<本文>
1.原子力船における推進方式と搭載されている
原子炉の炉型
原子力船では、原子炉から発生する蒸気で直接主機タービン(推進用タービン)を回して推力を得る方式か(タービン船)、原子炉から発生する蒸気をターボ発電機に送って発電し、この電気で電動モータに連結している主機タービンを回す電動駆動推力方式(モーター船)かのいずれかを採用している。原子力艦艇を含む多くの原子力船はタービン船であるが、ロシア連邦の原子力砕氷船のほとんどがモーター船である。
図1 に原子力船で採用された
加圧水型炉の3炉型:ループ型炉・半一体型炉・一体型炉の説明図を示す。ループ型炉は、多くの発電用原子炉で採用されている
加圧水型原子炉と同型で、原子炉容器、
蒸気発生器等一次系機器が一次系配管で連結されている加圧水型炉である。原子力艦艇を含む多くの原子力船に搭載されており、砕氷船レーニン号、貨客船サバンナ号、および原子動力実験船「むつ」に搭載されている。
一体型炉は、蒸気発生器、一次系ポンプ等放射能を有する一次系機器を原子炉容器内に納めた加圧水型炉である。鉱石運搬船オットハーン号はこの一体型加圧水型炉を搭載している。半一体型炉は、蒸気発生器等一次系機器を原子炉容器に短縮配管で吊り下げた加圧水型炉である。ロシア連邦の原子力砕氷船では、レーニン号を除けば、半一体型加圧水型炉を搭載している。
2.世界における原子力船の開発と運航の現状
原子力船は、在来のディーゼル船やタービン船に比べて、燃料容積が極めて小さく、長時間燃料補給の必要がなく、燃料の燃焼に酸素が不要なことなどの特徴を有する。このようなことから、1950年代から1960にかけて、原子力商船に強い関心がもたれ、ロシア連邦、米国、ドイツなどにおいて原子力商船の開発が行なわれ、砕氷船レーニン号、貨客船サバンナ号、鉱石運搬船オットハーン号と相次いで就航した(
表1 および
図2 参照)。また日本の原子動力実験船「むつ」も遅ばせながら就航した。
その後もドイツ、カナダ、米国等において、原子力コンテナ船、原子力潜水調査船、原子力タンカ等の計画を発表したが、石油の需要緩和などのため実現には至らなかった。フランスでは、小型潜氷調査船SAGAにそれまでの
スターリングエンジンと入れ替えカナダのAMPS炉(原子炉出力1.5MW)を搭載し、長期運転および出力増加を図る計画であったが、経済的事情により中止となった。一方、ロシア連邦では原子力砕氷船の建造が続いているので、ロシア連邦の状況については特記する。
2.1 ロシア連邦における原子力船開発と運航実績
図3 に示したように、ロシア連邦は海岸線の半分以上が北極海に面しており、北極海に面したムルマンスク、ペベックなどの港湾都市の経済活動を維持し、かつシベリア地方の豊富な天然資源を運び出すために、砕氷船あるいは砕氷貨物船が不可欠である。現在までに、7隻の原子力砕氷船と1隻の原子力砕氷コンテナー船が建造され就航している。各原子力船の概要は以下のとおりである。なお、レーニン号に搭載されている原子炉はループ型炉であるが、他の砕氷船は半一体型炉である。
(1)レーニン号(
図4 参照)
レーニン号の原子炉システム全体は、建造当初は独立した3基の原子炉(OK−150、90MW×3)で構成され、通常時は2基の原子炉の運転である。1970年に改造され、原子炉2基(OK−900、159MW×2)となった。モータ船である。推進出力32MW(39,200馬力)、排水量19,400トンで、世界最初の原子力砕氷船として、サンクトペテルブルグ(旧レーニングラード)の海軍工廠で1959年9月に完成し、12月から北極海商船方面隊を先導した。北極海に面するムルマンスクを基地として、1963年5月1回目の燃料交換を行うまで約60,000海里(1海里:1.8km)を航海した。1966年から原子炉機器のオーバーホールおよび原子炉の改造を行った後、1970年から再度就航し1989年12月まで運航し、その間の原子炉運転時間は約10万7,000時間であり、原子炉積算出力は650万MWhであった。
在来の砕氷船では年間9ヵ月の稼働が精一杯のところを原子力砕氷船で11ヵ月の稼働を可能にした。気象・海象が厳しい北洋海域における30年間に及ぶ運航経験をし(
図5 参照)、1989年に燃料を取出し退役した。その間、65万4,400海里(121万2,000km)を航行し、そのうちの86%、56万600海里が氷海航行で、3,741隻の商船を先導した。なお、390日間の原子炉無停止運転の記録をもっている。
(2) アルクチカ号(
図6 参照)およびシビーリ号(
図7 参照)
レーニン号の経験をもとに、第2世代として、アルクチカ号とシビーリ号が建造された。いずれもレーニン号より大型で、150MWの原子炉(OK−900A)2基搭載、排水量約23,000トンであり、砕氷能力も2.3mと高められている。第二世代第1船のアルクチカ号は1974年11月にサンクトペテルブルグのバルチック造船所で完成し、1975年5月より北極航路に就航した。1977年の4月までに約10万海里(18万5,000km)運航され、そのうちの80%は氷海航行であった。8月17日には非潜水船としては史上初北極点に到達した。
第2船のシビーリ号は1977年10月に完成し、1978年1月にはムルマンスク・ベーリング海の航路に就航している。
(3) ロシア号(
図8 参照)、ソビエッスキー・ソユーズ号およびヤマル号(
図9 参照)1985年12月に北極航路に就航したアルクチカ号の改良型である原子力砕氷船ロシア号では、原子炉安全性の強化、放射線監視装置にマイクロプロセッサーの採用、海水取入孔の改善、急速傾斜システムの採用、特殊耐氷塗料の採用などの改良が行なわれた。
1989年12月には完成したソビエッスキ−・ソユ−ズ号および1992年9月に完成したヤマル号は、ロシア号の改良型であり、ムルマンスクを基地にして北極航路に就航している。
原子炉格納容器の気密性の改善、耐氷電気防食装置の採用、人工衛星による海氷情報受信装置の採用などの改良を行なっている。
原子力砕氷船の暴露部の構造および機器は、環境温度マイナス50℃で設計されている。砕氷時塗装の損傷や外板摩耗が心配される船首部から船体中央部における喫水線付近と船底部外板については、氷との摩擦抵抗の小さい特殊塗装が採用され、塗装がはがれても腐食しないように厚板のステンレス鋼外を板採用するなどの改良が図られている。
(4)セブモルプーチ号
原子力砕氷コンテナー船セブモルプーチ号は1986年10月にケルチのザリーフ造船所で建造された。アルクチカ号の約1/2の砕氷能力をもつバージ船(ライター(はしけ)/コンテナー船)である。135MWの原子炉1基(KLM−40、蒸気発生器は4基)搭載、排水量61,800トンである。ヘリコプター1基を搭載し、74のバージ(はしけ)を積載できる。500tのガントリークレーンを装備しており、370tライター(はしけ)74隻を搭載してシベリア地方への物資の輸送(川を、はしけで遡って目的地に届ける)を行ったり、あるいは20ftコンテナ1,336個を搭載して北極圏航路を含む国際航路における一般貨物の輸送に従事している。セブモルプーチ号は他の原子力砕氷船のようなモータ船ではなく、タービン船である。砕氷時操船性能向上のため可変ピッチプロペラを採用している。乗組員は76人で、北極海沿岸の河口にバージを運搬し、河川を遡航し、シベリア開発に必要な資材を運搬している。1989年には黒海からベトナムを経てウラジオストックまで航行した。セブモルプーチの砕氷能力は速力20ノットで厚さ1mの平坦氷に閉ざされている北極圏航路最大の難所であるVilkitski海峡(Bolshevik島とTaymyr半島の間)を、他船の支援なしに単独で通過したことでも実証済みである。
(5)タイミール号(
図10 参照)およびバイガチ号
1986年に就航したタイミール号と1990年に就航した河川用の原子力砕氷船バイガチ号は、経済活動の高まりにともないシベリア地方の開発拠点の河を遡航することを可能にするために浅い喫水線を持っており、171MWの原子炉1基搭載、排水量20,000の大型砕氷船である。このため、技術能力の高いフィンランドのワルチラ造船所(現マサ造船所)で船体部を建造し、フィンランド製の制御装置を採用し、ロシアのバルチック造船所で原子炉プラントの製造および搭載を行っている。全プロセスが自動化されており、運転条件を変えるときのみマニュアル操作を行う設計となっている。
(6) ウラル号
大型原子力砕氷船ウラル号がバルチック造船所で建造され1994年1月に進水したが、現在資金難で工事が中断されている。船首形状の変更など砕氷能力の強化を図っている。
(7)スーパー砕氷船と砕氷船ペベック号の計画
欧州から北極海、日本まで航行可能な、砕氷能力3.5m以上のスーパー砕氷船「Leader」とタイミールの改良型のPevek(ペベック)号の建設計画がある。
2.2 西側世界における原子力船開発と運航実績(
表1参照)
(1) サバンナ号(米国)
貨客船サバンナ号は、1962年5月に完成して以来、商務省海運局の依頼を受けたStates Marine Lines社により運航され、国内の12の港に入港した。しかしこの間乗務員のストライキが頻発したので、1963年7月同社との運航契約を解消し、新たにAmerica Export & Isbrandsten Lines社(AEIL社)と運航契約を結んだ。1964年5月から国際航海を行い、欧州14か国の16港に入港した。1965年8月に至り同船の目的は一応達成したので、貨物船として運航されることになった。
新たにFirst Atomic Ship Transport社(AEIL社の子会社)との間で傭船契約が結ばれ、政府の運航補助を受けて欧州航路に就航した。また、1976年6月には、初めて韓国、中華民国、フィリピン等極東にも就航した。1968年9月に燃料交換を行い、引続き商業航行を行ったが、1970年には解役され燃料は取出されて、サウスカロライナ州チャールストンに係船されている。
(2) オット・ハーン号(ドイツ)
鉱石運搬船オット・ハーン号は1968年12月に完成し、1969年3月から11月までに英国一周、南太平洋(赤道付近)、北極海、西太平洋(西インド諸島)を実験航海した。1970年2月から商業航海に入り、モロッコの燐鉱石、イランのクロム鉱石、アルゼンチンの穀物等を運搬した。その間海外諸国22か国33港を訪問し、1979年2月に運航が停止されるまで約60万海里(111万km)を航海した。1982年に原子炉を撤去してディーゼル機関に換装して、コンテナー船(ノラジア・スーザン号)として運航している。
(3) 「むつ」号(日本)
貨物船として設計されたわが国の原子力第一船「むつ」号は、1974年の8月28日から出力上昇試験を実施中のところ、9月1日に放射線漏れを起こした。その後、原子炉遮へい改修・安全総点検を行って原子動力実験船と用途を替えて出力上昇試験が再開できたのは16年後の1990年3月であった。出力上昇試験終了後、1991年には北太平洋の冬期荒海航海を含む4回の実験航海を完了した。1995年に解役工事を終了し、原子炉格納容器、制御室、操舵室は切り取られ、青森県むつ市むつ科学技術館に展示されている。
3.世界における改良舶用炉設計研究(
表2−1 および
表2−2 参照)
ロシア連邦のレーニン号、米国のサバンナ号および日本の「むつ」に搭載されている加圧水型原子炉はループ型(分離型ともいう)型炉である。ドイツのオットハーン号では、原子炉システムが簡素化でき、将来小型化も可能な一体型(インテグラル型ともいう)炉を搭載している。ロシア連邦において建造あるいは就航している多数の原子力砕氷船に搭載されている原子炉は半一体型炉である。レーニン号、サバンナ号、オットハーン号および「むつ」は既に解役されている。
西側世界では、その後もしばらくは将来の原子力船実用化時代に備えて改良舶用炉の設計研究を行なっていたが、いずれの国でも現在ではこれらの研究は完了したか中止となっている。
予想される将来の原子力船の主な用途(
表3 参照)としては、先に、2.世界における原子力船の開発と運航の現状、で示したように、原子炉の特徴を生かせば色々な用途に期待ができる。原子炉の長期間燃料無補給の利点を生かして、ロシア連邦では原子力砕氷船を積極的に採用している。また将来大型高速コンテナ船も期待できる。小型炉では極地や僻地での用途も期待できる。さらに原子炉の無酸素燃焼の利点を生かし、潜水調査船や、海中観測ステーションなどの用途も考えられる。日本では、日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)を中心として高速コンテナ船用原子炉に加え海洋調査船用原子炉として原子炉出力1MW程度の超小型炉の設計研究を進めていたが、2001年からは分散型(都市近接立地)小型炉システムの設計研究に方向転換となった。
<図/表>
<関連タイトル>
原子力船「むつ」開発の概要 (07-04-01-01)
原子力船「むつ」実験航海の成果 (07-04-02-02)
原子力船「むつ」の解役と後利用計画 (07-04-03-01)
我が国における原子力船設計研究 (07-04-04-01)
ロシアにおける原子力船の開発 (07-04-05-02)
<参考文献>
(1) 日本原子力産業会議(編):原子力年鑑 1999/2000年版、(1999年10月)、p237−249
(2) 日本原子力産業会議(編):原子力年鑑 2000/2001年版、(2000年10月)、p264−274
(3) 日本原子力産業会議(編):原子力ポケットブック 2000年版、日本原子力産業会議(2000年7月)
(4) 日本原子力研究所:原子力船研究開発の現状 1993、(1993年3月)
(5) 日本原子力研究所:原子力船研究開発の現状 1995、(1995年2月)
(6) Bellona(編):Murmansk Shipping Company
(7) ミッテコン:ロシアにおける一体型炉の開発、第3回原子力船研究成果報告会(配布資料)、1995年5月