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冷戦終了後、イラクにおける秘密核兵器開発プログラムの発覚、北朝鮮のIAEA(International Atomic Energy Agency:国際原子力機関)保障措置条約不履行、南アフリカの核兵器製造プログラム廃棄の公表などから、核兵器等の拡散防止、さらには究極的な核兵器廃絶に向けてのあり方が大きな問題となっている。1998年5月のインド及びパキスタンの核実験実施によって、核不拡散に対する関心はさらに高まった。
1.核兵器の不拡散に関する条約(NPT)の延長
核兵器の不拡散に関する条約(NPT:Non-Proliferation Treaty of Nuclear Weapons)は、1970年3月に発効し、現在の国際的な核不拡散体制の基礎となっている。NPTでは、核兵器国を1967年1月1日以前に核兵器を保有していた米国、旧ソ連(
解体後、ロシアが継承)、英国、フランス及び中国の5か国に限定し、これ以上の核兵器国の出現を防止することにより、核拡散を防止することを目的としている。NPTは、非核兵器国に対して核兵器の受領、製造、取得等を禁じ、IAEAの包括的保障措置(すべての
核物質に対して保障措置を受入れること)の受入れを義務づける一方、すべての締約国に対して原子力の平和利用の権利を保障し、かつ、核兵器国には核軍縮のための交渉を推進することを義務づけている。条約発効後25年目の1995年の4月から5月にかけて、ニューヨークの国連本部で、NPTの再検討・延長会議が開催され、投票の形式を取らずに条約の無期限延長が決定された。この決定の際、「条約運用の再検討プロセスの強化、再検討会議を以後5年ごとに開催(第1回は2000年)、次回再検討会議に先立つ3年間、毎年準備委員会会合を開催(1997年から開催)」を骨子とする「再検討プロセス強化に関する決定」並びに「1996年までの包括的核実験禁止条約(CTBT:Comprehensive Test Ban Treaty)交渉の完了とその間の核実験の抑制、[
兵器用核分裂性物質生産禁止条約]交渉の即時開始と早期終結」を骨子とする「核不拡散と核軍縮のための原則と目標に関する決定」の2文書が合わせて採択された。
2.IAEA保障措置の強化
1991年のイラクの秘密核開発プログラムの発覚、そして1993年の北朝鮮のIAEA特別
査察の拒否に端を発して、IAEA保障措置の強化及び効率化が急務となり、IAEA理事会の確認及び勧告によりまず次の3項目が実施に移された。
(1)
原子力施設設計情報の早期提出
1992年2月のIAEA理事会において、例えば、新規施設については、従来運転開始の30日前までにIAEAに提供することになっていた原子力施設の保障措置に関する設計情報を、運転開始の180日前までに提供することなどが勧告され、わが国は1995年7月これを受入れ、IAEAに情報提供を行っている。
(2) 特別査察の権限及び役割の確認
1992年2月のIAEA理事会において、現行保障措置協定の範囲内で、申告された施設のみならず未申告の施設に対しても特別査察を実施し得ることが確認された。
(3) ユニバーサル・レポーティング
1993年2月のIAEA理事会で、各国の核物質並びに特定の機器及び非核物質の輸出入に関する報告を自発的にIAEAに提出することが奨励され、我が国もこれに参加している(なお、これは、原子力供給国グループによりロンドン・ガイドラインに基づいて、すでにグループ間で実施されていたものである)。
これら一連の動きを踏まえ、IAEA保障措置制度の全体的強化・合理化を検討するため、1993年6月IAEA理事会に、事務局はIAEA保障措置制度の強化・効率化のための開発プログラム「
プログラム93+2 (*1)」を提出し、了承された(
表1参照)。
この作業は2年間続けられ、1995年6月のIAEA理事会においてその成果が報告され、すでにIAEAと締約されている現行の協定で実施可能な「第1部」については早期の実施が決定された。これに関しては、IAEAと各国との間で具体的な実施手順について協議が進められ、順次実施されている。また、IAEAに新たな権限を付与しなければ実施できない「第2部」については、その後も検討が続けられ、1996年にはIAEA理事会に現行協定に追加するためのモデル議定書作成のため特別委員会が設置された。1997年5月、IAEA特別理事会で、本文18条附属書2編から成るモデル議定書が承認された。1997年9月このモデル議定書に基づく各国の追加議定書に関する署名が開放され、1997年12月現在7か国が署名している。わが国は、国内担保措置のため
原子炉等規正法の改正を行い、1999年12月に追加議定書の締結を商業原子力発電国として始めて行った(2004年12月現在、61カ国およびユーラトムが追加議定書を締結)。
3.包括的核実験禁止条約(CTBT: Comprehensive Test−Ban Treaty)
CTBTは、1994年1月からジュネーブの軍縮会議で交渉が開始され、1995年5月のNPT再検討・延長会議での決定及び同年12月の国連総会の決議を踏まえ、1996年秋までの交渉妥結及び署名を目標に交渉が行われたが、インドなどの反対により軍縮会議での条約案採択は断念された。そのため、1996年9月国連総会が招集され、同月10日、CTBT採択のための決議が圧倒的多数で支持された。同月24日、同条約は署名開放され、わが国は、5核兵器国に続き、6番目に署名した。
CTBTの概要は次のようになっている;
・包括的な核実験の禁止
あらゆる場所において核兵器の実験的爆発及びその他の核爆発の禁止。
・検証制度
(a) 国際監視制度:
地震学的監視、放射性核種監視、水中音波監視及び微気圧振動監視から成る監視網を設置し、核実験の実施を国際的に監視。
(b) 現地査察:
・核実験の実施を疑わせる事象が発生した場合、締約国の要請により所要の手続きを経て条約の実施機関(CTBT機関)が緊急に査察を実施。
・発効要件
軍縮会議の交渉に参加し、かつ、原子力能力を有する44か国の批准を発効要件とする。ただし、署名解放後2年間は効力を生じない。署名解放後3年経過しても発効しない場合には、批准促進のための措置を検討する会議を開催する。
わが国は、1997年6月、CTBTの批准案及び関連する原子炉等規制法改定案が国会を通過し、同年7月これを締約した(世界で4番目)。CTBTの発効には同条約が指定する44か国の批准が必要であるが、2004年12月現在、署名国174、締約国120である。この44か国に含まれているインド、パキスタン及び北朝鮮はまだ署名していない。なお、国連でのCTBT採択に先立って1995年及び1996年に中国及びフランスが核実験を行い、また、同条約に反対していたインド及びパキスタンが1998年5月に核実験を行った。最近(1998年)、米国及びロシアは未臨界核実験を行っており、CTBTの普遍的実施は前途多難である。
4.北朝鮮の核開発問題
1985年にNPTに加入した朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」という)は、1992年にIAEAとの間で保障措置協定を締結した。しかし、IAEAが追加情報の提供及び追加施設への査察の実施を求めたところこれを拒否し、北朝鮮は1993年3月にNPTから脱退する旨決定するに至った。その後、北朝鮮は、米朝協議を通じてNPTからの脱退発効の中断を表明したが、北朝鮮の核開発に対する国際的疑惑は高まった。その後も、北朝鮮は、1994年に放射化学研究所に対する査察等に関するIAEAの要求を十分に受け入れなかった。これを受けIAEA理事会が、すべての保障措置に関する情報及び場所への接近要求の決議を採択したところ、北朝鮮は、1994年6月IAEAからの即時脱退、今後のIAEA査察の拒否等を表明した。しかしそのために、北朝鮮の国際約束が消滅するものではなく、北朝鮮とIAEAとの間の保障措置協定は現在も有効である。IAEAは、1994年5月以来、北朝鮮の寧辺地域で査察員連続駐在を維持している。1994年11月からIAEAは、北朝鮮の黒鉛減速原子炉及び関連施設の”凍結”の監視を引き続き行ってきた。放射化学研究所(
再処理工場)における廃棄物の
モニタリング、同国5MW(e)原子炉での
使用済燃料中
プルトニウム含量を定量するための測定など、数多くの査察活動が、北朝鮮によって受入れられられなかった。IAEAが北朝鮮の冒頭報告の完全性及び正確性を検認するために必要と考える情報の保存に関する北朝鮮との協議は進展していない。このようなことから、北朝鮮のIAEA保障措置協定不履行の状態が続いている。
一方、1994年10月、米国及び北朝鮮は、以下の4点を柱とする枠組に合意した。
(a) 北朝鮮の黒鉛減速炉の
軽水炉への転換
(b) 両国の政治的・経済的関係の完全な正常化
(c) 核なき朝鮮半島の平和と安全保障への努力
(d) 国際的な核不拡散体制の強化への努力
この合意を受けて、1995年3月、軽水炉支援等のための国際コンソーシアムとして
朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO:Korean Peninsula Energy Development Organization)が、日本、米国及び韓国により設立された。KEDOは、出力約100万キロワットの韓国標準型軽水炉2基を北朝鮮に供与すること、黒鉛炉に代わる暫定的な代替エネルギーを供給すること等を目的としている。2002年12月に、北朝鮮が核兵器のための
ウラン濃縮計画を有していたことが明らかになり、その後のNPT脱退宣言など北朝鮮の一連の言動を受けて、軽水炉プロジェクトは、2003年12月から停止されることとなり、どうプロジェクトをめぐる状況も困難なものとなっている。
5.イラクの査察
IAEAは、イラクの秘密核兵器プログラムに関する各種側面の調査並びにイラクの国連安全保障理事会関連決議履行義務の遂行に関する継続監視・検認計画の実施を継続し、この計画で利用する各種技術を向上させるためのプログラムを開始させた。1997年10〜11月、イラクがそのチームの構成に条件をつけようとしたため、IAEAと国連特別委員会(UNSCOM)はその監視活動を23日間中止した。国連安全保障理事会に対する1997年10月の中間報告で、IAEAは、イラクの核兵器関連資産の現場査察並びにそれら資産の破壊、撤去及び無害化のためにIAEAが執った措置に関連して、1991年5月以降に終了した活動の概要を提出した。この同じ報告の中で、IAEAは、イラクの秘密核兵器プログラムに関する技術的に整合性のある全体像を作成したと記録し、この全体像と、1996年9月付のイラクの”すべての、最終的かつ完全な申告”に含まれ、その後イラクが書面で提出した改定版により補完された情報との間に、大きな食い違いの徴候はないと述べた。このように核兵器及びその開発に関する調査は収束に向かいつつあるが、化学兵器及びミサイルに関しては未だ完全には明らかになっていない。
6.プルトニウム平和利用の透明性向上のための国際的枠組
使用済燃料を再処理して、回収したプルトニウム、ウランなどを再び燃料として使用する
核燃料リサイクルを進めるに当たっては、核拡散に係る国際的な疑念を生じないよう核物質管理に厳重を期すことが必要である。
核兵器の解体に伴うプルトニウム等及び平和利用のプルトニウムに対する国際的な関心の高まりを背景として、1994年2月から、関係9ヶ国(日・米・英・仏・露・中・独・ベルギー・スイス)により、プルトニウム利用の透明性向上等のための国際的枠組みに係る検討が進められ、1997年12月に「国際プルトニウム指針」が採択された。この指針は、参加国が自国の民生プルトニウム利用に関する方針を明らかにするとともに、自国の民生プルトニウムの管理状況、即ち、施設の区分ごとに存在するプルトニウムの量を共通の形で公表することなどを含む民生プルトニウムの管理の指針である。1998年3月、この指針に基づいて各国がプルトニウム保有量などをIAEAに報告し、IAEAはこれを公表し、以後この指針に基づき報告されている(
表2参照)。
用語解説
(*1) プログラム93+2:
1993年から2年間で保障措置の強化・効率化のための一連の方策をまとめるために開始されたIAEA事務局の開発プログラム。その結果を織り込んだ制度は、現在、強化された保障措置制度(Strengthened Safeguards System,SSA)と呼ばれている。
<図/表>
<参考文献>
(1)原子力委員会:原子力白書 平成10年版、大蔵省印刷局(1998年8月)
(2)原子力委員会(編):原子力白書 平成8年版、大蔵省印刷局(1997)
(3)IAEA:IAEA文書INFCIRC/540(1997)
(4)IAEA:1997年におけるIAEA保障措置の実施,IAEAプレス・リリース,PR/98/8(18−06−1998)
(5)D.Albright,F.Berkhout,W.Walker: SIPRI, PLUTONIUM AND HIGHLY ENRICHED URANIUM 1996, Oxford Univ. Press(1997)
(6)片岡,峯尾:国際プルトニウム指針について, 核物質管理センター・ニュース, 27(7), 1−14(1998)
(7)原子力委員会:原子力白書 平成16年版(2005年3月)