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<概要>
 PIXE(Particle Induced X-ray Emission)分析は、高感度な多元素同時分析法であること、非破壊分析が可能であること、比較的分析時間が短いことが特徴で、様々な形態を取る環境試料を数多く分析する必要のある、環境汚染研究において強力なツールである。簡便な前処理で短時間に多くの元素分析が行えることは、時間的な変化を追跡したり、地域差を詳細に調べたりする環境モニタリングに最適な手法であるといえる。近年、励起源であるイオンビームをミクロンレベルに絞って照射を行えるようになり、微少領域の局所分析を行って、より微細な元素の分布図を、ミクロン単位の空間分解能で描くことが出来るようになった。
 大気中の微粒子の分析により、大気中の浮遊粒子の起源や発生時期を特定する試み、産業廃棄物からの漏洩や工場などからの排水に関連して、土壌や河川水のモニタリング、さらには上水道への影響を調べるなどのPIXE応用研究がなされている。近年問題となっている砒素汚染に関しては、人の毛髪、爪の分析が報告されるとともに、環境汚染指標として有望な魚の耳石、メダカの内部臓器中の微量元素を測定する研究も行われている。
<更新年月>
2007年10月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
 PIXE(Particle Induced X-ray Emission)分析は、加速器で発生させたイオン(主としてプロトン)で励起される元素の特性X線を測定して分析を行う方法である。この分析法の特徴として、高感度な多元素同時分析法であること、非破壊分析が可能であること、比較的分析時間が短いことが挙げられる。様々な形態を取る環境試料を数多く分析する必要のある環境汚染研究において、これらの特徴を有するPIXE分析法は非常に有利である。簡便な前処理で短時間に多くの元素分析が行えるので、時間的な変化を追跡したり、地域差を詳細に調べたりする環境モニタリングに最適な手法であるといえる。電子X線励起による蛍光X線分析に比べ、X線スペクトルのバックグラウンドが低いことや、通常用いるSi(Li)検出器では、軽元素からのX線を検出しないことから、生物試料を構成する主要元素であるC、H、N、O等の軽元素マトリクス中の微量元素分析に適している。近年、励起源であるイオンビームをミクロンレベルに絞って照射を行えるようになり、微少領域の局所分析も可能になった。
 環境研究においては、大気中の浮遊粒子、産業廃棄物処理や工場排水に関連して、土壌や河川水、汚染地域住民毛髪や爪、環境汚染試料として有望な草、キノコ、地衣類など植物や魚の耳石が分析対象とされている。また、小動物であるメダカの内部臓器中微量元素を測定して、環境から受けたストレスによる元素バランスの変動を測定する研究も行われている。以下にそれらの研究例を示す。
1.大気浮遊粒子(大気浮遊塵)
1)大気浮遊粒子の元素組成と発生源の特定
 秋田県環境研究センターでは、山間部と都市部との違いや、地域性を生かした積雪期と無雪期の違いに注目し、風向、風速、NO、SO2などの気象データとあわせて1時間毎の元素組成を測定している。また、都市部においては、サンプリングステーション周辺の工場や交通量、海塩・土壌の舞上がりなど多くの要素との相関関係を解析している。その結果、雪の無い時期においては、浮遊粒子に含まれるS、Ca、Mn、Zn、Sr、Zrが石膏工場との関連があり、特にS、Ca、Srが顕著であった。また、Cu、NO、NO2、COは自動車の排気ガスとの関連が顕著であった。Si、P、Na、Mg、Alは、近隣の肥料工場および土壌粒子との関連が見出された。一方、積雪期では、やや様子が異なり、石膏工場と肥料工場の影響が非積雪期よりも弱いことが判明した。また、浮遊粒子中にSiリッチな球状のものや、凝集物、Znリッチなファイバーなどが見出された。これらの観測結果をもとに、時間変化と風向きの関連などが研究されている(参考文献1、2、3)。
 メキシコシティーでは、大気汚染が深刻であるため、多くの研究がなされている。大気汚染として問題となるイオウ酸化物に関して、大気粉塵中での主要な成分比が調べられている。地域差はあるものの、工場からの排気、焼却によるもの、そして肺沈着などの健康影響評価上重要な微粒子に付着した硫酸塩が主体であることが示された(表1、文献4、5)。
 また、ニュージーランドにおいても、大気中の浮遊粒子の組成分析によって、粒度別にその起源を特定する試みがなされている(表2、参考文献6)。
2)大気浮遊粒子の採取方法と測定方法
 大気浮遊塵の元素組成分析法において、PIXE法では検出困難なNa以下の軽元素について、測定方法の工夫がなされている。核技術を用いる方法としては、RBS(ラザフォード後方散乱法)によってC、H、N、O等主要な元素の定量を行って、微量元素の定量値を補正する複合分析が行われるようになった。
 一方、日本全国2100か所の大気汚染観測モニタリングステーションでは、採集されたSPM(粒径10ミクロン以下大気浮遊粒子)の重さを測定する方法としてβ線の吸収が用いられている。
 大気浮遊粒子の採取方法として、ミニステップサンプラーが開発され、マイクロビームによるPIXE、RBS、STIM(走査型透過イオン顕微鏡)を利用して粒子一つ一つの組成特定の試みがなされ、。浮遊粒子の起源を明らかにすることが出来た。(参考文献7、8)
2.河川水および水道水
 飲み水としての水道水と、その原水である河川水について含有元素の分析がなされている。PIXE分析の特徴である高感度非破壊分析法であることを生かして、多くの試料を短時間で手数をかけずに分析することによって、水質汚染や水質管理のためのモニタリング法としての提案がなされている(図1、参考文献9)。元素形態は、イオンなどの溶存状態にあるものと懸濁物のような不溶性のものに分けるため、フィルターによる分離が行われている。また、化学形によって毒性が大きく異なるAsやCr等については、イオンの価数による水酸化金属との共沈挙動の差を利用して分離し、PIXE法で定量する方法が東北大学で開発されている(参考文献10、11)。その検出限界は、Asで10ppb、Crで50ppbである。
3.土壌
 土壌に関しては、深度方向への汚染元素の移行についても調べられている。メキシコの調査によれば、地域差はあるが、1m以上の深さまで、危険濃度を越すようなCu,Crが検出されていて、ほとんどが、工場からの廃棄物によるとされている(参考文献12)。
 廃棄物処理場からの漏洩問題にもPIXE法の適用が有り、硫化水素などの有害ガス発生に関連して、処理場土壌に含まれる微量のイオウをCuの化合物として定量する試みが発表されている(参考文献13)。
4.耳石・平衡石
 耳石は、硬骨魚類の頭蓋内にある平衡器官で、鱗に似た形をしており、鱗と同様成長に伴う日周輪が観察されることから、年齢の推定などに用いられる。また、体表面に無いことから、生育環境水からの付着ではなく、体内への取り込みによる影響を観察できる特徴を備えている。このような観点から、元素分析が行われ、主成分の炭酸カルシウムに微量に含まれるSrの比率が、淡水と海水とで異なることから、両方で生育する魚類の回遊挙動調査に応用されている。耳石は、小さな器官であり、魚体が10cmぐらいであれば、数mmの大きさである。その中の日周輪の間隔はミクロンオーダーとなるため、マイクロビーム走査PIXE分析が利用されている(図2、参考文献14)。
5.人体試料
1)毛髪
 汚染環境に居住する住民や、金属汚染を引き起こす職業に従事している人に関する汚染検査は、バイオアッセイとして、人体組織や排泄物を分析することにより行われることが多い。内部臓器組織の入手は非常に困難であり、血液、尿以外では毛髪や爪が非侵襲的手法として採取される。これらの試料は、一般的に非常に少量であり、数100ミリグラムmg前後であることが多いので、PIXE分析法の適用が試みられている。近年、世界各地でヒ素による中毒の問題が大きく取り上げられている。バングラデシュの例では、飲料水がAs汚染されている地区住民160人(中毒患者も含む)の毛髪を採取し、元素濃度を日本人250人の毛髪と比較して、As以外にも、Mn、Feの濃度が高いことが報告されている(表3、参考文献15)。特にMn濃度は高く、平均値を比較すると33倍にもなり、As濃度との正相関が見出された。
 また、東南アジアなどで多く見られる、手工業的な金採取の従事者の水銀汚染に関しても毛髪の調査が行われている。モンゴルにおいて、金アマルガムとして金を精製する際のHg蒸気の影響を調べたが、毛髪中のHgの濃度上昇は見られず、Asの蓄積があった(参考文献16)。
2)爪
 爪に関しては、試料に全く手を加えることなく、内部標準無しで多くの元素をPIXE分析する方法が、岩手医科大学のグループにより開発された(参考文献17)。このことは、熟練を要する分析技術を用いなくても、多くの試料の短時間処理が可能であることを意味しており、環境汚染や職業汚染のモニタリングにおいて、威力を発揮すると期待される。
6.環境ストレスとメタルバランスシフト
 ヒトをはじめとする生物は、環境から様々な影響を受けて生きている。その中には、騒音、熱暑、寒冷、細菌、重金属、有機塩素剤、放射線など健康を害するようなストレスも含まれる。このようなストレスが致死、奇形、個体数の減少等目に見える害を及ぼす前に、もっと小さな潜在的な変化をとらえ、対策を講じる必要がある。この微小変化の候補として生体必須微量元素濃度のバランスの異常、すなわちバランスシフトが考えられる。この現象を見いだすためには、多くの元素の同時測定が必要であり、かつ微少な試料中の微量元素が測定できなければならない。高感度非破壊多元素同時分析法であるPIXE法はこの目的に最適である。
 放射線医学総合研究所では、環境モニタリング生物として有望な近郊系メダカを取り上げ、X線照射、塩水飼育、飼育水への金属負荷という、体内臓器中の元素濃度変化を観察する研究が行われている。致死量よりかなり軽度なストレス負荷の予備的な実験を行い、PIXE法によりメタルバランスシフトを臓器ごとに観察が可能であることを確認した。ストレス負荷後のメダカは、行動、食餌などにおいて対照群と顕著な相違を示さなかったが、金属を含んだ水で飼育したメダカの胆のうは、X線照射と異なり、顕著に肥大した。Crは、Coよりもメダカの体内に取り込まれやすく、メタルバランスシフトへの影響も大きかった。微量必須元素では、Mnの増加、Fe、Cu、Znの減少がいくつかの主要体内臓器で観察された。脳は、他臓器と異なり、メタルバランスの変化をほとんど示さなかった。X線照射に関しては、照射後2週間にわたってメダカを継続飼育し、体内でのメタルバランスシフトの回復を観察した。X線照射によって、全主要臓器中のP濃度は上昇し、2週間たってももとの状態へ復帰しなかった(図3、文献18)。ストレスが与える元素バランスシフトは、臓器によっても元素によっても異なり、メカニズムの解明には、今後さらなる研究の継続が必要である。
<図/表>
表1 メキシコ市ペドリガル地区における大気浮遊粒子中に含まれる元素の起源推定
表1  メキシコ市ペドリガル地区における大気浮遊粒子中に含まれる元素の起源推定
表2 ニュージーランドMasterton地区で採取された大気浮遊粒子PM10-2.0およびPM2.0中元素の因子分析による起源推定
表2  ニュージーランドMasterton地区で採取された大気浮遊粒子PM10-2.0およびPM2.0中元素の因子分析による起源推定
表3 試料中の元素濃度(ppm)
表3  試料中の元素濃度(ppm)
図1 中国蘇州の河川水中元素濃度の潮位による変化
図1  中国蘇州の河川水中元素濃度の潮位による変化
図2 ニュージーランドBalclutha鉄橋で捕らえられたカワアナゴの一種の耳石のPIXEによる線分析
図2  ニュージーランドBalclutha鉄橋で捕らえられたカワアナゴの一種の耳石のPIXEによる線分析
図3 X線照射によるメダカ臓器中のP濃度変化と照射後の時間経過
図3  X線照射によるメダカ臓器中のP濃度変化と照射後の時間経過

<関連タイトル>
電子ビームを利用した環境保全技術 (08-03-03-01)
環境浄化材料の開発と実用化 (08-03-03-03)
環境負荷化合物の分解・除去における放射線利用 (08-03-03-04)

<参考文献>
(1)K.Saitoh,et al.:International Journal of PIXE,Vol.11,Nos.1&2,11-19(2001).
(2)K.Saitoh,et al.:International Journal of PIXE,Vol.11,Nos.3&4,133-147(2001).
(3)K.Saitoh,et al.:International Journal of PIXE,Vol.13,Nos.1&2,51-64(2003).
(4)F.Aldape,J.Flores M.:International Journal of PIXE,Vol.14,Nos.3&4,147-160(2004).
(5)F.Aldape,et al.:International Journal of PIXE,Vol.15,Nos.3&4,263-270(2005).
(6)P.Davy,et al.:International Journal of PIXE,Vol.15,Nos.3&4,225-231(2005).
(7)S.Matsuyama,et al.:International Journal of PIXE,Vol.13,Nos.1&2,65-80(2003).
(8)S.Matsuyama,et al.:International Journal of PIXE,Vol.15,Nos.3&4,257-262(2005).
(9)Zhang Yuanxun,et al.:International Journal of PIXE,Vol.12,Nos.3&4199-208(2002).
(10)H.Yamazaki,et al.:International Journal of PIXE,Vol.15,Nos.3&4,241-247(2005).
(11)H.Yamazaki,et al.:International Journal of PIXE,Vol.15,Nos.1&2,73-83(2005).
(12)R.Ramos,et al.:International Journal of PIXE,Vol.12,Nos.3&4,237-243(2002).
(13)H.Yamazaki,et al.:International Journal of PIXE,Vol.14,Nos.1&2,57-66(2004).
(14)A.Markwitz,et al.:International Journal of PIXE,Vol.12,Nos.3&4,109-115(2002).
(15)M.A.Habib,et al.:International Journal of PIXE,Vol.12,Nos.1&2,19-34(2002).
(16)S.Murao,et al.:International Journal of PIXE,Vol.14,Nos.3&4,125-131(2004).
(17)K.Sera,et al.:International Journal of PIXE,Vol.12,Nos.3&4,125-136(2002).
(18)M.Yukawa,et al.:Journal of Radioanalytical and Nuclear Chemistry,Vol.272,No.2,345-352(2007).
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