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<概要>
 インドネシアの原子力利用計画は、1989年8月に当時のスハルト大統領が原子力庁(BATAN)のアヒムサ長官に2000年以降の原子力発電の導入に向けた準備を指示したときから始まったが、1997年にアジア通貨危機が発生したため、原子力発電所の建設計画は一時棚上げされた。しかし、法整備の面では1997年4月に「新原子力法」が成立し、原子力の推進と規制が分離独立し、1998年5月には新原子力規制庁(BAPETEN)が発足した。
 その後、2000年に入ってインドネシアの経済状況が好転するにつれ、近い将来に電力需給が逼迫する懸念が強くなり、政府は2004年2月に原子力を新エネルギーの一つとする「国家エネルギー政策」を策定した。2007年2月には「長期国家開発計画法:2005〜2025年」の中で、2025年までに420万kWの原子力発電所を導入することを決定した。インドネシア原子力庁(BATAN)は2008年にも初号機(100万kW級PWR)となるムリア1号機(仮称)の国際入札を実施し、2010年に着工、2016年の営業運転開始を目指していたが、ムリア半島は火山にも近く、地震も多いことから、立地サイトとして新たにスマトラ島南沖バンカ・ブリトン島が浮上している。なお、インドネシアは2011年3月に発生した東京電力福島第一発電所の事故に強い衝撃を受け、今後の各国の動向を見ながら慎重に原子力の導入を進める態度に転じている。
<更新年月>
2012年12月   

<本文>
 インドネシアは1997年のアジア通貨危機を脱して以降、年率5%〜6%台の堅調な経済成長を遂げ、電力需要は経済成長率をさらに1%〜2%上回る勢いで増加している。政府は2004年2月の「国家エネルギー政策(KEN)2003-2020」の中で初めて原子力をエネルギー多様化のオプションの一つと位置づけ、2005年4月には「国家電力総合計画RUKN2005(2025年までの電力需要見通しと電源開発指針)」において、2016年までにジャワ島のムリア半島に原子力発電所を建設することを正式に発表した。また、2006年1月の「国家エネルギー政策」(大統領令第5号)及び2007年2月の「長期国家開発計画法:2005〜2025年」(法律第17号)では、2025年までに420万kWの原子力発電所の運転を開始するとした。このような中、2006年12月には「原子炉規制法」を改定(政令2006年No.43)、2009年4月には「原子力法」を再改定するなど、原子力発電導入に向けた準備を進めている。
1.原子力の研究・開発
 インドネシアの原子力研究開発は、太平洋での核実験の影響評価を目的に「国家放射能・原子力委員会」を1954年に設立したことから始まる(図1参照)。1958年には原子力審議会を、1959年には原子力研究所を設立した。原子力研究所は、パサジュマ地区の放射線利用施設、バンドンとジョグジャカルタの研究炉などの建設を進め、研究部門の拡充を図る一方、インドネシア政府は1960年には米国と、1961年には当時のソ連とそれぞれ原子力協力協定を結んだ。1964年には国内初のTRIGA-II型研究炉(熱出力250kW)が臨界に達した。
 1964年に原子力法が施行されたことを受け、翌1965年、原子力研究所は大統領直属の機関である原子力庁(BATAN:Badan Tenga Nukir Nasional)に昇格し、原子力行政と研究開発を担当することとなった。
 BATANは1980年代に入り、ジャカルタ郊外スルポンの国立科学技術センターの一角に総額400億円を投じて、原子力研究総合センターを建設した。同センターは1987年8月から第1期計画として、3万kWの多目的研究炉RSG-GAS(MPR-30)を中心に燃料製造施設や放射性廃棄物管理施設、アイソトープ・放射性医薬品製造施設などを建設し、第2期計画ではホットラボや工学安全研究施設、電気・機械研究施設などを建設した。第3期計画では中性子ビーム実験施設、炉物理研究施設などを建設して1992年8月までに完成した。
 現在、BATANはアイソトープ・放射線利用研究所(ジャカルタ・パサジュマ地区)、原子力技術研究所(バンドン)、ジョグジャカルタ原子力研究所を拠点として、農業や医療、産業分野で有効活用できるテーマを中心に研究開発を行っている。インドネシア国内の原子力関連施設の配置を図2に示す。
 また、1997年には原子力法が改訂され、原子力規制機関として原子力規制庁(BAPETEN:BAdan PEngawas TEnaga Nuklir)が分離独立した。BATANとBAPETENを所管する行政機関は研究技術担当国務大臣府で、長官は大統領に直接進言できる。インドネシアの原子力研究開発体制を図3に、現在のBATANとBAPETENの組織図をそれぞれ図4図5に示す。
 なお、原子力開発に必要なウラン資源としては、西カリマンタンウラン地区のLemajung鉱脈、Remaja-Hitam鉱脈がウラン鉱石探査により見つかっており、年間770トンのウラン生産が可能とされている。
2.原子力発電開発の推移
 インドネシアでは、1970年代に原子力発電所建設が計画されたが、1986年のチェルノブイリ事故により中止となった。しかし、1989年8月に当時のスハルト大統領が2000年以降の原子力導入のための準備をBATANのアヒムサ長官に指示したことから、1991年8月に日本の電力系コンサルタント会社ニュージェック社に原子力発電導入のフィージビリティ・スタディを委託した。1993年に取り纏められた報告書をもとに、BATANはニュージェック社とジャワ島中部北岸ムリア半島先端のジェパラ地域で立地調査を行い、1996年6月に国家エネルギー調整委員会(BAKOREN:Badan Koordinasi Enrgi Nasional)へ報告書を提出した。計画では、1998年から発電所建設を開始し、2003年に180万kW規模の原子炉の導入を、その後700万kW規模の原子炉の導入を予定したが、1997年のアジア通貨危機や1998年のスハルト大統領の退陣で、原子力発電導入計画は先送りされた。
 法整備の面では1997年の原子力法改訂によって、以下の事項が新たに規定された。(1)原子力施設の事故による損害が生じた場合、プラントの運転者または所有者に対して最高9000億ルピア(当時の換算レートで約450億円)の損害賠償責任を課すこと。(2)これまでBATANに一元化されていた原子力規制業務を切り離し、新たに原子力規制機関を設立すること。(3)原子力発電所建設に関する諮問機関を設置すること。
 一方、2000年に入り、経済状況が好転するにつれ、原子力発電導入の動きが再浮上してきた。IAEAの支援下で2002年に行った「発電用エネルギー源総合評価」では、ジャワ本島、バリ島において今後電力危機が深刻化し、2010年代中頃に原子力発電の導入が必要という結果であった。また、2000年からIAEA技術協力プログラムの枠組の中で、BATANは「発電用エネルギー源に関する総合評価研究」を技術評価応用庁(BPPT)、エネルギー・鉱物資源省電気・エネルギー開発総局(DJLPE)、石油・ガス総局(DJMIGAS)、環境影響規制庁(BAPEDAL)、国立統計センター(BPS)、電力公社(PLN)、インドネシア環境研究所(NGO)などの組織と開始した。その結果、2025年までにインドネシアのGDPは2000年の4.2倍、エネルギー需要は2倍、電力需要は4.3倍となり、エネルギーに占める電力の割合は9%から20%に増加すると予測した。また、発電用エネルギー源の順位は、1位が天然ガス、2位が石炭、3位が原子力とされ、2015年頃には原子力発電の導入が必要とされた。
 この評価結果を受け、BATANの原子力発電所建設計画は以下のように再度見直された。
(1)2030年頃の総発電電力量に占める原子力発電の割合は、約5%(700万kW)を想定する。
(2)第1号炉は経済性、安全性に実績のある中小型炉で、APWR、ACR(CANDU炉)を第一候補とし、出力は60万〜100万kW。次段階への技術習得と国民合意形成を目標とする。
(3)建設予定地はジャワ島中部ジャワ海側に面したムリア半島のジェパラ地域とする。
(4)1号機の運転開始時期は2015〜2016年頃とする。
(5)ムリア発電所(仮)の事前評価は1991〜1996年に日本のニュージェック社により実施済みであるが、その後、建設予定地から約8kmの地点に石炭火力発電所(660MWe×2)が新設されたため、原子力発電所建設に際しては再度の環境調査を実施する。
 BATANは2004年2月から韓国KEPCOの子会社である韓国水力・原子力発電会社(Korea Hydro and Nuclear Power)と共同で商業化調査を実施し、2007年に原子力発電ロードマップを発表した。それによると、2016年までに初号機100万kW級原子炉を稼動させ、さらに2020年までに3基を稼動する計画で、原子炉メーカーによる国際入札を2008年に開始した。併せて立地地点の正式選定及び認可を行い、2012年に予備的な安全審査及び建設認可を発行するとした。2007年には財務省、鉱物資源省、商工業省、外務省、環境省、BATAN等からなる原子力推進体制が組織され、ムリア半島を含めた複数の立地候補地の適性調査や資金計画、環境調査等が検討された。政府は海外に技術協力・支援を要請し、IAEAからは総括的なプログラムを、韓国KHNPやロシア、フランス、日本、オーストラリア等から電力施設要員や運転ノウハウなどを取り入れた。また、導入炉型に関しては、運転開始後少なくとも3年以上運転実績があり、設備利用率が75%以上であることを条件とした。
 なお、立地サイトとして中央ジャワのムリア半島(Muria)の3候補地(Ujung Lemahabang:ULA、Ujung Watu、Ujung Grenggengan)が長年にわたり最有力候補地であったが、そのほかには西ジャワのバンテン州(Banten)の2箇所、スマトラ島南沖バンカ・ブリトン島(Bangka-Belitung)の2箇所が候補地となり、特にバンカ・ブリトン島での実現可能性調査が続けられている。なお、ムリア半島は火山噴火の可能性が100年あたり2.7×10-5であり、隣接Pati地域で1890年にマグニチュード6.8の地震があったことが判明している。
3.原子力発電を取り巻く状況
 インドネシアでは電力供給が逼迫しており、電源開発及びエネルギーの安定的な確保が早急に求められている。しかし、原子力発電は投資環境に不安要素が大きいこともあり、導入に向けた具体的検討が永らく続けられてきたものの、未だに原子力発電所の建設には至っていない。また、環境影響、安全性、放射性廃棄物、核拡散への懸念等を理由とした原子力導入への反対運動も根強く、2011年3月の東京電力福島第一発電所事故を受け、ユドヨノ大統領は、原子力発電の将来性は認めるものの、自らの任期中(2009年〜2014年)の導入は無いと発表した。
 ただ、原子力発電を導入するために必要な法制上の準備は進めてきており、1978年に核兵器不拡散条約(NPT)に署名、批准しているほか、1986年に核物質防護条約に、1997年に東南アジア核兵器フリーゾーン協定に、1997年に原子力損害賠償条約に署名している。また、2001年に原子力安全条約に批准しており、CTBTの批准に関しては現在準備中である。
(前回更新:2006年11月)
<図/表>
図1 インドネシアの原子力開発の歴史
図1  インドネシアの原子力開発の歴史
図2 インドネシアの原子力関連施設配置図
図2  インドネシアの原子力関連施設配置図
図3 インドネシアの原子力研究開発体制
図3  インドネシアの原子力研究開発体制
図4 インドネシア原子力庁(BATAN)組織図
図4  インドネシア原子力庁(BATAN)組織図
図5 原子力規制庁(BAPETEN)組織図
図5  原子力規制庁(BAPETEN)組織図

<関連タイトル>
インドネシアの国情およびエネルギー事情 (14-02-06-02)

<参考文献>
(1)日本原子力産業協会:原子力年鑑 2013年版、(2012年11月)p.192-199
(2)日本原子力産業会議:アジア諸国原子力情報ハンドブック、(2001年3月)p.79,82,84,93
(3)海外電力調査会:海外諸国の電気事業・第二編、(2000年3月)p.321-352
(4)日本原子力産業協会 国際部:インドネシアの原子力発電の導入準備状況(2011年11月)、(http://www.jaif.or.jp/ja/asia/indonesia_data.pdf
(5)(独)日本原子力研究開発機構:アジア太平洋地域核不拡散・原子力平和利用フォーラム、原子力規制庁(BAPETEN)Suhartono Zahir氏発表、インドネシアの保障措置およびセキュリティ(2008年6月)
(6)(独)日本原子力研究開発機構:アジア太平洋地域核不拡散・原子力平和利用フォーラム、原子力規制庁(BATAN)Karyono HS.氏発表、原子力導入の国家計画と核不拡散および規制体系(2008年6月)
(7)国際原子力機関(IAEA)Technical Meeting:原子力庁(BATAN)Sriyana氏発表、インドネシアの原子力発電所建設計画の現状(2012年1月)、

(8)日本貿易振興機構(JETRO):インドネシアの電力エネルギー事情、
http://energy-indonesia.com/
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