<本文>
1.職業被ばくの小史
人類は太古から大地や宇宙からの
自然放射線の存在に気付かず放射線環境下で低線量被ばくを受けながら生命を得、生存し、進化してきた。1895年に
X線が発見され、短期間のうちにX線装置は医療機関等へ普及し、利用された。X線の利用に伴い、人類はX線被ばくによる慢性放射線皮膚炎や皮膚がん、再生不良性貧血や
白血病、不妊等の多発を経験し、X線利用に伴う職業病(職業被ばくによる)としての放射線障害の発生を初めて認識した。この間に多くの医師やX線技師がX線の過剰被ばくによる犠牲者となった。放射線障害により死亡した犠牲者を顕彰するためドイツ放射線学会は、1936年にハンブルグのセント・ジョージ病院の庭に記念碑を建立するとともに「全世界のレントゲン学者および放射線学者の顕彰書」を発行した。顕彰書は第一版と第二版が発行され、第二版にはわが国の犠牲者28名が記載されている。この顕彰書以後の犠牲者として、日本医学放射線学会は1972年に27名のリストを公表している。なお、この時代の悲劇は、X線障害の防止意識と防止対策の遅れ、個人線量測定技術の開発および被ばく線量測定の意識高揚の遅れ等によるものである。
1928年に国際X線ラジウム防護委員会(現在の国際放射線防護委員会の前身)が設立され、1934年に0.2R/dayを上限とするX線の
耐容線量を勧告した。1942年12月2日に米国で世界最初の原子炉が
臨界に達し核分裂の
連鎖反応に成功した。続いて、1945年7月16日に人類初の核実験が行われ、原子力エネルギー開放の時代が到来した。これに伴い、放射線防護の問題は従来よりも一層重要性を増してきた。これを契機に1950年に改称した国際放射線防護委員会は、耐容線量を改め最大許容線量として、0.3R/weekを勧告した。この時代からわが国の放射線利用も、医療のみならず工業、教育、原子力へと展開し、これに対応するように放射線防護の基礎となる個人線量測定法に関する研究も行われ、1954年に日本で初めて個人線量測定サービスが民間で開始された。この個人線量測定サービスの開始によって、放射線利用分野における職業被ばくの状況が判るようになるとともに、被ばくによる
確定的影響の診断や確定的影響の調査(放射線疫学調査)に極めて有効な資料を提供できるようになった。
2.個人線量測定に用いられる測定器と測定値の品質
わが国の個人線量計の研究は、1951−1952年頃から民間および電気試験所(現在の産業技術総合研究所)でフィルム線量計(以下、フィルムバッジと呼ぶ)を中心に研究・開発が行われた。そして、1954年の暮に(株)千代田レントゲン(現在の(株)千代田テクノル)がフィルムバッジにより個人線量測定サービスを開始した。この時の利用者は、主に大手の造船会社であった。これに続いて医療機関の利用が増加した。一方、フィルムバッジの研究成果は、1956年10月に「エックス線用フィルムバッジケース」などとして規格化され、JISとして制定された。これにより、フィルムバッジケース、フィルム現像条件および線量の測定・評価方法の統一が行われ、フィルムバッジによる被ばく線量測定精度の向上が図られた。
1957年6月には、「原子炉等規制法」や「放射線障害防止法」が制定・公布され、翌年度から施行された。この法令により、放射線作業に伴う被ばく線量の測定が法的に義務付けられることになった。このような背景のもとで、低エネルギーX線のみならず高エネルギーX・
γ線による被ばく線量の測定についても調査研究が進められ、1957年10月に「γ線および硬エックス線用フィルムバッジケース」がJIS-Z-4302として制定され、測定値の品質も維持できるようになった。因みに、日本最初の原子炉JRR-1は、1957年8月27日に臨界となった。この時の個人線量測定には、上記のJIS規格バッジが使用された。
この後も、日本原子力研究所(以下、原研と呼ぶ(現日本原子力研究開発機構))、民間等でフィルムバッジの研究は続けられ、また、動力炉・核燃料開発事業団(核燃料サイクル開発機構を経て現日本原子力研究開発機構に改組。以下、サイクル機構と呼ぶ)で
TLDによる個人線量測定法の研究も行われた。
以上のような歴史的背景から、個人線量測定サービスはほとんどフィルムバッジで行われている。1974年に動燃がTLDで個人線量測定サービスを開始した。TLDによる測定サービスを受けている者は、現在、全体の放射線業務従事者の約1.1%である。なお、わが国では、TLDは異常被ばくの早期検出と現場における作業単位ごとの被ばく管理に広く使用されている。
3.個人線量測定記録からみた被ばく統計
3.1 民間の線量測定サービス機関による被ばく統計
わが国の放射線業務従事者の業種・職種の個人線量測定記録の統計は、線量測定サービスを実施している(株)千代田テクノル発行の「フィイルムバッジニュース」と(株)長瀬ランダワ発行の「FBだより」で詳細に報告されている。
上記2社の報告書を基に作成した2002年度の線量測定サービス結果を、医療、工業、研究教育機関別の職業被ばくに分類した機関別測定人数、総線量、平均線量を
表1に示す(表中の長瀬ランダウワの測定人数はフィルムバッジの年間継続利用者のみの合計)。ここで、総線量とは各個人が受けた被ばく線量を単純に積算したものである。したがって、測定人数に平均線量を乗ずれば職業機関別の
集団線量(人・mSv)を求めることができる。2社で319,146人の線量測定サービスを実施しており、これはわが国の全放射線業務従事者の約82%に相当する。2社の線量測定サービス集団の平均線量は、0.24mSvである。
業種別に眺めて見ると、工業でも非破壊検査業種の平均線量が高く、次に医療機関である。研究教育機関が最も低いことがわかる。また、報告書には、過去からの平均線量が表又は図で公表されており、平均線量の推移から、わが国の被ばく防護に対する毎年の努力が理解できるように作られている。
民間の線量測定サービス機関は、上記2社の他に(株)産業科学、および、(株)ポニー等がある。両社で15,000人程度の線量測定サービスを実施しているが、被ばく統計は公表されていない。平成13年度の放射線業務従事者の個人の受けた線量は、全ての原子力施設において法令に定める
線量限度(5年間につき100ミリシーベルト及び1年間につき50ミリシーベルト)を下回っている。
3.2 民間の線量測定サービス機関による職種別にみた被ばく統計
職種を細かく分類して被ばく統計を得ることは困難(業者間分類法の問題)であるが、(株)長瀬ランダウワは2002年度の線量測定人員110,002名について測定結果を男女別に医師、看護婦(士)、技師、助手、研究員、技術員、工員、教員、その他の9職種に分けて平均線量を求めた。この例を
図1に示す。男女別では、男性は女性の約2倍の平均線量であり、集計対象者の男女別内訳は、男性74,903名、女性35,099名、女性の占める割合は全体の31.9%であった。
以上のように民間の線量測定サービス機関による被ばく統計は、各事業所における放射線防護意識の高揚と放射線取扱作業の改善への努力を促し、被ばくの低減化に極めて寄与しているものと推察される。
3.3 放射線従事者中央登録センターによる被ばく統計
原子炉設置者(原子力発電事業者、原研(現日本原子力研究開発機構)、サイクル機構を含む)や
核燃料物質の加工事業者等の原子力事業所から(財)放射線影響協会の放射線従事者中央登録センターへ登録された個人線量記録の統計が、同協会発行の「放影協ニュース」に報告されている。
原子炉等規制法など原子力関係法令は、いわゆるサイト主義を採用しているので、個人線量記録等も施設の放射線管理記録の一環として施設に帰属して保管されている。
原子力発電所の基数の増加に伴い、定期検査や修理作業等に従事する者のうち、特に専門技能を有する技術者は渡り鳥のように原子力発電所を廻って働く現象が起きた。このため、各サイトで分散・保管される当該技術者の被ばく線量を加算し、一括管理できるシステムが1977年11月から放射線従事者中央登録センターで運用されるようになった。したがって、放影協ニュースの個人線量記録の統計は、個人を識別した被ばく統計で上記3.1と同様の性格を有するものであり、放射線業務従事者数等は加算できる。
表2は、同センターでまとめた、放射線業務従事者個人ごとに、しかも渡り鳥的技術者の年間関係事業所数(1年間にわたり歩いて働いた事業所の数)とそこでの被ばく線量を集計し、関係事業所別・線量別の従事者数をまとめて示したものである。この制度での放射線業務従事者数は、61,635人であり、平均線量は1.4mSvであった。
本登録制度に基づく原子力事業所での総線量は、前記の放射線業務従事者数と平均線量を乗じて86,289mSvとなる。
4.許可施設別の個人線量管理記録からみた被ばく統計
原子力安全白書には、原子炉等規制法に基づき実用原子炉施設の設置者から提出された「放射線管理等報告書」および行政上の通達に基づく「放射線業務従事者線量報告書」から取りまとめられた過去10年間の「原子力発電所の被ばく実績」が公表されている。これを
表3に示す。なお、この実用原子炉施設の設置者の個人線量管理記録は、3.3「放射線従事者中央登録センターによる被ばく統計」に取り込まれている。平成7年度以降、毎年度各発電所における放射線業務従事者の線量当量は公開されているが発電所全体をまとめたものは公開されていない。
表3の平均線量を1975年からグラフで示すと
図2のようになる。また、
図3に年度毎の総線量と運転基数を示す。
図2から原子力発電が本格化し始めた1975年代では
BWRの平均被ばく線量はPWRに比較して2倍程度高めであったが、1985年代になると両者は2mSv程度で変わらなくなった。この年代以後も(1)作業の自動化遠隔化の採用、(2)本設・仮説遮へいの設置およびその範囲の拡大、(3)復水濾過器の改良による
クラッドの低減、(4)低コバルト材の採用による
60Co等の低減化および耐食性鋼の採用、(5)製造技術の向上に伴う溶接線の削減、などの被ばく低減化対策が継続して実施され、平均線量は1.0mSvから1.3mSvで横ばい状態になった。この間には1993年からPWRの蒸気発生器取替工事が継続して実施されている。また、1997年には、BWRの炉心シュラウド等の取替工事が集中して実施されたが、この年度の平均線量は1.1mSvであった。
原子炉等規制法に基づき試験研究用原子炉施設および研究開発段階にある原子炉施設の設置者から提出された「放射線管理等報告書」および行政上の通達に基づく「放射線業務従事者線量報告書」から取りまとめた放射線業務従事者の被ばく線量一覧が原子力白書で公表されている。また、放射線障害防止法に基づいて使用者、販売業者および廃棄業者から提出された「放射線管理状況報告書」から取りまとめた放射線業務従事者の被ばく線量も原子力白書で公表されている。上記と同様に、これらの放射線業務従事者の被ばく線量は、3.1「民間の線量測定サービス機関による被ばく統計」や 3.2「放射線従事者中央登録センターによる被ばく統計」に取り込まれている。
3.3で述べたように、原子力関係法令による許認可は事業所毎であり、したがって、法令により求められた個人線量記録は許可施設で被ばくした者の統計であり、個人を識別した被ばく統計ではない。しかし、渡り鳥的技術者が少ない場合は、3.3の被ばく統計に一致する。
許可施設別の個人線量管理記録からみた被ばく統計は、許可施設が許可条件を満たし、放射線管理が良好に行われているか否かの指標となる被ばく統計である。
<図/表>
<関連タイトル>
医療被ばく(患者の診断・治療時)の評価 (09-04-04-09)
<参考文献>
(1)館野 之男:放射線と人間、岩波新書 913、岩波書店、(1974年11月20日)
(2)荒川 昌:フィルムバッジサービスとともに −二十五の歩み−、千代田保安用品(株)(現在、千代田テクノル)、(1983年11月3日)
(3) 第1期疫学調査線量評価グループ:放射線疫学調査(第1期)に係る個人線量の信頼性(1),RADIOISOTOPES,46(11),p.833-843 (1997年11月)
(4)(株)千代田テクノル:FBNews、No.323(2003)
(5)(株)長瀬ランダワ:平成14年度被ばく線量当量集計(2004)
(6)(財)放射線影響協会:放影協ニュース、No.36 (2003年)
(7)原子力安全委員会(編):原子力安全白書 平成7年度版
(8)通商産業省資源エネルギー庁:平成9年度実用発電用原子炉施設における放射性廃棄物管理の状況及び放射線業務従事者の被ばく状況について,(1998)
(9)岩崎 一郎:蒸気発生器取替工事における放射線管理について、保健物理、32(2), 227-229(1997)
(10)河合 勝雄ほか:日本における職業被ばくと線量低減、保健物理、28,203-209,(1994)