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[グラスノスチの影響]
原子力開発でソ連が現在一番悩んでいるものの一つとして、パブリックアクセプタンス(PA)問題をあげることができる。1986年のチェルノブイル事故とそれ以来のグラスノスチ(情報公開)政策の影響として、PA問題が急速に表面化してきた。これまでの原子力開発が、マスコミや大衆にほとんど知らされることなく進められてきたことの影響がでてきたといえる。
チェルノブイル事故を機にソ連のグラスノスチは急速に発展し、旧体制のもとでは決して明らかにされることはなかった、原子力開発に関わる制度面での問題点が表面化してきた。それにより、ソ連での原子力開発体制が見直され始めており、グラスノスチが少なからず役立っていることがうかがえる。ソ連の原子力関係機構を
図1 に示す。
その中でも原子力行政体制への見直しが目立つ。90以上あった省・国家委員会の数が57へと大幅に削減されており、行政の効率化が進められている。原子力の分野では、
原子力発電の総合的発展や安全確保をめざした措置から、さまざまな分野から原子力に関連した部門を統合して原子力発電・産業省が新設された。また、西側先進諸国の経験、情報、科学力などを借りて、より一層の安全性の向上と国際社会での信用回復にも努力している。実際、そうした努力の効果が少なからず出ている。
例えば、今までは、非常時に備えた安全対策、
原子力発電所の従業員の教育などに対して満足な対応をしてこなかった。また、十分な安全性の確認もせずに
原子炉を運転したり、建設したりしていた。しかし、行政改革などのグラスノスチによる影響で、こうしたことが大衆の知るところとなり、旧体制のもとで安全性の保証が不十分な原子炉の運転停止や建設中止、
核融合やその他の基礎科学についての研究など、さまざまな方面で活発な改善が行われている。
[グラスノスチによる問題と海外協力]
ところが、こうしたグラスノスチによる好影響の反面、新たな問題点も指摘されるようになってきた。余りにグラスノスチが過剰になってきたため、マスコミによる一部誇大ともいえる批判報道が見られるようになったことである。間違った取り方、読み方をした統計数値、科学的裏付けの不十分な事実などが、実際に報道されているのである。チェルノブイル原子力発電所サイト近郊の集団農場で「奇形の家畜が数多く生まれている」などと伝えられたソ連ノーボスチ通信社発行の「モスクワニュース」(1989年2月19日付け)の報道記事は、事実関係の正しい確認が十分に行われずに原因をチェルノブイル事故の
放射能のみに転嫁しようとしたもので、グラスノスチ過剰の一例といえる。
しかしながら結局、こうしたことは、旧体制のもとでの原子力開発が秘密主義と大衆無視の中で進められてきたことに原因がある。そのため、特にソ連が積極的に取り組んでいるのは、ソ連が西側各国と新たに結んだ協定・覚書の中に含まれた安全性の向上とPA・広報関係の協力である。
例えば、1989年1月31日に原子力利用国家委員会(GKAE)がフランス原子力庁(CEA)と調印した新原子力協力協定には、原子炉の安全性、広報・PA対応、環境問題などが含まれており、フランスのフラマトム社などを中心にソ連製原子炉への設計や耐震研究などについての協力が進められている。さらに、
フランス電力公社(
EDF)とGKAE、原子力発電省との間でも、立地の合意形成や広報分野でのフランスの経験活用についての話が進んでいる。その他GKAEは、アメリカやドイツとの間でも協力協定を結んでいる。
これらとは別に、ソ連が期待をかけているのは国際原子力機関(
IAEA)である。1989年12月、IAEAの運転管理調査チーム(
OSART)がロブノ原子力発電所3号機を訪問し、1989年には、ゴーリキーの原子力熱供給ステーションAST-500を何度か訪問しており、安全性の向上と原発反対運動の鎮静化に一役かっている。
[ソ連自身の対応]
一方、こうした外部からの協力だけでなく、ソ連自身のOA問題への対応の努力も見られる。GKAE、原子力発電省、保健省、自然保護国家委員会、ソ連科学技術協会同盟、全ソ協会「ズナーニェ(知識)」などの組織の代表からなる原子力関係情報連絡協議会が設置され、その執行機関としてGKAEの原子力科学技術中央情報研究所をベースに原子力情報センターが設立されている。このセンターは世論動向の分析、客観的な情報の提供、直接対話集会の開催、国民からの投書などの分析、マスコミ対応などを行っている。また、原子力施設サイトへの情報センターの設置、原子力発電所への環境モニタリングシステムの設置、毎月定例的な事故・故障についての公表なども実施されている。
西側先進諸国では、原子力開発の当初からPA問題を経験し、対処してきたが、事故以前のソ連はPA問題への対応をしてこなかったうえ、無視さえし続けてきた。したがってソ連にとってはまさにチェルノブイル事故後からが始まりであり、西側諸国が通ってきたのと同じ道を自ら切り開いて行かなくてはならない。歴史や自然環境、国民性などの違いはあるが、ソ連における原子力への社会的な理解と国民の合意形成活動の進歩に関心がもたれる。
<図/表>
<関連タイトル>
チェルノブイリ原子力発電所事故の経過 (02-07-04-12)
ロシアの原子力政策 (14-06-01-01)
ロシアの原子力発電開発 (14-06-01-02)
ロシアの原子力開発体制 (14-06-01-03)
ロシアのPA動向 (14-06-01-07)
<参考文献>
(1) 原子力資料 NO.221 1989.6 日本原子力産業会議
(2) 原子力資料 NO.224 1989.9 日本原子力産業会議