957年のウィンズケール原子炉の事故、1979年のスリーマイルアイランド発電所の事故、及び1986年のチェルノブイル発電所の事故は、大量の放射性物質の放出や炉心の重大な損傷を引き起こし、極めて重大な事故であった。この他にも、燃料の溶融や、プラント内設備の著しい損傷や安全機能低下を招いた事象が発生している。
表1に、これまでに海外の原子力発電所で発生した主な事例を示す。以下では、
表1の各事例と、その概要を述べる。文献については
表2に示す。
1.英国ウィンズケール原子炉の燃料溶融・黒鉛火災事故
1957年10月7日午後から、黒鉛原子炉(減速材)に蓄積されたウィグナーエネルギーを放出させるための作業が行われていた。この放出作業において、温度計の設置に問題があったため、加熱のタイミングが速すぎて黒鉛を過熱させた。これにより、ウィグナーエネルギーが急激に放出され炉心の温度が急上昇した。その結果、複数の
燃料棒が溶融し、黒鉛の燃焼・火災が発生した。この原子炉には、放射性物質の放散を防止する障壁がほとんどなく、炉心から放出された放射性物質の大部分がそのまま環境に放出された(よう素約2万キュリーと推定されている)。この事故により、従業員14名が、国際放射線防護委員会の許容レベルを上回る全身被ばくを受けた。また、周辺地域では、牛乳の出荷が禁止された。事故の後、隣接する2号炉は運転は停止され、事故を起こした1号炉とともに再起動することなく廃炉となった。
2.米国SL−1原子炉の出力暴走事故
SL−1は軍事基地電源供給用の原子炉である(
図1に同炉の鳥瞰図を示す)。1961年1月3日、原子炉停止中、3名の保修作業員が原子炉の起動に向けて
制御棒を駆動機構に接続する作業を行っていた。5本の制御棒のうちの1本が引き抜かれたため、
反応度が急激に添加され原子炉が暴走状態となった。その結果、原子炉圧力容器及び炉心は殆ど完全に破壊された。作業員は3人とも死亡した。直接の死亡原因は爆発によるものであったが、現場での放射線線量は致死量に達していた。制御棒の引き抜きは、作業員が自殺を企て故意に行ったという説が出て話題となった(真相は不明)。この事故はone rod stuck margin(反応度価値の最も大きい制御棒1本が完全に引き抜かれても残りの制御棒で炉心を未臨界に維持できること)の基準(
安全審査指針)策定のきっかけとなった。
3.米国ブラウンズフェリー発電所1号機の火災
1975年3月22日、格納容器貫通部の漏洩検査を行っていた際、検査に用いていたローソクの火が貫通部のシール材(ポリウレタン)に引火した。結果的にケーブル分配室と原子炉建屋の2カ所での火災となった。ケーブル分配室の火災は約4時間で鎮火されたが、原子炉建屋の火災の消火には7時間以上を要した。数多くのケーブルが焼損し安全設備や機能が影響を受けた。特に電気/制御機器が利用できなくなったため、一時は炉心冷却が不十分な状態となるなど極めて深刻な事態となったが、運転員の適切な対応措置により大事には至らなかった。多重の炉心冷却系の機器が同時に利用不能となったことで、機器の物理的分離及び隔離に関する設計基準を再検討する必要性等が認識された。なお、わが国ではこの火災事故を契機に、火災に対する設計上の問題点を見直し、1980年11月6日「発電用軽水型原子炉施設の火災防護に関する審査指針」を定めた。
4.東独(現ドイツ)グライフスバルド発電所1号機の火災
1975年12月7日、スイッチギア室で回路短絡が起こり火災となった。約2時間30分後には鎮火されたが、数多くのケーブルが焼損した。原子炉は
スクラムし、その後
蒸気発生器(SG)による自然循環冷却が行われ炉心での崩壊熱が除去された。しかしケーブルの焼損により補助給水系が作動不能となり、SGが枯渇して一次系の冷却ができなくなったため、一次系圧力が上昇し
加圧器安全弁が開いた。さらに、この安全弁は完全に閉じず
一次冷却材が流出して圧力が低下したため非常用炉心冷却系が作動した。隣接する2号機からの電力供給により、補助給水系を起動させ炉心の冷却を行った。この事故は1990年2月に国際原子力機関の重要事象評価チームによって明らかとされた。
5.チェコスロバキア(現スロバキア)ボフニチェA1発電所の人身事故
1976年1月5日出力運転中の燃料交換作業終了直後、チャンネルプラグの破損により
燃料集合体が飛び出し、それに伴い原子炉冷却材(炭酸ガス)が漏れだした。原子炉は自動的にトリップし、
燃料交換機を用いてプラグを取り付けることで炭酸ガスの漏えいは止まった。漏えいした炭酸ガスは隣接する区画に拡がったため、原子炉建屋の下層階にいた作業員2名が炭酸ガスにより窒息死した。この事故による放射性物質の放出はなかった。
6.チェコスロバキア(現スロバキア)ボフニチェA1発電所の燃料溶融事故
1977年2月22日出力運転中に燃料交換を行っていたところ燃料チャンネル1本の閉塞が起こり、原子炉冷却材(炭酸ガス)の供給が不十分となったため、燃料集合体が過熱され溶融に至った。さらに
圧力管が破損して重水減速材が漏れだした。閉塞の原因は運転員が新燃料から湿分吸収材を取り除かずに炉心に装荷したことによるもので、燃料集合体の組立後に行われた検査が不十分であったことに起因する。この事故による放射性物質の放出はなかったが、その後この原子炉は永久停止となった。
7.米国デービスベッシー発電所における給水喪失及び加圧器逃し弁開固着
1977年9月24日試運転中、給水制御系の故障により蒸気発生器(SG)への注入弁が閉止した。その結果SG水位が低下し一次系の温度・圧力が上昇した。これに伴い加圧器逃し弁(PORV)が9度にわたって開閉を繰り返した後開固着した。PORVからの冷却材流出により加圧器逃しタンクが満水状態となってラプチャーディスクが吹いた。その後一次系内で蒸気が発生し始めたため、加圧器への冷却材流入量が急増し加圧器水位は上昇した。事象開始から21分後に運転員はPORVの開固着に気付き加圧器元弁を閉止した。デービスベッシーは、スリーマイルアイランド発電所(TMI)と同型の原子炉であり、給水喪失とその後のPORV開固着と続いたシナリオが1979年のTMI事故の初期と類似していることから、本事象はその予兆事象と言われている。
8.米国スリーマイルアイランド発電所2号機の炉心損傷事故
1979年3月28日定格の約97%出力で運転中、二次系の弁が閉止したため主給水ポンプが停止しタービンが停止した。
一次冷却系の温度・圧力が上昇し、加圧器逃し弁(PORV)が開き、さらに原子炉が停止した。補助給水ポンプが自動起動したが、給水ライン上の弁が閉止していたため蒸気発生器(SG)が空の状態となった。その後運転員がSG水位の異常に気付き弁を開いたため、SGへの給水が確保された。しかしPORVが故障して開固着したため一次冷却材が流出し小破断LOCA原子炉(冷却材喪失事故)となった。その結果原子炉圧力は低下し非常用炉心冷却系(
ECCS)が起動した。運転員はPORVの開固着に気付いていなかったので、加圧器の水位により一次系の冷却材が十分にあるものと判断し、さらに加圧器が満水状態になって圧力制御ができなくなるのを避けるためにECCSを停止した。これにより冷却材が沸騰して炉心水位が低下し、炉心が露出して燃料温度が上昇した。炉心は重大な損傷を受け放射性物質が格納容器内に放出された(
図2に事故の経過を示す)。環境へ放出された放射性物質の量は、希ガス約250万キュリー、よう素約15キュリーと推定されている。周辺公衆の最大被ばく線量は1mSv程度と推定されている。
9.仏国サンローラン発電所2号機の燃料溶融事故
1980年3月13日燃料カートリッジの交換準備中、一次冷却系に異物が混入し燃料チャンネルが部分的に閉塞した。このため炭酸ガスによる燃料冷却ができなくなり、燃料カートリッジの温度が急激に上昇し燃料が破損・溶融した。その結果原子炉冷却系内の放射能濃度が急激に上昇したため原子炉が自動停止した。環境に放出された放射性物質は、希ガス約2.2キュリーとされている(この他の放射性物質の放出はなく周辺住民への影響はなかった)。この事故の後約2年半にわたり同発電所は停止したままとなった。
10.米国ブラウンズフェリー発電所3号機のスクラム失敗
1980年6月28日計画保守のために原子炉停止に向けて、原子炉出力は約35%まで下げられていた。運転員は原子炉を停止させるため手動スクラム・ボタンを押して全制御棒を挿入させようとした。炉心西側の制御棒は全て(92本)完全に挿入されたが、東側の制御棒は93本中75本が完全挿入に失敗した。2度目及び3度目のスクラム操作でもそれぞれ59本、47本が挿入できなかった。4度目の自動スクラムで、全ての制御棒が挿入されたが、最初のスクラム失敗から14分以上経過していた。スクラム失敗の原因は東側のスクラム排出ヘッダ(SDV)に水が溜っていたことによる。
図3に
BWRのスクラム系の構成を示す。スクラムはスクラム入口弁が開くことでアキュムレータの圧力がピストン下部にかかり、その一方で、スクラム出口弁が開きピストン上部の水がSDVに排出されることで達成される。ブラウンズフェリーのSDVは
図4に示すように、西側と東側の別々のヘッダに分かれており、通常運転時には連続的にスクラム排出計測容器(SDIV)に排水されるよう設計されている。SDV並びにSDIVに水が溜まりすぎるとピストン上部からの水を受け入れることができなくなり制御棒挿入が妨げられるため、SDIVの水位が常時監視されている。この事故ではSDVからSDIVへの排水流量がSDIVからのドレン流量より少なかったため、SDIV水位が正常値を表示していたにも拘わらずSDVには水が溜まっていた。
11.ソ連(現ウクライナ)チェルノブイル発電所4号機の原子炉破損事故
1986年4月26日低出力運転状態で、タービンの慣性力を利用した電力供給を確認するための試験を開始したところ、発電機の回転数低下に伴い原子炉冷却材ポンプの回転数が低下し原子炉冷却材流量が減少した。その結果原子炉冷却材が沸騰しボイドが発生し、正の
ボイド反応度係数のため反応度が添加された。出力の上昇に伴い、燃料が過熱されて損傷した。多数の圧力管が破損するとともに、水素/水蒸気による爆発が起こり、原子炉が崩壊して、黒鉛・建築物の火災を伴う大事故となった(
図5に事故の経過を示す)。大量の核分裂生成物が環境中に放出された。その放出量は、希ガスを含む放射性物質は約5000万キュリーと推定された。この事故により31名が死亡し、200名以上が急性放射性障害と診断された。
事故の主たる原因は、当初運転員による6つの「規則違反」(幾つかは違反でなかったとされている:
図6参照)と設計上の欠陥(正のボイド反応度効果等)とされたが、その後、ポジティブスクラム効果であるとの見解も示された。ポジティブスクラム効果とは
図7に示すように、制御棒が挿入されると制御棒下端の黒鉛ディスプレーサによって中性子吸収材としての軽水が炉心下方に押し出されるため、正の反応度が添加されるというものである(黒鉛より軽水の方がより中性子を吸収する)。
12.米国サリー発電所2号機における給水管破断
1986年12月9日定格出力運転中、
主蒸気隔離弁が閉止し蒸気発生器(SG)の圧力が上昇して気泡が潰れたため、SG水位が低下し原子炉がスクラムした。その直後主給水ポンプ吸込側配管(口径約46cm)が破損し、そこから高温水が蒸気となって噴出した。その付近にいた8人の作業員が高温蒸気を浴びて火傷を負いうち4人は死亡した。配管破断の原因は、腐食/浸食により破断部配管周辺に厳しい減肉が発生したことであるとされた。この事故の発生後日本の7基のPWRプラントについて復水及び給水配管の肉厚検査が行われたが、異常な減肉は認められなかった。
13.最近5年間に起きた海外の原子力発電所のトラブル(1999〜2003年)
表3−1に最近5年間に起きた海外の原子力発電所のトラブル(1999〜2000年)を、
表3−2に最近5年間に起きた海外の原子力発電所のトラブル(2001年)を、および
表3−3に最近5年間に起きた海外の原子力発電所のトラブル(2002〜2003年)を示す。
<図/表>
<関連タイトル>
沸騰水型原子炉(BWR) (02-01-01-01)
加圧水型原子炉(PWR) (02-01-01-02)
カナダ型重水炉(CANDU炉) (02-01-01-05)
改良型ガス冷却炉(AGR) (02-01-01-07)
米国スリー・マイル・アイランド原子力発電所事故の概要 (02-07-04-01)
チェルノブイリ原子力発電所事故の概要 (02-07-04-11)
<参考文献>
(1)石川 迪夫:原子炉の暴走、日刊工業新聞 (1996年4月)
(2)資源エネルギー庁:原子力のページ、トラブル等情報データベース−海外のトラブル情報