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原子力利用の歴史はレントゲン(レンチェン、Wilhelm Conrad
Roentgen、1845-1923、ドイツの実験物理学者)によるX線の発見に始まる。レントゲンは1895年クルックス管を用いて陰極線を研究中、黒い紙、木片など不透明物体を通過する未知の
放射線を発見しX線と呼んだが、ドイツの学会で発見者の名に因んでレントゲン線と名付けられた。X線はとくに臨床医学の分野で多く利用され、診断や治療だけでなく初期には治療脱毛といった実用目的の装置として使われていた。1901年最初のノーベル物理学賞を受けた。
ベクレル(Antoine Henri Becquerel、1852-1908、フランスの物理学者)は1896年ウラン鉱石から一種の放射線を発見し(自然放射能の発見)、放射能研究の先駆をなした。1903年ノーベル物理学賞を受けた。トムソン(Joseph John Thomson、1856-1940、イギリスの物理学者)は真空放電の現象を研究し、1897年電子の存在(陰極線は電子の流れ)を確認した。彼のもとには内外から多くの優れた研究者が集まり原子物理学の端緒を開いた。1906年気体の電気伝導に関する理論的および実験的研究でノーベル物理学賞を受けた。
マリー・キュリー(Marie Curie、 1867-1934、ポーランド生まれのフランスの物理学者、化学者)は夫ピエール・キュリー(Pierre Curie、1859-1906、フランスの物理学者)とともに1898年ラジウムおよび
ポロニウムを発見した。1903年キュリー夫妻は放射能の研究でノーベル物理学賞を受け、1911年マリー・キュリーはラジウムとポロニウムの発見でノーベル化学賞を受けた。
プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck、1858-1947、ドイツの理論物理学者)は1900年エネルギー量子仮設を導入しプランクの放射(輻射)法則を見いだし、量子論の発端を開いた。この
熱放射(輻射)の研究により1918年ノーベル物理学賞を受けた。
ラザフォード(Ernest Rutherford、1971-1937、ニュージランド生れのイギリスの物理学者)・ソディ(Frederick Soddy、1877-1956、イギリスの化学者)は1903年放射性元素の原子核崩壊説を提唱した。またラザフォードは1911年にはアルファ線散乱の研究から原子構造モデル(原子核の存在)を提示した。1919年にはアルファ線衝撃による窒素原子核の破壊実験(最初の原子核の人工変換の実験)を行なった。これらの研究は原子核物理学発展の基礎となった。1908年ラザフォードはノーベル化学賞を受けた。
ソディは1913年放射性核種の変位法則(アルファ崩壊とベータ崩壊で原子番号が変化する)をファヤンス(Kasimir Fajans、1887-1975、ポーランド生まれのドイツーアメリカの物理化学者))と独立に見いだし、鉱物中の鉛に異なる質量数の物があるのを発見し同位体概念を提唱した。1921年ソディはノーベル化学賞を受けた。なお、長岡半太郎は(1865-1950、長崎県生れの物理学者)はラザフォードの原子構造モデル(1911年)に先立ち1904年土星型原子模型を提唱した。
ヘス(Victor Francis Hess、1883-1964、オーストリアーアメリカの実験物理学者)は1912年気球による高空観測から宇宙線の存在を明確にした。宇宙線の研究によりアンダーソン(Carl David Anderson、1905-1991、アメリカの物理学者、宇宙線中の
陽電子、
中間子の発見者)とともに1936年ノーベル物理学賞を受けた。
ラウェ(Max Thedor Felix von Laue、1879-1960、ドイツの理論物理学者)は1912年結晶体におけるX線回折の理論を提唱し、結晶体の研究に新生面を開いた。この功績により1914年ノーベル物理学賞を受けた。
ボーア(Niels Henrik David Bohr、1885-1962、デンマークの物理学者)はラザフォードの原子構造モデルに量子仮設を導入し(原子構造の量子論)、水素のスペクトル線系列を説明、さらに原子の構造、元素の周期率の由来を明らかにしつつ、1918年古典論との対応原理を立てた。原子の構造とその放射に関する研究で1922年ノーベル物理学賞を受けた。 アインシュタイン(Albert Einstein、1879-1955、ドイツ生れのアメリカの理論物理学者)は1905年に特殊相対性理論(質量=エネルギー)を発表し、同年プランクの放射法則の検討から光量子仮設(
光電効果)を説明した。また1906年固体比熱の理論を展開し、1915年には一般相対性理論を完成し、また1924年にはボーズ・アインシュタイン統計)を発表し、量子論の発展に寄与した。1921年に理論物理学の諸研究とくに光量子説でノーベル物理学賞を受けた。
放射線とくにX線は医学の分野で多く利用された。また時計の文字盤などの夜光塗料としてラジウムが用いられていた。一方X線照射は皮膚ガンの発生や
白血球の減少、X線従事者の無精子症など、放射線による生物的影響が十分に知られないまま
放射線利用は急速に普及したため、
放射線障害があらわれて問題を起した。このような背景の下に、1925年に国際放射線防護委員会(ICRP)が成立し、一般人に対する放射線許容量についての勧告案を発表した。
1.内外の原子力関係の出来事(黎明期〜1910年)
年 |
月日 |
国内 |
国外 |
1895年 (明治28年) |
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X線を発見 レントゲン(独) |
1896年 (明治29年) |
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自然放射能の発見 ベクレル(仏) |
1897年 (明治30年) |
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電子の存在確認 トムソン(英) |
1898年 (明治31年) |
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ラジウム、ポロニウムを発見 キュリー夫妻(仏、ポーランド) |
1900年 (明治33年) |
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輻射論、作用量子 プランク(独) |
1903年 (明治36年) |
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放射性元素の崩壊説 ラザフォード(英) |
1904年 (明治37年) |
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原紙模型の理論 長岡半太郎 |
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1905年 (明治38年) |
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特殊相対性理論 アインシュタイン(独) |
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光量子仮説 アインシュタイン(独) |
1906年 (明治39年) |
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固体比熱の理論 アインシュタイン(独) |
1908年 (明治41年) |
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計数管の製作 ラザフォード(英)、ガイガー(独) |
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アルファ粒子=ヘリウム原子核を実証 ラザフォード(英)、ロイズ(英) |
1910年 (明治43年) |
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同位体の概念 ソディ(英) |
2.内外の原子力関係の出来事(1911年〜1925年)
年 |
月日 |
国内 |
国外 |
1911年 (明治44年) |
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原子核の存在 ラザフォード |
1912年 (大正1年) |
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宇宙船の発見 ヘス(オーストリア) |
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結晶によるX線の回折 ラウエ(独) |
1913年 (大正2年) |
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原子構造の量子論 ボーア(デンマーク) |
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放射性崩壊の変位則 ソディ(英)、ファヤンス(ポーランド) |
1915年 (大正4年) |
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一般相対性理論 アインシュタイン(独) |
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水素スペクトルの微細構造理論 ゾンマーフェルト(独) |
1918年 (大正7年) |
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対応原理 ボーア(デンマーク) |
1919年 (大正8年) |
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質量分析器による同位体研究 アストン(英) |
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アルファ粒子による原子核破壊 ラザフォード(英) |
1922年 (大正11年) |
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コンプトン効果 コンプトン(英) |
1924年 (大正13年) |
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ボース・アインシュタイン統計 ボース(インド)、アインシュタイン(独) |
1925年 (大正14年) |
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排他原理 パウリ(オーストリア) |
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行列力学 ハイセンベルグ(独) |
<関連タイトル>
夜光塗料による放射線がんの発生 (09-03-01-10)
放射線利用における放射線被ばく事故 (09-03-02-15)
トリウムの放射能分析から放射能壊変の法則を導いたラザフォードとソデイの実験 (16-03-03-01)
原子核の発見となったラザフォード、ガイガー、マースデンのアルファ線散乱実験と解析 (16-03-03-06)
<参考文献>
(1) 国立天文台(編):理科年表 2001、丸善(2000年11月)、p.630-631,p.1031
(2) 長倉三郎ほか(編):理化学辞典第5版、岩波(2000年4月)
(3) 渡利一夫ほか(編)・今井靖子ほか(著):放射能と人体−くらしの中の放射線、研成社(1999年6月):
(4) John Clark:Matter and EnergyーPhysics in Action,Oxford U.Press(1994年)
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