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<概要>
 ノースカロライナ大学のS.Wing教授らは米国・オークリッジ研究所(ORNL)に1943年から1972年までに雇用された約8,000人の白人男性労働者を追跡調査し、長期にわたる低線量放射線被ばくの影響を調べている。追跡期間を1984年末までとした調査結果によると、全がんの死亡率と累積被ばく線量との間に統計学的に有意な関連が見られた。すなわち、20年の潜伏期間を仮定した場合に外部放射線被ばく線量10mSvあたり、がん死亡が4.94%上昇した。これは、広島・長崎の原爆被爆者の疫学研究から得られた値の約10倍であった。Wingらの研究結果がもし正しいとすると、低線量放射線への被ばくの影響が従来考えられてきたものより遙かに危険であることを示唆するが、統計学的解析、線量評価を初めとする様々な角度から詳細に検討し、総合的に評価する必要がある。
<更新年月>
1998年03月   

<本文>
1.はじめに
 今日、DOEの多くの施設が雇用者の健康状態や死亡について追跡調査を行っている。ノースカロライナ大学のS.Wing教授らは、米国・オークリッジ研究所(ORNL)に1943年から1972年までに雇用された約8,000人の白人男性労働者を追跡調査し、長期にわたる低線量放射線被ばくの影響を調べている。追跡期間を1977年末までとした最初の報告では死因別死亡率と放射線被ばくとの関連が見られなかったが、1984年末まで追跡期間を延長した次の報告によると、全がんの死亡率と累積被ばく線量との間に統計学的に有意な関連が見られた。彼らの研究によると、20年の潜伏期間を仮定した場合に外部放射線への被ばく線量10mSvあたり、がん死亡が4.94%上昇した。これは、広島・長崎の原爆被爆者の疫学研究から得られた値の約10倍であった。低線量放射線への被ばくの影響が従来考えられてきたものより遙かに危険であるという本研究結果は、放射線疫学研究の分野に論争を引き起こした。
2.ORNL(Oak Ridge National Laboratoly)について
 ORNLは、米国エネルギー省(DOE)の研究開発機関として1943年にテネシー州オークリッジで操業開始した。設立直後はマンハッタン計画のもとプルトニウムの生産を目的とした研究を発展させた。第二次大戦後は、基礎研究、原子炉設計、重粒子化学、分離濃縮技術の開発、放射性同位元素の生産や放射性物質を用いたエネルギー関連の研究がなされ、最近ではエネルギーや環境に関する基礎から応用まで幅広い研究を行っている。ORNLについての詳細はインターネットホームページ(http://www.ornl.gov/)で公開されている。
3.Wingら(1991)の研究の概要
 研究対象は1943年から1984年までにORNLに雇用された17,517人中8,318人の白人男性である。生死の状況は、主に雇用記録及び政府社会保障局から確認した。 表1 に研究対象の定義と1984年末現在の死亡状況を示す。1984年末までに1,524人の死亡が観察され、そのうち1,490人については州の人口動態局から死亡診断書を得た。原死因および原死因でないがん死亡は、国際疾病分類第8回修正(ICDA-8)によってコード化した。
 外部放射線の被ばく線量の測定は、1943年から1944年7月までポケットチェンバーを用い、以降1974年末までフィルムバッジを用い、1975年以降は熱蛍光線量計TLD)を用いた。個人線量データが得られない期間については、労働者の所属部署や所属プラントの平均線量を欠損している個人線量の代わりに用いた。労働者の外部放射線への累積被ばく線量の分布は 表2 に示すように、検出限界以下の被ばく線量(D=0)の労働者が4分の1を占めた。中央値は1.4mSvで、平均値は17.3mSvであった。
 研究対象の死因別死亡率を米国白人男性の死亡率と比較したり、内部対照群をとり累積被ばく線量と死亡率の関係が検討された。
 全労働者と内部被ばくが測定された労働者における主な死因についての観察死亡数と、米国の白人男性の死亡率を基準にした標準化死亡比(SMR)(*1)及び95%信頼区間を 表3 に示す。SMRと95%信頼区間は、全死因で0.74(0.71〜0.78)、全がんで0.79(0.71〜0.88)と1を下回った。全死因、全がん、肺がん及び白血病については累積被ばく線量と死亡率との関係がポアソン回帰モデルによって検討された。 表4 には、被ばくしない場合とくらべて潜伏期間を0、10、20年とした場合の被ばく線量10mSvあたりの死亡増加(%)を示す。この表においてχ2統計量(*2)が大きいほどモデルの適合性がよいことを示す。被ばく線量10mSvあたり全死因においては2.68%の増加となり、全がんでは4.94%の増加となった。
4.Wingら(1991)の研究への批判
 Gilbertらが同じデータを用いてさらに詳細な解析を行ったところ、全がん死亡に関する単位被ばく線量あたりの過剰相対リスクは、潜伏期間を20年とした場合に6.1とWingらの値に近かったが、90%信頼区間が1.5−12.0と大きかった。また、放射線被ばく線量と全がん死亡との有意な関連は、喫煙に関連するとされているがん死亡によるところが大きいことが明らかにされた。その上、喫煙に関連すると考えられている疾患については、がん以外の疾患の死亡率と放射線被ばく線量との間に有意な正の相関が認められた。このため、Wingらの研究は喫煙が交絡因子となり、がん死亡率に有意な正の相関が見かけ上現れたと考えられる。
 ところが、Wingらは、これに反論を唱え、Gilbertの解析では線量の欠損値(*3)をゼロとして取り扱っていることや社会経済的要因を考慮していないなどの方法論的な面で大きな違いがあることを主張した。
 また、Kerrは線量の欠損値の取り扱いについて、線量の測定頻度と検出限界及び線量率の点から詳細な検討を行った。フィルムバッジ等の個人線量計では検出限界以下の線量はゼロと測定・記録され、その値は欠損値として取り扱われる。ORNLの労働者の線量測定に用いられた線量計と検出限界を 表5 に示す。表5に示すように1944年7月から1956年7月の間は、フィルムバッジによる測定頻度が週1回と多かった。このように測定頻度が多ければ、検出限界に達しない線量が多く測定される。そのような線量はゼロとして測定・記録され、その結果、真の線量を過小評価する可能性が大きくなる。この期間の作業における単位時間当たりの線量率は高かったが、フィルムバッジによって測定記録された線量はかなり低かったことが示された。したがって、ORNLの労働者の累積被ばく線量も、特に1944年から1956年の間は過小評価されている可能性がある。この時期においてゼロと測定・記録された線量の取り扱い方を十分に注意する必要がある。
5.今後の展開
 ORNLを含むいくつかの原子力施設の労働者に対象を拡大した調査もいくつか行われている。Gilbertらは、ORNL労働者およびハンフォード施設労働者、ロッキー平原核兵器施設労働者合計約45,000人の死亡データを併合した解析を行った。それによると、1Svあたりの過剰相対リスク推定値(*4)は、白血病では〜1.0で、全がんではほぼ0であった。
 また。Fromeらは、ORNLを含むオークリッジにある4つの核プラントに1943年から1985年の間に雇用された労働者106,020人を対象とした研究結果を1997年に発表した。それによると白人男性における全死因のSMRは1.00で全がんでは0.98であった。また106,020人中28,347人のサブコホート(*5)については累積被ばく線量と死亡との関連が検討された。潜伏期間を10年とした場合の1Svあたりの過剰相対リスク推定値と95%信頼区間は、全死因で0.31(0.16〜1.01)、全がんで1.45(0.15〜3.48)であった。線量の欠損値を補完する新たな方法を開発して解析に用いたところ、線量の欠損値が過剰相対リスクを大きくする方向に偏りをもたらすことが示唆された。
 これらの研究における単位線量当たりの全がんの過剰相対リスクの推定値はWingらの値を大きく下回っていた。
 Wingらの研究結果は低線量放射線への被ばくの影響が従来考えられてきたものより遙かに危険であることを示唆し、放射線疫学の分野に論争を引き起こしたが、統計学的解析、線量評価を初めとする様々な角度から詳細な検討を行い、総合的に評価する必要がある。

[用語解説]
*1 標準化死亡比(Standardized Mortality Ratio; SMR)
 死亡率は属性(年齢や性)によって異なるので、集団における死亡数や死亡率は集団の属性に影響される。SMRは、通常、年齢構成を一定の基準集団のものに標準化することによって期待死亡数(E)を算出し、実際に観察された死亡数(O)とEの比をとることによって求める。この値を100倍したものをSMRと呼ぶこともある。期待死亡数(E)の算出は、基準集団の年齢別死亡率に対象集団の年齢別人口を乗じたものを全年齢で総計することによっておこなう。SMRは対照集団を選定することが比較的困難な職業被ばくの疫学研究においてリスクの指標として広く用いられている。SMRが1(あるいは100)を上回る場合には、死亡数が基準の集団より多いことを意味し、逆に1(あるいは100)を下回る場合には、死亡数が基準の集団より少ないことを意味する。
*2 χ2統計量(カイ二乗統計量)
 統計学的検定を行う際は、特定の分布に従うと仮定した検定統計量を計算し、この検定統計量が仮定した分布のどの位置に対応するかによって帰無仮説を棄却するかどうか判定する。χ2分布は自由度nによって定められる。表4では、各死因について潜伏期間を3通りに想定したモデルの適合度を評価する尺度としてχ2統計量を計算し、この統計量が自由度1のχ2分布に従うものとして検定を行っている。
*3 欠損値
 ここではフィルムバッジ等の個人線量計で測定・記録された値が欠けていた場合、その値を欠損値という。欠損値は、測定した線量が検出限界以下であった場合や、測定自体がなされなかった場合等に生じる。
*4 過剰相対リスク(excess relative risk)
 死亡率(あるいは死亡数)や発生率(あるいは発生数)の観察値をO、期待値をEとすると、相対リスク(RR)、過剰相対リスク(ERR)はそれぞれ以下の式で示される。
  RR = O/E, ERR = RR-1 = (O-E)/E
過剰相対リスクは、過剰分(観察値から期待値を引いたもの)と期待値との比を表す。何らかのモデルに基づいてデータから推定した過剰相対リスクの値を、「過剰相対リスク推定値」という。単に「過剰相対リスク」としてもよい。
*5 サブコホート
 疫学研究のうち「コホート研究」というデザインの研究では、研究対象集団を設定し、その中で起こった疫病などを観察し、曝露要因との関連を調べる。ここで設定した研究対象集団をコホートと呼ぶ。このコホートの中から特定の小さな集団に焦点を当て、その小さな集団について詳しく調査する場合、その小さな集団をサブコホートと呼ぶ。本文中では、サブコホートとはコホート(全対象者)の中で累積被ばく量が把握されており、累積被ばく量とガンなどの死亡率との関連を検討した集団を表わす。
<図/表>
表1 研究対象者の定義と19844年末現在の生死状況
表1  研究対象者の定義と19844年末現在の生死状況
表2 外部放射線の累積被ばく線量の分布
表2  外部放射線の累積被ばく線量の分布
表3 主な死因における観察死亡数(O)と標準化死亡比(SMR)及び95%信頼区間(95%CI)
表3  主な死因における観察死亡数(O)と標準化死亡比(SMR)及び95%信頼区間(95%CI)
表4 主な死因における被ばく線量10mSvあたりの死亡増加の推定値
表4  主な死因における被ばく線量10mSvあたりの死亡増加の推定値
表5 ORNL労働者が線量測定に用いた線量計と測定頻度及び検出限界
表5  ORNL労働者が線量測定に用いた線量計と測定頻度及び検出限界

<関連タイトル>
米国ハンフォード原子力施設従事者の疫学調査 (09-03-01-02)
原爆被爆生存者における放射線影響 (09-02-07-08)

<参考文献>
(1) 放射線医学総合研究所(監訳):放射線の線源と影響、原子放射線の影響に関する国連科学委員会の総会に対する1994年報告書 附属書付、(1996年)、p.71
(2) Checkoway,H.,Matthew,R.M.,Shy,C.M. Watson,J.E. Jr.,Tankersley,W.G.,Wolf,S.H.,Smith,J.C. and Fry,S.A.: Radiation work experience and cause specific mortality among workers at an energy research laboratory. Br. J. Ind. Med. 42,525-533(1985)
(3) Wing,S.,Shy,C.M.,Wood,J.L.,Wolf,S.,Cragle,D.L.,and Frome,E.L: Motarilty among workers at Oak Ridge National Laboratory,J. Am. Med. Assoc.,265,1397-1402(1991)
(4) Gilbert,E.S.: Mortality of workers at the Oak Ridge National Laboratory, Health Phys, 62,260-261(1992)
(5) Wing,S.,Shy,C.M.,Wood,J.L.,Wolf,S.,Cragle,D.L. and Frome,E.L.:Reply to comments by Gilbert and Prichard,Health Phys.,62,261-264(1992)
(6) Kerr,G.D.:Missing dose from mortality studies of radiation effects among workers at Oak Ridge National Laboratory,Health Phys.,66,206-208(1994)
(7) Gilbert,E.S.:Updated analysis of combined mortality data for workers at the Hanford site,Oak Ridge National Laboratory,and Rocky Flats weapons plants,Radiat. Res.,136,408-421(1993)
(8) Frome,E.L.,Cragle,D.L.,Watkins,J.P.,Wing,S.,Shy,C.M.,Tankersley,W.G.,and West,C.M.:A mortality study of employees of the nuclear industry in Oak Ridge,Tennessee,Radiat. Res.,148,64-80(1997)
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