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<概要>
 プルトニウム239Pu)はウラニウム238に中性子を吸収させて生成する。このようにして兵器用プルトニウム(239Pu)を生成する目的の原子炉プルトニウム生産炉と呼んでいる。発電も兼ねた炉もある。プルトニウム生産炉では、燃料として天然ウラニウムを用いた金属ウランまたは酸化ウラン、中性子減速材として黒鉛または重水、および原子炉冷却材としてガス(空気または炭酸ガス)または軽水または重水を用いている。1939年9月ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が始まり、米国は原爆開発のマンハッタン計画を1942年に発足させた。この計画の中で、ウラン濃縮の必要がないプルトニウム原爆の開発を行うためプルトニウム生産炉をハンフォードなどに建設した。スターリンは旧ソ連の原爆開発をクルチャトフに命令しチェリャビンスク−40にプルトニウム生産炉を建設した。英国はウィンズケールにプルトニウム生産炉を建設した。フランスはマルクールにプルトニウム生産炉を建設した。また、中国は旧ソ連の支援を得てゴビ砂漠の甘粛省にプルトニウム生産炉を建設した。近年米国とロシアはプルトニウム生産炉協定の合意によって合計24基のプルトニウム生産炉を閉鎖した。現在運転中のプルトニウム生産炉は、米国はゼロ、ロシアは5基で、いずれの炉も電力と熱を地域に供給するため運転を継続しているが、代替電力が完成次第閉鎖される。
<更新年月>
2007年06月   

<本文>
 プルトニウム型原子爆弾のためのプルトニウム(239Pu)を生産するする原子炉は一般にプルトニウム生産炉(単に生産炉ということもある)と呼んでいる。プルトニウム生産炉は、表1に示すように、原子炉の中でウラニウム238に中性子を吸収させて(238U+n)、プルトニウム239(239Pu)を生成させる。この目的から、プルトニウム生産炉は、燃料としては天然ウラニウム(238Uを約99.3%含んでいる;金属ウランまたは酸化ウラン)、中性子減速材として黒鉛または重水、原子炉冷却材としてガス(空気または炭酸ガス)または軽水または重水を用いている。旧ソ連、英国、フランスなどではプルトニウム生産炉が発電も兼ねている炉もあった。旧ソ連では今でもプルトニウム生産炉が地域に電気と熱を供給している。
 なお、最近米国とロシアはプルトニウム生産炉協定(PPRA)に合意し、24基のプルトニウム生産炉を閉鎖した。内訳は、米国は合計14基でハンフォードサイトとサバンナリバーサイトのすべて、ロシアは合計10基でオジョルスクサイトの5基すべてと、ジェレズノゴルスクサイトの2基(AD炉、ADE-1炉)、セーベルスクサイトの3基(Ivan-1炉、Ivan-2炉、ADE-3炉)である。現在運転中のプルトニウム生産炉は、米国はゼロである。ロシアは3基(ジェレズノゴルスクサイトのADE-2炉、セーベルスクサイトのADE-4炉とADE-5炉)で、いずれの炉も電力と熱を地域に供給するため運転を継続しているが、代替電力が完成次第閉鎖される。
1.米国のプルトニウム生産炉
 1939年9月ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が始まった。米国に亡命した物理学者らの働きかけによって、米国はマンハッタン(原爆開発)計画を1942年9月に発足させた。1941年シーボーグらによるプルトニウムの発見によって、ウラン濃縮を必要としないプルトニウム型原爆の開発がマンハッタン計画に追加された。プルトニウム生産試験用炉がオ−クリッジ国立研究所(X−10炉、3.8MWt)とブルックヘブン国立研究所(ブルックヘブン炉、28MWt)に建設された。これらの試験成果から実規模プルトニウム生産炉がハンフォードとサバンナリバーに建設され、本格的にプルトニウム生産が開始された。表2に米国のプルトニウム生産炉一覧を示す。
1.1 ハンフォードのプルトニウム生産炉(サイト案内図は図1、原子炉は図2参照)
 ハンフォード・エンジニアリング・ワークス(HEW:ハンフォードサイトの初期の名称。現HEDL:ハンフォード・エンジニアリング研究所、ワシントン州リッチランド)では、B炉(世界最初のプルトニウム生産炉)が1944年9月26日に運転開始された。このサイトには合計9基のプルトニウム生産炉(第二次大戦中にB炉、D炉、F炉;冷戦中にC炉、DR炉、H炉、KW炉、KE炉、N炉)が建設された。N炉を除いて1964年から1971年にかけて閉鎖され、その後も運転していたN炉も1998年9月に閉鎖された。平均運転年数は約20年である。いずれの炉も軽水冷却黒鉛減速炉で、B炉、C炉、D炉、DR炉、F炉、H炉、KW炉およびKE炉は燃料に天然ウランを使用し、N炉は0.95%と1.25%の微濃縮ウランも使用している。B炉で生成されたプルトニウムが1945年7月16日にニューメキシコ州アラモゴード(トリニテイサイト)で実施した世界初の原爆実験や1945年8月に長崎市に投下された原爆に使用された。
 1984年時点ではハンフォード再処理工場でN炉からのプルトニウム(240Pu含有量が6%;兵器用には239Puが多く240Puが少ない方が適している)が抽出された。N炉は兵器級プルトニウムを年間600kg生産した。またアイゼンハウワー大統領の「Atoms for Peace」の初期の成果として、1968年にはN炉に蒸気供給設備も付け発電も行ったので、N炉は米国初の二重目的(プルトニム生産と発電)炉である。
1.2 サバンナリバーの重水炉(サイトの場所は図3、原子炉は図4、サイト内案内図は図5参照)
 サバンナリバーサイト(SRS:サウスカロライナ州エイケン)には核兵器用核物質生産炉が5基(R炉、P炉、K炉、L炉、C炉)建設された。C炉はトリチウムの生産、P炉、K炉およびL炉は、1981年以前は兵器級プルトニウム(240Puの含有量6%)の生産、1981年以降は特級プルトニウム(240Pu含有量が3%)の生産を行っていた。C炉で生産したトリチウムはH区域の化学分離工場で分離され、P炉、K炉およびL炉で生産したプルトニウムはF区域の化学分離工場で分離された。なお、余剰軍事用プルトニウム(34トン、米国のストックパイル全体の約3分の1に相当)の処分については、サバンナリバー・サイトにMOX燃料加工工場を建設し、2005年からカトーバ原子力発電所(PWR、112万9000kW×2基)への試験装荷を開始する計画である。
2.ロシアのプルトニウム生産炉(サイトの場所は図6参照)
 1940年初期クルチャトフらの科学者達が核分裂反応を研究していたが、1941年6月22日ドイツが旧ソ連に侵攻したので核分裂反応の研究は中断した。しかしながら、英国の旧ソ連諜報機関からの欧米の原爆開発情報を内務大臣ベリアから聞いたスターリンは原爆開発の責任者を当時40歳のクルチャトフに決定し、1943年4月第2研究室(後のクルチャトフ研究所、モスクワ市西部)を発足させた。1945年7月のポツダム会談後の晩餐会でトルーマンから米国の原爆実験成功を聞いたスターリンは旧ソ連の原爆開発を急ぐようクルチャトフに指示した。1946年12月25日にはF1(物理原子炉1)が初臨界を達成した。この炉を用いた研究成果をもとに、チェリャビンスク−40、トムスク−7、およびクラスノヤルスク−26のサイトに実規模のプルトニウム生産炉が13基建設され、兵器用プルトニウムを生産した。表3にロシアのプルトニウム生産炉一覧を示す。
2.1 チェリャビンスク−40のプルトニウム生産炉(図7参照)
 チェリャビンスク−40(1990年頃チェリャビンスク−65と改称、現在はマヤク生産合同)は南ウラルのチェリャビンスク市(ウラル地方南部)の北西にあるキシュチム町の東15km(オジョルスクサイト)にある。検討の結果、炉型は天然ウラン軽水冷却黒鉛減速炉が、燃料チャンネルは垂直方式が採用された。最初の設計はプルトニウムを一昼夜に約100g作ることができる熱出力100MWtと決定した。プルトニウム生産炉5基(A炉、IR-A1炉、AV-1炉、AV-2炉、およびAV-3炉)が建設され、1948年から1951年にかけて初臨界を達成し、1987年から1990年にかけて運転を終了した。またプルトニウムを抽出する放射化学工場(再処理工場、1948年12月22日操業開始)とプルトニウム加工工場が建設され、最初のプルトニウム溶液が得られたのは1949年2月である。このプルトニウムを用いてセミパラチンスク核実験場で旧ソ連最初の原爆実験(Joe No1;Joeはスターリンのニックネーム)を行ったのは1949年8月29日朝7時であった。
2.2 トムスク−7のプルトニウム生産炉
 トムスク−7(現シベリア化学コンビナート)はトムスク市(西シベリア、ノボシビルスクの東北約200km)の北北東約15kmのセーベルスク(セーベルスクサイト)に位置し、トム川の東岸に面している。プルトニウム生産炉5基(Ivan-1炉、Ivan-2炉、ADE-3炉、ADE-4炉、ADE-5炉)が1958年から1962年にかけて運転開始された。また再処理工場も1958年から操業開始され核兵器用プルトニウムを分離した。Ivan-1炉、Ivan-2炉およびADE-3炉は1990年から1992年にかけて閉鎖された。2003年現在ADE-4炉とADE-5炉は運転中で、電力と熱をトムスク−7およびトムスク市に供給している。なお、余剰軍事用プルトニウム(34トン、ロシアのストックパイル全体の約4分の1に相当)の処分については、トムスク7にMOX燃料加工工場を建設し、バラコボ原子力発電所(VVER-1000×4基)に装荷・燃焼する計画である。
2.3 クラスノヤルスク−26のプルトニウム生産炉
 クラスノヤルスク−26(現鉱山化学コンビナート)は中央シベリアのクラスノヤルスク市北東約60kmのジェレズノゴルスク(ジェレズノゴルスクサイト)に位置し、エニセイ川の東岸に面している。山中に掘られた巨大な空洞にプルトニウム生産炉3基(AD炉、ADE-1炉およびADE-2炉)が建設され、1958年から1964年にかけて運転開始された。また再処理工場も同時期に建設された。AD炉とADE-1炉は1992年に閉鎖された。2003年現在ADE-2炉は運転中で、電力と熱をクラスノヤルスク−26とクラスノヤルスク市に供給している。
3.英国のプルトニウム生産炉(図8参照)
 英国はウラン濃縮施設も重水も持っていなかった。このため黒鉛減速炉によるプルトニウム生産をすることにした。英国西海岸のカンブリア州ウィンズケール(現セラフィールド)に建設されたプルトニウム生産炉1号炉と2号炉は天然ウラン燃料の空気冷却黒鉛減速炉である。1号炉は1957年10月11日火災を発生し黒鉛と燃料のウランが燃焼した。この原子炉は原子炉格納容器が無かったので放射性物質が高さ122mの排気筒から大気中に放出され周辺を汚染した。同サイトに再処理工場も建設されプルトニウムを分離し兵器用に供された。英国初の原爆実験「ハリケーンテスト」は1952年10月3日オーストラリアの西海岸沖にあるモンテベロ島で実施された。英国のプルトニウム生産炉一覧については表4参照。
4.フランスのプルトニウム生産炉(図9参照)
 プルトニウム生産炉G1炉、G2炉およびG3炉はフランス南部のイレーネ州マルクールに位置しており、1956年から1960年にかけて運転開始され、1968年から1984年にかけて閉鎖された。G1炉は空気冷却黒鉛減速炉であるが、G2炉とG3炉は炭酸ガス冷却黒鉛減速炉で兵器用プルトニウム生産とともに発電にも供された。フランス最初の原爆実験はプルトニウム型で、1960年2月13日アルジェリアのサハラ砂漠中央部のレガンで実施された。フランスのプルトニウム生産炉については表4参照。
5.中国のプルトニウム生産炉(サイトの場所は図10参照)
 1950年代中国は核分裂物質を製造する技術を持っておらず、原爆を設計することができなかった。1954年10月中国と旧ソ連は科学および技術に関する協力協定に署名し、以来旧ソ連からの技術援助で、人材の養成とともに原子力施設の整備を図ってきた。また旧ソ連から機器および原子力技術者の供給を得て甘粛省蘭州にガス拡散式濃縮プラントを建設していた。1960年旧ソ連が中国への支援を中断し技術者を全て引き上げたので、中国は非常な困難を克服して、自力でプルトニウム生産炉、再処理プラント、濃縮プラントを完成させた。1964年10月16日の初の原爆実験にはプルトニウム生産が間に合わず、ウラン原爆が使用された。以下には粛北と広元のプルトニウム生産炉を示すが、包頭核燃料工場にも20MWt〜50MWtのプルトニウム生産炉があって1962年に初臨界に達したとの情報もある。中国のプルトニウム生産炉については表4参照。
5.1 プラント404のプルトニウム生産炉(図11参照)
 プラント404は酒泉地区の粛北蒙古族自治県にあるゴビ砂漠南端の粛北(敦煌の南約80km、酒泉の西約310km)に位置しており、原子炉熱出力400MWt〜500MWtのプルトニウム生産炉(天然ウラン燃料、軽水冷却黒鉛減速炉)が1967年初期には運転開始された。酒泉地区の低禽舗で軍事用再処理パイロット工場が1968年9月から操業開始され、抽出されたプルトニウムが1968年12月27日の原爆実験に供された。粛北サイトにも軍事用再処理工場が1970年4月から操業開始された。
5.2 プラント821のプルトニウム生産炉
 プラント821は四川省広元(西安の西南西約350km、蘭州の南南東約430km)に位置しており、原子炉熱出力1000MWtのプルトニウム生産炉(天然ウラン燃料、軽水冷却黒鉛減速炉)が1974年頃から、軍事用再処理工場が1974年頃から操業していると推定されている。
6.その他の国のプルトニウム生産炉
 インドはカナダから重水炉の技術導入を行って重水炉を建設し、重水炉が8基運転中である(もっとも旧い炉は1973年12月運転開始)。さらに最近(1999年の9月と12月)2基が運転に入った。バーバ原子力センター(BARC)内にサイラス研究炉(40MWt、天然ウラン燃料、軽水冷却重水減速、カナダが供給;1960年7月運転開始)と再処理工場の建設を行い、再処理工場は1964年から操業に入っている。サイラス研究炉から得たプルトニウムを用いて1974年5月17日インド初の原爆実験を行った。
 パキスタンもカナダから重水炉の技術導入を行い重水炉1基が運転中である(1972年10月運転開始)。また再処理工場も有しているので、プルトニウム生産が可能である。インドの原爆実験に対抗して1998年5月に行った原爆実験にはプルトニウム型が用いられたと推測されている。
(前回更新:2001年3月)
<図/表>
表1 天然ウランの核種組成およびプルトニウムの生成原理
表1  天然ウランの核種組成およびプルトニウムの生成原理
表2 米国のプルトニウム生産炉一覧
表2  米国のプルトニウム生産炉一覧
表3 ロシアのプルトニウム生産炉一覧
表3  ロシアのプルトニウム生産炉一覧
表4 英国、フランスおよび中国のプルトニウム生産炉一覧
表4  英国、フランスおよび中国のプルトニウム生産炉一覧
図1 米国ハンフォードサイトのサイト内案内図
図1  米国ハンフォードサイトのサイト内案内図
図2 米国ハンフォードN炉の炉心
図2  米国ハンフォードN炉の炉心
図3 米国サバンナリバーサイトの場所
図3  米国サバンナリバーサイトの場所
図4 米国サバンナリバーのプルトニウム生産炉構成図
図4  米国サバンナリバーのプルトニウム生産炉構成図
図5 米国サバンナリバーサイトのサイト内案内図
図5  米国サバンナリバーサイトのサイト内案内図
図6 ロシアの旧チェリャビンスク−40、旧トムスク−7および旧クラスノヤルスク−26のサイトの場所
図6  ロシアの旧チェリャビンスク−40、旧トムスク−7および旧クラスノヤルスク−26のサイトの場所
図7 ロシア・チェリャビンスク−40のプルトニウム生産炉の原子炉制御室
図7  ロシア・チェリャビンスク−40のプルトニウム生産炉の原子炉制御室
図8 英国ウィンズケールのプルトニウム生産炉の全景
図8  英国ウィンズケールのプルトニウム生産炉の全景
図9 仏国マルクールのプルトニウム生産炉G2炉の構造
図9  仏国マルクールのプルトニウム生産炉G2炉の構造
図10 中国甘粛省粛北と広元のサイトの場所
図10  中国甘粛省粛北と広元のサイトの場所
図11 中国甘粛省粛北のプルトニウム生産炉(全景と原子炉制御室)
図11  中国甘粛省粛北のプルトニウム生産炉(全景と原子炉制御室)

<関連タイトル>
プルトニウム核種の生成 (04-09-01-01)
トリウムを用いた原子炉 (03-04-11-01)
溶融塩炉 (03-04-11-02)
プルトニウム生産炉 (03-04-11-04)
地域暖房炉(熱供給炉) (03-04-11-06)
海上立地浮体式原子力発電所 (03-04-11-07)
低減速スペクトル炉の炉概念 (03-04-11-09)
低減速軽水炉の研究開発 (03-04-11-10)

<参考文献>
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(18)JAIFホームページ:諸外国における原子力発電開発の動向、最近の動き(2003年2月中旬?2003年3月中旬)、http://www.jaif.or.jp/ja/data/monthly/0085-ugoki.html
(19)JAIFホームページ:諸外国における原子力発電開発の動向、最近の動き(2004年1月中旬〜2004年2月中旬)、http://www.jaif.or.jp/ja/data/monthly/0095-ugoki.html
(20)Thomas B,Cochsan et al.:Nuclear Weapons Databook Vol.IV,U.S. Nuclear Warhead Facilities Profile(2001.3)
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