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<概要>
 1909年ラザフォード、ガイガー、マースデンはアルファ線を金属板に当てると、ごくわずかではあるが後方に散乱されることを発見した。散乱の角度分布を詳細に測定し、その結果を解析することによって、1914年ラザフォードはいわゆる有核原子模型を提案した。
<更新年月>
1998年05月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.はじめに
  アルファ線は物質中を直進する。これはアルファ線が電子よりも十分重い(約7000倍)のため、軌道電子とならば何回衝突してもアルファ線の方が曲がることはないからである。ラザフォード(Ernest Rutherford、英、1871〜1937)は、1906年にアルファ線は細いスリットを通したとき真空中では直進するが、スリットに薄膜を張ると、それによってわずかに散乱されてビームが広がることを見出した。ラザフォードはガイガー(Hans Geiger、独、1882〜1945)とマースデン(Ernest Marsden、英、1889-)の協力を得て、1908年から1913年にかけてアルファ線の物質中での散乱を研究した。その結果、一連の実験事実とボーアの軌道電子モデルを考慮にいれて、いわゆる有核原子モデルを1914年に提案した。

2.アルファ線の大角度散乱の発見
   図1 はガイガーとマースデンがアルファ線の大角度散乱の実験(1909年)に用いた装置である。円錐形のガラス容器A、Bにはラジウムのエマネーション(娘核種の一つである気体状放射性核種)が封入されていて、Bには雲母の薄膜が張ってある。エマネーションからのアルファ線はこの雲母板を通り抜けて、金属板RRに入射する。SはAnSシンチレータでアルファ線が入射すると入射した点が光る。遮へい板PはBの窓から出てくるアルファ線が直接感光板Sに当たるのを防いでいる。MはAnSが光るのを観察する望遠鏡である。
  金属板に当たったアルファ線は反射されてAnSが光るのが観察された。ラザフォードはガイガー達からの報告を聞いたとき、薄い金属板でアルファ線がはじき返されたことが、「チリ紙で弾丸がはじき返されたことのように思えた」と後に述べている。反射されるアルファ線の数は反射金属板の原子番号が大きいほど増加した。また、薄い金箔(空気に換算して約0.4mm)を反射板として重ねていくと、最初は枚数に比例して反射されるアルファ線の数は増加していくが、20枚ほど(空気厚で8mm)で飽和した。

3.角度分布の測定
   図2 はガイガーとマースデンが1913年にアルファ線散乱の角度分布を測定した際に用いた装置である。Rはアルファ線源で鉛の支持具に埋め込まれている。アルファ線は細い穴Dからビームとなって放出され、金属箔Fで散乱され、ZnSのスクリーンSに入射する。ZnSからの発光は望遠鏡Mで観察される。望遠鏡は容器Bとともに回転するが、線源R、金属箔Fは固定されている。望遠鏡を回転させることによって、散乱角の異なったアルファ線粒子が望遠鏡に入ってくる。
  この装置によって測定された散乱角の分布は、ラザフォードの単一散乱理論による公式の与える結果と比較され、よい一致を見た。単一散乱理論では、原子の中心に集中した重い点電荷があり、そのクーロン力によってアルファ線が散乱されると仮定される。また実験結果から、原子の中心電荷はほぼ(A/2)e(eは電子の電荷)となることがわかった。
  この実験結果は、有核原子モデル(中心に重い原子核がある)を定量的に支持するものとなった。
<図/表>
図1 アルファ線の大角度散乱実験
図1  アルファ線の大角度散乱実験
図2 アルファ線の散乱角度分布測定装置
図2  アルファ線の散乱角度分布測定装置

<関連タイトル>
窒素原子核を破壊したラザフォードのアルファ線衝撃実験 (16-03-03-07)
人工放射性核種を初めて生成したジョリオ・キュリー夫妻のアルファ線衝撃実験 (16-03-03-08)
原子力・放射線にかかわるノーベル賞受賞者 (16-03-03-13)

<参考文献>
1.物理学古典論文叢書9、原子模型、東海大学出版会、1970年、49-57、95-118、185-191頁
2.エミリオ・セグレ著、久保亮五、矢崎裕二訳、X線からクオークまで、みすず書房、1982年、138-141頁
3.H. A. Boorse and L. Motz, The World of the Atom, Basic Books, Inc.(1966)693-733頁
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