<本文>
1.はじめに
わが国の重金属に関わる公害問題は、足尾銅山から始まり、水俣や阿賀野川の他、各地域で深刻な問題となった。これらを受けて1967年の公害対策基本法、1971年の水質汚濁防止法、1993年の環境基本法など、有害重金属に関する法律が制定された。1993年には水質基準が大幅に改定され、鉛、カドミウム、ヒ素、いずれも0.01mg/l以下に加え、六価クロム(0.05mg/l以下)、総水銀(0.0005mg/l以下)、シアン(検出されないこと)などの基準値が定められた。要監視項目として、ホウ素、フッ素、ニッケル、モリブデン、アンチモンなどの指針値も示されている。これらの重金属は極微量でも環境汚染の原因になるため、排水や飲料水中から効率的に除去する技術の開発が望まれている。
放射線グラフト重合法は既存の形状の素材に、その物理的特性を損なうこと無く、さまざまな性質を付与することができるため、高機能材料の創製技術として優れている。例えば平膜や中空糸膜、繊維、織布、不織布などの既存の素材にイオン交換基や錯体形成機能を導入することが比較的容易である。
日本原子力研究開発機構高崎量子科学研究所は放射線グラフト重合技術の特徴を応用して、工業排水中の重金属や大気中の極微量な有害成分の除去などを目的とした環境浄化用フィルタや環境に優しい材料の創製技術の検討を進めている。(参考文献1〜4)
2.放射線グラフト重合で合成した
イオン交換樹脂の応用
図1に放射線グラフト重合法を応用したイオン交換基の導入工程の模式図を示す。既存の高分子素材にあらかじめ放射線(電子線や
γ線など)を
照射して
ラジカルを生成させ、脱酸素したグリシジルメタクリレート(GMA)
モノマーと接触させると、グラフト重合側鎖が生成する。強酸型陽イオン交換基はグラフト重合側鎖のグリシジル基に亜硫酸ナトリウムを反応させてスルホン酸基を導入することができる。この方法により、従来法である濃硫酸やクロルスルホン酸などの腐食性の強い薬液を用いずに水溶液系の温和な条件で容易にスルホン化できる利点がある。陰イオン交換基はグリシジル基へのジメチルアミンの反応で弱塩基型陰イオン交換基が導入され、さらにベンジルクロライドで強塩基型陰イオン交換基を導入することができる。官能基濃度は合成条件で制御し、1〜5mmol/gの樹脂を容易に得ることができる。(参考文献5)
スルホン酸型イオン交換樹脂はメチルアセテートやしょ糖の加水分解の酸触媒として工業的に利用されている。グラフト重合で得られたイオン交換樹脂による加水分解速度を従来型のイオン交換樹脂と比較すると、メチルアセテートの加水分解速度はほとんど同程度であるが、しょ糖からぶどう糖と果糖を生成する速度は、グラフト型のイオン交換樹脂が10倍以上大きい結果が得られた。これは、
図2の模式図で示すように、従来の架橋型スチレン樹脂と比較して、グラフト重合側鎖に導入されたイオン交換基の分子運動性が大きいため、しょ糖の様な大きな分子の反応に対して構造的特徴が発揮された事例である。(参考文献6)
放射線グラフト重合技術の特徴を利用して既存の不織布状のフィルタ素材に塩基性ガスの吸着機能を導入し、代表的悪臭成分であるアンモニアに対する吸着性能を測定した。
図3にグラフト重合不織布のアンモニアガス飽和吸着容量に対する代表的な市販消臭剤との吸着容量の比較を示す。グラフト重合不織布は、従来のケミカルフィルタ用の活性炭と比較して吸着速度が著しく大きく、また、破過点までの吸着総容量は3mmol/gであり、活性炭の0.02、添着活性炭の0.12と比較して著しく高い結果が得られた。活性炭などの無機系吸着材は悪臭成分を物理的に表面吸着するため、吸着平衡に近づくと温度や湿度などの環境変化に影響され、吸着した悪臭を大気中へ再放出する現象が大きな問題となっている。グラフト重合法で合成したイオン交換樹脂は悪臭成分を化学変化させ無害無臭にするため、再放出現象が無く、超LSI製造施設のケミカルフィルタとして、超クリーン分野の大半で採用されるようになった。(参考文献7)
放射線グラフト重合技術の応用によりボビン巻原糸に直接消臭や抗菌機能を導入することが可能となった。
図4にグラフト重合処理をしたボビン巻消臭原糸(右)と未処理原糸(左)を示す。このグラフト重合繊維と未処理繊維を組み合わせて紡織することで機能化繊維製品を完成させ大量生産に適応できるようになった。この技術を発展させて有力百貨店との提携により紳士、婦人、インナー、寝具、スポーツなどの各コーナーで高機能繊維製品「DeoRex」(商標登録済)ブランドで衣料品市場への参入を果たした。
図5に消臭原糸を織り込んだ衣料品の一例を示す。国の研究機関から生まれた放射線利用技術が、地域特有の企業と連携し、合成、染色、紡織の3者がそれぞれの特性を出し合ってネットワークを構築してコストの低減化を進めることで大手市場への参入を図ることができた。
近年では、廃棄物の資源利用を目的とした生ゴミ発電(RDF)を推進する自治体が増加している。生ゴミ発電ではゴミの乾燥・燃料化工程で食品の腐敗臭と分解臭が厳しく、効率的な対策が無いため地域住民の反対運動にまで発展し、深刻な社会問題となっている。
水溶性高分子素材に放射線グラフト重合法を応用して合成した消臭剤は従来技術と異なり、腐敗臭や分解臭を化学的に無害無臭化するため、生ゴミ発電施設の悪臭対策に有効であることが試験の結果確認された。
図6は一般家庭から排出される生ゴミを発電用燃料に処理する最新鋭の公共施設(福岡県浮羽市)である。写真左は施設内の生ゴミ搬入ステーションで右は生ゴミピット内部である。本施設では放射線グラフト重合法で合成した高性能の消臭剤を
エアロゾルとして室内に充満させる設備が各部屋の天井に設置され、臭気状態に応じて間欠的に作動する様にプログラムされている。この施設では生ゴミ貯蔵ピットを直接覗いても悪臭は殆ど感じられないため効率的な消臭技術として高く評価されている。この消臭装置の稼動により、既設のガス燃焼法による消臭装置と消臭用活性炭が不要になり、年間500トンの燃料が節約されるとともに、炭酸ガスの発生量を著しく抑制することに成功した。本技術の確立により実用運転が順調に稼動中であり、全国規模での普及が進んでいる。
3.多孔性中空糸膜の高機能化
マイクロ濾過(MF)膜は0.1〜1μm程度の微細孔を持ち、
コロイドや
細菌などの微粒子を濾過分離するため中空糸モジュールとして浄水器や産業分野で広く利用されている。MF膜は物理的な濾過分離機能に優れているが、溶存イオンの除去機能を持たないため、イオン交換樹脂塔との組み合わせで利用されることが多い。MF膜にイオン捕集機能を付与し、イオン交換樹脂塔が不要になれば、半導体や製薬、精密加工、原子力工業などの水処理プラントでの経済効果が大きい。
中空糸状MF膜は
図7に示す模式図のように壁面の
空孔で微粒子を物理的に濾過分離する。溶存イオンは微細孔表面に導入されたグラフト重合鎖の官能基で化学的に吸着分離される。中空糸膜の機能化では、粒子とイオンの複合分離機能材料としての合成技術と応用技術に関する開発研究を進めた。
4.鉛吸着除去膜の開発
ポリエチレン製中空糸膜へのイミノジ酢酸基の導入工程を
図8に示す。既存のポリエチレン製の中空糸状フィルタに電子線前照射法を利用してグリシジルメタクリレート(GMA) をグラフト重合した後、グラフト重合側鎖のグリシジル基にイミノジ酢酸(IDA) を反応させて親水基(-OH)とイミノジ酢酸基を導入した。(参考文献8)
イミノジ酢酸基を導入した中空糸膜での鉛(Pb)イオンの吸着試験結果を
図9に示す。
膜長が約60mmの多孔性中空糸膜1本に0.15ppmのPbイオン溶液を濾過し、透過液中のイオン濃度を測定した結果、Pbイオンは処理液量が2.5Lまで検出されず、効率的に吸着されることが認められた。供給液に通常の水道水のミネラル分(Ca,Mg)を含有しても鉛イオンの吸着破過点が明確に認められ、アルカリ土類金属の影響を受けないことが確認された。
図10は供給液中の鉛イオン濃度と飽和吸着容量の関係を示す。イミノジ酢酸基を導入した多孔性中空糸膜の鉛イオンの吸着容量は供給液中の鉛イオン濃度に比例した。わが国では年間及び1日の気温差が大きいため配管の亀裂防止を目的に鉛管や鉛パッキンが広く使用されている。そのため、都市上水(飲料水)中の鉛イオン濃度が0.1ppm(100ppb)を超えるケースがある。わが国では1993年12月に水質基準が100ppbから50ppbに強化されたが、近い将来にはWHOの飲料水水質ガイドライン(10ppb)への準拠が検討されている。このため、高性能の鉛除去材料の開発が急務となっている。水道水中にはミネラル成分(Ca,Mg) が多量に含有するため、既存のイオン交換樹脂では極微量の鉛を選択的に吸着除去することは不可能であった。しかし、放射線グラフト重合法の応用により既存の多孔性中空糸膜にイミノジ酢酸基を導入する技術が確立され、WHOの飲料水水質ガイドライン(10ppb)の達成が可能となった。
イミノジ酢酸基を導入した中空糸膜に重金属混合液を透過した結果、流出液中のイオン濃度は
表1に示す通り、ほとんど検出限界以下であった。この膜は鉛以外の有害重金属に有効であり、飲料水だけでなく、各種の工業廃液や鉱山排水処理など、環境浄化用フィルタとしての応用が期待されている。
5.排水中のアンチモンとゲルマニウムの除去
アンチモン(Sb)は、家電製品や自動車用プラスチック、壁紙やカーテンなどの難燃加工剤として広く用いられているが、有害成分として水質環境基準の要監視項目となっている。特に、衣料品用のポリエステル製造工程では重合触媒として大量に消費され、ポリエステル繊維の染色廃液中に、三酸化アンチモン(Sb
2O
3)として自然環境へ放出されている。また、酸化ゲルマニウム(GeO
2)は透明性や成型加工性に優れたペットボトルの製造工程で、重合触媒として大量に利用されている。廃液中のアンチモンとゲルマニウムは腎毒性などを有する環境汚染物質であるが、分離除去が困難なため、効率的な吸着分離材料の開発が待たれている。
放射線グラフト重合技術を応用してトリエタノールアミン膜の合成工程を
図11に示す。既存の多孔膜にグリシジルメタクリレートをグラフト重合した後、イミノジエタノールを反応させて、トリエタノールアミン膜を得た。得られた中空糸膜へのゲルマニウムの吸着試験の結果、透過流束を5から50ml/minと10倍変化させても、吸着性能が変らないことから、効率的に吸着されていることが確認された。吸着されたゲルマニウムは1Mの塩酸で溶出し、容易に分離回収することが出来た。また、イミノジエタノールの代わりに2-ニトリロプロパノール-2-ニトリロイソプロパノールを反応させることにより、吸着分離が困難であった有機ゲルマニウムの分離回収が可能になった。溶液中に溶存するアンチモンやゲルマニウムはトリエタノールアミン基とアトラン構造を形成し、効率的に吸着分離できることが確認された。(参考文献9〜10)
放射線グラフト重合は、中空糸膜だけでなく不織布、織布、繊維、粒子、平膜など、各種の形状の素材にその特性を損なうことなく吸着機能を導入できることが特徴であり、工業廃水や鉱山排水、飲料水などの目的に合わせたシステムの構築が可能であり用途の拡大が期待される。
(前回更新:2002年11月)
<図/表>
<関連タイトル>
海水からのウランの回収 (04-02-01-12)
PIXE装置とその環境研究への利用 (08-03-03-05)
<参考文献>
(1) 須郷:化学工業、49,53(1998)
(2) 須郷、斎藤:日本海水学会誌、43,3,(1989)
(3) 須郷、斎藤:膜学会誌「膜」、13,272,(1988)
(4) 須郷、斉藤:機械学会誌、860,575(1990)
(5) 須郷高信:原子力eye,44,8,p13(1998)
(6) T.Mizota,S.Tsuneda,K.Saito,T.Sugo:Ind.Eng.Chem.,33,2215(1994)
(7) 須郷高信:原子力eye,47,5,p54(2001)
(8) G.Q.Li,S.Konishi,K.Saito,T.Sugo:High Collection rate of Pd in hydrochloric acid medium using chelating microporous membrane,J.Membr.Sci.,95,63(1994)
(9) I.Ozawa,K.Saito,K.Sugita,K.Sato,M.Akiba,T.Sugo:High-speed recovery of germanium in a convection-aided mode using functional porous hollow-fiber membranes,J.Chromatogr.888.43(2000)
(10)岡村、齋藤、杉田、佐藤、秋葉、玉田、須郷:学会誌「膜」、27,46(2002)
(11)株式会社 環境浄化研究所:パンフレット、
http://www.kjk-jp.com/
(12)須郷高信:ゼロエミッション構築技術、「OHM」9月別冊 環境&エネルギー・シリーズ No.1(2002)