<大項目> 海外情勢
<中項目> ヨーロッパ各国
<小項目> ドイツ
<タイトル>
ドイツの原子力発電開発 (14-05-03-03)

<概要>
 旧西ドイツでは第二次世界大戦後、原子炉ウラン濃縮の研究が禁止された。しかし、1955年のパリ協定によって、核兵器を製造しないという約束と引き換えにこうした禁止措置が正式に撤回され原子力発電開発が始まった。当初は、民間企業によるアメリカ企業とのライセンス契約という形で進められたが、連邦政府の関心も徐々に高まり、予算規模も着実に増加していった。1969年には、カール実験炉で初めて原子力による発電が行われた。
 以来、旧西ドイツの原子力発電開発は急速に進み、全電力の約3分の1を供給するまでになったが、環境保護勢力を支持基盤とする緑の党の州・連邦政府への台頭で2002年4月には原子力エネルギー利用を廃止する改正原子力法が施行され、2003年11月にシュターデ発電所が、2005年5月にオブリヒハイム発電所が閉鎖された。
 2009年9月の総選挙で脱原子力政策を進める社会民主党(SPD)が政権から離脱。2009年10月には保守のキリスト教民主・社会同盟と中道、自由民主党の連立政権が、風力など再生可能エネルギーの普及が十分に進むまで、原子力発電の稼働延長を認める方針を打出している。
<更新年月>
2009年12月   

<本文>
1.原子力発電の現状
 ドイツでは2009年12月1日現在、17基、2145.7万kWの原子力発電所が運転中で、発電設備容量は、アメリカ、フランス、日本、ロシアに次いで5番目に位置している。建設中、計画中は1基もない。表1に運転中の原子力発電を図1に原子力発電立地点を示す。2008年の原子力発電電力量は前年と比べて77億kWh増の1409億kWh、原子力発電シェア(総発電量に占める原子力発電の割合)は28.3%あった。ドイツ統一後の原子力発電シェアは国内電力消費量のほぼ30%で推移している(図2参照)。他の電源別シェアは、天然ガス火力:12%、石炭火力:21%、褐炭火力24%、太陽光および風力:9%となっている。
 なお、ドイツでは軽水炉での混合酸化物MOX燃料の利用もさかんに行われている(プルサーマル)。商業炉では1972年のオブリッヒハイム発電所(OBRIGHEIM:PWR、35.7万kW)を皮切りに、2008年12月末時点では、グンドレミンゲンB、C(GUNDREMMINGEN:BWR、各134.4万kW)のBWRや、ブロックドルフ(BROKDORF:PWR、144万kW)、フィリップスブルク2号機(PHILIPPSBURG:PWR、145.8万kW)、イザール2号機(ISAR:PWR、147.5万kW)、エムスラント(EMSLAND:PWR、140万kW)などのPWRに合計15基2,336体のMOX燃料が装荷されている。図3にドイツのMOX燃料利用状況を示す。
2.原子力発電開発の経緯
 旧西ドイツは第二次世界大戦後、原子炉やウラン濃縮の研究が禁止された。しかし、1955年10月23日、パリ協定の調印によって西ドイツの主権が回復されたことを受け、核兵器を製造しないとの約束と引き換えに禁止措置が撤回され、原子力発電開発がスタートした。1955年8月には、第1回ジュネーブ会議(国連原子力平和利用国際会議)が開催され、原子力発電開発に対する期待が世界的に高まっていた。ドイツでも1959年12月には原子力法が制定され、原子力平和利用の基礎が確立した。ラインヴェストファーレン電力(PWE)とバイエルン電力は連邦政府の後押しを受け、国内初の発電炉の建設に着手した。出力1.6万kWのカール実験炉(KAHL:BWR)は、1962年に同国初の原子力発電に成功し、1985年に閉鎖された。両社は実験炉の成功を受け、ドイツ初の商業用原子力発電所の建設に着手、出力25.2万kWのグンドレミンゲンA発電所(GUNDREMMINGEN:BWR)が1967年に運転を開始した。同発電所は、次の段階に至る実証炉としての役目を十分に果たし、1980年に閉鎖された。ドイツの電力会社は、グンドレミンゲンA発電所に次いで、続々と原子力発電所の建設に着手した。1960年代に4基が、1970年代に14基が、1980年代に4基が着工され、1970年代はじめから1980年代にかけて、これらの原子力発電所が次々と営業運転を開始した(表1および表2参照)。
 一方、メーカー側も原子力発電市場の拡大をにらみ研究開発を進めた。その中心になったのがAEGとシーメンス(SIEMENS)の2社である。AEG社はリンゲン(LINGEN:BWR、25.2万kW)を1963年に、ビュルガッセン(WUERGASSEN:BWR、67万kW)を1967年に受注した。シーメンス社はドイツ初の商業用PWRであるオブリッヒハイム(OBRIGHEIM:35.7万kW)を受注した。また、原子力の国産化を目的に、AEG社とシーメンス社によってクラフトヴェルク・ユニオン(KWU)社が1969年に設立され、国内の供給体制が確立した。KWU社はその後、シーメンス社に吸収され発電事業部となった。以降、こうした先行炉での経験を活かしてBWRとPWRの大型化がはかられた。
 BWRについては、1977年に運転を開始したブルンスビュッテル発電所(BRUNSBUTTEL:80.6万kW)を経て、クリュンメル(KRUEMMEL:131.6万kW)、グンドレミンゲンB、C(GUNDREMMINGEN:各134.4万kW)の3ヵ所の発電所ではいっきに130万kW台へと設備容量が拡大された。クリュンメルまでは、ビュルガッセンの設計をベースにしていたが、グンドレミンゲンBとCは、まったく新しい設計が採用された。
 PWRについては、オブリッヒハイム発電所の2倍の出力を持ったシュターデ発電所(STADE:67.2万kW)が1972年に運転を開始し、単機容量では当時世界最大であったビブリスA発電所(BIBLIS:122.5万kW)が1975年に運転を開始した。同発電所は、以後の130万kW級PWRの標準発電所となった。1988年から1989年にかけて運転を開始した130万kW級PWRのイザール2号機(ISAR:145.5万kW)、エムスラント(EMSLAND:136.3万kW)、ネッカー2号機(NECKAR:136.5万kW)は“コンボイ・シリーズ”と呼ばれており、標準化された設計が採用されている。
 なお、1990年のドイツ統一にともない、旧東ドイツで運転されていたグライフスバルト発電所(GREIFSWALD(NORD):VVER−440=旧ソ連型PWR)は、安全面で問題があるとして1990年に5基すべて閉鎖された。また、グライフスバルトで建設中であったVVER−440型炉4基とシュテンダールのVVER−1000型炉2基の建設も中止された。
3.新型炉開発
 ドイツは、軽水炉のほか、高速増殖炉(FBR)や高温ガス炉(HTGR)の開発にも着手した。FBR実験炉(KARLSRUHE KNK−II:2.1万kW)が1979年に運転を開始し、これに続くFBR原型炉(出力30万kW)の建設も1973年にカルカーで始まり、1985年にはほぼ完成したが、ノルトライン・ヴェストファーレン州政府(社会民主党:SPD)が燃料装荷認可発給を拒否。同州による認可発給の見込みがまったくないと判断した連邦政府および電力会社は1991年にこのプロジェクトの中止を決めた。また、1987年に営業運転を開始した高温ガス炉発電所の「THTR−300」(電気出力30万8000kW)も、経済性の低下を理由に1989年に閉鎖されている。
 一方で、将来の需要を見込んだ新型軽水炉として、1992年から仏フラマトム社(FRAMATOME、現アレバNP)と独シーメンス社の間で、欧州加圧水型原子炉(EPR)の開発が進められた。EPRは、次世代型の加圧水型炉で、従来のPWRに比べて安全性や運転性、経済性に優れ、欧州共通の新安全基準に合致させるとともに、大型化と簡素化による経済性の向上が図られている。運転寿命は60年、電気出力は160万kW、燃料使用量は従来型の130万kW炉に比べて17%減、放射性廃棄物量も30%抑える。EPRは現在、実証プラントベースの運転性能評価が求められる段階にあり、フィンランドおよびフランスで建設が開始されている。
 EPRを補完する形で、130万kW級の自然循環冷却式受動安全BWR、 SWR1000の開発も行われている。ドイツ国内の電力会社E.ON、仏アレバNP、シーメンス社が進めているもので、EPRが欧州市場をターゲットとしているのに対し、SWR1000は輸出用として位置づけられている。実機の建設はWPRよりかなり遅れるとみられている。
4.今後の見通し
 1998年9月に誕生したSPDと緑の党の連合政府は原油価格の下落、火力発電の効率向上、1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故を背景に、原子力エネルギー利用を廃止する脱原子力政策を打出した。2002年4月には改正原子力法が施行され、新規発電所の建設・操業が禁止、既存の原子炉については総発電規制値を達成した後(許可後最長32年)に操業許可が消滅することが定められた(表1参照)。2002年時点運転中の原子炉は19基であったが、2003年11月にシュターデ(STADE:PWR、67.2万kW)、2005年5月にオブリヒハイム(OBRIGHEIM:PWR、35.7万kW)が閉鎖された。残りの17基の操業も2020年までに停止される予定で、再生可能エネルギーの開発・普及、省エネの促進を持続可能性戦略の目的の一つに掲げた(図2参照)。地球温暖化ガスの排出量を2020年までに1990年比で40%削減することを目指しているドイツでは、再生可能エネルギーによる発電割合を14%から20%へ、石炭火力から天然ガス火力へ大幅に移行するエネルギー政策を進めた。一方で、近年の原油価格高騰、電力自由化市場での競争力の低下、温暖化ガス排出削減目標から、原子力撤廃政策を見直そうという機運が高まり、2009年9月の総選挙でSPDが政権から離脱した。2009年10月には保守のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と中道、自由民主党(FDP)の連立政権が脱原子力政策の見直しなどで一致している。風力など再生可能エネルギーの普及が十分に進むまで、原子力発電所の稼働延長は認められる方針である。
(前回更新:2000年3月)
<図/表>
表1 ドイツにおける運転中の原子力発電所一覧
表2 ドイツにおける閉鎖原子力発電所の一覧
図1 ドイツの原子力発電所立地点
図2 ドイツにおける原子力発電の位置づけ
図3 ドイツのMOX燃料利用の状況

・図表を一括してダウンロードする場合は ここをクリックして下さい。


<関連タイトル>
旧西独の原子力発電の現状および統一ドイツの原子力政策 (14-05-03-01)
旧東独の原子力政策および原子力発電の現状 (14-05-03-02)
高速増殖炉SNR-300の中止決定 (14-05-03-11)
グライフスバルト(通称ノルト)原子力発電所をめぐる動き (14-05-03-12)
ドイツの1998年総選挙後の脱原子力政策 (14-05-03-13)

<参考文献>
(1)(社)日本原子力産業協会:世界の原子力発電開発の動向2009年次報告、(2009年4月)
(2)(財)日本原子力文化振興財団:原子力2009、2009年9月、p.132
(3)電気事業連合会:原子力2009[コンセンサス]、http://www.fepc.or.jp/about_us/pr/sonota/__icsFiles/afieldfile/2009/01/15/2009_Consensus0114_2.pdf
(4)(社)日本原子力産業協会:原子力年鑑 2010年版(2009年10月)、p.228−232
(5)世界原子力協会(WNA):Nuclear Share of Electricity Generation Figures, http://www.world-nuclear.org/info/nshare.html
(6)大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館:ドイツが脱原子力を選ぶ理由
(7)(社)海外電力調査会:海外諸国の電気事業 第1編、1998年3月、p.127-153、および2008年10月、p.153-192
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