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<概要>
 チェルノブイリ原子力発電所4号機事故での放射線による死亡者数は、それが事故の大きさを端的に表すことから社会的関心を呼んでいる。これに関する推定値が報告されているが、WHOなどでも採用されている国際がん研究機関IARC)のCardisらによる推定は以下のとおりである。事故直後から1987年にかけての緊急の事故処理に当たった作業者、チェルノブイリ原子力発電所から30km圏内に居住し事故後避難した避難民、および避難はしなかったが旧ソ連(ベラルーシ、ウクライナ、ロシア)の高度汚染地域に居住していた人の計約60万人を対象とすると、事故により増加するがん死亡は約4000人と推定され、旧ソ連の(高度汚染地域を除いた)汚染地域の居住者を含めて約740万人を対象とすると、合計で約9000人と推定された。さらに、最近の報告では、推定対象をヨーロッパ全体5.7億人に広げ、過剰死亡の数は約16000人と予測されている。
<更新年月>
2007年01月   

<本文>
(1)はじめに
 1986年に旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所4号機での原子炉事故により大量の放射性物質が環境中に放出され、地域住民をはじめ多くの人々が影響を受けた。事故に起因する死亡数は事故の健康影響を端的に表すことから多くの関心を呼び、それに応えWHOなどから死亡数の推定値が公表されている。ところが、“チェルノブイリ事故の影響”として推定された死亡数が新聞等で4000人、9000人、16000人などと複数の値が報道され、結果的に読者に若干の混乱をもたらした。ここでは、WHOなどによる死亡者数推定の基礎となったIARCのCardisらによる報告に基づいて、チェルノブイリ事故での放射線による死亡数に関し解説する。
 Cardisらは2つの重要な論文を公表している。その第1は1996年の論文で、旧ソ連の放射性物質により高度に汚染された地域を中心にした論文であり、第2は2006年の論文でヨーロッパ全体を対象としている。いずれの論文でも、住民をいくつかのグループに分け、−そのグループに属する平均的住民一人が受けた外部被ばく線量ならびに飲食物等を介して−内部被ばく線量を推定し、その線量にグループの人数を乗じて集団線量を求め広島・長崎での原爆被爆者の疫学データからのリスクモデルに基づいて白血病および固形がんの生涯における死亡数を推定したものである。すなわち、用いたリスクモデルでは線量とそれによるリスクしきい値なしの直線的関係にあるというLNTモデルが基本となっている。
(2)1996年論文での推定値
 1996年論文では、チェルノブイリ事故で比較的高い放射線量に被ばくした人々を3つのグループに分け、死亡数を検討している。結果は、がんの種類すなわち固形がんと白血病に分けて、表1にまとめた。第1グループは事故直後から1987年にかけての緊急の事故処理作業に従事した約20万人で、一人当たりの平均被ばく線量は100mSv、被ばく者全員が95歳まで生きると仮定するとリスクモデルから固形がんおよび白血病の合計で2200人の過剰死亡となると計算される。このグループには、このほかに急性放射線症により28人が被ばく3か月以内に死亡、その後2004年までに放射線被ばくの関連で19人が死亡していることが判明している。第2グループはチェルノブイリ原子力発電所周辺30kmの住民13.5万人で、事故の翌日に避難し、一人当たりの平均被ばく線量は10mSvで、これによるがんの過剰死亡は160人と推定される。第3グループは放射能の高度汚染地域住民で避難しなかった約27万人であり、一人当たりの平均被ばく線量は約50mSvであった。このグループでのがん死の生涯予測は1600人と計算される。なお、このグループには特に小児に甲状腺がんが多発したが、死亡数は9人であった。以上の3グループの合計約60万人の被ばく者からの放射線による死亡者数の合計は約4000人と計算される。
 このほかにCardisの1996年論文では、上記高度汚染地域を除いた旧ソ連3か国の汚染地域(137Csの沈着密度が37kBq/m2以上)住民680万人、一人平均被ばく線量7mSv、についても生涯死亡予測を行っており、過剰死亡数は4970人と推定している。すなわち、上記の3グループ60万人に旧ソ連3か国の汚染地域住民680万人を加えた740万人について考えれば過剰死亡者数は約9000人と計算される。
(3)2006年論文での推定値
 2006年に発表されたCardis論文では、ヨーロッパ全土40か国の集団5.7億人を対象に死亡予測を行っている。結果は表2に示した。137Csの地表沈着密度や食品中の131I濃度等に関するデータに基づいてヨーロッパ各国と地域を5つのグループに分類し、国・地域別の平均全身線量や甲状腺線量等を推定し、がんリスクモデルを用いて被ばくに起因するがんの生涯リスクを推定した上で、線量・線量率効果係数DDREF:1.5を用いて修正を行い、事故後80年間の過剰死亡数として約16000を得ている。内訳は固形がんが14100件、白血病が1650件である。
 Cardisの1996年論文と2006年論文では異なった予測モデルが用いられている。すなわち、1996年論文では国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR)が採用したものが用いられ、2006年論文では米国NRCの専門委員会BEIR−VIIが採択したモデルが用いられているが、両者の違いは本質的なものではない。細かく見ればそのほかにも違いがあるが、それらも大きな影響を与えるものではない。すなわち、4000人、9000人および16000人と3種のがん死亡数が公表されている理由は、チェルノブイリの事故に起因する死亡数といいながら、旧ソ連の高度汚染地域のみを対象としているか、旧ソ連のその他の汚染地域を含めた住民を対象としたものか、さらにヨーロッパ全土を対象としているか、対象集団の違いを反映しているといえる。
(4)推定値の意味と問題点
 このような予測値はどのような意味を持つのであろうか。まず予測値の精度の問題がある。放射線に起因する病気は急性放射線症などを除いてほとんどが非特異的であり、放射線以外の原因によるものと区別がつかず、このことが疫学調査による死亡数の推定を困難にしている。実際に、チェルノブイリ事故では、幼若期に被ばくした住民に甲状腺がんが発生していることが認められているケースを除けば、高度汚染地域でさえ疫学調査により白血病などの増加は認められていない。
 用いたリスクモデルはUNSCEARのものもBEIRのものも基本的に広島・長崎での原爆被爆者で観察された放射線がん死亡リスクに基づいたものであり、原爆の場合の瞬間的な被ばくからのデータをチェルノブイリ事故での長期にわたる被ばくに当てはめることができるのか、そもそも旧ソ連での平均数10mSv、全ヨーロッパでの推定では平均0.5mSvに数10万人から数億の人数をかけての集団線量はがん死亡数予測に本当に意味があるのか等の本質的な問題があることには留意する必要がある。
 この問題に関しICRPは次のように述べている。集団線量は放射線防護の最適化を考えるときの道具であり、疫学的リスク評価の手段として意図したものではない。従って、易学的調査に基づくリスク予測に集団線量を用いるのは不適切である。具体的には、大集団に対する微量の被ばくが関係する集団線量に基づいてがんの死亡について計算するのは合理的ではない、としている。
 結論的に、チェルノブイリ事故による死亡者数の増加については、リスクモデルに基づいて計算することはできるが、その予測の結果は慎重に解釈すべきであるといえる。
<図/表>
表1 旧ソ連地区でのチェルノブイリ事故の放射線によるがん死亡と自然死の予測
表1  旧ソ連地区でのチェルノブイリ事故の放射線によるがん死亡と自然死の予測
表2 ヨーロッパでのチェルノブイリ事故の放射線によるがん死亡と自然死の予測
表2  ヨーロッパでのチェルノブイリ事故の放射線によるがん死亡と自然死の予測

<関連タイトル>
チェルノブイリをめぐる放射線影響問題 (09-01-04-10)
チェルノブイル事故による健康影響 (09-03-01-06)
旧ソ連チェルノブイルから10年−放射線影響と健康障害−(OECD/NEA報告書) (09-03-01-07)

<参考文献>
(1)E.Cardis,et al.:Estimated long term health effects of the Chernobyl accidents., Proceedings of the International Conference,One decade after Chernobyl,Summing up the Consequence of the Accident,Vienna(1996), p.241-279
(2)E.Cardis,et al.:The Cancer Burden from Chernobyl in Europe(2006年4月),
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