<本文>
1.緊急被ばく医療体制の必要性
原子力災害が発生した場合には、通常の災害医療に加えて被ばく医療の概念が必要となる。すなわち、被ばく線量、被ばくの影響が及ぶ範囲、汚染の可能性等を考慮し、被災者や障害者等に施す医療のコントロールを行い、緊急事態に適切な医療行為を迅速、的確に行うことが必要である。そのために、平時から救急・災害医療機関が被ばく医療に対応できる体制と指揮系統を整備・確認しておくことが重要である。
放射線には臭いや色などがなく、被ばくしても自ら感じとることができないことや、放射線の検出・測定には特別な機器が必要であることなど特殊な点が多いため、一般の人に不安を感じさせることも多い。また、一般に症状がすぐには現れにくく、専門家による被ばくの線量評価が診断・治療には不可欠である。これらの特殊性を加味し、放射線被ばく事故が生じた場合に対して行う医療が被ばく医療であり、特に原子力施設などで起きる事故に対しての医療対応が緊急被ばく医療体制である(
図1参照)。放射線被ばくや
放射性核種による汚染事故は、多くの場合、
管理区域内で起こるが、事業所外にも広がることもあり、大事故の場合は、事業所外の一般公衆にまで影響することもある。これらいずれの場合にも対応できる体制を構築する必要がある。緊急被ばく医療体制では、原子力施設の従事者と周辺住民とを区別しないことを基本理念としているが、医療内容からは大きく二つに分けることができる(
図2参照)。一つは一般公衆を放射線被ばく及び汚染から守るための体制と、もう一つは放射線被ばく事故に直接巻き込まれた人々を診断・治療するための体制である。
2.周辺住民のための緊急被ばく医療体制
影響が事業所外に及ぶような放射線事故が起きた時には、関係者及び影響が及ぶと考えられる住民に速やかに正確な情報を伝えること、放射線による被ばくや汚染等を的確に判断すること、心理的な不安解消に努めることが重要である。放射性物質によって汚染する住民の被ばくを防ぐためには、摂水や摂食の制限(
表1参照)、外出の禁止などがとられる(
表2参照)。また救護所を設置し、被災者の登録、汚染のスクリーニング、拭き取りによる
除染、問診、説明などを行う。拭き取りによる除染では不十分な場合、被ばく医療施設で除染処置を受ける。汚染には体表面汚染と経気道、経口、経皮、経粘膜などによる体内汚染とがある。汚染がないかもしくは除染の終了した者は、指定された場所または避難所に行く。また、
放射性ヨウ素による体内被ばくが予想される場合には、災害対策本部の指示に従い
安定ヨウ素剤による予防服用処置が講じられる。
原子力発電所の事故で放出される放射性ヨウ素による被ばくを防ぐ「安定ヨウ素剤」について、原発から主に半径5km圏の家庭に事前配布する方針を
原子力規制委員会がまとめた。服用のタイミングは委員会が判断し、原子力災害対策本部を通じて各自治体に伝えるとしている。この方針は平成25年(2013年)3月末までに新たな原子力災害対策指針に盛り込まれる予定である。
3.緊急被ばく医療体制
事業所の従業員など相当量の被ばくを受けたり汚染の可能性のある者は、事業所内救急医療施設において応急処置を受け、地域の被ばく医療機関に搬送される。あくまでも救命を優先し、除染は救命処置後、または、その処置の必要がない場合に行われる。次に測定及び
汚染検査に必要な試料の採取が行われる。これには鼻腔の
スミア、採血、採尿などが含まれる。二次被ばく医療施設には全身カウンターが設置されており、
γ線を出す放射性核種による体内汚染を測定し、記録する。創傷部の汚染は生理食塩水により除染を行う。放射性核種によってはキレート剤溶液にて洗浄する。除染が十分でなく、放置することで
急性障害が起きる可能性がある時は汚染部位を切除する(デブリードマンという)こともあるが、医学的な見地からも十分考慮し慎重に行う。口腔、鼻腔、耳腔、眼球結膜の洗浄には生理食塩水を、また必要に応じてキレート溶液を用いる。経口体内汚染が考えられる場合には、放射性核種とその化学型、また溶媒等を考慮し、胃洗浄及び下剤、体内除染剤などの投与を行う。落ちにくい体表面の汚染に対しては中性洗剤だけでなく、汚染物質の化学的性質などを考え他の界面活性剤などの溶液での除染も必要であるが、あくまでも皮膚を傷つけないように留意する。血流に入った汚染の除去、
放射線障害や外傷の治療のためには入院加療が必要な場合もあるが、この場合の入院体制も汚染があることを前提に考えておくことは重要である。被ばく医療機関では、目、鼻、口などの局所除染施設と全身除染施設を行える施設が必要である。患者を入院させる場合は、汚染の拡大防止や医療従事者の
放射線防護などを行うことが重要である。
4.わが国における緊急被ばく医療体制
1980年(昭和55年)6月、
原子力安全委員会は「原子力発電所周辺の防災対策について」(通称 防災指針)を出している。1999年(平成11年)9月30日に起きたJCOウラン加工工場で起きた臨界事故を教訓に、数回改訂を行いより実効的なものにしている(2003年(平成15年)7月一部改訂)。また、2001年(平成13年)6月には、「緊急被ばく医療のあり方について」のなかで、(独)放射線医学総合研究所(放医研)を三次被ばく医療の中心的機関として位置づけた緊急被ばく医療体制を構築している。これに基づき、わが国の緊急被ばく医療体制を、従来の救急医療、災害医療との整合性を図り、初期、二次及び三次被ばく医療体制とした(
図2及び
図3参照)。また、放射線には臭い、色などがなく、被ばくしても自ら感じとることができない、測定には特別な機器が必要である、などの特殊性を考え、事業者の放射線管理要員などの専門家による協力体制を敷いている。(注:原子力安全委員会は原子力安全・保安院とともに2012年9月18日に廃止され、原子力安全規制に係る行政を一元的に担う新たな組織として原子力規制委員会が2012年9月19日に発足した。)
地方自治体は各事業所周辺に初期及び二次医療機関を設定する。さらに、地域における第三次被ばく医療機関として東日本では放射線医学総合研究所(放医研)、西日本では広島大学が指定されている(
図4参照)。原子力発電所等の事故時には現地災害対策本部が設けられ、国には事故対策本部が組織される。周辺住民に対して、現地災害対策本部に関係機関の協力を得て緊急被ばく医療体制(
図1参照)が組織される。これには国公立医療機関や日本赤十字社支部、医師会、保健所その他が参加する。また、国は緊急被ばく医療派遣チームを派遣する。事業所内医療施設は、事業所内の傷病者の応急処置を行い、地域被ばく医療機関に移送する。そこで傷病者に対して緊急被ばく医療派遣チームの専門家と協力して放射性核種汚染の検査、除染、医療処置を行う。除染などが困難な場合には放医研など三次被ばく医療機関へ移送される。ここでは困難な
放射能除染、障害治療及び追跡調査などを行う。
国の防災基本計画の原子力災害対策編(第10編)において、放医研は、「外部専門医療機関との緊急被ばく医療に関する協力のための『緊急被ばく医療ネットワーク』を構築し、このネットワークによる情報交換、研究協力、人的交流を通じて平常時から緊急被ばく医療体制の充実を図る」とされており、これに基づき、緊急医療対策推進体制の中に「緊急被ばく医療ネットワーク」「物理学的線量評価ネットワーク」「染色体ネットワーク」を構築している(
図3、
図4参照)。
(前回更新:2005年12月)
<図/表>
<関連タイトル>
放射線の急性影響 (09-02-03-01)
放射線の身体的影響 (09-02-03-03)
放射線の皮膚への影響 (09-02-04-04)
放射線の消化器官への影響 (09-02-04-05)
放射性核種の体内取込みと体外除去 (09-03-03-04)
安定ヨウ素剤投与 (09-03-03-05)
飲食物摂取制限 (09-03-03-06)
放射線障害に対する治療法 (09-03-05-01)
骨髄移植 (09-03-05-02)
<参考文献>
(1)原子力安全委員会:原子力施設等の防災対策について、一部改訂(2003年7月)
(2)原子力安全委員会:緊急被ばく医療のあり方について(2001年6月)
(3)原子力安全委員会:原子力災害時における安定ヨウ素剤予防的服用の考え方について(2002年4月)
(4)放射線医学総合研究所:パンフレット「放医研の緊急被ばく医療」
(5)中央防災会議内閣府政策統括官(編):防災基本計画(2004年3月)
(6)中尾 勇(編):放射線事故の緊急医療−RI使用施設から原発サイト−、ソフトサイエンス社(1986年)
(7)原子力規制委員会:第7回原子力災害事前対策等に関する検討チーム及び第5回緊急被ばく医療に関する検討チーム合同会議、配布資料「各検討チームの議論を受けた原子力災害対策指針に盛り込む内容案」平成25年1月24日