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「人工放射能」とは人工的に作られた放射性物質の総称であり、様々な
核種、生成形態があるため、何をもって「人工放射能の発見」とするかを特定することは難しい。ここでは、最初の人工核変換、最初の人工元素、核分裂の発見の3点について述べる。
1.最初の人工核変換
人工的な原子核変換実験は、1919年ラザフォードによって最初に行われた。彼は、Po(ポロニウム)からのα線を窒素ガス中に置いて、α線の到達距離の実験をしていた(
図1 )。このとき、Poから放出されるα線の到達距離は1気圧空気中で数cm程度であるにもかかわらず、Po線源から40cm以上の距離に
蛍光板スクリーン(硫化亜鉛粉末を塗ったガラス)を置いてもときどきこれが輝いて(シンチレーション)、何らかの粒子が蛍光板に衝突していることが観測された。ラザフォードは、この粒子の磁場の中での偏向を研究して、シンチレーションを起こさせている粒子が水素の原子核(
陽子)であると結論した。また、ガスの気圧を上げたり蛍光板スクリーンの前に金属箔を置くとシンチレーション数が減るが、ガスを乾燥空気にするとシンチレーション数が増えるという実験結果から、窒素14 (
14N)の原子核にα線(
4Heの原子核)が衝突し、酸素17(
17O)の原子核と陽子に変わり、陽子が蛍光板を光らせることを発見した。これが人工的に原子核を他の原子核に変換した最初の実験であった。
2.最初の人工元素
メンデレエフ(メンデレーフ、ロシア)が最初の周期律表を発表したのは1869年のことであった。それまでに発見されていた元素も、それ以後に発見された元素も、全てこの周期律表(後年一部改良された)の予想どおりにおさまっていた。したがって新しい元素の発見は周期律表を手がかりにして進められていった。1925年にRe(レニウム)が発見されて以後、周期律表にはまだ4つの空白が残されていたが、Reの発見以後10年以上も新しい元素は発見されなかった。一方、ラザフォードの「原子はプラス電荷をもった1個の原子核とその周囲を回る多数の
電子からできている」ことの発見を契機に彼の弟子たちはその原子核の性質について研究を進め、原子核は陽子と中性子からできており、元素の性質は陽子の数で決まることも明らかになった。つまり陽子の数を人工的に変えてやれば新しい元素ができるはずだ、と考えた科学者たちは、粒子に高いエネルギーを与えて原子核を壊すための装置(サイクロトロン)を考案した(1929年)。
さて、周期律表の4つの空白に相当する元素はなかなか発見されなかった。当時既に放射線を出して他の元素に変わってしまう元素もあることが分っており、自然界になければ人工的に作ってみようと考えた科学者がいた。イタリアの物理学者エミリオ・セグレは、1936年の夏アメリカのカリフォルニア大学のサイクロトロンで原子番号42のMo(モリブデン)に
重陽子(陽子1個と中性子1個からなる水素の原子核)を照射しイタリアに持ち帰った。Moの原子核が陽子を1個取り込めば、陽子数43(原子番号43)の未発見元素ができるはずであった。この43番元素の化学的性質は周期律表の真上にあるMn(原子番号25)と真下にあるRe(原子番号75)に似ているはずであり、セグレは、照射した試料の中からMnとReに化学的性質の似た物質を取り出す作業を行った。そしてついに彼は、長い間化学者が発見できなかった新しい元素の存在を確認した。原子番号43の放射性元素であった。彼は、人工的に作られた最初の元素であるから、「人工」という意味の「テクネシウム」という名前を新元素につけた。1937年のことであった。これが最初の人工放射性元素(人工放射能)である。
3.核分裂の発見
1938年12月、ドイツのハーンとシュトラッスマン(シュトラスマン)は、U(ウラン)を遅い中性子で衝撃する際の(n、γ)反応で生ずるかもしれない
超ウラン元素(原子番号>92)を探す目的で、このときに生ずる放射性元素の詳細な研究を行っていた。彼等は、ウランを遅い中性子で衝撃した際に生ずる数多くの放射性同位元素の中から、従来Ra(
ラジウム)の
同位体と考えられていた半減期86分の元素が、Raではなく原子番号56のBa(バリウム)であることを確認した。それまでは、核反応で新しくできる原子核は初めの原子核に近い種類のものに限られると考えられており、彼等の発見はその考えを完全に覆すものであった。
そこで、マイトナーとフリッシュはこの現象を次のように考えた。UからBaができたとすると、核の電荷が36e失われなければならないが、これらが多くのα粒子や陽子の放出により運び去られるよりは、例えば原子番号36(Kr;クリプトン)のような大きな粒子によって一気に運び去られたと考える方がエネルギー的により低くなり妥当である。すなわち、Uが中性子の作用でBaとKrのような2つの核に割れたとしなければならない。そしてこのように考えると、質量欠損から考えて約200
MeV のエネルギーが放出されるはずである。このエネルギーは主に割れた2つの破片の運動エネルギーになると考えられるので、このようなエネルギーをもった2つの破片粒子が放射線測定器で直接観測されるはずである。これらの考えはすべて現実に確認されて、今日の原子力利用時代の幕開けとなった。
このように原子核が同じ程度の大きな破片に割れる現象は「核分裂」と名付けられた。割れてできた物質を「
核分裂生成物」と呼ぶ。
235Uが遅い中性子によって核分裂すると、約40種の核分裂生成物ができ、これらは次々にβ崩壊しながら最終的には安定な核になる。その過程で発生する核種は 160種にも達する。これらの内で放射性のものは「人工放射能」である。
なお、アフリカ・ガボン共和国オクロ地区のウラン鉱床中で、約20億年前に自己持続性の核分裂連鎖反応が発生した痕跡が発見され、人為的にではなく、天然現象として核分裂が起き得ることが確認された(1972年)。この現象は「
天然原子炉」と呼ばれているが、天然原子炉の存在については、1956年日本人の化学者黒田和夫が予言していた。
<図/表>
<関連タイトル>
X線と放射能の発見 (16-02-01-01)
宇宙線の発見 (16-02-01-02)
α線、β線、γ線の発見 (16-02-01-03)
自然放射能の発見 (16-02-01-04)
<参考文献>
(1) 山懸登:アトムとラドン−放射能の社会史、全国出版(1983)
(2) 日本原子力文化振興財団:原子力の基礎講座1、原子力の基礎
(3) 板倉聖宣:原子・分子の発明発見物語、国土社(1983)
(4) E. N. Jenkins:Radioactivity−A Science in its Historical and Social Context, Wykeham Publications LTD, London, 1979.
(5)M.Curie(皆川理ら訳):放射能、白水社(1942)
(6)藤井勲:天然原子炉、東大出版会
(7) 日本原子力学会(編・刊):原子力がひらく世紀、1998年3月、p6