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<概要>
 ドイツの高速炉開発は、1966年のカールスルーエ高速臨界実験装置SNEAKの設置から始まった。1972−91年には、実験炉KNK-IIを利用して原子炉特性、燃料と材料の照射特性、熱交換器の特性、高速炉関連の資材と機器の開発、運転経験、人材の育成などに成果を挙げた。原型炉SNR-300は1973年に建設が開始され1988年にほぼ完成していたが、燃料移送・貯蔵に州政府の許可が下りないため試運転へ進めない状況となり1991年に計画は中止された。実証炉SNR−2の計画は1983年ころから欧州5ケ国が参加する欧州高速炉EFR計画に移行した。EFRは、1988-93年の概念設計と予備安全評価を終えたが、複雑な政治環境から中止された。アメリカの提案で2001年から始まった第4世代国際フォーラムGIF)で検討している原子炉システムの中に、ガス冷却高速炉(GFR)、鉛冷却高速炉(LFR)、ナトリウム冷却高速炉(SFR)などが含まれているが、ドイツは参加していない。これは2001年の原子力政策の変更に拠るところが大きいと考えられる。
<更新年月>
2009年12月   

<本文>
 ドイツの高速増殖炉の研究開発について、旧西ドイツを中心にその経緯、成果などを時系列的に述べる。

1.原子力エネルギー法
 1955年に当時の東西ドイツの原子力利用開発が開始された(表1)。それから10年ほどの間に、多くの研究施設が設置されるとともに、1960年には最初の動力試験炉(PWR)が臨界に達し、1961年にはペブルベッド式原子炉の開発が開始された。1959年にはエネルギーと技術の平和利用を謳った「原子力エネルギー法」が制定された。

2.高速臨界実験装置(SNEAK)
 高速炉開発は、1966年のカールスルーエ高速臨界実験装置(SNEAK, Schnelle Null-Energie-Anordnung Karlsruhe)の設置から本格的した。SNEAKは高速実験炉KNK-IIの模擬試験、炉心特性試験などの炉物理実験に利用され、高速実験炉建設の準備が整えられた。研究開始の1965年から、ドイツは、ベルギーおよびオランダと資金提供を含めた研究協力を進め、1968年には研究協力協定ができた。

3.実験炉KNK−II
 KNK−IIは、ウランプルトニウム混合酸化物(MOX)が燃料のナトリウム冷却、中間熱交換器がループ型の高速実験炉である(表2および図1参照)。1972年に臨界、1978年4月には発電を開始しフルパワーの熱出力58MW、電気出力20MWの運転に到達した。1991年の運転終了までに、原子炉特性、燃料と材料の照射特性、熱交換器の特性、高速炉関連の資材と機器の開発、運転経験、人材の育成など成果を挙げた。

4.原型炉SNR−300
 表2に示すように、SNR−300は熱出力762MW、ナトリウム冷却、MOX燃料装荷の原型炉で、西ドイツ、ベルギー、オランダの共同プロジェクトであった。その建設については、1969年には建設場所をカルカール(Kalkar)にする、炉心溶融事故(Bethe-Tait事故)を考慮する、炉心底部に炉心溶融捕捉器(core catcher)を備える、ブランケットを除く(転換比<1)などの条件で安全評価し、諸手続きを経て1972年には原子炉保障措置委員会の許可が下り、1973年に建設が開始された(図2参照)。
 1978−83年の間に、安全性に関して再度の炉心溶融事故(Bethe-Tait事故)やドイツ原子力発電所のリスク評価に沿った安全解析があり、ドイツで運転中のPWRと同等の安全性があると結論されていた。1984年には、原子炉容器が加圧試験と漏れ試験に合格し所定の位置に据えられた。
 1984年に国会で再処理と原子炉の新設が検討され、1985年に高速炉が検討課題になった。その後の1986年にチェルノブイリ原子炉事故が起きた。1988年には計画から遅れながら建設はほぼ終了していたが、燃料移送・貯蔵に関するノルトライン・ウエストファーレン州政府の許可が下りないため試運転へ進めない状況となっていた。
 1972年のSNR-300の建設見積は1,535百万ドイツマルク(DM)であったが、1991年には7,000百万DMになっていた。約3,000百万DM増は大きな財政負担であった。1991年には、政党間の政策争いと財政難などの理由からSNR-300計画は中止になった。

5.実証炉SNR-2と欧州高速炉EFR
 SNR−300に続く実証炉SNR-2(1497MWe)は、フランス、イタリアと共同で建設する予定で1984年に概念設計が開始されたが(図3参照)、1988年に欧州高速炉(EFR)に移行した。
 EFRの検討は1983年ころから始まる。欧州5ケ国(イギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー)は、それまで各国で進められてきた実証炉、スーパフェニックス-2(フランス)、CDFR(イギリス)、SNR-2(西ドイツ)などの実績を合わせ、経済性が高く各国共通の許認可性(Licensability)を有する欧州高速炉(EFR)の共同開発を検討していた。1988年に設計が開始され、1993年に概念設計と予備安全評価を終えた。しかし、本計画は複雑な政治環境などから中止された。図4にEFRの概略図を示す。

6.第4世代原子炉(GEN−IV)の検討
 2001年、アメリカは、21世紀の発展途上国の経済発展と人口増加による電力需要増大に対応するため、高い経済性と安全性、放射性廃棄物発生量の抑制、核兵器拡散抵抗性などに優れた革新的原子炉システムを開発する方向に転じた。そのため、2030年以降の実用を目指した第4世代原子炉(GEN−IV)の開発と、それを推進する国際的な枠組み、第4世代国際フォーラム(GIF:Generation IV International Forum)の結成を呼びかけた。
 GIFでは、以下の6原子炉システムが選ばれた。(1)ガス冷却高速炉(GFR)、(2)鉛冷却高速炉(LFR)、(3)ナトリウム冷却高速炉(SFR)、(4)溶融塩炉(MSR)、(5)超臨界圧水冷却炉(SCWR)、(6)超高温ガス炉(VHTR)。上記は高速炉の研究開発が半数を占める。
 2009年には、アメリカ、アルゼンチン、イギリス、カナダ、韓国、日本、ブラジル、フランス、南アフリカ、スイス、中国、ロシアおよび欧州原子力共同体(EURATOM)が加わり、12か国と1国際機関がGIFの加盟国となった。ドイツは、2001年から脱原子力政策を採りGIFに加盟していないが、EURATOMでは鉛冷却高速炉の研究開発ELSYに参加している。
(前回更新:1998年3月)
<図/表>
表1 ドイツの原子力開発の歴史概要
表1  ドイツの原子力開発の歴史概要
表2 ドイツの高速炉の主な仕様
表2  ドイツの高速炉の主な仕様
図1 カールスルーエの高速実験炉KNK-II
図1  カールスルーエの高速実験炉KNK-II
図2 原型炉SNR-300
図2  原型炉SNR-300
図3 実証炉SNR-2の概略図
図3  実証炉SNR-2の概略図
図4 欧州高速炉EFRの概略図
図4  欧州高速炉EFRの概略図

<関連タイトル>
フランスの高速増殖炉研究開発 (03-01-05-05)
イギリスの高速増殖炉研究開発 (03-01-05-06)
ドイツの高速増殖炉の研究開発 (03-01-05-07)
欧州型高速炉(EFR) (03-01-05-08)
第4世代原子炉 (07-02-01-10)
ドイツの原子力発電開発 (14-05-03-03)

<参考文献>
(1)原子力委員会、原子力白書、http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/hakusho/wp1981/sb2010401.htm
(2)IAEA, Fast reactor database 2006,
(3)原子力委員会、第4回高速増殖炉懇談会、資料4-4、Fast Breeder Reactor Development in Germany、History and Outlook、
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/senmon/old/koso/siryo/koso04/siryo07.htm
(4)IAEA, Country Nuclear Power Profile, Germany, http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/cnpp2009/countryprofiles/Germany/Germany2008.html
(5)The Generation IV International Forum (GIF), http://www.gen-4.org/
(6)OECD/NEA, NEA-1660, SNEAK. (2009), http://www.nea.fr/abs/html/nea-1660.html
(7)L. Cinotti, et al. , THE ELSY PROJECT, The Sixth EURATOM Framework Programme (2006).,
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