<大項目> エネルギーと地球環境
<中項目> 人間活動とエネルギー・地球環境問題
<小項目> エネルギー利用の外部性
<タイトル>
原子燃料利用の外部性研究 (01-01-03-02)

<概要>
 21世紀のギガトレンド時代を迎え、原子燃料利用が、世界主要国において大気汚染の防止や気候変動の緩和、およびエネルギー・人間の安全保障上、不可欠な技術選択肢の一つとして位置付けられ始めた。それに伴い、原子燃料利用の社会経済効果のみならず、重大事故・震災・テロ等を含む環境・健康・社会経済影響についても、社会への説明責任が改めて問われ始めた。しかし、これらの社会経済効果や環境・健康・社会経済影響を対象とした原子燃料分野にふさわしい次世代の外部性研究ニーズに応えていくためには、外部費用の計測とその市場への内部化による資源の最適配分を目指した、従来の環境外部性の概念のみでは原理的に限界がある。それゆえ、ここでは原子燃料分野固有の社会的外部性、および市場取引を介した経済波及効果(金銭的外部性)も含めた次世代の外部性研究の基盤となる、相互に独立した3つの基本概念を紹介した。また、21世紀の高度に学際的かつ俯瞰的な学術研究や政策研究のフロンティアで、かつ挑戦すべき課題が数多くある次世代の外部性研究領域を、今後、わが国で創設し定着させていく上で当面対処すべき課題を明らかにした。
<更新年月>
2007年12月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
 近年、原子燃料利用の外部性研究が改めて注目を集めてきている。それは、21世紀のギガトレンド時代−中国・インド等の途上国の経済発展時代−を迎え、原子燃料利用が世界主要国において、大気汚染の防止や気候変動の緩和およびエネルギー・人間の安全保障面で、その不可欠な技術選択肢の一つとして位置付けられ始めたからである。また、それに伴い、その社会経済効果のみならず、重大事故・震災・テロ等に伴う環境・健康・社会経済影響についても、社会への説明責任が改めて問われ始めたからである。
 折りしも、人類史上最悪の原発事故と云われたチェルノブイリ原発事故による環境・健康・社会影響の全体像が、2006年に国連8機関と地元3か国の諸調査報告により始めて明らかとなり、仮に重大事故が発生した場合にも、事前の計画に基づき、地域住民の生命と健康を守る適切な対策の確立とその実施が可能であることが確実視されるに至った(参考文献1)。また、同事故後の国際社会の不安と混乱、欧州諸国における原子力フェーズアウト政策の選択等は、後述するように原子燃料分野固有の社会的外部性に該当することを裏付けた。
 一方、欧州委員会や米国エネルギー省が準拠してきたエネルギー外部性の概念は、市場取引を介さない技術的外部性の概念であって、その経済学的理念は外部費用の計測とその市場への内部化による資源の最適配分におかれていた。だが、この概念は化石燃料利用に伴う大気汚染や気候変動による損害、公的な研究開発成果の開示による社会的な波及効果など適用範囲の限られた概念で、原子燃料分野固有の複雑な社会的、政治経済的な波及影響現象の総体(広義の外部性)を取り扱うには、もともと原理的に限界があった。
 それは、原子力の開発・導入による社会経済的効果や重大事故・震災・テロ等に伴う環境・健康・社会経済影響など、原子燃料分野において本来必要な外部性研究を展開するには、相互に独立した3つの基本概念−(1)市場取引を介さない技術的外部性、(2)原子燃料分野固有の社会的外部性、(3)市場取引を介した経済波及効果(金銭的外部性)−の複合的な適用が不可欠であったからである。また、これら3つの基本概念に基づく複合的な概念枠組の構築と方法論の体系化それ自体が、広大なスコープを有した21世紀の高度に学際的かつ俯瞰的な学術研究のフロンティアでもあったからである(参考文献2)。
 それ故ここでは、次世代の原子燃料利用の外部性研究が準拠すべき3つの基本概念を具体的に紹介し、今後の学際的な研究領域創設上、当面対処すべき課題を明らかにする。
1.市場取引を介さない技術的外部性
 経済学では、歴史的に全く異なった二つの外部性概念(ピグーの技術的外部性とマーシャルの金銭的外部性)が登場し、それぞれ重要な波及影響現象の分析概念として用いられてきた(参考文献3)。ここで前者の技術的外部性は、ある経済主体が市場取引を介する(対価・補償を伴う)ことなく他の経済主体に影響を及ぼす現象で、後者の金銭的外部性は市場取引を介した経済波及効果を指す。
 環境分野では、この技術的外部性の典型例として、化石燃料利用に伴う広域・複合型大気汚染による健康被害、温室効果ガスの排出に伴う気候変動による社会経済損害、重大事故等による健康・社会経済影響などがあげられる。この内、大気汚染の場合、環境排出と損害費用発生の因果関係は明らかで概ね計測可能であったので、その環境対策は、損害費用に基づく費用便益分析の枠組みのもとで、主に環境基準と排出規制を組み合わせた規制的手法により推進されてきた。しかし、気候変動の場合、現在の温室効果ガスの排出と将来の気候変動による損害発生との関係は、今後の様々な適応対策の可能性も含め、なお、高度の不確実性を有している。それ故、気候変動対策は、予防原理と対策費用に基づく様々な経済的・制度的手法を駆使して推進されつつある(参考文献2)。原子力発電はこれらの環境外部性の低減が経済的に達成可能な選択肢の一つとして、近年、世界的にその導入が進められつつある。
 一方、原子炉重大事故の場合、放出された放射能は様々な影響経路(図1)を介して広がり、その拡散範囲は地域から地球規模に及ぶ。ExternE研究において、ドイツの研究者チームはICRPの線形リスク係数を用いて、重大事故を含む原子燃料サイクルの段階別損害費用を算定した(表1表2−1表2−2表2−3)。そして、ドイツで重大事故が発生した場合、欧州全域で5〜6万人もの致死性がんが過剰発症することになると公表した(参考文献4)。しかし、WHOはチェルノブイリ事故影響の現実に基づき、一般公衆の実際の被ばくレベルは、サイト周辺地域でもその大部分が微量〜低線量(表3)で、しかも、世界の高自然放射線被ばく地域の調査で、低線量被ばくにより健康リスクが増加したことを示す証拠は未だ見いだされていないと指摘した(参考文献5)。また、IAEAも100mSv未満の線量を数年間にわたって被ばくした人の発がん影響は明らかではないと指摘している(参考文献6)。
 それ故、現状では、低レベル放射線が人に与える健康リスクについては、科学的に考えられうる種々の論拠に基づく幅広いシナリオ分析を行い(参考文献7)、公衆、メディア、政策決定者など各界の人々の科学的不確実性に関する認識を深めていくことが、リスク研究者の責務であるといえる。しかし、従来の環境外部性研究は、外部費用の定量化を目的としていたため、低レベル放射線の線量・効果関係の不確実性を無視して、数億〜数十億もの人々の微量〜低線量被ばくに、放射線防護上の線形・閾値なし仮説を単純適用してきた(参考文献4および8)。その結果、次項で指摘するような原子燃料分野固有の重大な社会的外部性を引き起こす契機となった。
2.原子燃料分野固有の社会的外部性
 チェルノブイリ事故に関しては、これまで様々な憶測を招き、人々を不安と混乱に陥れてきた。それ故、この事故による影響の真の姿を明らかにするため、国連の8機関と地元3か国は、2003年〜2005年に国際的に著名な専門家100名を招集して、環境、健康および社会経済への影響の包括的なレビューを行った。この内、健康影響のレビューはWHOが統括し、事故後20年を経て、以下に示す冷静に評価された健康影響の全体像が、始めて明らかとなった(表4)(参考文献5および9参照)。
◇事故により地域住民が受けた全身被ばく線量は、急性放射線症を引き起こすレベルよりもずっと低かった。しかし、事故後の対応の遅れにより、多くの子供達が放射性ヨウ素で汚染されたミルクを摂取した。その結果、甲状腺に放射性ヨウ素が選択的に集積して高線量被ばくし、小児甲状腺がん(非致死性)が多発した。2002年現在の発症者は、約4800人でその過剰発症はなお何年も続くと見込まれる。だが幸いにも、甲状腺がんは治療しやすく予後も一般に良好であり、その生存率は早期の検診と治療の効果で約99%と高い。
◇地域住民の中での致死性がんの内、白血病の発症はそのピーク時期をすでに過ぎていると考えられるが、高汚染地域の住民の間でさえ、未だ発症増加の明白な証拠が見いだされていない。なかでも、小児白血病は、欧州23か国の36のがん登録データによる大規模な疫学調査が行われたが、その発症頻度上昇の証拠は見いだされなかった。また、固形がんもその過剰リスクは未だ見いだされていない。但し、乳がんについてはその兆候が認められるので、今後、臓器特異的な疫学調査の実施が必要である。
◇この事故が地域住民や事故処理作業者に与えた精神的な健康影響(ストレス、精神的トラウマ、事故処理作業者の自殺等)は、今日までこの事故によって惹き起こされた最も大きな公衆衛生問題である。研究の結果、健康影響の疫学研究においては、健康への脅威の知覚が果たす心理的な役割を理解することの重要性が明らかになった。
 WHOのこれらの評価結果は、ともすると放射線恐怖症(radiophobia)に陥りがちな地域住民に、重要な示唆を与えている。それは、事故による白血病等の致死性がんの発症リスクは、地域住民の場合、日常生活におけるリスクの変動範囲内で識別できないほど小さく、特に懸念するにはあたらないという点である。また、WHOはこれらの健康影響の評価結果を踏まえ、広島・長崎の原爆被爆影響に基づく線形閾値無し仮説が、低線量・慢性被ばくを基本としたチェルノブイリ地域住民の致死性がんの発症リスク推計に適用できるか否かは未だ確証されていない、と随所で注意を喚起している。それは線形閾値無し仮説が、放射線恐怖症の主要な原因の一つで、これが公衆のX線診断の受診拒否等を介して、結核や乳がん等の早期発見を困難にし、逆に人々の健康リスクを高めているからである。
 これらWHOの評価結果やその教訓は、同事故後に公表されたHohmeyerら(1988)の240万人ものがんの過剰発症推計(参考文献9および10)や前述のExternEの推計が、社会的にみていかに問題の多い推計であったかを示唆している。また、チェルノブイリ事故後、わが国も含め国際社会の多くの人々に与えた深刻な不安や混乱が、また、その帰結としての欧州諸国の原子力フェーズアウト政策の選択やわが国の原発立地に関する住民投票の結果が、これら科学的根拠が定かでない発がんリスク推計結果の不適切な公表やその喧伝が引き起こしてきた原子燃料分野固有の社会的外部性に該当することを裏付けた。
 この社会的外部性は、従来の経済学的外部性概念とは基本的に異なった社会心理学や政治学からみた外部性の概念で、その根底には、線形閾値無し仮説を介した広島・長崎の原爆被爆による未曾有の惨禍とのリスク認知面での連想がある。それ故、原子燃料分野では、様々な関係者による科学的根拠の定かでないリスク推計結果が、メディア、一般公衆、および政策決定者に受容されやすく、結果として、原子力利用に係る社会の適切な意思形成を困難なものとしてきた。また、それ故、放射線影響の教育が重視され推進されてきた。
 ここでの社会的外部性の概念は、概ね、「ある主体の科学的根拠が定かでない仮説・主張・報道・規制行為等が、不確実性を秘めた社会環境や重大事件・事故等のもとで、一般公衆、メディア、政策決定者等の心理・意識・行動に、看過し得ない影響を及ぼす現象」として定義することができる。なお、この社会的外部性は、引き続き、地域や国レベルの政治過程を介して、当該事象に関わる重大な政治的決定や制度設計、およびその帰結として巨額の財政負担等をもたらし、問題となる事例が多い。
3.市場取引を介した経済波及効果−金銭的外部性
 前述のように、金銭的外部性とは、市場取引を介した経済波及効果のことで、技術革新や電源立地投資等に伴う経済波及効果、原子力の化石燃料代替利用による中・長期的な国民所得の移転ロス低減効果や国際的な化石燃料の価格高騰抑制効果などが該当する。
 また、市場取引を介して国民経済や地域経済に損失をもたらす負の波及効果の事例として、原子燃料の供給抑制による価格高騰や電源の安定運用への影響、JCO臨界事故時に地域経済が受けた波及損害などがあげられる。
 ここで前者の原子燃料の供給抑制のような要因に対しては、短期的には長期契約による安定供給の確保や備蓄燃料の緊急時放出が、また中期的には海水ウラン回収技術の開発とそのバーゲニング・パワーとしての活用が、長期的にはFBRの導入による核燃料利用効率の飛躍的な改善や核融合発電技術の実用化が課題となっている。また、後者のJCO臨界事故時の地域経済への波及損害は、消費者・流通業者による地域産品の買い控え等のリスク回避行動が地域経済にもたらした波及損害(図2)で、前項の社会的外部性と金銭的外部性が複合作用して生じた、風評被害の典型的ケースである。なお、この現象は、不確実性を帯びた社会的に重大な事件等を介して、地域産業に重大な経済損失をもたらすおそれが高いため、社会的なリスクガバナンスの枠組の構築が求められる分野である。
4.学際的な研究領域創設上、当面対処すべき課題
 原子燃料利用が、21世紀の基幹的なエネルギー供給源として社会的に受容され、エネルギー、環境および人間の安全保障面からの要請に応えていくためには、これら3つの外部性概念を駆使しつつ、そのリスク・ベネフィット面からみた次世代の外部性研究(図3)を展開し、社会への説明責任を果たしていく必要がある(参考文献11)。なお、この研究領域は、広大なスコープを有した21世紀の高度に学際的かつ俯瞰的な学術研究や政策研究のフロンティアで、挑戦すべき課題が数多くある。それ故、関係分野の専門家で構成したレビューボードを設け、原子燃料分野における次世代の外部性研究領域の創設に向けた以下の既往知見のレビューと課題の構造化、概念枠組と方法論の体系化、重要課題の研究プログラム化、および研究開発実施体制の組織化等に着手する必要があるものといえる。
(1)近年新たに出現した多様なリスクの低減ニーズや研究課題の抽出と分析
  気候変動リスク、地震災害リスク、社会的・政治的リスク、テロ・核拡散リスク
(2)公的研究開発・政策の社会経済効果や規制の影響分析ニーズの抽出と体系化
(3)3つの外部性研究領域における研究開発課題の明確化
  ・領域別事象および複合領域事象に関する参考事例研究の収集と分析
  ・領域別の概念枠組と方法論、および評価システムの研究開発
  ・複合的な重要課題に関する概念枠組の構築と方法論、および評価システムの研究開発
(4)重要研究課題の分析と研究開発のプログラム化、および研究開発実施体制の組織化
<図/表>
表1 ExternEにおけるドイツの原子燃料サイクル(PWR)の概要
表2−1 軽水炉発電システムの環境損害費用の推計(ドイツの国別実施例:その1)
表2−2 軽水炉発電システムの環境損害費用の推計(ドイツの国別実施例:その2)
表2−3 軽水炉発電システムの環境損害費用の推計(ドイツの国別実施例:その3)
表3 チェルノブイリ事故および自然放射線による各集団の被ばく線量
表4 チェルノブイリ事故による健康影響の骨子−世界保健機関の評価結果
図1 重大事故時に放出される放射性物質による影響の経路
図2 風評被害等の波及損害発生プロセスの事例−社会的外部性と金銭的外部性の複合影響
図3 原子力政策領域における次世代の外部性研究のスコープ−リスク領域間相互作用とそのダイナミズム

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<関連タイトル>
化石燃料利用の外部性研究 (01-01-03-01)
放射性核種の体内移行と代謝 (09-01-04-01)
内部被ばく (09-01-05-02)
安定ヨウ素剤投与 (09-03-03-05)
原子力の経済性(英王立工学アカデミー報告書) (14-05-01-15)

<参考文献>
(1)(財)政策科学研究所:平成18年度チェルノブイル事故報告書関連調査報告、(独)原子力安全基盤機構委託調査(2007)
(2)「原子力エネルギーの外部性」研究専門委員会(編):エネルギーの外部性と原子力、(社)日本原子力学会(2006)
(3)Tibor Scitovsky:Two concepts of external economies,The Journal of Political Economy,April 1954
(4)EC:ExternE;Vol.10 National Implementation,European Commission,p.125(1999)
(5)WHO:Health effects of the Chernobyl accident:an overview(2006)
(6)IAEA:Development of an extended framework for emergency response criteria,Interim report for comments jointly sponsored by IAEA and WHO,IAEA-TECDOC-1432,p.17(2005)
(7)FR-AS and NAM:Dose-effect relationship and estimation of the carcinogenic effects of low doses of ionizing radiation,Joint Report of the Academie des Sciences (Paris) and of the Academie Nationale de Medecine,March 30,2005,p.7(2005)
(8)WHO:Health Effects of the UN-Chernobyl Accident and Special Health Care Programmes,Report of the UN-Chernobyl Forum Expert Group‘Health’(2006)
(9)OECD/NEA:Methodologies for assessing the economic consequences of nuclear reactor accidents,AnnexI,p.59(2000)
(10)O.Hohmeyer et al.:Social Costs of Energy Consumption, Springer-Verlag (1988)
(11)伊東慶四郎:原子力の社会的受容−その歴史的変容とリスクベネフィット、エネルギー・資源、Vol.19、No.6(1998)
(12)国連科学委員会:UNSCEAR(2000)Annex J、UNSCEAR(2000)Annex B
(13)European Communities:ExternE:Externalities of Energy-Methodology 2005 Update(2005),p.224
(14)伊藤慶四郎:エネルギーの外部性と原子力、1.2 外部性研究が挑戦すべき新たな課題への対応−概念枠組の拡張試論、(社)日本原子力学会(2006)、p.45
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