<本文>
(1)事故の背景
エル・サルバドル共和国の首都サン・サルバドルの郊外に産業用の照射施設がある。この施設は1974年に建設され、1975年から使用されている。施設の設計、製作、設置は全てカナダ原子力公社(Atomic Energy of Canada Ltd.現在はNordion International Inc.として販売活動を行っている)によるもので、モデルJS6300ガンマ線線源が備えられている。この線源は棒状の「線源ペンシル」54本が垂直に並列されたもの(モジュ−ル)が2段、積み重ねられた形状をしており、1本の線源ペンシル(直径 1.1cm×長さ45.2cm、ステンレス製)には2ヶの標準コバルト60線源(直径 0.81cm×長さ20.96cm)が入っている。
この線源が照射室の中央にあり、照射時には床下の格納室(プ−ル)からケ−ブルで引き上げられて、照射位置に納まり、線源の横をコンベヤ−で通過するガラスファイバ−製の照射箱(40cm×40cm×高さ90cm)に入った照射対象物を照射する。コンベヤ−は2層構造になっていて合計29の照射位置があり、一つ位置での照射時間は140分で、その時間が過ぎると次の位置へ進む。照射箱がこわれて線源架台の動きを邪魔することがしばしばあり(米国その他で)、そのために装置供給者は対策警告を各施設に通達していたが、当施設ではそれを無視していた。
(2)事故の経緯
1989年5月2日午前2時、医療用品の滅菌照射中に線源架台が所定の位置から低下し、アラ−ムが鳴った。当直員A(1人)は手動で線源ケ−ブルを操作して線源格納プ−ルに降ろしたものと思い込み、
制御盤 の線源オン信号を無視し、照射室のドアロックを強制的に解除し、主電源を切って、懐中電灯を持って照射室に入り、照射箱が線源架台の下に入りこんでいるのを見つけてそれを取り除き、更にたるんだ線源ケ−ブルが上層のコンベヤ−の照射箱ガイド棒にひっかかっていて、そのために線源がプ−ルに落ちないことを見つけた。
一人では直せないので室外に出て、主電源を入れ、援助を求めた。室内にいた時間は約5分であった。少したってからAは照射に関係のない他の部の作業員BとCの2人をつれて室内に入り、3人で線源架台を引き上げてケ−ブルのひっかかりを直し、線源架台をプ−ルに戻した。照射室を出てから数分でAは嘔吐し始め、午前3時半になって血を吐いたことから、Bと一緒に救急病院へタクシ−で行った。間もなくB、Cも嘔吐し始め、3人共に入院することになった。
朝6時になって次の当直員Dが出勤し、Aの不在と照射箱の異常を知ったが、そのまま通常の作業し、翌日になって保守係に報告した。
会社側は3人の欠勤を知ったが単なる病欠と思っており、4日目になって病院からの通知によ被曝事故があったことを知ったが、そのまま通常の照射作業を続けた。5〜6日目に数本の線源ペンシルが上側の線源列からプ−ルに抜け落ち、6日に照射物の
線量 不足からそれが判明し、その時の検査で線源内のペンシルの配置に異常があることが判ったが、そのまま照射作業が続けられた。
6日目の午後4時に線源復帰不能の故障が起こり、これを保守係Xと運転員Yとが修理を試みた。この間に上部線源モジュ−ルの残りのペンシル線源がはずれて落ちた。線源がプ−ル内に降りてからX、Y及びもう1人の作業員Zの3人が照射室に入って点検し、何も不具合なしとマネ−ジャ−に報告した。マネ−ジャ−は再点検のために部屋に入り、上部線源モジュ−ルが空になっていることを見つけ、放射能測定器でサ−ベイして照射室の
線量率 が高いことを発見し、施設を閉鎖した。その後になって線源ペンシル4本(内3本はダミーで1本のみが本物)が照射室に落ちていることが、判った。
(3)事故の結果
第一の被曝では3人が放射線火傷や造血器官や胃腸管の障害など、急性の重い放射線症となり、初めはサン・サルバドル市のプリメモ・メイヨ−病院、後になってメキシコ市のアンジェルス・デル・ペドレガル病院に転院して、造血因子の投与などの集中的な治療を受けた。
この3人の被曝線量は身体の部位によってかなり異なっていた(
図1 )。部分被曝として最も線量の多かったのは作業員Bの左脚部で、この脚は事故後161日目に
潰瘍 のためヒザの上から切断手術され、更に右脚も202日目に切断手術された。
リンパ球 の
染色体異常 の頻度から推定された全身の平均線量は作業員Aでは約8.1、Bは約3.7、Cは約2.9Gyであった(
表1 )。この3人はいずれも生存している。
第2の被曝事故の4人の被曝線量は作業員Xが0.09、Yが0.16、Zが0.16、マネ−ジャ−が0.22Gyであって、臨床症状が殆どなかった。
(4)事故の原因と教訓
基本的には、エル・サルバドル共和国全体として
放射線防護 の基盤が整備されていないことが事故の原因であるといえよう。例えば放射線防護に係わる国の法律がないこと、施設装置供給者による訓練を受けた要員はこの施設では当初いただけで、存在せず、操作や防護に関するまともな訓練が行われていなかったこと、供給者に連絡し指導を受ける方法は電話のみであったこと、などが遠因となっている。
事故の直接の原因は事故の経緯から明らかなように当然行われるべき手順の省略と無視とであった。
この事故の経緯と原因を検討した結果として、国際原子力機関は放射線照射施設の安全運転に係わる責任者(当局)に対して、国による
安全規制 に係わる法律の整備など一連の勧告を示している。照射施設の事業者に対する対する
IAEA の勧告の概要を
表2-1 および
表2-2 に示した。
<図/表>
表1 染色体異常の頻度から推定した被曝線量(メキシコと米国の推定)
表2-1 照射施設事業者に対するIAEA勧告の概要
表2-2 照射施設事業者に対するIAEA勧告の概要
図1 事故被曝者の身体部位が受けた線量
<関連タイトル>
イスラエル国ソレク原子力研究センターにおける医療用殺菌装置による被ばく事故 (09-03-02-01)
放射線の身体的影響 (09-02-03-03)
放射線障害に対する治療法 (09-03-05-01)
骨髄移植 (09-03-05-02)
放射線防護薬剤 (09-03-05-03)
放射線の造血器官への影響 (09-02-04-02)
放射線の消化器官への影響 (09-02-04-05)
<参考文献>
(1)The Radiological Accident in San Salvador,IAEA,1990,STI/PUB/847
(2)中尾(編):放射線事故の緊急医療、ソフトサイエンス社、東京、1986