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ICRPの公衆(Public)の定義は「職業として被ばくする者〔職業人(日本の法令では放射線作業従事者)〕以外のすべての人」のことである。
ICRPは被ばくを(イ)職業上の被ばく、(ロ)医療上の被ばく(患者・被験者としての被ばく)、およびその他の全ての被ばくとして(ハ)公衆の被ばく、の三つに区分している。
(イ)の被ばくの対象者は健康な成人であり、個人の被ばく線量は外部被ばくについては個人が着用する線量計で実測され、
内部被ばくについては全身カウンタなどで体内汚染量が測定される。一方、(ハ)の被ばくの対象者は、老若全ての年齢にわたるとともに健康の程度も様々であり、また、内部被ばくについては体内汚染量の測定による評価を行うことは、不可能ではないが公衆という多数については実行困難であり、外部被ばく線量は直接に測定できないという特徴がある。
地球上に生存する限り、
図1に示すようにいろいろな自然の線源、人工の線源から被ばくしている。公衆の被ばくには、公衆を構成する個人が「どのような線源からどのように被ばくしているか」という個人の被ばくに着目する場合(
図2、左)と、例えば原子力施設における大事故の場合のように、ある一つの線源から多数の公衆(施設周辺住民から場合によっては世界の全員)が受ける被ばくを問題とする場合がある(
図2、右)。個人に着目する場合と公衆全体の被ばくを問題とするかでは被ばくの経路、評価の仕方も異なる。ここでは、一般に関心が持たれる施設からの多量放出事故の場合の評価手法について述べる。
1.放射性物質放出事故における公衆の被ばく経路
事故による放射性物質の放出で公衆の被ばくとして問題となる主な「被ばく経路」を
表1に示す。
経路(1)は、JCOの
臨界事故のように施設の直ぐそばに住民がいる場合に問題となる被ばくで、被ばく線量は放出源からの距離の二乗に反比例する。被ばく線量は放出放射線の強さと被ばく者の線源からの距離、被ばく時間から評価される。
経路(2)は、(4)および(7)とともに放射性物質の放出を伴う原子炉事故で最も重要な被ばく経路である。高い煙突からの放出と地上放出の場合で放出された放射性物質の拡散・移動は異なるが、放射性物質を含む空気団(放射性プルーム;または単にプルーム)は
図3に示すように風下方向に流れ、大気が不安定の場合(安定度:A、B)には上下左右に、特に上下方向に比較的大きく移動・拡散しながら(2)、(4)などの被ばくをもたらす。また、放射性物質の沈降・沈着により地表面を汚染し、(7)の被ばくを引き起こす。大気が安定な場合(安定度:E、F)はプルームの移動・拡散は相対的に小さく、結果として風下の幅の比較的に狭い、より遠い地域まで(2)、(4)、(7)などの被ばくをもたらす。また、大気が安定な場合には、「逆転層」(上空に温度の高い大気層ができる)が生成することがあり、この場合には上空への拡散が起こらず、上方への拡散がない分だけ更に遠い地域まで被ばくをもたらす。放出された放射性物質による汚染にはこのように風向、
大気安定度、風速、逆転層の有無という気象条件が大きく関与する。ほかにも、地形、また降雨をはじめ放出中の大気の諸条件の変動などももちろん関係する。 経路(2)による被ばく線量は、プルーム中の放射性物質の濃度、プルームの大きさ・形状、被ばく者とプルームの相対位置、被ばく時間などから評価される。
経路(3)はプルームが通過後の被ばくであり、放出された物質に長
半減期の物質が存在する場合はプルームが通過したかなり後にも問題となる。しかし、降雨によって流れ去ること、地中への浸透などによって、非常に多量の放出事故でない限りそれほど長い期間にわたる被ばくにはならない。ただし、長い期間にわたって問題となる(7)の被ばくをもたらす。経路(3)による被ばくは表面汚染濃度と被ばく時間から評価される。
経路(4)〜(7)の被ばくは「内部被ばく」という身体への取り込みによる被ばくである。被ばく線量は後述するようにそれぞれの経路ごとにも評価される。いずれの経路についても体内に取り込まれた放射性物質の量を直接に、あるいは間接的に測定して被ばく線量を求めることもできる。
ガンマ線・
X線を放出する放射性物質については甲状腺モニタあるいは全身カウンタによって器官あるいは体内汚染量を直接求められる。アルファ線・ベータ線しか放出しないものはバイオアッセイ法(尿中排泄量などの測定)による排泄量の測定値から体内汚染量を求め、体内における放射性物質の代謝データから被ばく線量が求められる。
経路(4)はプルームの
吸入による放射性物質の体内への直接の取り込み経路である。原子炉事故では放出される放射性物質の相当な割合をクリプトン(
85Kr:半減期10.8年)、キセノン(
133Xe:半減期5.2日)などの
希ガスが占める。希ガスは吸入しても体内への吸収・沈着はなく、呼吸中の肺などの呼吸器官の被ばくのみが問題となる。希ガス以外の放射性物質が含まれる場合には吸入されたものの一部は体内に取り込まれ、将来の被ばくをもたらす。
経路(5)は露出している皮膚、傷口に汚染した放射性物質の体内への取り込み経路である。皮膚などの表面汚染検査は事故時には避難住民に対して常套的に行なわれる検査であり、皮膚の汚染は危険であると一般に考えられているために被ばくの経路としての重要度は小さいがここに取り上げる。皮膚を汚染した物質が体内に取り込まれるのは化学形が水の放射性水素(
トリチウム)だけである。事故時の対応として表面汚染検査が行われるのは、汚染した放射性物質が剥がれ落ちて空気中に漂い、これを吸入して経路(4)と同様な被ばくをもたらすことを防ぐため、およびプルームの中、あるいは下にいて(2)、(4)の被ばくをしている証拠であるためである。皮膚の汚染の場合、体内取り込みによる内部被ばくは考慮する必要はないが、汚染している間は皮膚自体が被ばくする。しかし公衆が問題となるような皮膚の高レベル汚染を起こすことはない〔その前に(2)(4)が問題となる〕。傷口の汚染は避難中の負傷というような特殊な場合である。傷口が汚染した場合には血液中に取り込まれる恐れがあるが、取り込み量は傷の大きさ・深さ、出血状況によって様々であり、被ばく線量は体内汚染量の測定値からの評価となる。
経路(6)は地表面に沈着・沈降した放射性物質の風による舞い上がりを吸入することによる二次的な被ばくで、(2)、(4)、(7)による被ばくのような大きいものではない。(6)による被ばく線量は空気中に再浮遊している濃度とそれを吸入していた時間からも評価できる。
経路(7)は汚染した飲食物の摂取による被ばく経路で、状況は複雑となる。水で問題となるのは第一に汚染した水道水・井戸水の飲用および調理用としての利用であるが、水道水が問題となる可能性は極めて低い。食品で事故後間もない時期に問題になるのは葉菜の表面汚染である〔ビニールハウス栽培では汚染は起こらない〕。葉菜の汚染は水洗でほとんどが除去できるが、牛が汚染牧草を食べたことによるミルクの汚染は事故後間もない時期に問題となり、特にミルクに頼っている乳幼児の被ばくにつながる。
放出された放射性物質に長い半減期のものが含まれている場合には事故後の長い期間にわたって根菜、家畜(肉)の汚染も問題となる。海水・河水の汚染の濃度は大きく希釈されるが、プランクトン→小型の魚→中・大型の魚→ヒトという食物連鎖中で大きく濃縮される場合があり、事故後かなり後まで問題になることがある。
大気中に放出された放射性物質による被ばく経路をまとめて
図4(経路(5)は省略)に示す。海水中に放出された場合の被ばく経路を
図5に示す。
これらの経路について、放射性物質の移行は詳しく解明されており、放出量と気象条件、地表面汚染レベル・水中の濃度、食品中の濃度などと摂取量から被ばく線量はかなりの精度で予測できる。
経路(7)による被ばく評価には、飲食物が汚染したとしても出荷停止、廃棄などの措置が取られれば被ばくは低減される。また、市場には汚染のない遠隔地の産物も供給されていることによる「市場希釈」がある。したがって、(7)にはその地域の食品流通状況という汚染状況以外の社会的な事項も大きく関係する。公衆の被ばく評価にはこれらの事項も考慮される。
事故による公衆への被ばく線量の評価には、上記いろいろな経路について評価が必要である。これら多くの経路には、事故直後に問題となる(1)、(2)、(4)の被ばくもあれば、(7)のように事故のかなり後になってからも問題になる被ばくもある。また、被ばく線量に大きく関係する経路、関係の小さい経路がある。被ばく線量に特に重要な経路を「
決定経路」と云う。事故時にはまずこの決定経路について被ばく線量が評価され、公衆に対する必要な事故対応策が取られる。事故時の評価は、対応策実施上迅速である必要がある。例えば、数時間後、1日後など、の汚染・被ばく状況が予測できるならば事故対応上非常に有効である。
2.緊急時環境線量情報予測システム:SPEEDI(System for Prediction of Environmental Emergency Information)
このシステムは大型コンピュータを使用したシステムで、原子炉事故時に放出源情報(放射性物質の種類、放出量、放出率、放出の高さなど)および地元・中央気象台からの(気象衛星アメダスを含む)風速、雨量、大気安定度、拡散係数などの気象データ、地形データを入力して実時間(リアルタイム)で環境線量に関する必要な情報を求めるものである。積み重ねられた気象観測データから6時間先の状況も予測でき、日本原子力研究所(現:日本原子力研究開発機構)で開発された。出力される環境データの図形には、風向/風速(m/s)、大気中放射能(Bq/m
3)、地表面汚染レベル(Bq/m
2)、空気中線量(μGy/h)、プルームからの外部実効線量(mSv)、乳幼児・成人別の放射性ヨウ素の吸入による甲状腺等価線量(mSv)などがあり、他に気象条件、常設のモニタリングポスト等の実測値も表示できる。この予測計算の計算区域は国内の主要原子力施設全施設で、通常24km×24kmであるが、区域は変えることができる。従来の計算法と比較すると
表2に示すように、多くの評価必要項目において優れた性能を有する。例として1999年のJCOにおける臨界事故で放出された放射性ヨウ素による東海村周辺の幼児の甲状腺等価線量の予測分布図を
図6として示す。
現在、このシステムの運用は国が(財)原子力安全センターに委託して行なわれ、文部科学省—経済産業省—原子力安全委員会—大型原子力施設を有する道・県—オフサイトセンター間がネットワークで結ばれている。
このシステムによる予測は現在は6時間先までであるが、1週間先までの予測ができるよう検討が進められており、原子力事故のみならず有害ガス、公害物質等、火山ガスなどなどの有害物質の拡散予測からウンカの飛来ルート等の予測などまで利用範囲の拡大が検討されている。また、SPEEDIの性能が良いことから世界各国と連携してのSPEEDI国際版(SPEEDIW)の作成が進められている。
3.公衆の被ばく線量の取扱い:
集団線量
不妊や
白内障など器官の機能障害による
確定的影響が問題となる高レベルの被ばくを公衆が受ける可能性は極めて低く、考えられるのは100〜200mSv以下の低レベル被ばくである。問題となるのは発生率の小さいガン・遺伝障害の
確率的影響である。被ばくの影響を、ある個人について”ガン発生の確率は生涯に0.001”ということは意味がなく、意味があるのは”被ばく者集団○○人について予測されるガン発生数は△人”ということである。ICRPは確率的影響について「どのように僅かな被ばくでも線量に比例して障害が発生する」という安全側の仮定を取っている。この考えによると、10,000人が各1mSv被ばくした場合と1,000人が各10mSv被ばくした場合の発生する障害の大きさは同じとなる。このことから、公衆の被ばくについては対象者全員についての被ばく線量の総量が取り上げられる。この総量を「集団線量:collective dose」と云う。単位は「man-Sv(人-Sv)」である。
<図/表>
<参考文献>
(1)国際放射線防護委員会(ICRP):公衆の放射線防護のためのモニタリングの原則、ICRP Publication 43、日本アイソトープ協会(1986)
(2)国際放射線防護委員会(ICRP):国際放射線防護委員会の1990年勧告、ICRP Publication 60、日本アイソトープ協会(1991)
(3)国際放射線防護委員会(ICRP):長期放射線被ばく状況における公衆の防護、ICRP Publication 82、日本アイソトープ協会(2002)
(4)原子力安全委員会:緊急時環境放射線モニタリング指針、(2003年改定版)
(5)茅野政道:「原研SPEEDIによる線量評価、JCO臨界事故における原研の活動、JAERI-Tech 2004-074、p153、日本原子力研究所(2000)