<本文>
1.経緯と現状
日本で初めての商業ウラン濃縮工場は、旧動力炉・核燃料開発事業団(核燃料サイクル開発機構(現日本原子力研究開発機構))で開発したガス遠心分離法といわれるウラン濃縮技術を用いて、日本原燃産業(株)(現・日本原燃(株))が、建設し運転を行っている。
日本原燃産業(株)は、電気事業者が中心となって、1985年3月に設立された。同社は
原子力発電に用いる5%以下の低濃縮ウラン1,500トンSWU/年の濃縮能力を持つ工場を計画し、旧動燃事業団(現日本原子力研究開発機構)の協力を得て1986年3月に概念設計を、1987年3月に基本設計を終え、1987年5月、内閣総理大臣に第一期分600トンSWU/年の加工事業(ウラン濃縮事業)の許可申請を行い、科学技術庁(現・文部科学省)による行政庁審査、
原子力安全委員会・
原子力委員会による安全審査等及び通商産業大臣(現経済産業大臣)の協議を経て、1988年8月、同事業の許可を得た。(注:原子力安全委員会は
原子力安全・保安院とともに2012年9月18日に廃止され、原子力安全規制に係る行政を一元的に担う新たな組織として
原子力規制委員会が2012年9月19日に発足した。)
その後、設計及び工事方法等の認可、施設検査(現使用前検査)など法律に基づく所要の手続きを経て、また、1991年には、青森県および六ヶ所村との間に、並びに六ヶ所村の周辺市町村との間にそれぞれ安全協定を締結し、1992年3月、150トンSWU/年(RE-1A)の規模で操業を開始した。
図1に六ヶ所ウラン濃縮工場の全景を、
図2にウラン濃縮工場中央制御室を示す。
以後、1992年12月に150トンSWU/年(RE-1B)、1993年5月に150トンSWU/年(RE-1D)、1994年9月には150トンSWU/年(RE-1C)と濃縮能力を拡張し、第一期分600トンSWU/年の規模とした。
一方、1992年7月には、第二期分増設900トンSWU/年のうち、450トンSWU/年の増設のため、加工事業の変更許可を内閣総理大臣に申請し、1993年7月変更許可を取得し、前記と同様の手続きを経て、1998年10月には1,050トンSWU/年の規模に達した。
なお、第二期分の残り450トンSWU/年については、新しい技術開発の成果を取り入れた高分離性能の遠心分離機を採用することを予定している。
2.ウラン濃縮
原料となる
六フッ化ウラン(ウラン235;約0.7%、ウラン238;99.3%からなる天然ウランフッ素化合物)は、
図3に示すような原料シリンダ(48Y)に詰め、固体状にして濃縮工場に搬入され、一時貯蔵の後、シリンダごと発生器に入れて加熱して、六フッ化ウランを気体状にし、多数の遠心分離機を配管で結んだ
カスケードに供給される。ついで、
図4に示すような遠心分離法で、ウラン235の割合が3〜5%に濃縮された六フッ化ウランとその割合が0.2%程度に減少した六フッ化ウラン(
劣化ウラン)に分離され、カスケードからの配管を通って、それぞれ冷却して容器に捕集した後、加熱して専用のシリンダに移して冷却、
固化したり、コンプレッサーを使って専用のシリンダに固化したりして回収される(
図5参照)。
カスケードは、高速度で回転する遠心分離機が多数配管によって結合されており、その内部は大気圧より低い圧力に保たれており、少量ずつ六フッ化ウランが供給され、一台の遠心分離機を通るごとに少しずつウラン235の割合が大きいものと小さいものとに分離されていく。このような遠心分離による濃縮のしくみを
図6に示す。
なお、
表1に現在世界で運転中の濃縮工場をまとめて示す。
<図/表>
<関連タイトル>
分離作業量(SWU) (04-05-01-03)
遠心分離法によるウラン濃縮 (04-05-01-04)
ウラン濃縮におけるカスケード (04-05-01-07)
<参考文献>
(1)日本原燃(株)ホームページ(
http://www.jnfl.co.jp/)
(2)(財)日本原子力文化振興財団:原子力図面集(1993年9月)、p.167
(3)日本原子力産業会議(編集・発行):原子力ポケットブック2005年版(2004年7月)、p.195
(4)(財)日本原子力文化振興財団:「原子力・エネルギー」図面集2004−2005(2004年12月)、4−11
(5)日本原燃(株):パンフレット「六ヶ所ウラン濃縮工場−原子燃料サイクルの一翼を担って−」(2000年4月)