1.イギリスの高速炉開発の経緯 表1に、イギリスの高速炉開発に関連した事項を示す。1945年にイギリスは、自国で原子力開発を進めることを決定し、ウラン資源に恵まれないことから当初から高速炉の研究開発を計画に入れた。
1950年代初めには、ハウエル(Harwell)でプルトニウムによるゼロ出力のゼファー(ZEPHYR)と、濃縮ウランによるゼウス(ZEUS)による高速炉物理実験などを開始した。また、ナトリウムと熱輸送の研究はハウエル(Harwell)、ウインズケール(Windscale)およびカーペンハースト(Capenhurst)、合金燃料と被ふく材はカルチェス(Calcheth)とスプリングフィールド(Springfield)で進めた。
1954年に実験炉としてドーンレイ炉(DFR:Dounreay Fast Reactor)の建設が開始され、1959年に臨界になった。表2に炉の主な仕様を示す。目標出力は60MWt(15MWe)である。炉心には高濃縮ウラン合金燃料が用いられ、ナトリウム・カリウム合金(NaK)が冷却材であった。種々の基礎実験に利用され、1977年に閉鎖された。この炉は、2024年までに解体される計画である(図1参照)。
1966年には、ドーンレイに高速原型炉(PFR、Prototype Fast Reactor)の建設が始まり、1974年に臨界に達し、実用化の研究開発のほか給電も行った(表2)。この炉は将来の大型発電炉開発の前段階の役割があり、以下のような特徴がある。(1)250MWe(670MWt)の給電、(2)酸化物燃料とナトリウム冷却材を採用、(3)ブランケットによる増殖、(4)燃料工場−高速炉−再処理工場を結ぶ燃料サイクルを完結(リサイクル)。これにより、MOX燃料・ナトリウム冷却高速炉の準備が整ったわけである。PFRは1994年に運転を終了し、2024年までの計画で解体される(図2参照)。
1978年に、英国原子力公社(UKAEA)は 実証炉(CDFR:Commercial Demonstration Fast Reactor)の建設のため、1985年着工の予定でNPC(Nuclear Power Company)と設計契約を交わした(表2)。この段階で高速炉の実用に一歩近づいた筈であった。しかし、1983年にイギリスは、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギーおよびオランダと将来の高速炉の共同開発に関する検討を開始し、欧州高速炉(EFR)が実現する見込みになった。その結果としてCDFR計画は、技術的な理由でなく経済・産業政策的な理由からEFR計画に組み込まれ消滅した。
2.欧州高速炉(EFR:European Fast Reactor)
発電用原子炉の開発は、世界的には概ね、実験炉、原型炉、実証炉の3段階を経て実用炉へ向う。イギリス、フランス、ソ連(当時)では、既に電気出力30万キロワット級の原型炉が稼働していた。西ドイツ(当時)では、原型炉が建設段階であり、フランスでは実証炉スーパーフェニックス(SPX)が試験中であった。 1983年ころから、スーパーフェニックス(SPX)に続く高速炉について、欧州5ケ国(イギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー)間の共同開発の協議が進められた。具体的には、ヨーロッパ高速炉電力会社グループ(EFRUG)が、それまで各国で進められてきたSPX-2(フランス)、CDFR(イギリス)、SNR-2(西ドイツ)などの実績を合わせ、5年間で経済性が高く各国共通の許認可性(Licensability)を有する欧州高速炉(EFR)の設計と技術開発を進めることとなった。 図3はEFRの概略図である。1988年に設計が開始され、1993年に概念設計と予備安全評価を終えたが、本計画はこの段階で終了した。その理由として、スーパーフェニックス(SPX)の成果がまだ挙がってなかったこと、複雑な政治環境などが挙げられている。米国の使用済み軽水炉燃料のワンス・スルー利用の方針とあわせ、高速炉時代の到来が遅れるかに観えた。