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<概要>
 物流網が加速度的に発展した現代、土着害虫の未発生地域への拡大が容易になり、その地域の畜産業や農業に甚大な被害を与えている。環境保全の要求が強まるなか広域的害虫を駆除するためには、不妊虫放飼法または不妊化法などが注目を浴びている。根絶あるいは予防的防除としてかなりの実績を挙げている。実際の成功例としては、双翅目類のラセンウジバエ、ツェツェバエ、ミバエ類のチチュウカイミバエ、ウリミバエ、ミカンコミバエなどの根絶がある。
 今でも、不妊化法(SIT)による害虫防除は、地域国際協力、国際原子力機関(IAEA)および国連食糧農業機関(FAO)などの協力のもとに、地域を拡大して実施されている。
<更新年月>
2004年01月   

<本文>
1.不妊虫放飼法(SIT)の意義と問題点
 安価で殺虫力のある農薬の開発によって世界の食糧は害虫から守られ、50億人の生命維持あるいは畜産業の発展をもたらした。しかし、農薬散布による害虫防除は生態系の破壊、環境汚染あるいは潜在的な人的被害などの多くの問題を抱えている。現在、害虫の駆除において農薬による方法は90%を占めるともいわれている。生態系あるいは環境を正常に復元するのに必要な経費を考えると不妊虫放飼法または不妊化法(SIT:Sterile Insect Technique)を利用することは農業・畜産分野あるいは人の生活環境の防護において大きな意義がある。しかし、現時点でのSITは適用害虫が限られているため、世界各国でその適用範囲の拡大とそのための新技術の開発が行われている。
 表1−1および表1−2に世界各国の不妊虫増殖施設での対象害虫種とその施設の規模を示し、表2に不妊虫放飼法を実施した場所および現在開発中の場所を示す。いずれも2001年1月現在の情報に基づいて修正した表である。
2.SITの原理
 防除の対象となる害虫を人工的に大量に増殖して、放射線などを利用して交尾はできるが子孫を残すことのできない虫(不妊虫)を生産する。放射線による不妊化は、コバルト60やセシウム137の放射線源を用いて害虫の蛹に適量のガンマ線照射して行う。適量の照射とは、虫が生活力を保持しつつ不妊になる線量であり、害虫種により異なる。それら不妊虫を防除対象地域にいる同種害虫よりも高い密度で放つと、野生虫の多くは不妊虫と交尾するため野生虫同士の交尾頻度は低下し、次世代の野生虫数が減少する。さらに引続いて不妊虫を高い密度で放ち続けることにより、次世代における野生虫の交尾頻度をさらに激減させることが出来る。それを繰返すことによりついには対象害虫をその地域から根絶させるというものである。
3.双翅目害虫の根絶の歴史と現状
(1)ラセンウジバエ
 ラセンウジバエはアメリカ南部からアルゼンチンに及ぶ広範囲に棲息する家畜害虫で牛や馬、羊などの動物が何らかの原因で傷つくと、そこに卵を産み、孵化した幼虫が深部に潜り筋肉組織を食い荒らす。そのため、動物はひどく苦しみ、死にいたることがある。当初、アメリカでラセンウジバエの被害を受けていたのはメキシコと国境を接するテキサス州だけであった。しかし1933年に牧畜牛の移動によって南東部の全域に拡大し甚大な被害をもたらした。そこで1954年にSITによる根絶実験がこの防除法の考案者であるニップリング博士(元米国農務省)等により南米ベネズエラ沖合64kmのオランダ領キュラソー島(440平方km)において行われ、初めて成功した。この成功を機に1957年から本格的な根絶計画がスタートし、1962年にはテキサス州ミッションに週産1億匹の施設を完成させ、1964年にはアメリカ国内全域で根絶を達成した。その後1972年に、アメリカ農務省はメキシコからのラセンウジバエの侵入を防ぐためメキシコ政府と共同でメキシコ国内のラセンウジバエ根絶事業を開始した。メキシコ南部のトゥクストラ・グチエレスに週産3億匹の施設を建設し、1991年には根絶に成功した。さらに南のパナマ、グァテマラとベリーズで防除が開始(1992年)され、中央アメリカでの根絶がほぼ成功(2000年)を納めたと思われるが、4か国は未確認である。さらに、現在南米への防除拡大を図っている。図1にラセンウジバエ根絶計画とその成果を示す。
 1988年、北アメリカ大陸の発生地域から遥か離れた北アフリカのリビアのアラブジャマヒリヤにラセンウジバエが侵入するといった緊急事態が発生した。もともとアフリカには「はえうじ病」として知られる疑似ラセンウジバエがいる。その被害発生件数はリビアにおいて1990年で500件であった。しかし、真性のラセンウジバエの被害件数は12,000件にも達していた。この事態を重くみたリビアと危険にさらされた他の北アフリカ諸国では、共同の防除対策を行い、さらに14の援助国と6つの国際機関が国連食糧農業機関(FAO)の調整の下で防除が開始された。メキシコの大量増殖施設で生産された延べ6億匹の不妊虫が空輸され野外に放たれた結果、被害は減少し、翌年1991年には根絶を達成した。リビアでは現在検疫体制を整え毎週1万頭以上の動物が検査されている。
 メキシコのラセンウジバエ大量増殖施設は、現在世界で唯一のものであり、中央アメリカでの根絶防除のため引き続きラセンウジバエの生産を行っている。建物の面積は18,900m2で長さがフットボール場の2倍、幅がほぼ同じという広さがある。不妊化に使用されている放射線源はセシウム137で、使用当初の放射能は1.73ペタベクレル(46,800キュリー)であった。4台の照射装置で週6億匹の蛹を照射する能力を有している。
(2)チチュウカイミバエ
 アフリカ原産で1842年までにはスペインから中近東にかけて広がり、その後オーストラリア、中南米、ハワイに定着した。寄主果実は柑橘類、成熟バナナ、マンゴーなど約250種類以上に及ぶ。
 1929年にアメリカのフロリダ州に侵入し毒餌剤散布により1年間で根絶されたが、1956年、1962年、1963年に同州で、1966年ではテキサス州、1975年にはカリフォルニア州に再度侵入があったがそのつど毒餌散布で根絶された。ところが1975年にはカリフォルニア州ロサンゼルスの市街地で発生したため毒餌剤散布ができず、SITによる防除を初めて採用し根絶に成功した。不妊虫はハワイで生産されたもので合計5億匹が使用された。しかし、ロサンゼルスでは、1980年から再侵入があり1994年まで毎年のように再発生があったが、1998年以後のSITによる予防防除が効果を発揮し、野生虫発見数は過去2年で3頭のみである。
 中央アメリカでは、1955年にコスタリカで発見され、1960年ニカラグア、1975年ホンジュラス、エルサルバドル、グァテマラと北方に分布を拡大し、1977年にはメキシコのグァテマラ国境付近まで侵入が確認された。北アメリカへの侵入を防ぐため、アメリカはメキシコとグァテマラと共同で根絶事業を開始した。1979年にメキシコのタパチュラ州メタパに週産5億匹のチチュウカイミバエ大量増殖施設を建設しSITを開始した。またグァテマラでも週産2億匹の増殖施設を建設し1984年から生産を開始した。1991年にはメキシコの全域の根絶が確認された。2000年現在、グァテマラでは防除継続中である。
 チチュウカイミバエの大量増殖施設は、ハワイ、メキシコ、グァテマラ、コスタリカ、アルゼンチン、チリ、ペルー等にあり、その生産能力の合計は週産15億匹にも達する。現在、SITはアメリカのカリフォルニア州、中米、アルゼンチン、チリ北部とペルーで行われているが、これに加えてレバノン、1999年からは南アフリカ、オーストラリアで新たに開始されている。ヨーロッパでは実験的に試みられている段階である。
(3)ウリミバエ
 東南アジア原産で分布域は、インド、東南アジア全域、マリアナ諸島、ハワイとアフリカの一部である。日本では1919年に沖縄県で侵入が確認され、1974年には鹿児島県奄美大島まで拡大分布したが、SITによって1993年には根絶された。1994年以後は、再侵入防止対策として不妊虫放飼を沖縄県の一部で継続している。寄主果実はキュウリ、メロン、スイカなどのウリ類、パパイヤ、マンゴー、豆類などで100種にも及ぶ。
 アメリカは、SITをウリミバエについても試みた。1962年、マリアナ諸島のロタ島(85平方km)でハワイの大量増殖施設で生産された合計3億匹の不妊虫を放した結果、1963年に根絶が確認された。これはラセンウジバエに次ぐ2番目のSITの成功例となった。
 東南アジア諸国におけるウリミバエのSITによる根絶計画は、まだ研究段階か基礎研究が始まったばかりである。
(4)ミカンコミバエ
 東南アジア原産で分布域はウリミバエとほぼ同じである。寄主果実は柑橘類、マンゴー、スモモ、カキ、パパイヤ、成熟バナナなど約270種にわたる。
 ミカンコミバエのSITによる根絶は、東京都小笠原諸島のSITの1例のみであり、1985年に根絶を達成している。南西諸島では雄除去法により根絶された。
 日本の原子力委員会は、放射線利用に関する近隣アジア諸国との協力を推進するために、1990年から毎年、アジア地域原子力協力国際会議を開催し地域的協力を進めている。タイやフィリピンの両国はアジア地域原子力利用地域協力に参加するとともに、IAEAの援助を受けながらSITによる防除事業を進めている。タイは、週産1000万匹の大量増殖施設を有し、コバルト60線源を所有するタイ照射センターを利用し不妊化を行っている。SITは1985年、ドイアカン地域で開始された。1992年には効果が現れ被害率も60%から10%までに減少した。1993年にはバンコックの東部、東北部と西部で防除が始まった。1995年には新しい大量増殖施設を建設し、より大規模なSITが行われている。
 フィリピンでは、1978年からSITの基礎研究が始まり、1992年には農務省と共同してギマラス島(620平方km)で根絶防除のための予備調査が開始された。大量増殖施設も週産300万匹から3000万匹に増やすための改造が現在進められている。
 インドネシア、マレーシアでは、ミバエに関する基礎研究が進められている。
(5)ツェツェバエ
 アフリカで牛や人間の眠り病の病原体トリパノゾーマを媒介する吸血性の双翅目害虫で7種ほどが有害とされている。SITによる根絶の研究は古くから行われてきた。
 1994年、アフリカ東海岸のタンザニア沖合30kmのザンジバル(1600平方km)で、SITのモデル事業がベルギー、カナダ、スエーデン、イギリス、アメリカの援助のもとに始まった。不妊虫は国際原子力機関(IAEA)の研究所とタンザニアの海岸タンガにある増殖施設で生産し、ザンジバルに放飼し、1996年に根絶を達成した。
(6)マラリアを媒介する蚊
 マラリアによる死者は年間200万人にもおよび、とくにアフリカ諸国においては非常に深刻な問題となっている。アフリカでマラリアを媒介する蚊にはいくつかの種類がいるが、エチオピア全土、スーダン、ソマリア、ケニア、エリトリア、イエメン、チャド、ブルギナファソ、マリ、セネガル、ナミビア、アンゴラ、ボツアナ、南アフリカといった国々には、アラビエンシス(Anopheles arabiensis)といった種類の蚊だけが存在する地域がある。そこで、ツェツェバエ等で成功した放射線による不妊化技術を蚊のアラビエンシスに応用し、まずアラビエンシスの撲滅に努め、それが成功した後に他の種類の蚊の撲滅を行い、世界のマラリア撲滅を行う計画がIAEAで進められている。IAEAのサイバースドルフ研究所で、蚊のアラビエンシスを大量生産する方法、蚊の取り扱い及び散布の仕方、蚊の放射線による不妊化線量の決定、オスの蚊のみの生産方法の確立(メスの蚊のみがマラリアを媒介する)に関する研究・開発を行う。2002年より、技術協力プロジェクトとして、アフリカ諸国のアラビエンシス分布等の状況を調査するための支援、蚊の適正な散布数を決めるデータの集積を行う計画である。
4.SITの適用拡大
 IAEAによれば1970年におけるSITの適用害虫は双翅目(ハエ類)、鱗翅目(チョウ、ガ類)、鞘翅目(甲虫類)などを含め100種にも及ぶことが報告されている。発展途上国では多額の費用を要することや害虫の特異性から計画を断念せざるえない場合が多い。沖縄県の久米島や奄美の喜界島では、サツマイモ害虫のアリモドキゾウムシ、イモゾウムシの防除事業が進行中でその成果が注目されている。しかし、多くは実験室内での増殖や不妊化の難しさで研究段階にとどまっている。実際に野外に不妊虫を放つまでに至ったものは数少ない。その中には、密度抑圧の効果があったリンゴ害虫のコドリンガとワタ害虫のワタミゾウムシなどがある。その他サシバエ、ノサシバエなどで報告がある。
<図/表>
表1−1 世界における不妊虫大量増殖施設(1/2)
表1−1  世界における不妊虫大量増殖施設(1/2)
表1−2 世界における不妊虫大量増殖施設(2/2)
表1−2  世界における不妊虫大量増殖施設(2/2)
表2 世界における不妊虫放飼法を実施または開発中の害虫
表2  世界における不妊虫放飼法を実施または開発中の害虫
図1 北・中央アメリカにおけるラセンウジバエの根絶計画(1992)と現状
図1  北・中央アメリカにおけるラセンウジバエの根絶計画(1992)と現状

<関連タイトル>
わが国における放射線不妊虫放飼法(SIT)の普及 (08-03-01-02)

<参考文献>
(1)IAEA(国際原子力機関): California medfly preventive release program review, Insect and Pest control News letter No.55,p.20-21(2000),
(2)IAEA(国際原子力機関):NWS successes in Central America,Insect and Pest control News letter No.55,p.24(2000),
(3)IAEA(国際原子力機関):World-Wide Directory of SIT Facilities,
(4)石井象二郎ほか:ミバエの根絶,農林水産航空協会(1985)
(5)FAO(国際食糧農業機関):The new world screwworm eradication program,North Africa 1988-1992,Roma (1992)
(6)沖縄県農林水産部:ミバエ根絶記念誌,沖縄県農林水産部(1994)
(7)Carey,J.R.:The Mediterranean fruit fly invasion of Southern California,UC CEPR Medfly Workshop,p.71-91(1994)
(8)小山重郎:新世界ラセンウジバエ,国際食糧農業協会(1993)
(10)小山重郎:不妊虫放飼法の60年,植物防疫,49,(9)(1995)
(11)ニップリング.E.F:害虫総合防除の原理,東海大学出版(1989)
(12)Hendrichs,J.et al.:Increased effectiveness and applicability of the sterile insect technique through male-only releases for control of Mediterranean fruit flies during fruiting seasons,J.Appl.Ent,119,p.371-377(1995)
(13)照屋 匡:放射線応用技術ハンドブック,p.335-340 朝倉書店(1990)
(14)照屋 匡:沖縄県におけるミバエ類再発生防止対策とイモゾウムシ等の防除事業の現況,RISニュースレター,No.7,p.7-10 (2000) (財)亜熱帯総合研究所
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