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<概要>
 武蔵工大炉は、定格熱出力100kWのトリガ(TRIGA)II型原子炉である。1960年より原子炉施設の建設が始まり、1963年1月に原子炉が初臨界となった。設置当初はアルミニウム被覆燃料要素で約1,107MWh、その後ステンレス被覆燃料要素に交換をして原子炉タンクの水漏れが発生した1989年12月まで、総合計で約1,483MWhの運転が行われた。大学の付属研究所として、また医療・生物研究を中心とする全国国公私立大学の共同利用研究施設として、原子炉は広く活用された。原子炉は原子炉タンク水の漏洩で長期停止していたが、2003年に廃止することを決定し、2004年1月に解体届として廃止措置実施計画が国に提出され、同年4月に保安規定変更が認可された。その後、原子炉の永久停止措置を行い、使用済燃料の搬出後、2007年度から各設備・機器の撤去を進めている。
 なお、2009年4月に学部を再編して大学名称を東京都市大学に改称し、総合大学に移行した。
<更新年月>
2013年08月   

<本文>
1.武蔵工大炉の概要
 旧武蔵工業大学の原子力研究所は、多摩丘陵の一角の高台、東急田園都市線と小田急小田原線に挟まれた川崎市麻生区王禅寺地籍にある。建設当時、周辺は山林や田畑の過疎地であったが、徐々に都市化が進んで住宅が建設され、敷地の東、西、北の三方、約100mが、今なお山林に残されている(図1)。
 武蔵工大炉は、濃縮ウラン水素化ジルコニウム減速水冷却固体均質型(TRIGA-II型)の定格熱出力100kWの研究用小型原子炉である。燃料は棒状で、20%の濃縮ウランと減速材の水素化ジルコニウム(ZrH)の合金を、アルミニウム(Al)やステンレス(SS)の被覆管中に封入したものである。原子炉本体は深さ約6.5m、直径約2mの純水で満たした炉心タンクの底に燃料と反射体(グラファイト)からなる炉心を沈めた構造で、この純水は冷却材と遮へい材を兼ねている。炉心タンクの周囲は厚さ1mを越えるコンクリートで作られた生体遮へいで取り囲んでいる(表1及び図2)。
2.武蔵工大炉のあゆみ
2.1 武蔵工大炉の誕生
 表2は、建設から廃止措置に至るまでの武蔵工大炉の設置(変更)許可一覧である。当時の学校法人五島育英会理事長五島慶太の提唱により原子力研究所の設立が計画され、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」(通称、「原子炉等規制法」)に基づき、1959年6月、五島育英会理事長五島昇から岸信介内閣総理大臣あてに原子炉設置許可申請書が提出された。10月7日に設置の許可が下り、翌年4月、武蔵工業大学原子力研究所が正式に開所され、五島育英会総長八木秀次が初代所長に就任した。12月から原子炉施設の基礎工事、1961年3月から原子炉建屋の枠組工事が始まり、1962年4月にはRI実験室が完成して使用を開始した。1963年1月になって原子炉の据付が完了し、29日に科学技術庁(現文部科学省)の最終審査を受け、翌30日、原子炉は初臨界に成功し武蔵工大炉(MITRR)の誕生となった(図3)。翌月4日には定格熱出力100kWに到達した。
2.2 研究所の再建と活用
 原子力平和利用開始直後に、いち早く原子炉を導入して研究所を設立したことは画期的なことであったが、当時の原子炉利用の機運は未熟で、研究所は次第に縮小の経過を辿っていった。1973年4月就任した佐藤禎所長(電気工学科主任教授兼任)は、わが国における研究用原子炉の希少性と、最も都会地に近接した立地条件を生かして研究所の再建に取り組んだ。
 1974年2月、先ず放射線モニタを更新して原子炉の運転機能の回復を図り、一方では大学の支援を得て放射化分析トータルシステムを完成させた(図4)。これを使って受託分析業務を始めると共に外来研究者にも開放して、環境保全(公害)や農業の研究、工業製品の生産管理の分野などでの原子炉の活用を図った。
 次に、1974年12月、原子力専門家、医療関係者の協力によって中性子利用による医療用の照射設備(照射室)の設置を決定した。1975年より熱中性子柱設備を医療用の照射室にするための改造工事を行い、1976年7月、内閣総理大臣より原子炉使用目的の変更(医療利用)の追加が許可された。これを受けて、東京工業大学原子炉工学研究所を窓口に、生物・医療研究を柱とする全国国公私立大学共同利用施設として原子力研究所の門戸が開かれた。1977年3月1日、最初の脳腫瘍患者の照射治療が行われた(図5)。原子炉が停止する1989年までの間、99件の脳腫瘍と9件の悪性黒色腫(皮膚癌)の照射治療が行われた。表3に共同利用による区分別の原子炉の利用実績、また、表4には脳腫瘍及び悪性黒色腫の照射治療実績を示す。約20%は海外から訪れた患者の照射治療である。
 研究所開設当初より卒業研究生の受け入れを行ってきたが、更なる高度の原子力技術者を育成するため、1981年4月に研究所に基盤を置く大学院原子力工学専攻(修士課程)を設置した。なお、1997年4月にエネルギー基礎工学科を新設したことから、2002年、エネルギー関連の新学科目を増設し、原子力工学専攻はエネルギー量子工学専攻に名称変更され、2003年4月に博士課程も新設された。
 研究所の再建も順調に進んで、原子炉は1日平均5時間、週5日間定常運転され、年間約1千時間の運転が行われた。利用者延人数で約400名を超える所外利用者が原子炉利用に来訪した。研究所開設から25年後の1985年に燃料要素の構造変更と燃料貯蔵施設(貯蔵プール)追加の原子炉設置変更が許可され、SS被覆の新燃料80本を購入し、9月に全燃料の交換が行われた。
 原子炉が停止するまで、Al被覆の旧炉心で16,905時間、積算出力1,107,450kWh、またSS被覆の新炉心で4,272時間、積算出力375,773kWhの原子炉運転が行われた(表5)。原子炉停止前におけるほぼ定常運転状態での原子炉の実験設備別の利用割合では、約75%が教職員・学生による所内利用、約15%が放射化分析等の受託による一般利用、残りの10%が文部省の共同利用であった。
2.3 原子炉の停止
 1989年12月21日、原子炉停止後に照射室内の熱中性子取り出し口の台上に水溜まりが発見された。原子炉タンク水の漏洩が明確になり、1990年1月4日、この事態が国及び川崎市に報告され、テレビや新聞の報道を見た近隣住民が説明を求めて研究所に集まった。このとき以来、原子炉の再開か廃止かが議論されてきた。詳細な原因の調査から、原子炉タンク熱中性子柱の一部に小さな傷(孔食)を生じ、ここから原子炉タンク水が漏洩したことが判明した。1992年3月末に故障箇所の調査結果と今後の基本方針が国に報告された。1994年9月、核燃料貯蔵施設の設置変更が国より許可され、一時保管されていた全燃料は核燃料貯蔵容器で保管されるようになった。
2.4 原子炉の廃止
 2000年3月、原子力研究所運営委員会(委員長堀川清司学長)の下に小委員会を設置し、財政的インパクト、原子炉の利用の見通し、原子炉受容(PA対策)と社会情勢、使用済燃料の処分方法等について検討が進められた。2002年10月、検討結果が原子力研究所運営委員会に報告され、2003年5月20日、五島育英会理事会において原子炉の廃止が決定された。この決定を受け、原子力研究所では原子炉施設の廃止措置の進め方を検討し、その計画を策定した。2004年1月27日、「原子炉等規制法」に基づき、「解体届」として廃止措置計画がまとめられ、国に提出され、同年4月に認可された。2006年5月には原子炉等規制法改正に伴う廃止措置計画書を申請し、2007年6月に国から認可された。
3.武蔵工大炉の廃止措置計画
3.1 解体工事計画
 原因究明調査のため、既に原子炉タンク水は排水され、原子炉の燃料は核燃料貯蔵容器内で保管され、制御棒、中性子検出器、照射実験管等の炉内構造物は原子炉タンクから取り外されて原子炉建屋内で保管されてきた。また、機能を維持することが必要な核燃料物質の貯蔵施設、放射性廃棄物の廃棄施設及び放射線管理施設については、「原子炉保安規定」に従って維持・管理されている。このような施設状況の下で解体が始まった。解体工事は2つの段階に分けて行うこととした(表6及び表7)。
(1)第1段階
 原子炉の運転機能の永久停止措置(制御棒駆動装置の機能を停止し、原子炉タンク上面にカバーを取り付けて施錠する。)を行った。また原子炉施設としての性能を維持する必要のない設備・機器の機能を停止した。そのほか炉内構造物、実験設備等の線量率を測定し、解体撤去方法を検討した。使用済燃料は国内手続きを経て米国に2006年度に返還された。
(2)第2段階
 使用済燃料の搬出後、2008年度頃までを目標に、各設備・機器の撤去を行った。解体に伴い発生する放射性廃棄物はドラム缶等に収納して原子力研究所施設内で保管管理している。この段階では遮へいコンクリートの解体撤去等は行わず、放射性廃棄物の外部処分場への搬出が可能になってから開始することとなっており、2013年現在で原子炉建屋及び遮蔽コンクリートは現状のままとなっている。
3.2 施設の維持管理
 廃止措置中にあっても機器毎に機能を維持することが必要なものについては、その維持管理を原子炉保安規定に従って行っている。特に放射性物質の閉じ込めに係わる設備、すなわち、核燃料物質の貯蔵施設、放射性廃棄物の廃棄施設及び放射性管理施設については、必要な期間中、維持・管理している。
3.3 進捗状況と今後の予定
(1)原子炉運転機能の永久停止措置
 原子炉運転機能停止の措置として、2004年4月〜6月に、炉心に燃料を再装荷できないように原子炉タンク上面にカバーを取り付け施錠し、さらに制御棒駆動装置の撤去を行った。また、原子炉の運転停止に伴い、運転に必要な計測制御系統等の各種設備の機能停止措置を行った。
(2)燃料処分
 燃料輸送に用いる輸送容器の「核燃料輸送物設計承認書」の交付を受けて「容器承認」を申請し、容器製作の完成後に米国エネルギー省の「海外試験研究炉燃料の引き取り政策」に基づき、2006年度に使用済燃料を全て米国エネルギー省に引き渡した。
(3)解体工事
 使用済燃料を事業所外に搬出した後、2007年度から設備の解体工事を進めている。これによって発生する放射性廃棄物は、原子炉施設内で保管、管理している。
(4)放射性廃棄物の処分
 放射性廃棄物の処分については、将来、外部処分場への搬入が可能になった時点で、放射性廃棄物の事業所外への搬出を行う計画になっている。
4.現在の施設状況
 原子炉は廃止されたものの、教職員、修士課程学生によって、原子炉本体以外の残された原子炉施設・放射線取扱施設、実験設備、計測制御機器を利用して、教育と研究活動に活用されている。
 今後も施設の安全管理に配慮しながら、原子炉の解体工事、放射性廃棄物の処分等について検討をしていくことが予定されている。
<図/表>
表1 武蔵工大炉の概要
表1  武蔵工大炉の概要
表2 原子炉設置(変更)許可の一覧
表2  原子炉設置(変更)許可の一覧
表3 共同利用による区分別原子炉利用実績
表3  共同利用による区分別原子炉利用実績
表4 照射治療実績
表4  照射治療実績
表5 原子炉の運転実績
表5  原子炉の運転実績
表6 解体工事工程
表6  解体工事工程
表7 性能を維持・管理する設備
表7  性能を維持・管理する設備
図1 武蔵工業大学原子力研究所全景
図1  武蔵工業大学原子力研究所全景
図2 武蔵工大炉の構造
図2  武蔵工大炉の構造
図3 武蔵工大炉の全景と炉心部チェレンコフ光
図3  武蔵工大炉の全景と炉心部チェレンコフ光
図4 放射化分析トータルシステム(GAMA)
図4  放射化分析トータルシステム(GAMA)
図5 原子炉の中性子による治療照射
図5  原子炉の中性子による治療照射

<関連タイトル>
武蔵工大炉(MITRR) (03-04-03-03)
研究炉の廃止措置 (05-02-04-01)

<参考文献>
(1)武蔵工業大学原子力研究所:パンフレット、「大いなる展望に向かって 研究所の現状と未来」
(2)武蔵工業大学原子力研究所:パンフレット、「放射化分析技術に飛躍をもたらすGAMAシステム」
(3)武蔵工業大学原子力研究所:「25年の歩み」(1985年3月)
(4)東京工業大学原子炉工学研究所:「武蔵工業大学原子炉等共同利用十年史」(1987年3月)
(5)武蔵工業大学原子力研究所:「研究所報−平成元年度研究・管理報告」(1990年6月)
(6)東京大学工学部附属原子力工学研究施設:平成15年度弥生研究会発表要旨集、「研究炉等の運転・管理及び改良に関する研究会−武蔵工大炉の廃止措置」(2004年3月)
(7)日本アイソトープ協会:ISOTOPE NEWS、No.606(2004年10月)
(8)武蔵工業大学:「武蔵工業大学75年史」(2005年3月)
(9)武蔵工業大学原子力研究所:「原子炉設置変更許可申請書(完本)」(2005年5月)
(10)東京工業大学原子炉工学研究所:「武蔵工業大学原子炉等利用共同研究成果報告書 Vol.1(1976)〜Vol.14(1989)
(11)東京都市大学原子力研究所HP:研究所のご案内(http://atomsun2.atom.tcu.ac.jp/guide.html)、原子炉の医療利用(http://atomsun2.atom.tcu.ac.jp/medical.html)、生活を守る研究(http://atomsun2.atom.tcu.ac.jp/gama.html
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