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<概要>
 生物学における放射線の利用は、植物、動物、微生物を対象とし、生活に密着した分野である。現在の潮流であるライフサイエンスや環境科学を含めて、この分野の利用開発が進められている。
 まず、利用されている放射線の種類と特徴を示し、次に、放射線育種、食品流通・保全、農業廃棄物の有効利用、肥料・栄養素の動態挙動の研究、微生物を対象とした育種、滅・殺菌、害虫駆除などにおける放射線利用の現状と成果を紹介する。
<更新年月>
2014年11月   

<本文>
 放射線(γ線X線)による突然変異の研究の歴史は古く、1927年ごろのショウジョウバエやトウモロコシによる実験に遡るといわれている。最初に利用された放射線は、主としてγ線であったが、その後電子線やイオンビームも利用されるようになり、動態挙動の研究では、放射性同位元素(RI:radioisotope)も用いられている。その中でも最近は、陽電子放出核種の利用研究が盛んになった。これらの研究は、イメージングプレートなどを用いた放射線検出器・装置の高感度化及びデジタル処理技術の発展に伴い、大きく進展した。
1.利用する放射線の種類と特徴
1.1 γ線
 γ線利用の代表としては、(独)農業生物資源研究・放射線育種場(ガンマーフィールド)(茨城県常陸大宮市)がある。放射線により誘発された突然変異を利用した作物の品種改良、並びにその効率的誘発のための基礎研究を行っている。その対象は、種子繁殖・栄養繁殖作物から木本作物に及び、新品種の育成に貢献する一方、突然変異誘発機構の解明・突然変異誘発技術の開発などの基礎的な研究を行っている。ここには半径100メートルの円形圃場で、周囲を高さ8メートルの防護用の土堤で囲まれた野外緩照射用施設がある。圃場の中央には88.8TBq(テラベクレル)の60Co(コバルト60)線源を装備した照射塔が設置されており、自然条件下でガンマ線を照射して品種改良のための有用突然変異を誘発するために用いられている。この他に、種子・球根・穂木などを短時間で照射する室内急照射用施設(ガンマールーム)があり、44.4TBq(テラベクレル)の60Co(コバルト60)線源が装備されている。その他の大規模照射施設としては、コバルト照射センター(北海道士幌町農協)、病害虫防除技術センター(沖縄県那覇市)などがあり、さらに国公立研究機関の研究用照射施設として、(独)日本原子力研究開発機構高崎量子応用研究所や大阪府立大学放射線研究センター、また企業の受託照射用施設でも生物学関連の開発が行われている。
1.2 電子線・ソフトエレクトロン
 放射線発生装置としての電子加速器の進歩により、γ線の代わりに利用されるようになった。国公立研究機関の研究用照射施設、企業の受託照射用施設でも高エネルギー加速器が装備され、包装後の医療用具の滅菌・殺菌に利用されている。一方、滅菌・殺菌は対象物の表面だけの問題であるという見方からすると、300keV以下の低エネルギー電子線の照射が有効である。そこでこの低エネルギー電子線を「ソフトエレクトロン」と名づけて、その利用技術が開発され穀物・香辛料・乾燥野菜・茶葉等の殺菌に応用されている。
1.3 イオンビーム
 イオンビームは、γ線やX線とは異なって当った部分に大きなエネルギーを付与するとともに、原子が留まる場合もあることから、生物に大きな影響を与えるという特徴がある。また、エネルギーを調節することにより入射深さや集束性を制御することができ、ミクロンレベルでの微細操作も可能である。この特異性を利用して生物の品種改良や一種の外科手術(セルサージェリ技術)などが行われている。さらに、環境保全や資源確保に役立つ新しい遺伝子資源の開発やこれらの宇宙での利用へと進展が図られている。物質中に含まれている元素を調べることはそれほど簡単ではない。化学分離に基づく方法に加えて、物理的方法も利用される。中でもPIXE分析法の生物学への応用が期待されている。粒子ビームを1ミクロン以下に絞り込んで走査すると、細胞内の元素分布が画像として得られるので、病原因の解明または診断など、医療において強力な手段となることが期待されている。
1.4 放射光・中性子
 生物細胞は多種の分子の集合体であり、生物細胞の活動を理解するためには個々の分子の立体構造を知ることが必要である。強力な放射光(X線)が利用できるようになって以来、毎年多くのタンパク質の立体構造が解明されている。タンパク質はアミノ酸配列によって決まった独自の立体構造を形成した時にその機能を発揮するが、このことも強力な放射光や中性子線を利用して明らかにされた。また、強力なパルスX線を用いて非常に短時間の構造変化、酵素が他の分子と反応した中間体の構造などの解明も始まった。このように放射光や中性子線による新しい構造生物学の展開がSPring 8(兵庫県佐用町)で進められている。
1.5 放射性同位元素(RI)
 3H−ウリジン及び3H−チミジンを用いたRNAの合成挙動、グルコース−1−14Cまたはグルコース−6−14Cを含む培地で種子を発芽、生育させ、生じるCO2を測定することによりグルコース代謝諸回路のうちのペントースリン酸回路の挙動などが研究されている。
 1990年代後半に「植物ポジトロンイメージング技術」が登場した。これには、陽電子(ポジトロン)を放出するRIで標識したトレーサを植物に投与し、植物体の内外のRI分布を連続的に撮像したのち解析するpositron-emitting tracer imaging system(PETIS)が用いられている。植物における動態挙動研究のためのポジトロンイメージング計測の基礎では、まずサイクロトロンを用いて11CO2ガス、18F−水などを製造し、次に18F−グルコースや11C−メチオニンを合成して、これらを用いた植物内での代謝挙動が研究されている。
2.放射線利用分野の現状と成果
 放射線利用分野のうち、品質改良などの放射線育種、食品流通・保全のための保存、環境保全などのための農業廃棄物の有効利用、RIを用いた肥料・栄養素の動態挙動の研究、微生物を対象とした分野での育種、滅・殺菌、害虫駆除などにおける利用の現状と成果を以下に紹介する。
2.1 放射線育種(品種改良等)
 植物や微生物の放射線による品種改良は、個体・染色体・DNAレベルでの利用研究が進められている。梨の黒班病に対する耐病性付与としては著名な二十世紀梨などの成功例(図1)があり、さらに稲への白葉枯れ病、大麦へのうどんこ病などへの耐性付与が行われている。大豆、米、油作生産物などの組成改変や生産性向上、さらに最近話題になっている虫に食われない作物の創生、エノキダケやキク(図2)の含有色素の改質などの品種改良がある。さらに、キクの花弁や葉片培養外植片に炭素イオンビーム12+5を照射し、従来のγ線照射では得られない複色や条斑の花を作り出した。γ線照射の場合には、ほとんどの変異体で淡桃か濃桃への花色変異を示し、しかも大部分が単色になる。他方、イオンビーム照射の場合には白、黄、橙など色の種類が広がり、また同時に1つの花に2色以上が混ざる複色や花弁にストライプの入る条斑タイプの変異体が多数誘発されている(図3)。
 園芸農家のハウス栽培作物用に受粉用昆虫としてセイヨウミツバチが使われているが、照射によって刺針の異常を誘発して、無害化する試みが行われている。
 イネやオオムギを対象とした中性子照射による突然変異誘発において、照射前にホウ酸処理を行うことにより、突然変異誘発効果が高められることなどが認められた。これは10Bの存在により、中性子の吸収効率が良くなったためと考えられている。
2.2 食品等の保存
 ジャガイモの発芽防止による長期保存は、世界に先がけて実用化が日本で進められた放射線利用技術であり、昭和49年(1974年)以降、20年以上にわたって経済的、技術的にも安定した運営が続けられている。また、諸外国ではタマネギ、パパイヤなどにも放射線が利用されている。
 害虫駆除等では、ウリミバエの不妊虫放飼法による根絶で、沖縄地方からかんきつ類の本土への出荷が可能になった。殺虫でも、輸入切花に付いてくるマメハモグリバエ、ミナミキイロアザミウマ、ネギアザミウマ、ハスモンヨトウの卵・蛹・幼虫に対して2.5MeV以上の電子線照射が羽化防止、殺虫に有効であることが分かった。また、X線照射の応用も始まっている。
 滅・殺菌による食品等の保存では、食品、生薬・ハーブ等の腐敗防止・衛生化に役立ち、さらにこの技術は輸入品に対する防疫にも応用できる。わが国では、無菌動物用飼料に対する30〜50kGyでの殺菌が40年以上にわたって実施され、安全性も十分証明されている。諸外国ではそれ以外に牛肉、食鳥肉、香辛料、果物、乾燥野菜などにも利用されている。例えば、ほとんどの食品は6〜150keVの電子(ソフトエレクトロン)で殺菌できる。具体的には、対象物を回転させながら表面にソフトエレクトロンが均一に当たるように工夫されている。その他、果実・野菜等の熟度調整にも放射線が利用できる。
2.3 環境保全・リサイクル
 放射線分解による廃棄農産物や汚泥の有効資源化や廃水・排煙処理などがあり、稲わら、麦わら等のセルロース系廃棄物は、γ線・電子線処理により分解しやすくなるとともに、腐敗菌の除去と発酵とを組み合わせて短時間で肥料化、飼料化等を行ってリサイクルする技術が開発された。同様な放射線処理技術は、下水汚泥処理(図4)、工場からの換気ガスの無害化処理(図5)、土壌やマメ科植物の根粒菌接種剤の殺菌に利用されている。
2.4 動態調査
 動植物体内の栄養素の移動・吸収・代謝調査、肥料・農薬等の流失・分解挙動などは、主としてRIを用いて行われる。動植物の構成元素の分析は、中性子を用いた放射化法や高輝度X線による蛍光分析法等を駆使して実施されている。
 ポジトロン放出核種13Nを用いた例では、13NO2ガスをオオムギの葉に供給し、13N光合成産物の短時間での根への移行、特に幼根の先端への蓄積などを示す鮮明な画像が得られている。また、13N−メチオニンを用いて、鉄欠乏オオムギにおけるアミノ酸転流に関する計測が行われた(図6)。13Nに関しては、13NO3−113NH4+1としてイネやダイズの経根吸収を調べ、特に短時間での計測に有効であることが明らかとなった。18Fは、半減期が110分と比較的長いため、水の動態計測などへの利用が検討されている。
 従来、マメ科植物の根粒における共生的窒素固定のメカニズムや固定された窒素化合物の地上部への輸送についての研究において、主に安定同位体の窒素15( 15N)が用いられてきた。(独)日本原子力研究開発機構では、放射性トレーサを用いて生きた植物体内の様々な物質の動きを観測する「植物ポジトロンイメージング技術」を開発し、植物体内の光合成産物の動きや硝酸やアンモニアの動きなどの解析に成功している。したがって、この技術を利用すれば植物を傷つけることなく共生的窒素固定のメカニズムの解析ができると考えられている。
2.5 たんぱく質の構造解析
 たんぱく質の構造解析には主として放射光X線や中性子線が用いられている。生体の免疫系で中心的な役割を果たしている細胞にマクロファージがある。放射光X線を用いて構造解析されたたんぱく質の例として、ヒト白血球由来マクロファージ遊走阻止因子(MIF)の構造解析の結果を図7に示す。a)では構成している各原子を、赤:酸素、灰色:炭素、青:窒素、の色で分けて表示し、b)では構成しているアミノ酸のつながりを色リボンで表示している。これを見ると同じ分子が3個組み合わされていることがわかる。タンパク質の機能を理解するには、その立体構造を原子レベルで三次的に知る必要があるが、こうしたX線結晶構造解析法がその最も強力な手段である。
(前回更新:2005年2月)
<図/表>
図1 ガンマ線照射によって選抜された耐病性品種
図1  ガンマ線照射によって選抜された耐病性品種
図2 放射線育種によって作られた花色変異品種
図2  放射線育種によって作られた花色変異品種
図3 キクの花色突然変異体
図3  キクの花色突然変異体
図4 下水汚泥の電子線処理
図4  下水汚泥の電子線処理
図5 換気ガス中の揮発性有機物の電子ビーム処理
図5  換気ガス中の揮発性有機物の電子ビーム処理
図6 オオムギにおける
図6  オオムギにおける
図7 ヒト白血球由来マクロファージ遊走阻止因子(MIF)の構造解析
図7  ヒト白血球由来マクロファージ遊走阻止因子(MIF)の構造解析

<関連タイトル>
放射線照射による農作物の品種改良(放射線育種) (08-03-01-01)
世界における不妊虫放飼法の普及 (08-03-01-03)
栄養素や肥料の挙動の研究におけるトレーサ利用 (08-03-02-02)
放射線照射による多糖類の有効利用 (08-03-02-04)
放射性トレーサ法の原理と応用 (08-04-03-01)
放射線と染色体異常 (09-02-06-01)
放射線と突然変異 (09-02-06-02)

<参考文献>
(1)天野悦夫:「放射線と農業のかかわり」作物の品種改良、放射線と産業 No.85、p.45-51、(財)放射線利用振興協会(2000年3月)
(2)放射線育種場ホームページ
(3)TIARAホームページ、食品照射ガンマー線照射棟
(4)白川忠秀、三尾圭吾:電子線滅菌システムの開発、放射線と産業 No.85、p56-60、(財)放射線利用振興協会(2000年3月)
(5)科学技術振興事業団ホームページ、低エネルギー電子線を用いた穀物殺菌システム、
(6)渡辺 宏:植物に対するイオンビーム照射効果の特徴、放射線と産業 No.83、p31-35、(財)放射線利用振興協会(1999年9月)
(7)日本原子力研究所ホームページ、イオンビームで新花色のキクを世界で初めて作出
(8)高エネルギー加速器研究機構、物質構造科学研究所
(9)特集 植物のポジトロンイメージング、放射線と産業 No.80、p4-31,(財)放射線利用振興協会(1998年12月)
(10)日本原子力研究所:原研の研究活動と成果、蛋白質の機能発現機構の解明なるか?
(11)沖縄県ミバエ対策事業所ホームページ(http://www.pref.okinawa.jp/mibae/index.html
(12)藤巻 秀:「RIイメージング技術」とは何か? 放射線と産業、No.132(2012)、p4〜6
(13)尹 永根、河地 有木:土壌—植物系における放射性セシウム動態のイメージング、放射線と産業、No.132(2012)P7〜11
(14)石井慶造:PIXE分析法の医学・生物学研究への応用(1)、放射線と産業、No.126(2010)p25〜29
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